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■ゴミ野郎

※お願い


少しでも上達したいので、なにか気づいた点などがありましたらコメントをお願いします。

批評といった大層なものでなくとも、些細なことで構いません。

「ここのシーンが面白かった」や「ここがつまらなかった」など言ってもらえればありがたいです。

素直で率直な意見、お待ちしています。

よろしくお願いします。

 主な仕事は“先生”へとシフトしていった。

 麗葉の作品はどれもこれも小難しくて理解できない。タイトルからして首が捻り切れてしまえそうだ。「幽体遊離時における意識と知覚形成、あるいは変容」などと書いてあったらオカルト論文の主題にしか読めない。念のためと渡された六本の長編を仕事と決めこんで読破した感動は忘れるもんか。

 作品の束を机へ運び、折り畳みイスへ座りこむ。

「やっぱり過去に書いたもんも似たり寄ったりだわな。もっと難易度を下げてくれよ」

「比較的低レベルなものを選んだのだよ」

 うーむ、と麗葉が唸る。根本的に脳の構造が違うんだ。本来、創作をする思考方法じゃないんだろう。なにかを書こうと思うと論文調になってしまう。救いは、書きたいテーマがあることだ。なにを書きたいんだかも分からないんじゃ話にならない。

 ぽんと手を打つ。

「じゃあ、こうしよう。一人の阿呆を想像してくれ」

「伊吹か」

「なんだと」

 拳を固めてみせる。麗葉は、冗談さ、と笑った。どうせ僕は阿呆だ。

「まぁ俺でもいい。その阿呆が分かるように書くんだ。あんたならできるだろ」

「つまり他人をエミュレーションするということかね」

 聞き慣れない単語でよく分からないが、的外れとも思えない。それに、いくつか補足する僕の声が一切聞こえてないようだった。ぶつぶつと一人言をし、待てよそういうことか、とメモ用紙にペンを走らせてる。ちらっと見た限り、意味不明な計算式が雑に埋め尽くされてた。次も期待できないな。

 集中力はかなりのもんだった。同じ部屋にいながらにして追い出された気分だ。部屋の掃除をしたり、他の部屋を巡回したりした。ビル全部が麗葉の所有物だった。使ってない部屋は基本的に綺麗で、結局は元に戻って本の整理をした。

 一通り終わってもまだぶつぶつ言ってる。一声かけて僕は事務所を出た。一日ぐらいは日払いにこだわらなくてもいい、明日まとめてもらおう。

 風が皮膚に染みる。両手をポケットにねじこみ、肩をすぼめた。そろそろマフラーが必要だ。灰色の空と薄暗さが体感温度を下げてる。路地を抜けた真ん前の道路にスモークを貼ったワゴン車が停車してて、外界の光が遮断されてた。

 ったく、こんなところに停めんなよ。

 運転席にはキャップを目深に被った作業服の男がシートを倒して寝てた。前を通り過ぎる。背後でドアが開いたと分かった。振り向く。いや、向こうとしたんだ。

 首に腕が巻きつく。喉仏が押しこまれる。車内へ引きずりこまれる。見事なスリーパーホールドだった。解こうと腕へ爪を立てるも、意識は瞬きの間に遠退いた。通行人が騒いでる。遅い、ドアが閉められて車は急発進。

 暗転する直前、柔らかい心地がした。

 僕は夢を見た。正確には過去の記憶だ。公園でカツアゲの現場に遭遇して止めに入った。相手は四人でこっちは一人、勝てるはずがなかった。気がつくと同級生の女のコが膝枕をしてくれてた。文芸部を創設した仲間で、頼りになる副部長だ。いい匂いがした。

 彼女が言う。

「暴力を望んでる人なんていないのに、なんでこんなことになるんだろう」

 悲痛な訴えだった。

「きっと悪いことだって分かってるよ。でも環境なんかがたまたま恵まれなくて病んでるんだ」

「じゃあ、治してあげないと」

「僕も手伝うよ、いっつも世話になってるから」

 彼女が笑う。

 僕が笑う。

 そんな青春を満喫してた映像だった。人生のピークっていうやつだ。うぶだった僕は決して手を出さなかった。どうせならキスぐらいしておくんだった。人生に他のレールが敷かれてたかもしれない。

