天狗様、潜伏す(17)
「兄者! 兄者、待ってください!」
とても重要なことを、とても思わせぶりなところまで聞かせておいて、とても悔しいタイミングで逃げ去った太郎を治朗が追った。
当然、身体能力で勝る治朗が追い付いた。
「なに、治朗? 逃げないと見つかっちゃうじゃない」
「半分は見つけさせることが目的でしょう」
「そうだっけ」
太郎のそらとぼけた顔に、治朗が今日何度目か知れないため息をこぼした。
「事実、午前中は結界で気配だけ消して、二人の周囲から離れず見守ろうという方針を立てたのは兄者ではないですか」
「うん、失敗したけどね」
「……そんなことは今はどうでもいい。先ほどの話の続きを、聞かせていただきたい」
「さっきの?」
太郎は、本当に何のことか忘れてしまったかのように首を傾げた。
「藍に守り神がついているという話です」
「ああ……そんなに聞きたいの?」
「ええ。むしろなぜ今まで俺に教えて頂けなかったのか、疑問であり、残念です」
「残念か……まあ、16年の間傍についていた治朗に隠していたのは、確かに良くないかもね」
この期に及んでも、太郎は飄々とした態度を崩さない。時によっては、太郎は僧正坊よりも相手を見下しているように見える時がある。
「それほど俺は信用なりませんか」
「え、そんなことは言ってないよ」
「ならば何故、俺にまで隠し立てなさるのですか」
「単純に言い忘れてただけだよ」
「『言い忘れた』……!?」
治朗は、一瞬にして抑えがたい何かが頭を突き抜けていく感覚に見舞われた。
「藍の身に関わることですよ。『言い忘れた』などという言葉で言い逃れなさるおつもりか? それとも、兄者にとっては本心ではその程度ということですか」
「……なに?」
今度は太郎がぴくりと反応した。声に僅かに含まれる怒気に、普段なら竦む治朗だったが、今は、臆さなかった。
「そうでしょう。本当のところは、ご自身で守る気などないのだ。その何とも知れぬ守り神とやらや、俺やらを傍に着けることで満足しておられる。ご自分が力を取り戻せばそんなものすべて無用の長物となろうものを、何もしようとしない……いったいどういうおつもりか」
「……珍しく言うね」
「言いますとも。いつか言おうと思っていた。いい加減に、ご自身の内だけに溜め込むことはおやめください。俺や他の者を巻き込むおつもりならば、余計に腹を割ってもらわねば困る」
先ほどの僧正坊の言葉と同じことを言われてしまった。太郎は困ったようにため息をつき、しばし俯いた。
「治朗は、つまり……僕にどうしろって?」
「……俺はただ、はっきりさせておきたいだけです。兄者と藍が抱えるものの正体を」
「”正体”?」
太郎は自嘲するように小さく笑った。
「僕の”正体”なら、知ってるじゃないか」
「ええ、知っています。だからこそ藍を何者からも守ってやれるということも、だからこそ藍に近づくことを恐れていることも」
「そこまでわかってるんなら、聞く必要ないんじゃない?」
「だから、はっきりさせておきたいと言いました。兄者はこのまま、いずれは藍の元から去って、他の何者かに委ねるおつもりなのではないか、と」
「……そんなことしたら、気が狂うよ」
「だったら!」
治朗は校舎中に響くような声で叫んだ。太郎の、癖になっているのであろう自嘲気味で本心を隠そうとする笑みを打ち壊そうとするように。
「だったら、言ってください。俺に、命じてください。今は力はないが必ずもとのご自分に戻る。そして藍を名実ともに頭領の嫁として迎えて見せる。その祝いの席に参列するまで、しばし手を貸してくれと。その守り神とやらが何者なのか、俺たち大天狗に力を乞うほどの何があるのか……教えたうえで、何があってもあいつを守れと」
「治朗……」
治朗は、きつく拳を握りしめて、その先の言葉を絞り出した。
「もし……それができないのならば、あなたは藍のもとを去るべきだ」
目を見開く太郎を、治朗は正面から見据えた。
「人間は、俺たち天狗よりも弱く儚い。俺はきっと、あなたよりもそれを知っている。だから思うのです。例え力を持っていたとしてもあいつは……藍は人間だ。俺たち天狗の事情でその限りある時間をかき乱していい存在じゃない」
「……で、藍のもとを去って、その後はどうするの?」
「あいつが身に宿す力を打ち消し、俺たちとかかわった記憶を消す。ただの……ひ弱な人間にしてやるだけです」
「なるほど。それは……」




