絆橋
「それは、森がまだ大きな一つであった頃のお話。
お空に住む神様は大きな森を治めるために、強く優しい熊と、賢く素早い狼を作りました。この二つの種族の元に、小さなリスや、空を飛ぶ鳥や、水の中を泳ぐ魚、他にもたくさんの動物を作りました。
動物たちはとてもとても仲良しで幸せに暮らしていました。神様もとても幸せでした。自分の作った子どもたちが、みんな幸せそうで笑顔に溢れていたからです。それはそれは嬉しくて、神様は夢中になって森の動物たちを見守っていました。
でも、神様は夢中になりすぎて空から落っこちてしまったのです。神様は高い高いところから落ちたものですから、落ちた場所の地面が割れ森が二つに分かれてしまいました。底が見えないくらい深い亀裂を作ってしまった神様は悲しくなっておいおい泣き、その涙が底を流れて川となりました。
『泣かないでください、神様』
いつの間にか、神様の周りに動物たちがやってきていました。狼と熊が神様に言います。
『私たちがそれぞれの森を守りますから、安心してください』
『狼の一族は南の森を、我々熊の一族は北の森をまもりましょう』
その言葉をきいた神様は、泣きやんで言いました。
『ありがとう私の大事な子ども達。では、私はこの森を、あなたたちをつなぐ橋となりましょう』
そして、神様は亀裂に身を横たえ、二つに分かれた森をつなぐ橋へと姿を変えたのでした。
…おしまい」
「ねぇ、ママ、橋って、あの橋のこと? オンボロ橋?」
ママのふさふさの尻尾に抱き着きながら、キュイは今にもくっつきそうなまぶたを一生懸命持ち上げながら尋ねました。
「そうよ、とーっても昔には、絆橋っていって立派な橋だったんですって」
キュイは、家の近くにあるオンボロ橋が立派な橋だったことなんてちっとも想像できませんでした。
「ママは見たことあるの?」
「ふふ、どうかしら」
「キュイね、熊さんとお話してみたい!」
「あら、ダメよ。オンボロ橋は危ないから渡っちゃだめ。ママと約束したでしょう?」
「でも…」
「さぁキュイ眠りましょう、明日もたくさん木の実を集めないと」
ママが優しくとんとんとキュイの身体をたたくから、キュイはまだおしゃべりがしたいのにいつの間にか眠ってしまいました。その日の夢で、キュイはオンボロ橋を渡って向こう側で熊さんとたのしくおしゃべりしていました。
朝、暗い森に朝日が光を刺し、草木についた朝露がまばやく頃、いつもはお寝坊さんなキュイは気持ちよく目を覚ましました。きっと夢のおかげだとキュイは思いました。
「おはよう、ママ」
「キュイ、今日は特別早いのね、おはよう」
ママが少しびっくりして言います。
「あのね! ママ! 今日夢で…」
「夢で? どうしたの?」
「なんだっけ、忘れちゃった」
「ふふふ、キュイってば、まだ寝ぼけているのかしら」
キュイはしっかり夢の内容を覚えています。だけど、ママに話すのは少し惜しい気がして忘れたふりをしたのでした。
「あんなに素敵な夢だったんだもの、キュイがオンボロ橋の向こうに行って確かめに行こう。熊さんに会っておしゃべりして、ママをびっくりさせるんだ」
ママがオンボロ橋を渡ってはいけないと口を酸っぱくして言っていたことも忘れて、キュイはオンボロ橋の向こう側に思いを馳せるのでした。
「キュイ、今日はママと一緒に木の実を集めないで、おうちの近くでお留守番してる!」
「あら、そう? 木からは絶対降りてはだめよ、危ないからね」
「はーい!」
いつになく素直な返事をするキュイを不思議に思いながらも、冬が近いために食べ物をたくさん集めないといけない忙しいママは急いで出かけていきました。そんなママの後ろ姿を見送りながらキュイはこれから始まる冒険にわくわくがとまりません。
「よーし! 早速出発だー!」
キュイは勢いよく家を飛び出し、オンボロ橋目指して駆け出しました。キュイの住む木は、幸いにもオンボロ橋からとても近く、ママの言いつけ通り木を伝っていけばすぐそばまでいけます。底が見えないくらい深い谷底、森と森の堺には動物の影なんてちっとも見えません。キュイは少しだけ怖くなりました。
