天狗様、登校す(5)
「これって……!」
相手からはまるで生気を感じない。そして、じめっとして重々しい、粘りつくような空気。
こんな空気を纏う存在を知っている。これは……!
「あやかし、だね」
――失敗シタ……失敗シタ……オ前タチ、ノ、セイ……!
「な、なんだ……っ!?」
異様な空気に目を覚ました根岸は、起きて早々、悲鳴を上げた。”あやかし”そのものには気付いていないはずだけど、ここまで至近距離でこんな空気に纏わりつかれて何も感じないはずがない。
恐怖に顔を歪めるにとどまらず、どこか苦しそうに呻きだした。と同時に、相手の男の周囲を不気味な影が覆った。影は形を成さないまま、どんどん膨らんでいった。
「あれ、どんどん大きくなってるんですけど……」
「吸ってるんだ、彼らの気を」
隣に立つ太郎さんが呟くように言った。
――失敗シタ……失敗シタ……姫、喰イ、ソコネタ……!!
「どうしよう……あやかしには手を出すなって言われてるけど……」
「うん、君は触れない方がいい」
「治朗くんはまだ来ないし……」
「さっきから呼んでるんだけど、反応ないんだよね」
「あ、購買の人が多すぎて、チャンネルが混雑してるのかも」
そういえば治朗くん、人込みに行くと色んな声を拾っちゃうから苦手だって言ってたっけ。
「そうか。じゃあ治朗を待ってはいられないね」
「でもどうすれば……」
と言った瞬間――
――喰 ワ セ ロ !!
影が依り代らしい男と一体となって飛び掛かってきた。触れてはいけないと散々言われているから、避けるしかない。かわそうとした私の、眼前に身を翻したのは――
「太郎さん!?」
太郎さんは真っ直ぐに立ち、そのまま片手を突き出した。
すると、太郎さんの前に光の壁のようなものが現れた。
――グギャアアァァァァァァァ!!!!
影は壁に動きを阻まれ、耳をつんざくような叫び声を上げた。
「結界……?」
「うん、結界」
治朗くんがやっているのを見た事がある。自分の気を、他者を寄せつけないための見えざる障壁に変える術だと言っていた。
「でも……どうして? 太郎さんは今、そういった術とかは使えないって……」
「使うだけの気が足りないからね。今は、ちょっと借りたから」
「借りた?……あ!」
唐突に思い出した。『大天狗総会』の時に言っていた。”ちょっと触れるだけで少しずつ貰えてる”と。
「もしかして、事あるごとにペタペタ触ってきてたのって……」
「半分、正解」
「残り半分は?」
「単に触りたいから」
「~~~~~この変態!!」
「今役立ててるから許してよ。ついでにお願いがあるんだけど」
「……何ですか!」
「ちょびっと貰ってただけだから、この結界、あんまり長くはもたない。つきましては追加融資をお願いしたいんだけど、決済はおりますか?」
「~~~こんな時に回りくどい例え方しないでください! シンプルに!」
「もうちょっと気を貰いたいので、手をつないでもいい?」
太郎さんはそう言って、私にもう片方の手を差し出した。
「ああもう! どうぞ!」
やけくそ気味に太郎さんの手を強く握り返す。途端、ぶわっと何かが脈打った。血だとか筋肉だとかじゃない、目に見えない流れが出来て、私から太郎さんへと流れ込んでいくのがわかった。
「うん、充填OK」
そう呟くと、太郎さんは結界をはっていた片手を下げた。同時に光の壁が消えて、影が勢いを取り戻した。
――ギシャアアァァ!!
――と、叫んで飛び掛かる影を、今度は無造作に鷲掴みにした。影は逃れようともがくけれど、太郎さんは掴んだまま離さない。
「僕の姫に手を出した報いだ。消え去れ――」
低い響きとともに、突き出した片手をぐしゃっと握りつぶした。掌中にあった大きな黒い影は、耳障りな声とともに、文字通り四散していった。
「ふぅ」
太郎さんが息をついて腕を下ろすと同時に、周囲に籠っていたあの重苦しい空気が晴れた。
あの依り代になっていた男子も、太郎さんの前に倒れ伏した。
そして、太郎さんもへなへなと座り込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫……ちょっと力が抜けただけ」
今、あやかしを消滅させたことで力を使い切ったんだろう。力なく笑う顔は、疲れをにじませていた。
そんな私たちの頭上に、一瞬大きな影が出来た。驚いて見上げると――
「兄者! 藍! 無事ですか!」
治朗くんだった。思いっきり黒い翼を広げている。急いだんだろうけど……
「治朗くん、学校では飛ぶのは……」
「緊急事態だったんだ、仕方ないだろう。これでもなるべく目立たないように努力はした。それで、あやかしは?」
「もう消えたよ」
「太郎さんが、消した」
「兄者が!?」
頷く太郎さんに、治朗くんはわなわなと震えて、いきなり土下座を始めた。
「申し訳ございません、兄者! 俺がいながら、兄者にそのようなことをさせてしまった……! どう落とし前をつければいいのか……!」
「う~ん、無事だったしいいんじゃない?」
「そういうわけには……兄者と藍の身を守るのが、ここでの俺の責務です。それを俺は……よりによって自分の昼餉のために、二人を危険にさらして……! なんと愚かしい!」
「ご飯は大事だよ?」
「二人の命ほどのものではありません!」
「いやいや、そんなこと言ったら比良山の頭領が泣くから」
太郎さんがどれだけ言っても、治朗くんは土下座を辞めない。さすがに太郎さんにも辟易とした表情が浮かんだ。
「ほ、ほら治朗くん。太郎さんも、もういいって言ってるじゃない。謝罪は終わり、反省はまた後日。お昼ご飯食べよう!」
「! ご飯! お弁当!」
私の言葉に、太郎さんはぴくんと跳ね上がり、お弁当のもとへと駆けだした。
「ほら、ね? 太郎さんもご飯食べようって……」
「ああ……」
いつになく暗くて力ない返事だった。よっぽど責任を感じているんだろう。治朗くんは、責任感が強いからミスしたときの落ち込みも人一倍――
「ああああぁぁっ!!!」
なんていう思考を遮ったのは太郎さんの声だ。どうしたのかと振り向くと――




