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天狗様といっしょ  作者: kano
第一章
33/210

天狗様、市(ショッピング)へ行く(8)

 ショッピングモールでのひと騒動(?)があった大変な一日ももう少しで昨日に変わるような時に、私は一人台所に立っていた。

 あの後、三郎さんと狐ちゃんたちを祝う会が我が家で催されることになったからだ。今日はこの前の『大天狗総会』の時よりも人数が少なかったから品数は少なかったけれど、お母さんの足の怪我はまだ完治していなくて、ずっと台所で立ち仕事はさせられなかったから、必然的に私が炊事係を買って出たのだ。別に料理は嫌いじゃないから、苦にもならない。出来たら色々と便利なこともある。

 例えば、誰かに何かを言いたい時など……

「あれ? 何作ってるの?」

「あ、太郎さん」

 さっきまでもう一人の炊事係を担ってくれていた太郎さんだ。料理が出そろったから客間に戻ってもらっていたけど、今、両手に空の皿をいっぱい抱えている。

 私が受け取ろうとしたけど、固辞して流しまで持って行ってくれた。

「ごめんね、ずっと料理させて。何か食べた?」

「ちょこちょこつまみ食いしてたから大丈夫ですよ」

「そう」

 太郎さんは、そのまま蛇口を開いて、皿を洗い始めた。

「向こうはどうですか? みんなそろそろお開きですか?」

「まぁそうじゃないかな。治朗も三郎も狐ちゃんたちも寝たし。母君も休むって言ってたし」

「寝たんだ……」

「うん。幸せだよね、酔って良い気分のままで寝るなんて」

「太郎さんは、そんなことないんですか?」

「まぁ……多少はマシって感じかな。ふわふわしてちょっとだけ色んな事、気にしなくなる」

「……さっきはどれくらい呑んだんですか?」

「三郎と同じくらいだから……2升くらい?」

「呑みすぎですね」

「……ふふ」

「なんですか?」

 太郎さんは、手を留めずに、私の方を振り返らずに、応えた。

「いや、今は違うかもしれないけど……姫も相当な酒豪だったよ。その姫に、呑みすぎって言われちゃったからさ」

「そう……なんですか」

 最近、気付いたことがある。この人が”姫”のことを話すとき、普段の飄々とした口調や静かな声音が、どこか熱を帯びる。同じような話に聞こえても、よく聞くと、とてもとても穏やかで優しい気持ちが籠っているように聞こえるのだ。

 だからこそ、よくわからなくてモヤモヤしてくる。

「あの……」

「うん?」

「昼間は、ごめんなさい」

「…………へ? なんで? 何を謝るの?」

「その……太郎さん、怒ってたでしょ。たぶん、私が悪いことを言ったんだろうなと思うから」

「ああ……うん。いや、僕こそ、怒鳴ってごめんなさい」

 私たちはお互いに頭を下げて謝った。だけど、それで終わりにはできなかった。

「あの……」

「え? な、何か?」

「私謝ったものの、考えても何が悪かったのかまだわからないんです。その……ずるいかもしれませんけど、教えてもらえませんか? 何を怒ってたのか」

「ああ……うん、そうだな……」

 太郎さんは、少しの間洗い物を続けた。逃げたんじゃなくて、何か言葉を探っているように思えたから、私は待つことにした。その間に鍋の中を確認して、熱燗の準備をしていると、太郎さんが蛇口を締める音がした。

「わかってないから、かな」

「え?」

 太郎さんは、そのまま振り向かずに続けた。

「自分が、他の誰かにとって大事な存在だってわかってないから。それを理解せずに、すぐに自分を犠牲にしたり、自分を使い捨ての物のように言う。それって、とても悲しいよ」