「怖いなぁ、でも、向こう側にはきっと素敵なことが待っているんだ!」
向こう側の森まではキュイが橋に架かるロープの上を走ればオンボロ橋と言えど、落ちることはないでしょう。キュイはゆらゆら風に揺れるオンボロ橋をみつめ、ごくりとつばを飲み込みました。
「えいっ!」
思い切って地面に一度降り立ち、橋に架かるロープによじ登ればその勢いでキュイは慎重になりながらも危なげなく向こう側の森へと辿り着いたのです。
「なーんだ、思ったより大したことないじゃないか」
あんなに怖かったのに、渡りきることができたと、キュイは得意げです。あたりを見回してみれば、向こう側の森と言えど、見える範囲は自分の住んでいた森とほとんど同じでした。それもそのはず、ここは昔一つの大きな森だったのですから、風景はそうそう変わるものではありません。キュイ、小さな冒険者が求めるのは、新しい出会い、そう、夢で出会ったような強くて優しい熊さんなのです。
「えっと、熊さんってたしかお魚が好きだってママが言っていたっけ。水の音を探して見に行ってみよう!」
そうして小さな冒険者キュイの旅は始まったのです。
どれくらい木の上を伝って移動したでしょう。キュイは橋から幾分か離れた場所に流れる大きな川を見つけました。向こう岸まではキュイのいる木が倒れても届きそうにはありません。水面には多くの魚が泳いでいるのが見えます。魚たちはみんな同じ方向へと泳いでいて、たまに上がる水しぶきが魚たちの生き生きとした動きがキュイを楽しくさせました。
「わぁ! なんてたくさんのお魚だろう。みんなどこへいくのかな?」
好奇心旺盛なキュイは、本来の目的も忘れて河辺の木を次々に飛び移り魚たちを追いかけ始めました。夢中になって追いかけているうちに川幅はどんどん狭くなり、川の水の勢いも次第に激しく、それに応じて魚たちも盛んにジャンプを繰り返し、キュイの心も同じように跳ねました。
「あははは! なんて楽しいんだろう!」
その時です、キュイの耳に魚が泳ぐ音とは違う、バシャバシャという水面を叩くような音が届きました。まるで大きい魚がジャンプして水面を叩いている音みたいだと思いながらキュイはそっと音のする場所へと近づいていきます。
「あっ!」
キュイの目に飛び込んできたのは真っ黒で大きな動物でした。流れのはやい川に入っても流されないどっしりとした大きな身体、するどい爪の生えたたくましい腕で、川面をバシャンと叩き魚を狙っているその姿はとても恐ろしく、キュイは自分の尻尾が恐怖でぼわっと膨らむのがわかりました。
「あの動物はなんだろう」
怖くても、キュイはそっと見るのをやめられません。大きな体に鋭い爪をもった動物で、キュイが見たことのないのは、そう熊だけです。
「あれは、きっと熊さんに違いない! でも、どうしよう、夢とは違ってとっても怖い…」
キュイは初めて冒険に出たことを後悔し始めました。夢ではうまくいった冒険も現実ではそうそううまくいくはずがないということをまだ知らない幼いキュイ、独りぼっちで遠く離れた場所にいることに気が付いてしまって、とっても寂しくなってきました。
「うう…ママぁ」
その時です、バッシャーンとひと際大きな音をたてて、熊がひっくり返ってしまいました。熊は一生懸命キュイの隠れている木がある川辺に戻ろうとしますが、焦ってしまって足元が滑り、何度もひっくり返ってしまいます。
「…ふふふ」
キュイは寂しさを忘れてしまいました。よく見れば、目の前の熊は大きくてちょっと怖そうな見た目をしているだけで、たくさん転んでびしょぬれになっているし、魚もとれている様子はありません。話しかけてみれば案外友達になれるかもしれない、それにあれだけ間抜けな熊なら、万が一のことがあってもキュイは逃げ切れるだろうなと思いました。だから勇気を出して声をかけてみたのです。
「やあ! 熊さんこんにちは!」
「わああああああああ!」