 夢の中、手を伸ばしても触れられなかった。

 目が覚める。打って変わってカビ臭さが鼻の奥を刺激した。物のない殺風景な部屋にいた。何枚か無雑作に何枚もポスターが貼られてる。

 天井が高く、子供が走り回れるほど広い。床のあちこちに埋めこまれた照明が頑張ってて、窓がなくても視界は良好だ。

 左手首に白い輪が付いてる。金属製で引っ張っても外れない。ここはどこなんだ、なにが起こってる?

 ドアがある。ノブに力を加える。動かない。押しても引いても開く兆しはなかった。出口なし。連れ去られ、監禁されたんだと理解する。焦りと汗が手のひらを滲み出てくる。鉄製のドアを思いっきり蹴飛ばす。

 大鍋を打ったような響きが木霊した。痛い。鉄製のドアはびくともしなかった。

「おいおい、無茶をするなよ、相原伊吹」

 男の声が対面側から発せられる。漫画調で描かれたショッキングピンクの鳥が中指を立ててる大きなポスター。「チキン野郎!」と吹き出しがついてる。その両側に拳大で網目が張られてた。スピーカーだ。

「あんたは誰だ、なにが目的だ、なんで名前を知ってる。言っておくけど、俺を誘拐しても身代金は出ないぞ」

 スピーカーを通してくつくつ喉を鳴らす笑いが聞こえてくる。

「ゲームをしようではないか」

「はぁ?」

「お前には拒否する権利はない。ルールは簡単だ、よくあるクイズを行なう。合計六問だ。正解、不正解にかかわらず六問ののちに背後のドアが開く。解答は床のボタンで示せ」

 足元にはテレビ番組でありそうな青と赤の丸いボタンと計算機の並びで数字のボタンがあった。液晶画面もあり、ポスターと同じ鳥がお尻を振り振りルンバを踊ってる。装置は床に沈んでて、わざわざしゃがまないと押せない。

「わけが分からねぇ、あんたはいったいなにがしたいんだ。答えるだけで出れるなんて番組としても成立しないぞ」

 なにかある、そう思った。

 予感は的中した。

「短気は損気だ、ゴミ野郎。ハッピーなのは一時間ごとに天井が五十センチ落ちてくるところだ。現在の高さは六メートル。最高だろう?」

 最悪だ。十二時間後にはぺちゃんこになる。

「この部屋は見ての通り密室だ、向こう側のドア以外からは脱出不可能。通風口があるが、ボルトで締めて溶接し、格子は外せない。携帯も電波を遮断してる」

 脱出も外への連絡も無理。動機も不明なままクイズに付き合うしか選択肢はない。仮に無視をしても潰れるだけだ。相手は不正解でもいいと言ってる。天井が降りてくるのは異常とはいえ早々に答えればいい。

 それに、だいたい男の正体は見当がついた。

「本当に六問でこの部屋から出れるんだな」

「俺の言葉に嘘はない、安心してゲームを楽しめばいい」

 承諾すると男がゲームスタートを告げた。

 画面の鳥が看板を持つ。そこへ表示されたデジタルの数字が一秒ずつ減った。僕の命だ。

「第一問。その部屋にある床のタイル、全部で何枚ある? 解答はボタンで入力しろ」

 足元を見渡す。学校の廊下でよくあるリノリウムのタイルが敷き詰められてた。いい加減に答えるか。いや、間違えたらなにがあるか分からない。

 左手首を見る。白の腕輪が光を反射した。

「質問なんだけど」

「受け付けない」

 即答だった。ヒントを一切与えない姿勢なんだ。ここは無難に数えておこう、時間稼ぎの罠なのは見え見えでもなにが起こるか分からない。どうせあとあと難問が出るのがお決まりだ、一問目はまともに受けよう。

 一、二、三。

 数えて止まる。まだ状況に呑まれてるようだ。深呼吸をする。僕はいちいち全部を数えようとしてた。全部は必要ない。これは算数だ、縦と横の枚数で合計が出せる。気を取り直して壁沿いに歩んだ。

