天狗様、工作す(6)
太郎が二階に閉じこもり始めてはや数時間。日も傾き、外は暗闇に覆われた。
居間から見える庭の風景も、茜色から夜の漆黒にその色を変化させていった。その様を見つめながら、居間にいる客人たちは暢気な音を響かせた。
ずずず…
「太郎の奴、何してんだろうな」
ずずず…
「さっきから二階に籠ったきり、下りてきませんね」
ずずずずず…
「ああ、それにしてもうちの藍ちゃんの作ったこの茶漬けの美味いこと……」
「……親父どの、親じゃないのに親バカモード発動してますよ」
先ほど藍が出したお茶漬けをすする清光坊、相模坊、法起坊の姿を見て、飯綱三郎は呆れがちに言った。それでも三人は、茶碗から手を離さない。
「三郎か。遅かったな」
「まぁな。管狐たちが疲れたから、徒歩で来たんだ」
「飛べばいいじゃん」
「セイ……人里ではやるなって頭領に言われてないか? あと、お嬢にも言われただろ」
「確かに、ご迷惑になりますね」
「……ていうか、美味そうなもの食ってんな」
「やらんぞ。これはうちの藍ちゃんの心付けだ」
「そうだけど、そうじゃないような……」
「……よければ、私の分をあげるよ」
離れたところから、力ない声が響いてきた。僧正坊の発した声だった。
「お前さんは食わねえのか?」
僧正坊は、静かに首を横に振った。
「食欲なんて湧かない。母君があんな状態なのに……食事がのどを通るわけがない」
その物言いは、自分の思いを吐露したというよりは、周囲の人間を非難するような色を帯びていた。
「悪かったな。無神経で」
「セイ、わざわざ煽らない」
ずずずずず……
法起坊は、かまわず、すすり続ける。
「僧正坊よ、これは母君からだってうちの藍ちゃんが言ってたろう。食ってやるのが親切ってものじゃないのか?」
「あなたまで……どうかしている。明らかに何者かの術にかかっている人がいて、これだけ大天狗が集まっても解けないという異常事態だというのに、どうして暢気に食事など……!」
僧正坊はたまらず法起坊の腕を掴み取った。暢気に茶碗を持つ手を叩き落そうとした。が、それは別の手によって阻まれた。
法起坊の腕を掴む僧正坊の腕を、前鬼の逞しい腕が乱暴なまでに強く握っていた。
「法起坊様から手を離せ、僧正坊」
「……言われなくとも」
僧正坊は、前鬼の腕を乱暴に振りほどくと、再び部屋の隅に座った。
「本当に食わねえのか?」
「くどい。食べたければ勝手に食べろよ」
その言葉を聞いて、三郎はにんまりと笑った。
「じゃ、遠慮なく」
三郎は手を合わせると、まだほんのりと熱を帯びている茶碗の中身を掻き込んだ。
「美味い! さすがはお嬢だな」
「ふふふ、うちの藍ちゃんはさすがだろう」
「なんで親父さんが自慢すんの」
まだ微かに温かいお茶漬けを食べて和む彼らからはずれて、僧正坊は憮然としていた。完全に無視を決め込むことにしたようだ。
それを見て、三郎は茶碗の陰でにやりと笑みを作った。
「後悔しなけりゃ、いいがな……」
「ねえ、藍」
「……今度は何ですか。何が欲しいんですか」
さっきから太郎さんは、たまに下りてきたと思ったらおかしなことを言う。
輪ゴムを持って二階に消えたと思ったら30分ほどしてまた下りてきて、今度はクレヨンを要求してきた。さすがに持ってなかったから色鉛筆で代用してもらったけど。
今度もまた、さっきまでと同じような声音だった。また何か要求があるに違いない。
「鋭いね。紙とハサミ、ない?」
「ありますけど……何に使うんですか?」
「う~ん……ヒミツ」
この調子でまったく教えてくれない。
信じろと言われたからには信じるけど……本当、この非常時に何してるんだろう? 工作? 図工の宿題でも作ってるの?