どこにも姿が見えないのに突然頭上から声が降ってきた熊のダフは、地面から飛び上がるほど驚きました。見上げれば、小さな子リスが木の枝からこちらを見下ろしています。
「や、やぁ、小さなリスさん、僕になにか用かい?」
熊はいつも他の動物から恐れられていてあまり声をかけられないので、少しだけ緊張して返しました。
「私はキュイよ。あなたさっきから何をしているの?」
「キュイ、みてわかるだろう、魚をとっているのさ! これから長い冬がくる、そのためにたくさん食べておくんだよ」
そうか、きっとこの小さなリスはまだ子どもだから、熊が恐ろしいってことを知らないんだなとダフは考えました。それくらい小さな動物から自分は怖がられていることをちゃんと知っていたのです。
「ねえ、私はちゃんと名前を言ったわよ。熊さんあなたの名前教えてくださいな」
「僕の名前は、ダフ。ってキュイ、君は僕が熊だとわかっていて話しかけているのかい?」
ダフはとっても驚きました。熊に話しかけに来る勇敢な小さな動物には初めて会うからです。驚くダフをよそに、キュイはえっへんと胸を張って話します。
「私小さいけど頭はそんなに悪くないのよ、ええ、知っているわ。だって私ダフに会うために向こう側の森からオンボロ橋を渡ってきたんだもの」
「向こう側の森から!?」
今度はダフは地面から飛び上がるほど驚きました。まさかあのオンボロ橋を渡ってくる動物がいるなんて、天地がひっくり返ってもないだろうと思っていたからです。
「ぼ、僕に会うために!?」
「そうよ、私熊さんとお友達になりたくて来たの。ねぇ、ダフ、私と友達になってくれないかしら!」
ダフは戸惑います。実を言うと、ダフは、熊の中でも臆病者でみんなからバカにされていました。熊以外の動物からは怖がられ、熊からも嫌われ、いままで友達がいたことがなかったのです。キュイの友達になってくれないかという言葉が、じわじわとダフを温かい気持ちにしてくれました。
「い、いいよ」
気づけばダフはそう答えていました。こんな小さな動物と仲良くするなんてまた仲間たちにはバカにされるかもしれないという思いが頭をよぎりましたが、それよりも初めてできるかもしれない友達という喜びの気持ちが勝ったのです。
「ほんとに!? やったー! 嬉しいわ! それじゃあ、今から私たち友達ね。ねぇ、ダフ、私思ったのだけど、もしかしてお魚をとるのがとても大変なんじゃないかしら、手伝ってあげようか?」
キュイは飛び上がって喜びました。夢の通り、熊さんと友達になって仲良くおしゃべりできたからです。だから、少しだけ友達が困っているのを助けてあげようと思いました。
「いいのかい? それは助かるよ、僕、魚を捕るのがあんまり得意じゃないんだ」
「知ってるわ、さっき見てたもの。ダフはお魚をとるよりも、お魚みたいに泳ぐほうが上手なんじゃないかしら」
「み、見ていたのかい? は、恥ずかしいな。だって魚って突然水から飛び出してくるだろう? どうし
てもびっくりしてしまって、こけてしまうんだ」
「っぷ、あははは」
キュイは、正直に話し恥ずかしがるダフの姿をみて、ママの話してくれたお話の通り熊さんってやっぱり大きくて優しい動物なんだわと思いました。
「右よ右! ダフ! 右だってば!」
それからキュイとダフは、たくさんの魚をとりました。どうやったかって?キュイが木の上から魚がくる場所を教えて、ダフはそれに合わせて動いていけばいいのです。どんなに間抜けなダフだって一応は熊、来る場所がわかれば魚を簡単にとることができるようになりました。
「げふっ」
「ダフってば、あんなにあった魚ぜーんぶ食べちゃうのね」
一緒に魚をとれば、二匹の距離は自然と縮まり、今やキュイはダフの頭の上でくつろいでいます。ダフはパンパンに膨れたおなかをさすっていいました。
「よかった、僕、今回はうまく食べ物が集められなくて、冬がくるのをどうしようかと思っていたんだ。キュイ、君のおかげで、げふ、久しぶりにたらふく魚を食べれたよ。ありがとう」
「えへへ、どういたしまして」
キュイは少しくすぐったくなりました。まだ小さなキュイはできることもあまりなくてこうやって人から褒められることがなかなかないからです。