 油断は禁物だった。白の繋ぎ目はあやふやで錯覚が起きやすい。どこまで数えたのかをしっかり意識してないと何度も数え直すはめになる。簡単な問題と見せかけてこれが狙いか。気をつけて一角から一角まで進んだ。

 百二枚、半端な数だ。敢えてこの枚数にしたんだろう、製作者の底意地の悪さが窺える。次はドアのある壁側に向かって足を向けた。

 半ばで通風口を通りかかる。肩の位置にあり、余裕で人間の入れる穴の大きさだった。格子さえなければ……。試しにボルトを回す。指先に角張った跡がついた、固定が徹底されてる。格子を掴んで揺らしても緩まなかった。

 嘘がないのは真実らしい、文句のつけようのない密室だ。

 僕は愕然とする。せっかくの枚数を忘れてた。数え終わった半分を戻るしかなかった。

 なんだかんだで、縦横合わせて五回もうろちょろする。何度数えてもどこか抜けてる気がしてならなかった。半端な数なのも判断を鈍らせる。百二枚と百三十一枚。携帯の電卓で計算、一万三千三百六十二枚になった。

 ボタンを押しかけて留まる。装置の脇にメモ用紙とペンがあるのを発見した。親切なこった。中学以来のかけ算の式を走り書きする。電卓と答えは同じだった。それでも押せない。根本的に間違ってたらどうする。一辺で三桁にのぼるタイルが整列してるんだ、一枚や二枚数え損なってる場合だってある。

 答えを入力したところで指が言うことを聞かない。看板鳥が「決定ボタンを押してね」と劇画タッチの顔になって言ってる。僕は、決定、と書かれたボタンへ指先を乗せた。腕が震えてくる。押していいものかどうか分からない、絶対なにか裏がある。こうしてる間にも時間は刻々と減っていく。

 前方のポスターの「チキン野郎!」が目に映った。

「チキンはお前だろ!」

 勢いで押した。

 液晶画面の鳥が「審査中」の吹き出しとともに左右へ跳ね回る。

「不正解だ、ゴミ野郎」

 体で爆発が起きた。痛みより衝撃でのたうつ。一瞬にして力が抜け、僕は暗闇へ引きずりこまれたのだった。

 朦朧とした頭で目が覚める。電撃で気絶したんだ。起きたタイミングに合わせてスピーカーに雑音が混じる。

「俺としたことが言い忘れていた。問題を間違えると遠隔操作でその輪に電流が通る仕掛けになっている。専用の鍵でしか外れない素晴らしい一品だ」

「ふざけんな。あんた、立神荘士だろ。俺になんの恨みがあんだよ、標的は麗葉じゃねぇのか」

「口の利き方に気をつけろ、ゴミ野郎。お前の命は俺の手にあるんだぞ。だが俺は優しい、一つゲームの攻略法を教えてやろう。耳の穴をほじくりかえしてよーく聞きやがれ」

 憎たらしい鳥のポスターを凝視する。男はもったいぶってなかなか言わなかった。

「最後まで冷静でいることだ」

 待って損をした。どこが攻略法だ、なんの役にも立たない。ポスターを殴りつける。

 くつくつと笑いが発せられた。

「残り時間を見てみろ」

 苛立たしさを堪えて腰を下ろす。改めて鳥が看板を持ってた。秒表示が等間隔で切り替わる。分表示は三〇分を回ろうとしてた。

 九時間三〇分。

 嘘だろ。呟かずにはいられなかった。二時間以上も眠ってたなんて信じられるか。数秒、もしくは一〇分かそこらだ。天井を見上げる。民家よりは高さを保ってるものの下がってきてるのは明白だ。

「分かったぞ、あんたのやり口。十二時間の膨大なタイムリミットを用意するふりして気絶してる間に目減りさせてんだろ」

「みくびるなよ、姑息な真似はしない。イカサマをしては意味がないんだ」

「意味? 意味なんてあるか、こんなクソゲーム。タイルだって何回も数えた、ハズレてるわけがねぇ。気絶させるかどうかはあんたのさじ加減じゃねぇのかよ」

「おい、ゴミ野郎。部屋の中央に行ってみろ、そこに答えがある」

 ハッタリだ、時間稼ぎのつもりだろう。企みに乗ってやるつもりはない、スタートダッシュをきかせて走った。中学時代はリレーの選手に抜擢された実績がある。ゴールが一気に近づいた。

