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天狗様といっしょ  作者: kano
第一章
45/210

天狗様、工作す(5)

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 太郎さんは台所に置いてあった輪ゴムの箱を受け取ると、再び2階に籠ってしまった。いったい何をどうするつもりなんだろう……?

 視線で三郎さんに問いかけてみても、首を捻るばかりだった。

「なんだ? 三郎、どうしてここにいる」

 治朗くんが入り口から顔をのぞかせた。よく考えたら三郎さんはさっき到着したばかりなんだった。寄り道させてしまった。

「まぁ、なりゆきでな」

「? そういえば兄者も一向に顔を見せないが?」

「ああ、太郎さんなら2階に籠っちゃった……」

「2階? 物置か?」

「わからない。さっきはお母さんの部屋にいたみたいだけど」

「母御前の部屋か。何か手がかりはつかめたのだろうか」

「みたいだぜ。可愛らしい絵を引っ張り出してきてたな」

「そこは触れないでください……!」

「絵?」

「ああ、仲良し親子の微笑ましい絵だよ。なあ、お嬢?」

 三郎さんがニヤニヤしだした。これは、からかわれる……! 逃げるように視線をさ迷わせると、視界に太郎さんに取っておいた一人分のご飯が飛び込んできた。

 助かった、とばかりにお盆を掴んだ。

「はいはい。じゃあ私は太郎さんにご飯を届けに行くので、これで――」

 と言って、優雅に逃亡を決めようとしたその時、横からお盆ごとさっと掬い取られた。

「俺が持って行く」

 そう言うと、有無を言わさず足早に立ち去ってしまった。

 私も三郎さんも、絡むのをやめてしばし治朗くんの歩いた後を見つめていた。

「なんだ? そんなに”兄者”に会いたかったのかね?」

「かもしれませんけど……そうなのかな?」



 ミシッミシッ――

 二階へ続く階段が、昔からなじんだ軋み音を響かせる。母と娘、二人の女性のプライベート空間である2階には、よほどのことがない限り足を踏み入れないようにしていた。

 今日は、踏み込むべきだと治朗は思っていた。他の誰でもない藍と、彼女の母のためだ。遠慮などしている場合ではない。一番手がかりがありそうな場所へ行かねば……そう思っていた。

 だがそこにやすやすとたどり着いたのは、敬愛してやまない太郎だった。この人は、いつも自分を追い抜いていく。目的の為ならば、自分のような躊躇いなど持たないからだろう。その姿に憧れてきたつもりだったのに、今は――

「何してるの、治朗?」

 部屋の中から声が飛んできた。

 治朗はまだ襖を開けずに廊下に立っていたというのに。彼は、自分と違って神通力などないのに。

「足音でだいたいわかるよ。何か用?」

 黙っていると、今度は疑問に思うことまで言い当てられてしまった。

「……食事の膳を、持ってきました」

「ありがとう。そこに置いといて。後で食べる」

 そっけない声だった。この人は本来、こういう態度であることが多いのだ。藍だけなのだ、あれほど執着を見せるのは。

「……藍が、兄者のために作ったものですよ」

「………………今は、いい」

 部屋の中から、何かの音が絶え間なく聞こえてくる。藍のために、”何か”をしているのだ。何をするべきか、導き出せているのだ。

 対して自分はどうだろう。ここで膳を持って立ち尽くすのみ。この前も、その前も、自分にできたことなど、何一つなかった。

 この16年、彼女を守ってきたのは自分だというのに――。

「兄者、失礼します。俺にも何か――」

 許可を得る前に、襖に手をかけた。やや乱暴に襖が開いても、太郎は振り返りもせず、治朗に背を向けたまま”何か”を続けていた。

 その”何か”を、肩越しに治朗は目の当たりにした。

「兄者、それは――藍が母御前に……」

「やっぱり、治朗は知ってるか」

 太郎はやはり振り向かない。手を止めない。だが、わずかに意識が治朗にも向いたらしい。

「教えて。これを描いた時の、彼女のこと」

「兄者、それはいくらなんでも……藍も、母御前も、大切にしまっていたもので……」

「仕方ないじゃないか。こうしないと、彼女も危ないんだから」

「しかし……!」

「だから、教えて。僕が、どれだけ酷いことをしようとしているのか」

「…………藍は、あの父親を……『月に一度美味しいものを食べさせてくれるおじさん』だと呼んで憚らなかった。繰り返しそう言っていました。だけど本当は、僅かながらでも、あの男を父親と認識して慕っていた。俺は、知っています」

「……そっか。心の中、読んだんだ。ひどいな」

「それしかあいつを慮る方法が思いつかなかったのです。あの男が死んだ時の母御前の落ち込みようは、それはもう見ていられないほどでした。だから、藍はよくわからないと繰り返し言っていた。『実感がない』『これからは月に一度のごちそうはないんだ』とまで」

「……そっか」

「あいつなりにわかっていたんです。自分まで悲しむと、母御前はさらに悲しむだろうと。だから、悲しむよりも今まで父親に向けていた分の愛情もすべて母御前に差し出した。あの絵は、その決心の証でした」

「……さすがに幼稚園児がそこまでのことは考えてないんじゃないかな……いや、彼女なら考えるか。なんて心清いんだろうね、僕の愛する人は」

 太郎は、ようやく手を止めた。一つ息をついて、誰にともなく呟くように口にした。

「それを16年支えてきたんだ……そりゃ、治朗にかなわないはずだ」

「……は?」

「え? 藍って治朗に恋してるんでしょ?」

「なっ!! な? えぇっ!!?」

「あれ、知らなかったの?」

「い、いやそういうことじゃなく……兄者、なぜそれを……あ、いや……」

「いやいや見てれば分かるでしょ。いろいろダダ洩れなんだから、彼女」

「それは、まぁ……」

「だから、これでもし彼女が悲しむようなら、治朗がちゃんと受け止めてあげるんだ」

「俺が、ですか? 兄者は……」

「僕は完全に嫌われるだろうから無理だよ」

 太郎は、意を決したように再び絵に向き直った。

 その背中を見て、治朗はふと思った。自分は16年、太郎は1000年なのだ、と。

 悔しいが、そこは認めざるを得ない。

「兄者、俺は……俺には、何かできることはないのでしょうか? 兄者のために、藍のために」

 太郎は、静かに微笑みながら振り向いた。

「あるよ。とても大事なことが」

 治朗はまた、悔しいことに、太郎からこういわれることも嬉しく思うのだ。この兄に、頼られたいのだ――!

 太郎は、微笑みながら右掌を治郎に向けて差し出した。



「クレヨン、貸して」

「………………ありません」


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