そうこうしているうちに、少し日が傾いてきました。キュイはそろそろ帰らなければいけません。でも困ったことに初めて来る森で、帰る道がわかりません。
「僕が送ってあげよう」
「ほんとに?! 嬉しいわ、ダフ、ありがとう」
ダフも少しくすぐったくなりました。初めての友達から初めての感謝の言葉をもらったからです。
「今日は本当に、僕が生まれてきて一番楽しい一日だった」
「ダフ! 私も! 私もそうなの! 一緒ね」
今日一日で、キュイとダフはお互いがとても大好きになりました。初めてあったはずなのに、もうたくさんの時間を一緒に過ごしたような、これからもたくさんの時間を一緒に過ごしたいようなそんな気持ちが二匹の心にうまれました。
でも、そうはいきません、キュイとダフはオンボロ橋を隔てて住んでいるのです。キュイの足でだいぶかかった道も、ダフの足では日が暮れきる前につくことができました。
「さよなら、キュイ。 僕の初めての友達、僕は今日を忘れないよ」
ダフは、瞳に涙をたたえながら、キュイにそう告げました。それをみたキュイはたまらなくなって言いました。
「私もよ、ダフ、私の大きくて優しいお友達。忘れさせやしないわ、だって、またくるもの」
「ええっ」
ダフの瞳から涙が引っ込みました。
「また、明日! あの川に私また行くわ、ダフをもっと太らせないといけないもの!」
そしてキュイは返事もきかず、ダフから飛び降りて橋のロープを伝って向こう側の森の淵へと辿りつきました。振り返れば、向こう側にダフがこちらをみているのが見えます。キュイは嬉しくなってその場で飛び上がり一回転してみせました。そして家へと向かって走り去っていったのです。
「私、熊さんと友達になって素敵な一日を過ごしたんだわ!」
その背後から、ダフがあげたと思われる、グオオオっという雄叫びが聞こえました。森中がざわめくその低く恐ろしい声が、キュイには喜びに震えるダフの姿も相まって、ただただ楽しく響き割るのでした。
「ママ! ただいま!あのね!」
「ああ、キュイ、キュイ、無事だったのね。どこへいっていたの! さっきの声をきいた? きっとあれが恐ろしい熊よ、さっき鳥たちがオンボロ橋の向こう側で見たと言っていたもの」
家に帰ると、ママがすでに待っていて、キュイを強く抱きしめました。キュイはダフはそんな恐ろしい熊じゃないよ、とママに伝えようと思ったのですが、キュイを抱きしめるママの身体がとても震えていたので、どうしてか言葉に出すことができませんでした。
「オンボロ橋には近づいちゃだめよ、ああ、どうしてかしら、熊が姿を見せることなんてなかったのに
「大丈夫よ、ママ、熊さんって大きいのでしょう? あのオンボロ橋を渡ってこっちになんてこれやしないわ」
そう言って、ママを抱きしめ返すことしかできなかったのでした。
「おーい! ダフ―!」
「やぁ、キュイ、本当にきてくれたんだね」
でも、キュイは、ダフとの約束を破るつもりはありません。大丈夫、ママにばれなければ、大丈夫なのです。そういてキュイは、ダフに会いに何度もオンボロ橋を渡りました。二匹は、豊富な食べ物が溢れる秋の森の中を、木の実や魚やきのこなどといったたくさんの食べ物を食べ、集め、多いに遊び、友情をはぐくみました。二匹の間には、小さなリスや大きな熊であることは少しも問題ありません。お互いの苦手な部分を助け合ったり、時には一緒に苦難を乗り越えたり、たくさんの思い出を作っていったのです。
そんなある日のことでした。
「キュイ、君、はちみつってやつを知っているかい?」
「はちみつ? 何それ知らない!」
ダフは、自分が一番好きな食べものをキュイにも食べさせてあげようと思いつきました。
「最近、よくいく花畑で蜂が飛んでいるだろう? 蜂が集めた花の蜜はそりゃあ甘くて美味しいんだ」
「わぁ! 素敵! 私も食べてみたいわ」
「この近くに確か巣があるはずなんだ、いってみようか?」
「ええ! もちろんよ!」