 急ブレーキ、真ん中あたりで脚の回転をやめる。靴底が滑って慣性の法則に従った。そこにあるのは床。三六〇度見回しても床、なにも変わらない床ばっかり──かに思えた。

「求めさせたのは面積ではなくタイルの枚数だ。納得したか、ゴミ野郎」

 サイズが違った。切れ目が見えにくいのが敗因だ。中央数枚が他より長い。壁際に近づくにつれて隣り合うタイルとの誤差が減っていく。辺を数えて間違えるのも無理なかった。

「横着者は馬鹿を見る。ウルルンなら直感でタイルの大きさを調べるぞ」

「誰だって?」

「ウルルンだ。俺は比佐麗葉をそう呼んでいる」

 ああ、そうかよ。

「一緒にすんな。俺はあんたらと違って一般人なんだよ。麗葉といいあんたといい、回線がショートしてんじゃないのか。精密機械は壊れやすいからな」

「案外そうでもないぞ。ウルルンに二発撃たれてもこうして生きている」

 事務所の小さな銃とふざけて撃つ真似をする彼女の姿が浮かぶ。

「麗葉が、撃った?」

「大昔だけどな。彼女が十二歳で有名大学の入試問題をやって満点をとった頃だ。十歳から一年に一回の特番シリーズになっていて計三回、テレビ中継で話題になったのを覚えていないか」

 なんとなく記憶にあるようなないような感じだった。いつの世にも天才少年だの少女だのは出てくる。どれがどれだか判別は難しい。

「まぁそこはどうでもいい。注視すべきは小学校の卒業式が終わったあとだ」

 もったいぶる話し方だった。

「入院中の母親を病室で撃ち殺した。親殺しは俺もやっている、断然興味が湧いた。我が夢幻倶楽部へ招待しようと考えた」

 奴の口調が興奮してくるに反比例して僕は冷めていく。

「拒否をされても執拗に追いかけた。しかし残念ながら失敗した。せめて薬指をもらおうと迫ったら下腹部に二発の弾をぶちこまれた。この立神荘士にだ、最高だろう? ウルルンこそ俺の右腕に相応しい素質を持っている。運命と言っても過言ではない、彼女こそ俺の求める存在なんだ」

 こいつを撃つのは正当防衛として、母親を殺すのは許されない。麗葉は異常な面もあるけど、なんとなく人殺しをするような奴じゃないと思ってた。いいや、実際にやったとは限らない。立神の早とちりや僕の動揺を誘う発言かもしれない。

「ゲームに参加できることを光栄に思えよ。ウルルンは馴れ合わない。お前みたいなゴミ野郎を連日のように傍へ置くのは奇異なんだ、彼女の気まぐれやハウスクリーニング欲しさで近づけるはずがない。お前になにがあるんだ」

 大きなお世話だ。なににしてもここを脱出するのが先決だった。真相を訊くのはあとでいい。命あっての物種だ。

 第二問目は、円周率を四万桁答えろ、だった。何桁まで自力で解けるか友達と競ったことがある。マチンの公式を思い出し、ボタンに指を置いた。

「ほう、四万桁を暗記しているのか」

 三・一四一五九二六五三五八九七九。次々に押して顔を上げる。

 そんなわけないだろ。

 解答確定。電撃。

 歯を食い縛って本日三度目の落ちる感覚を味わった。一桁を一秒で解いても六〇〇分以上を消費する。ボタン操作で更に倍。そもそも無理だ。このゲームのハッピーなところは、六問を無事でいられたら外へ出られるということ。あたかも問題を解くのが目的のための手段だと取り違えてしまえる罠。正解できなくとも、わざと間違えるのが正解なんだ。

