天狗様、登校す(1)
なんて、気持ちいい朝だろう。
白い朝日。小鳥のさえずり。ひんやりと快適な空気。程よい湿度と気温。何かをするには一番適した時間帯じゃないだろうか。火を使ってむわっとした熱気をはらむ台所ですらも、この心地良さは覆せない。
卵焼きを作り終えて、湯気が立っている間に4等分しておく。おにぎりはさっき作って粗熱をとっている最中だ。
「あとは何を入れようかな……?」
そうだ、昨日余った食材で肉巻きゴボウを作ったんだった。お弁当二人分ぐらいの量にはぴったりだろう。
ああ、お弁当のメニューを考えるのですら心が弾むなぁ。いつもはここまでじゃないんだけど、今日は何故か、そう……気持ちが軽いんだ。
昨日まで背後に感じていた”圧”が、今はないから。昨日・一昨日は常に視線と気配を感じて皮膚がヒリヒリしていたものだ……挙句、朝から部屋に侵入され、着替えまで見られ、なのに治朗くんたちに怒られ……散々だった。
何のことはない、早く起きてしまえばいいんだ。そうすればあの人も起こしに来ないし、お弁当作りもはかどるし、気分は爽快だし……
「あー、一人ってサイコー!」
「そう? 寂しくて眠れないよ」
「んぎぃっ!!?」
背後から首筋にふっと息がかかり、鳥肌が立つ。と同時に、ほぼ反射的に背後に立っていた人物の腕を掴み、腰を鎮め、思いっきり投げ飛ばしていた!
次の瞬間には、台所にドスーンと大きな音が響いた……。
「いたたた……お見事……」
投げ飛ばされた人――太郎さんは、泣きはしないものの起き上がれないでいる。介抱しているのは例によって例の如く治朗くんだ。
「藍、毎度毎度いきなり投げ飛ばすとは何事だ」
「いきなり首筋に息吹きかけてくるような変態にはこうしろって言ったのは治朗くんでしょーが!」
「もうやめてよ。僕をめぐって争わないで」
「違うわ~~っ!!!」
ああ、朝の爽やかモードが一気に火山モードに移行してしまった。朝っぱらから汗が出そう……。
とりあえず、落ち着くためにも作業に戻ろう。
「と、とにかく私これからお弁当作りますから。邪魔しないでくださいね」
「お弁当?」
太郎さんがぴくんと反応し、急に寄ってきた。起き上がれないんじゃなかったのか……。そんなことなど忘れたように、私の手元を見て目を輝かせている。ていうか、近い……!
「うわ~うわ~美味しそうだなぁ」
と、ぴたっとその動きを止める。
「ねぇ、僕の分は?」
台所に並ぶのは2人分。学校に行く治朗くんの分と私の分だけ。いつものことだった。
「え? 太郎さんのお昼ご飯はお母さんが用意してくれるでしょう?」
「え? どうしてお弁当ないの?」
「え?? お弁当を、ですか?」
「学校行くからお弁当作ってるんだよね? 僕も学校行くのに、僕の分はないの?」
「学校行く……はぁ。なるほ……えええええええ~~~~!!!」
どこでどういう手をまわしたのか謎しかないけど、太郎さんはいつの間にか私達と同じ学校に通うことになっていた。事情を聴いても――
「天狗の力を侮ってはいけないよ」
と(ドヤ顔で)言うばかり。いったいどんな権力を持ってるの、天狗は……?
というわけで、治朗くんから予備の制服とお弁当をせしめた太郎さんは、私の重い気分とは反対にうきうきしながら歩いている。
「あの……先に言っときますけど、天狗らしい……ていうか人間離れしたことしないでくださいね」
「僕は天狗らしいことは何もできない天狗だから、そんな心配いらないよ」
そういえば、昨日そう言っていたな。詳しくどういうことなのかわかってないけど……
「なら、少なくとも治朗くんみたいに人前で飛んだり、人前で車を片手で持ち上げたり、人前で時速160kmぐらいで走ったりはしないか……ひとまず、心配はないかな」
「治朗、もうちょっと人間のこと勉強してから行きなよ」
「あの頃は人間界が久々すぎて加減が難しく……」
本当、出会ったばかりの頃の治朗くんには驚かされることばかりだったな……。まぁ、太郎さんにも驚かされてばかりだけどね……。
あれと同じことはやろうと思っても出来ない。そう聞いたから、私は安堵した。今思えば、それは”安堵”ではなく、”油断”でしかなかったのだ――!
「はじめまして、愛宕山太郎坊です。そこに座ってる前世からの許嫁を追って家を飛び出してきました。彼女に手を出したら末代まで祟るけど、基本的によろしくお願いします」
挨拶が人間離れしとる…………っ!!! しかも私まで巻き込んで……!
治朗くんとや私と同じクラスになったから、一緒にいるのはしんどいけど制御していけるかもしれないから良かったとか思った矢先にこれか……!
ああ、やめて! 私まで含めてじろじろ見ないで! ざわざわしないで……!
ざわつく空気をなんとかまとめようとしているのか、担任がひきつった笑みで太郎さんに話しかけた。
「え~と……愛宕山太郎坊? 何の名前? か、変わってるねぇ」
「お山を出たら各々この名を名乗るのが決まりなので」
「お、おやま……?」
まずい。先生の思考がショートしてしまう……!
「や、山奥の農村出身なんです! 村内部での呼び名が本名とは別にあるんですよ! そっちの方が重視されてるんです、ね? ね?」
頼む……私の言うこと聞いて! ”話を合わせる”という選択肢を取って……!
そんな私の必死の視線に気付いたのか、太郎さんはこっちを向いてニヤニヤして手を振った。
「ああ、山南と親戚なんだったな。なるほど小さい頃からの付き合いで許嫁なんて言ってるのか。ハハハ、いいなぁ」
そこは触れないでほしかったけど、いい感じにごまかせそうだからまぁいいか。
「え? いや、彼女とは前世から将来を誓い合ってるんです。だから彼女とは生まれたときから”許嫁”なんですけど」
…………
水を打ったような静けさって……もしくは、ドン引きって……こういうことを言うんですね。誰一人として、言葉を発しようともしない。というか発したくないというこの空気。
「あ、そうか……ハハ。まぁ、その、頑張って」
「はい」
先生……よく頑張ったと言いたいけど……私のこと、見捨てないで。ていうか同類と見ないで。
「ところで、名前は『愛宕太郎』って聞いてるんだけど、そのへんどうなの? ”山”とか”坊”とか?」
「え、ああ…………じゃあ、それで」
「それでって……うん、まぁ、はい。じゃあ席ついて」
あ、投げた。
先生はそれ以降、太郎さんと目を合わせようとしませんでした。もちろん、教室内の他の生徒たちも治朗くん以外は全員。
そして、どの席に着けと特に指定されなかった太郎さんは、まっすぐに私の隣の机に向ってきたのでした……。