キュイはダフの頭に飛び乗って、毛を小さな手で握りしめて言います。
「よーし、ダフ、出発進行ー!」
「まったく、君だけだよ、熊に乗ってそんなことを言うのは」
そう言って仲良く今日も美味しい食べ物を探す楽しい旅になるはずだったのです。
「ふぁぁ、甘くて、おいしい、ほっぺが落ちちゃうわ」
「キュイ、君のほっぺが落ちたら、たくさん拾ったどんぐりをしまえなくなってしまうじゃないか」
「ああ! そうしたらダフに全部食べられちゃう! 食いしん坊な熊さんだもの」
二匹が楽しくお話していると、突然近くの茂みから大きな影が飛び出してきました。
「ぎゃはは、ダフ、おい、臆病者のダフ、まじかよお前。友達がいないからって、お前、リスなんかと仲良くしているのか」
「あっ、ガル、なぜ、こ、ここに」
そこには、ダフよりも一回り大きい熊がいました。キュイはさっとダフの耳と耳の間に身体を伏せます。
「お前が最近楽しそうだからって噂にきいてな、確かめにきたんだよ」
そう言ってガルは、ふんふんと匂いを嗅ぎ言います。
「おい、俺は今、腹が減っているんだよ、お前いい食い物もっているだろう? よこせ」
「い、いやだ!」
「なにぃ?! お前俺に逆らうつもりか!」
激昂したガルが右腕を振り上げて鋭い爪でダフの頭に乗っているキュイを狙います。キュイはただその光景を見ているだけでした。怖さのあまり身体が動かなかったのです。
「やめろぉ!!」
ダフが咄嗟に避けましたが、爪が掠ったようで、頬からだらだらと血を流しています。
「ダ、ダフぅ」
「僕がやれるものだったらなんだってやるさ! でもキュイだけはだめだ! ぼ、僕の、大切な友達だから!」
そういって、ダフは今まで出したことのないような、腹の底から精いっぱいの勇気を振り絞って吠えました。それはガルの足がすくんでしまうくらい、とてもとても迫力のある声でした。
「ダフのくせに、お前、リスなんかと仲良くして、これからこの森で生きていけると思うなよ、覚えておけ! 今度は仲間も連れてきてやる!」
そう叫んでガルは、茂みの向こうへと姿を消しました。
はぁ、はぁ、と、呼吸音だけが響き渡ります。キュイは恐怖でかたまった身体が少しづつ温まってくるのを感じました。その途端、血の匂いが鼻をかすめたのです。
「ダ、ダフ、血がでてる!」
そして、頭から傷をのぞき込みました、
「よかった、目は無事なのね、ダフ、ダフぅ」
その声をきいてダフも気が抜けたのかその場でドスンと座り込みます。そしてしばらくは、キュイのわんわん泣く声と、ダフのすすり泣く音が森の中に響いたのでした。
どれだけ時間がたったのでしょう、二匹が泣きつかれて涙もとまったころ、ダフは静かにこう告げました。
「キュイ、もう僕たちは会ってはいけない」
「なんで!」
キュイは、ダフの言葉の意味を知りながらも叫びました。
「どんだけ熊が来たって、ダフは負けないわ! さっきの熊もみたでしょう! 怖がっていたじゃない!」
「キュイ、僕は身体も小さくて、臆病者なんだ、それに聞いただろう、僕は君だっておいしく食べてしまうんだよ」
そう言ってダフは、おもむろに頭上にいたキュイを掴み、口元に持っていきました。キュイから見えるのは、鋭くとがった牙と、傷つき、血が滴って怖さの増したダフの顔です。でも、キュイはなぜだか全然怖くなんてありませんでした。
「いいよ、食べてごらんよ」
「ほ、ほんとに食べるよ!」
キュイを掴む力が強まり、たまらずキュイがうめき声をあげると、ダフは慌ててキュイを地面におろしました。
「ほらね、ダフ、大好きな私の友達。あなたはそんなことできる熊じゃないわ。どうしたの?」
キュイは小さな身体を精いっぱいに伸ばしてダフの震える前足を触ります。
「ぼ、ぼくは、君を守れない。だけど、君に会えないのは嫌なんだ。一緒に、一緒にもっとたくさん一緒にいたい」
キュイに大粒の涙が降り注ぎます。
「それは私も同じよ、ダフ。私はこんなに小さいから大事な友達の涙だって拭けやしないわ、だけど、だけどね、私だってあなたと一緒にいたい、もっとたくさん大冒険がしたいのよ」