「おはよう。気分はどうだ」

 はっと息を吸い、カウントを確認する。残り八時間の看板を持った鳥の躍りがサンバに変わってた。今度はさっきよりも早く起きれた、免疫力がついたんだろうか。だからといってそう何度も受けたくはなかった。

 天井がまた下がってる。

「食パンと目玉焼きが欲しいね、ついでに牛乳があるといい」

 冷静に対処すべきだ。立神は僕を試験してる。殺すのが目的なら都合三度、煮るなり焼くなり刻むなり好きにできたんだ。弄ぶにしても意識をなくさせちゃ面白くないだろう。

 ゲームだと奴は言った。ゲームにはクリアーがつきものだ。必ず生還への道がある。

 残り四問を丸々わざと間違えるのは利口とは言えない。二度はたまたま二時間以内に覚醒できた、次がそうとは限らない。起きれる根拠はどこにもないんだ。深い眠気と重なりでもしたらそのまま永眠しかねなかった。運を過信するな。

 このクソゲームの攻略法は問題数と平均した制限時間内に解ける問題は解き、明らかに消費の激しいのはパスすること。受ける問題と流す問題があるんだ。無駄に悩むよりも早起きに賭けた方が合理的なときはそのルールを適用しよう。

「さぁ目覚ましに次を頼むぜ、こっちは命がかかってんだ」

「そう焦るな。問題は逃げやしない」

 三問目、一世紀から三十世紀までで西暦に“一”のつく年号はいくつあるか。

 躊躇なくペンを取る。受ける問題だった。

 西暦一年から三○○○年までが三○世紀。一○○○年から一九九九年は千の桁に“一”が入ってて合計で千個。残るは一年から九九九年、そして二○○〇年から三○○○年。

 九九九年までを分解して考えると、一年から一〇〇年は二十個、一○一年から一九九年以外の台は各十九個といえる。

 例えば二〇〇年台では、二○一年と二一〇年の二個、次に二一一年から二一九年のように十の桁に“一”がつくのが九個、あとは一の桁が対象になって二九一年までで八個。よって、合計で十九個になる。これは他の台も同じ。唯一、一〇〇年までが一〇〇年それ自体も含むために二十個になるんだ。

 とすると「一九×八+二〇」の式でほとんどが導き出せる。百七十二個だ。これに一○一年から一九九年の九十九個を加えて九九九年までの数が表せる。二百七十一個。

 二〇〇〇年台も結局は百の桁と十の桁、それに一の桁の“一”を数えればいい。二百七十一個。

 整理する。

 一年から九九九年で二百七十一個、一〇〇〇年から一九九九年が千個、二〇〇〇年から三〇〇〇年で二百七十一個。

 足し算をして答えを入力する。

「本当にいいのか、その解答で。ニアピン賞はないんだぞ」

 液晶画面に表示されてるのは千五百四十二個だった。間違いだと言われれば納得してしまいそうな組み合わせの数字。紙に走り書きした式や数字と比べる。数字ばっかりを乱雑に書きこんだせいで、どれがどの個数を示してるのかが分かりにくかった。頭の中で乱舞してる。僕は文系なんだ、意味を持たない記号の混雑具合が嫌になってくる。

 これでいい!

 決定ボタンを押そうとする。

「おっと、またしても言い忘れていた。電流の強さは二問ごとにレベルを上げるぞ。二時間やそこらで起きられると思うな」

 なんの悪びれもない雰囲気だった。こいつ、そんな大事なことをいまさら言うか。もし気絶もしょうがなしと判断して敢えて全問間違える選択に出たら危うかった。

「他に忘れてるルールはないんだな」

「ああ、ないとも。信用するがいい」

 僕は告げる。

「それなら問題ない」

 決定。鳥が「審査中」の吹き出しとともに跳ねる。数秒の待機が病院の待合室にいるような気分にさせた。

 鳥の羽ばたきがやんだ。尻を向けてブルブル震えてる。無駄なアニメーションだった。

 なにかが尻を飛び出た。卵だ。一気にズームアップし、当たって割れた。中身の黄身がへばりつき、垂れ流れてく。

 次には画面が元に戻り、看板を持ち上げてリンボーダンスを踊り出した。時間が減り始める。

「正解だ、よく決断したな」

 おい。

「アニメはなんだったんだよ」

「俺が暇潰しで作ったものだ。意味はない」

 煮え切らない感じで力が抜ける。冷たい汗がどっと噴き出た。どこまでも舐め腐った奴だ。しかし、だけど、でも、一問正解。猶予が七時間半で、残り三問だ。せめてあと一問は正解しておきたい。