「大事に……?」

「自分を大事に思ってくれる人がいるなら、君の命はもう、自分だけのものじゃないんだ。大事に思ってくれる人のために、自分を大事にしなきゃいけないんだよ」

 太郎さんの手は、震えていた。誰か、これを伝えたい人がいたんだ。だけど、伝えられないんだ……。

 すると太郎さんは、震えを止めてくるっと振り返った。その表情は普段とは別人のように、とても穏やかだった。

「太郎さん?」

「僕じゃなくてもいいよ。君には既に母君と治朗っていうお互いに大事に思う人がいるんだから、二人のために、昼間言ったみたいなことは言わないでほしい」

「はい……わかり、ました」

「うん」

 言いたいことは、なんとなくわかったと思う。だけどまだわからないことがある。

『僕じゃなくてもいいよ』

 どうして、こう言えてしまうのか。あれだけ毎日毎日、傍を離れようとしないのに。どうして自分は省こうとしているのか。

「あ、ところでそれ何作ってるの?」

 太郎さんは、ぱっと表情を変えて、顔を逸らすように火にかかった鍋を覗き込もうとした。私は、その腕をぐっと掴んで引き離し、椅子に座らせた。

「え、なに? なに?」

 そして、よくわからないといった顔をする太郎さんの前に、鍋の中身と、温めておいた熱燗を置いた。

「え?」

 最後に、太郎さんの前に箸を置いて、完了だ。

「どうぞ、食べてください」

「え? あぁ、サトイモの煮っころがし? うん、美味しいよね。って、急にどうしたの?」

「今日のお詫びとお礼です」

「……え、何の?」

「だから、たぶんあなたを悲しませたことと……教えてくれたことの、お詫びとお礼」

「ああ、そっか……うん、じゃあ、いただきます」

 太郎さんはそう言うと、箸でサトイモを口に放り込んだ。口の中で咀嚼そながら、顔を綻ばせるのを見計らって、徳利を手にとった。

「どうぞ」

「え、あ、ありがとうございます」

 太郎さんは、若干居心地悪そうにお猪口を口にしていた。私がガン見していたんだからそりゃあ居心地も悪かろう。とはいえ、まだ言いたいことが残っているのだ。

「あ、あの……本当にどうしたの?」

「……さっきの話……」

「はい?」

「納得いかない部分がありまして」

「は、はい」

「太郎さんは、『大事に思ってくれる人のために、自分を大事にしなきゃいけない』と言いましたね」

「う、うん。言ったね」

「でもその後、『僕じゃなくてもいいよ』と言いましたね」

「い、言いました」

「でも昼間、私に言いましたよね。『僕は君を心配している』って」

「そりゃあ、はい……言いました」

「それって、太郎さんも『大事に思ってくれる人』の一人で、つまりは『僕じゃなくてもいい』は通用しないってことじゃないんでしょうか」

「…………う、うん……?」

 太郎さんは目をぱちくりさせて理解しようとしている。

「えっと……つまり、訂正したらいいってこと?」

「……そうですね」

「……ふ、ふふ……君って時々、変なこと言うね」

「変じゃないです」

 太郎さんは、そうだね、と小さく呟いて、少し姿勢を正して私の目を見て、言った。

「君には、母君と治朗と、僕っていう大事に思ってくれる人がいるんだから、僕らのためにも、ちゃんと自分を大事にしてね」

「……はい、わかりました」

「じゃあ、ついでに僕も変なことしていい?」

「それはダメです」

「そんなにべもない……聞くだけ聞いてよ」

「……何ですか?」

 太郎さんは、ズボンのポケットから小さな箱を取り出して、机に置いた。真っ白いシンプルな立方体に、紅いリボンがかかっている。

「何ですか、これ?」

「プレゼント、かな。開けてみて」

 ちょっと嫌な予感がしたけれど、わくわくした顔の前で突っ返すわけにもいかない。そっとリボンをほどいて、箱を開けてみた。すると、中からピンクゴールドのリングが顔をのぞかせた。

「これって……」

 ピンクゴールドの土台が一筋ねじれたデザインで、トップより少し下に小さな石が埋め込まれている。今日、雑誌で見ていいなと思ったものと似たデザインのリングだ。

「まさか今日、行方不明だった間に?」

「うん。似たやつって、意外とないんだね。あれだけ店があっても、売ってたのは1軒だけだったよ」

「そう、ですね……っていやいやいや! さすがにもらえません! ホント、受け取れません!」

 思わず手に取りそうになったけど、すんでのところで手を引いて箱を閉めた。太郎さんはちょっと悲しそうな顔をしたけど、このことは断らせてほしい……!

「そんなに嫌がらなくても……」

「いやいやいやいやいや、だって指輪はさすがに……こういうのはちゃんと付き合ってる二人が……」

「許嫁なのに」

「それが違うって言ってんでしょうが!!」

「むぅ……まぁ、それは置いといて」

「置いとかないで!」

「いや、この前君が言ってたこと……『メオトノチギリ』だっけ?……ぷぷぷ」

「……それ以上笑うならこの指輪、鼻にぶち込みますよ」

「ごめんごめん。いや、落ち着いて考えたらあれ、いいアイデアかもしれないと思って」

「何がですか?」

「指輪の交換だよ。正確には、指輪のシェアって有効なんじゃないかな」

「同じ指輪をってことですか?」

「そう。君が一日身に着けて、次の日は僕が身に着ける。君の気を吸った指輪を身に着けて、僕は四六時中手をつながなくても良くなる」

 そんなことは今もしていないけど……とにかく、事あるごとに手をつながないといけない状況を変えられるということだろうか?

「はぁ……なるほど」

「ペアリングならぬシェアリングだね」

「はぁ……」

 上手いこと言ったと思ってるんだろうな。すごいドヤ顔だ。

 でも確かに、この人が意外とよく口にする合理的、効率的にも当てはまる気がする。私も接触が減るのはありがたいし。

「じゃあ記念すべき1回目、はめていいですか?」

「は? ああ……まぁ、う~ん……………………ど、どうぞ」

 それこそ本当に彼氏が出来たらしてもらいたいことなんだけど……今日行方不明だった間に何軒もはしごしてまで私の好みに合わせてくれたんだろうし……仕方ないか。

 私は、少し迷った末、右手を差し出した。

「……右か」

「何か?」

「いいえ」

 太郎さんは、少しだけ残念そうだったけど、何も言わずに右手の中指に指輪をはめた。

「あれ? 中指なんですね」

「うん、右の中指は邪気を払うんだって」

「へぇ……あ、でも私の中指には入っても、太郎さんのどの指に入るかわからないですよ」

「え、そう?」

 そのあたり考えてなかったな……。急いで中指から指輪をはずして、太郎さんの指にはめてみる。

「こうしてると、指輪の交換みたいだね……うふふ」

「はいはい。とりあえず同じ中指にはめてみますよ」

 私と同じ右手中指、そこに指輪をはめてみる。すると――

カラン

 指輪が、滑り落ちた。

 床に落ちた指輪と、お互いの顔、交互に見ているうち、何も言えない空白の時間が流れた。どちらからともなく、言わずとも、結論は出た。


 シェアリング制度、廃止――。


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