ダフはにじむ視界にキュイを見ます。
「ねぇ、ダフ。私たち一緒だったら、なんでもできた、そうでしょう?」
「ああ、そうだね」
キュイは思い出を語ります。
「魚だってたくさんとれたわ」
「うん」
「どくきのこだって食べたけど、大丈夫だった」
「君が僕に食べろっていうから、あれは死ぬかと思ったよ」
「木の実だって、あなた高いところに上って一緒にとったじゃない」
「あれは本当はとっても怖かったんだよ」
「小さな崖だって飛び越えて、あまーい果物食べたでしょ」
「僕のおしりに君が栗の針を刺すからびっくりしてできたんだよ」
「ええ、ダフ、私たち一緒だったら、きっとなんでもできるのよ!」
キュイの瞳がどんどん輝きを増していきます。ダフは、だんだんとキュイがとんでもないことを言い出すんじゃないかとわかってきました。
「キュイ、君、これから何を言うつもりなんだい?」
「あら、ダフ、私あなたならわかってると思っているわ、いままで私たち、いろんな冒険をしてきたでしょう? 私、生まれて初めて勇気をだして大きな冒険をしたらあなたに出会えたの」
「そうだね、君ほど勇気のあるリスはいないよ」
「だからね、ダフ、あなたも生まれて初めて勇気をだして大きな冒険をしたら、素敵なことが待ってるんじゃないかなっておもうの、だから、ね」
「「オンボロ橋を渡って、一緒に向こう側にいこう」」
二匹の声が重なりました。
「はは、なんだろう、僕、今なんでもできそうな気持だよ」
「ええ、私もよ! ダフ!」
そう言って、ダフは右腕を差し出します。それを伝ってキュイをダフの耳と耳の間に陣取りました。そうして、二匹はオンボロ橋に向かうのです。
神様がわけた二つの森、それをつなぐオンボロ橋は、今日も朽ちながらゆらゆらと揺れています。その淵にたたずむのは、大きな熊とその頭に乗る小さな子リスです。
「ねぇ、キュイ、君は、やっぱり先にむこうに…」
「うじうじとうるさい! もう決めたでしょ! 一緒にいくの!」
「でも…」
「でもじゃないわ! ダフ、私のこと好き?」
「もちろんだよ!」
「私も大好きよ!」
「だからそれがなんだって言うんだ」
「だからずっと一緒にるの! 一緒だったらなんだってできるんだから!」
「わかった、わかったから、毛をひっぱらないでくれよぅ」
「お尻にまた針を刺されるような情けないことをしてほしくないなら、ちゃんと自分で飛ぶのよ!」
「わかった!わかったからあれだけはもうやめて」
ひとしきり騒ぎ立てて、二匹は呼吸を整えます。キュイもダフも絶対うまくいくと信じる気持ちと、ダメなんじゃないかという気持ちで揺れ動いていました。ぎぎぎ、とオンボロ橋の軋む音が響きます。
「ダフ、準備はいい?」
「ダメっていってもどうせ君はいくんだろう?」
「そうよ! だって私たちずっと一緒! 一緒にいれば最高で最強なんだから!」
「そうだね、僕たち一緒で最高で最強さ!」
「いくわよ、ダフ、大冒険に出発進行よ!」
森に熊の雄叫びが響き渡り、森がざわめきます。キュイは両の手で、ダフの毛をしっかり握りしめました。ダフは、力強く地面をけり、オンボロ橋へと走っていきます。
「いっけええええええ!」
「おおおおおおおおおお」
オンボロ橋が悲鳴をあげて壊れていく、ダフが懸命に走り抜ける、足場が崩れる、キュイが叫ぶ、ロープが切れて、オンボロ橋が………。
その日、森ではオンボロ橋が落ちたと鳥たちが騒ぎ、動物たちはみな、オンボロ橋を見に行ったそうです。だけども、不思議なことにオンボロ橋は以前と変わらぬまま、その場所でゆらゆらと揺れていました。
そしてしばらくして、狼と熊が喧嘩しただとか、リスが喧嘩を止めたとか止めないとか、リスを頭に乗せた熊がいたとか、そういう噂が森を騒がせたかどうかは、ここだけの話。
「ダフ、大冒険はまだ始まったばかりよ!」
「はいはい」
絆橋は、今日も二つの森の間で揺れています。絆が途切れないように、神様が忘れ去られたとしても、ゆらゆら、ゆらゆらと、二つの森を見守っているのです。