「四問目は道具を使う。目の前の洒落たポスターをめくってみろ」

 中指を立てた鳥のポスターだ。ちょいと摘まむと金庫があった。鍵はかかってない。中には分厚い本が入ってる。背表紙には「広辞苑」の金文字があった。

「広辞苑の文字数を答えろ」

 流す問題。

 無駄に重い本を投げ捨て、装置にでたらめな数字を打ちこむ。勘で当たるかもしれない。決定ボタンを押して四問目は終わりだ。

「ここに来てその行動原理は正しいのか。展開は一、二問目とは変わってきているぞ」

「俺の前世は電球なんだ」

「切れた電球は光らなくなる」

 不吉な言葉を振り切り、指先で押しこむ。

「良い夢を」

 痛みよりも先に頭のてっぺんが抜けたようだった。景色が真っ白になって、真っ黒になった。

 起きると薄暗い。夜になったのかと思ったが、窓はなかった。頭を転がして床を水平に見つめる。数々の照明も変わりないようだ。

 違和感があった。息苦しい圧迫感に包まれる。信じられなくて、試しに半身を起こした。腕を伸ばす。指先に天井が触れそうだった。

 這いつくばってカウントに双眸を近づける。三時間を切ってた。床と天井の間は百五十センチの間隔になったと逆算できる。四時間半近くも夢の中にいたんだ。電気のパワーがアップしたからって極端すぎる。

 抗議をしたところで無駄だ。ゲームマスターは立神で、変えられない現実がそこにある。僕はいかに生き延びるかを考えるしかない。答えは単純だ。二問中で一つもミスは許されない。誤りは死を意味する。制限時間内に目覚める可能性が低いのもあるが、不正解時のペナルティーも忘れちゃならない。

 左手首を観察する。忌まわしい腕輪をはみ出て赤くなってた。皮膚がただれてる部分もある。二問ごとに強くなる電流が、次はどうなるか予測つかない。初めは安易に考える節のあった腕輪。黄泉の世界へ運ぶ要素はここにもあったんだ。正解、不正解にかかわらず六問達成で終了なのも肯ける。

 突き詰めるとこれは耐え抜くゲームだったんだ。

 判明しても遅かった。一問目で気づいてもどうしていいか戸惑っただろう。過去はいつだって戻ってこない。要は、それを踏まえていまなにをするべきかだ。

 さっさと次の問題を言ってくれ。

 呼びかけに立神は無言で返した。というより、ちゃんと聞いてるのかこっちには分からない。再度の催促にも反応はなかった。

「おいおい、ここに来て時間稼ぎするつもりかよ」

 静寂。スピーカーのノイズもない。

 カウントがどんどん減ってく。魂が削られてくみたいだった。画面に触れてこすっても表示は無情に変化してく。クソッ、あと二問だってのに、本当にこれで終わりか。わざと生かしておいたのは、やっぱり弄びながら殺したかったからなのか。

「試験だなんだって気取ってたくせしてゲームクリアーされそうで逃げたんだろ! ゴミ野郎はどっちだ、ゴミ野郎!」

 もしくは試験の解答内容に失望して放置したのかもしれない。思い当たるのは一問目だ。タイルの数を間違えたのは痛かった。的中してれば多少は時間に余裕が生まれてる。

 狭く暗くなった密室は酸素濃度を薄れさせてるようだった。肺一杯に吸っても吸収できてない感じがする。

「勝手に見限ってんじゃねぇ! 俺はまだやれる、二問とも正解してやる! 男なら最後までやりやがれ! 途中で投げ出すなんて姑息な人間のすることだ! この姑息マン!」

 喉がはち切れんばかりに怒鳴っても応答なし。

 これまでか。そう思ったときだった。マイクの通る音がする。

「立神様は姑息なんかじゃない。あの方は食事に行ってるの、そろそろ戻ってくると思うわ」

 聞き覚えのない女の声だった。てっきり事務所案内をしてやった女が立神の仲間で、僕を車に引きずりこんだのも彼女だと思ってた。あの人よりも色気分がやや少ない口調だ。立神ってのは何人の女を従えてるんだ。ますます腹が立ってくる。

