天狗様と姫(1)
「太郎、さん……?」
――なに?
声をかけても、いつもの飄々とした声が、返ってこない。
「あの、太郎さん? どうしたんですか?」
太郎さんは、目の前で倒れたまま動かない。目を閉じて、口から一筋血を流して、そのままだ。声をかけても、恐る恐る揺すっても……。
「どうしちゃったんですか? ねえ、太郎さん。疲れたんですか? ねぇ?」
いつもみたいに気が足りないっていうんだろうか? そう思って、首から提げていた指輪をはずして手に握らせてみるけど、効果はなかった。さっき身に着けたばかりだからか……! それならと、いつも以上に強く太郎さんの手を握ってみた。だけどそれでも太郎さんは目を開けない。
だんだん強く揺さぶるようになる私の手を、横から治朗くんが止めた。止めて、静かに首を横に振っている。
「なんで、治朗くんは何も言わないの?」
いつもなら私よりも先に飛びつきそうなものなのに、静かに見守るばかりで何もしようとしない。
治朗くんだけじゃない。部屋の中には、他の天狗様たちもいるのに誰もぴくりとも動かない。壁際にいる三郎さんも、縁側近くに座るセイさんも、部屋を見渡すように上座に座す法起坊さんも、その近くにいる前鬼さん・後鬼さん、そして部屋の中央部にいる僧正坊さんも、誰も。
取り乱す私に、治朗くんは苦々しい顔を向けた。
「何をしても、無駄だ」
「どうして!? これだけ大天狗様がいるのに!?」
「俺たちにもどうしようもない。兄者はもう、呪いを身に受けてしまったからだ」
「呪い……!?」
治郎くんは、静かに頷いた。
「正確には、母御前が受けていたものだが。あれは、単なる術ではなく、呪いだったのだ。母御前に与えた幸福と同じだけの、もしくは幾分か足した分の富・幸福を返さなければならない、というな」
「な、なにそれ……!」
「今はもう失われつつある呪詛だ。少し形式が変わっているがな」
「呪詛って、呪いって……そんなの誰が?」
「……お前だ」
治朗くんは、そう言って私を見た。
「……え?」
「藍、お前が母御前に呪詛をかけていた」
「なにそれ……私、そんなことしてない! するわけない!」
「わかっている」
治朗くんは、床に落ちた絵と、私が片手に握ったままだった絵を指した。
「利用されたのは、その絵だ」
「これ……?」
手元の画用紙を見た。さっきハサミで切り落としてしまって、私の手元にはクレヨンで描いたお母さんと『だいすき』という拙い文字しか残っていない。
「それは、当時お前が母御前のためにありったけの思いを込めて描いたものだ。これを見て、何度も力を貰ったと、母御前はよく言っていた」
「それが、なに……?」
「お前から母御前へ向けた愛情、それによって母御前が受けた励まし……それこそが、先ほど話した『幸福』に当たる」
「そんな……でも私、同じくらいお母さんから返してもらってる」
「わかっている。だが母御前は、”返礼をしている”という自覚はない。当り前のことだとして接している。それはつまり、幸福を与えた呪詛者に対して、礼を怠ったことになるんだ」
「そんなの……!」
「だが、それで良かったんだ。母御前が”返礼”をしていると、下手をすると呪い返しに当たったかもしれんからな」
「呪い返し?」
「よく聞くだろう。丑の刻参りを見られてしまうと、かけた呪いが自分に返ってくると。あれと同じだ。今回の場合だと、呪詛者は藍に当たる。つまり、お前に母御前が受けた以上の呪いが降りかかったかもしれん」
「そんなことって……! でも、本当に私、何もしてないのに……」
「ああ。他の誰かが、この絵を利用して、藍を呪詛者に見立てて母御前に呪詛の矛先を向けた。正直誰も、こんなことができる者がいるとは思ってもみなかった」
他の人たちも、みんな苦虫を噛み潰したような顔で俯いていた。全員、この状況が、歯がゆいのだ。
「……だがこの呪いの肝は、『藍と母御前』の絵と、『おかあさん だいすき』の文字、この2点。そこで、兄者は思いついたんだ。呪いを断ち切る方法を」
「それが……はさみで切る?」
「そうだ。この絵の中の、お前と母御前、そして『おかあさん』と『だいすき』の文字をそれぞれ切り離すことで、藍から母御前に向けられた繋がりを断ったんだ」
『繋がりを断つ』――その言葉に思い当たるものがあった。それを意識していたから、太郎さんは、絵を切らせることを躊躇っていたんだ。こんな……子どもの時に描いた、私自身でも忘れていたようなものなのに……。
「でも、それでも結局は同じじゃないの? それで呪い(?)を無理矢理切ったら、私に返ってくるんじゃないの?」
「……あのままなら、な」
そう言って治朗くんは、床に落ちていた方の画用紙を見せてくれた。
「……っ! これ……!」
落ちていた方の画用紙には私が描かれているはずだった。だけどそこに描かれていたのは、私ではなくて……
「これ……えっと……太郎さん?」
「……おそらくな」
幼稚園児の絵に合わせたからだろうけど、なんだかぐちゃぐちゃの人の形らしきモノが描かれていた。そしてその下には、『おかあさん』と書かれていたはずのところに、『ははぎみ』と書かれていた。
両方の画用紙をくっつけると、色鉛筆で書かれた太郎さんがお母さんと手をつないでいて、『ははぎみ だいすき』と言っている絵になっていた。
細かいところまで、私を太郎さんと置き換えたらしい。
「わかっただろう。『藍』の部分を『兄者』の姿に書き換えることによって、呪詛者の存在すらも書き換えた。兄者が、母御前を呪っていることにしてしまったんだ」
「そんな……それで、自分が呪い返しを……? 受けるってわかってて、この絵を切れって言ったの?」
「そうだ」
――いいんだよ、これで。僕は、姫を守れたんだから
「だから、あんなことを……?」
この人は、どうしていつもいつも……。私に、自分を大事にしろって言ったのはこの人なのに。
「…………愚かな…………!」