そんな私の視線を感じたのか、太郎さんは子どもにするように、私の頭を撫でた。
「大丈夫。もうすぐだよ」
あやされた……と言うより、ごまかされた……。
本当に、何をするつもりなんだろう? いつもならなんやかんや言ってはペタペタ触ろうとしてくるのに、今は、必要なものを受け取ると、さっさと行ってしまった。
私のお母さんのことなんだから、私にも何かできないんだろうか……?
「ねえ」
居間の襖が雑に開かれた。中から現れたのは、藍が作ったお茶漬けを堪能した大天狗の集団だった。
法起坊を中心に前鬼・後鬼、三郎、清光坊、相模坊が寄り集まり、離れたところにぽつんと僧正坊が座っている。経緯を知らないと、僧正坊だけ爪弾きにしているような構図だ。
だが太郎はそのこととは別のことで眉をひそめて、きょろきょろ室内を見回した。
「なんだ太郎、どうした」
「一人で何やってんだよ。俺らにも教えろよ」
「……太郎?: 何か探しているのですか?」
「探してるっていうか……これだけ面子が揃ってるのに、なんで豊前だけいないの?」
太郎は、ここにいない九州天狗の元締め・彦山豊前坊を指して、ほんの少し落胆した。落胆された側は呆れるほかない。
「なんでって……忙しいからだろ。あいつだってお山の頭領なんだから」
「この前は玉ねぎ剥いてたくせに。ていうか僧正坊や相模はよく来るのに……」
「いや、私はセイに半分拉致されて来ているので……」
「私は、母君が難儀していないか心配で来ていたんだ。どんちゃん騒ぎするためじゃない」
僧正坊の刺々しい声に、清光坊が腰を上げようとしたが、太郎の声がそれを制した。
「どうでもいいよ。誰か、豊前呼んでよ。すぐ来てほしいって」
それだけ言うと、ぴしゃりと襖を閉めて立ち去ってしまった。
「やれやれ。よその山の頭領たちを顎で使うとは、大した頭領代理だ」
「まあ、あのふてぶてしさがあればこそ、1000年を超えて今ここにいるんでしょう」
「……そうだな」
「では、愛宕山頭領代理殿の望みのままに、白峯山頭領が使い走られてきましょう」
そう言い、相模坊が静かに立ち上がった。
「相模、彦山まで行く気か? 行ったことなかったら神通力で一瞬では行けないだろ」
「ええ、ありません。だから瞬時に彦山まで……とはいきませんが、白峯(香川県)までは神足通が使えますから。そこから飛べばすぐですよ」
相模坊は襖とは反対の障子を開いて、庭に出た。
「緊急事態ということで、今だけお許しくださいと、藍さんにお伝えください」
ふわりと微笑んだ相模坊の背中に、夜空よりも黒く艶めく大きな翼が現れた。自身の身長とほど近い大きな翼を力強く羽ばたかせると、相模坊は一気に夜空に飛び立った。
夜空に上った相模坊の姿が暗闇に溶け込むのに、時間は要しなかった。
「相変わらず行動が速いねぇ、相模は。俺が伯耆大山(鳥取県)まで飛んだって良かったのに」
「あそこは今はお前らのお山じゃないだろう」
「まぁそうだけど」
「しかし、太郎坊はなぜ、ここにいる誰でもなく豊前坊を呼んだんだろうな」
「そりゃあ、今の太郎にできなくて豊前にできることがあるからだろ」
清光坊の少し投げやり気味な言葉に、法起坊と三郎は肩を竦める。
そんな清光坊に言葉を返したのは、三郎だった。
「太郎は、すでに任せてくれてるさ」
三郎はにやりと笑った。それに対し、清光坊はさらに不敵な笑みを返した。
部屋の隅に一人座る僧正坊だけが、未だ憮然としたまま座っていた。
「俺たちは、俺たちの役割を果たしましょうや」