「共犯者のお出ましか、あんたも異常者の仲間ってわけだ。変人男に変人女、お似合いだな」

「口を慎みなさい。私のことはなにを言っても構わない。だけど立神様を悪く言うのはやめて」

 しめしめ。ありきたりな挑発に乗ってきてくれる。

「犯罪者をどう言おうと勝手だろ。犯罪者は全員死刑にでもした方がいい。その方が世界は平和になる」

 今度はすぐには返事がなかった。ワンテンポ置いて考えてるふうだ。

「犯罪者が、みんな悪とは限らないわ」

「なに言ってんだ。悪いから犯罪者なんだろ。立神もあんたも犯罪者だ」

「黙りなさい。それ以上言うとただじゃおかないんだから」

「なんだ、どうするんだ。立神に言われるがままのあんたになにができる?」

「天井はこっちで操作できるのよ」

「やれるもんならやってみろよ、どうせできないくせに」

「本当よ、本当にこっちでコントロールできるの」

 だんだん余裕のない声質になってきた。僕の強気な姿勢に困惑してるんだ。

 天井を操作できる。まぁそうだろう、彼女がその気になった途端に僕はサンドイッチの具になる。アニメキャラみたいにぺちゃんこになって空を舞ったりしない。

「そうじゃないんだ、俺が言いたいのは」

 え、と疑問符をつけて発した彼女。

「立神は俺を試験するって言ったんだ。あんたが勝手に殺しちゃまずいだろ」

「席を立ってる時間、私に権利を託してたらどうするの」

 ただじゃ納得しないか。でもこの程度の食い下がりなら捌けなくもない。

「そうだとしてもそれは死刑執行の任じゃない、あんたが残りを出題するはず。俺が挽き肉になるのはその結果だ、違うか?」

 吐息がスピーカーに流れる。

「当たりよ。私はただの監視係で殺す権利はない。でもね、私にだって感情はある、お願いだから怒らせないで」

 悲痛な訴えだった。どこか懐かしい雰囲気がするのは気のせいだろうか。

「なぁ、あんた。俺とどこかで会ったことないか」

 物音がした。向こうでドアを開閉したんだ。肉を弾く響きと短い悲鳴、なにかが倒れる音。僕としゃべってた女がひたすらに謝罪してる。相手は言わずと知れた立神だ。

「勝手なことをするなとあれほど言っただろう。いいか、お前は渋谷を歩いているアバズレ共よりはいくらか賢いが、それを差し引いても愚かだ。そこがお前とウルルンの違いだ。もう一度言うぞ、勝手なことはするな」

 いいな?

 問いに消え入る返事がされる。

「いいコだ。さぁ車に戻れ、食料を調達してきた。好きなだけ食べて休むがいい」

 静かに閉じられたドアの震動を僅かにマイクが拾った。続けて立神の溜め息だ。

「やれやれ、子守はこれだから疲れる」

「レディーには優しくしないと駄目だぜ」

「俺ほど優しい人間はいないと自負してるつもりだがな」

「あんたの辞書に“勘違い”って言葉はないらしいな」

「そしてお前の辞書には“恐怖”という言葉がないんだろう。調子に乗るな、ゴミ野郎」

 もう何度目か分からないフレーズは妙に安心させてくれる。奴はそこにいる。生き延びる道が途絶えてない証拠だった。

「俺を殺すか? 手元の機械で」

「いいや、最後までゲームを進行させるさ。言っただろう、俺はルールを守る」

 そうこなくっちゃ。少なくとも気まぐれでルール変更するような性格じゃないみたいだ。プライドの高さがそうさせるんだろう。問題を滞りなく答える、または電気ショックを耐える。それが僕の脱出トンネル。

 第五問目。待ちに待った言葉に心臓が高鳴る。無茶な問いが出ないのを祈った。

「俺は赤と青のどちらが好きか。専用のボタンで答えろ」

 口が半開きになった。確かに解答装置にはクイズ番組で使いそうな赤と青の大きなボタンが備わってる。

 僕は唇を噛んだ。乾いて荒れた皮を歯で挟み、千切り食べた。鉄の味が滲んで舌に触れる。

「色んな意味であんたらしくない問題だな」

「俺は運を信じている人間だ。運も実力のうち、とはよく言ったものだな、全く同感だ。運のない奴はなにをやっても失敗する。練習でできていた大事な試験や面接で不幸に見舞われる人間がいるだろう、現実に」

 一理あるのが反論をさせてくれない。僕もそんな人間を見てきた。学校では新しく配られる教科書が一人分だけ足らなかったり、日常では自転車を盗まれたり、裏社会ではたまたま職務質問にあって薬を見つかったり、不自然なほど貧乏くじを引くんだ。

「それに文句を言うならなぜ時間を残しておかなかった。俺は十分に選択の余地を与えていただろう」

 おっしゃる通りだ。無駄に反抗するエネルギーは残ってなかった。もはやぎゃーぎゃー騒いだってどうにもならない。馬鹿らしい問題に対して真摯に取り組むのが僕の使命だった。

「赤か青か、答えをどうやって証明するんだ。あんたの気分でどうとでも変えられるんじゃないのか」

「心配は無用だ。解答はお前の正面の壁、左下隅のポスター裏に塗ってある。おかしな真似はするなよ、カンニングは重罪だ。どの角度でも監視できるマイクロカメラがお前を捉えているぞ」

 そんなことはとっくに承知してる。

 左隅のポスターは「チキン野郎!」よりも小さいサイズだ。「KILL YOU!」と血文字風に書いてある。赤か青か。季節とは裏腹にシャツの中が汗ばんできた。目眩と吐き気がして寝転がる。

 天井をじっと見つめてるといまにも落ちてきそうだ。一点を凝視したのは良くなかった、視界が激しく揺れて膨らんで回り始める。

 瞼を下ろした。

 二分の一の確率で僕は死ぬ。なんでこんな目に遭ってんだ。

 比佐麗葉。彼女に雇われなければ立神の意味不明なクソゲームに付き合わされることもなかった。

 だけど、日給二万円は大きい。雑用係でそれは破格だ。後輩の綾木に一人で家賃や光熱費を払わせるのは自身が許さない。収入はなくても僕という人間の根元は腐らせたくない。だから二万円が毎日入ってくれば救われる、悠々と借金返済も終えられる。

 考えが甘かった。うまい話には裏がある。辞めてやる、こんなクソゲームに参加しなくちゃならないなら願い下げだ。

 それもこれも生きてたらの話だった。

 生き死に。死には赤のイメージがある。赤は血だ。ポスターの文字も血文字。立神は殺人だって簡単にやる、血の赤がお似合いだ。

 赤か? 答えは赤。赤が嫌いで、どうして出血を伴う殺人ができる。そうだ、それは言えてる。赤だ、赤に違いない。

 急かす僕の首根っこを掴む。第五問目は、どちらが好きか、だ。答えじゃない方が嫌いな色とは誰も言ってない。青はどうだ、どんなイメージがある。真っ先に連想するのは水だ。それに空。立神には合わない癒しの色だった。奴が青を好きだと言うのは成人した男がすね毛丸出しで半ズボンとサスペンダーでいるぐらい変だ。

 やっぱり赤か。どうせ考えたって無駄な運試しなんだ。理論を組み立てても自己満足にしかならない。そうなると時間消費を狙う罠でしかなかった。二問目の円周率や四問目の広辞苑と部類が一緒で、合ってようが間違ってようが即断するのが正解だ。当たれば儲け、賭けるしかない。

「時間がどんどんなくなっていくぞ。どちらにするんだ、優柔不断なゴミ野郎」

「俺は、あ──」

 言いかけてやめた。

「“あ”? それがお前の答えか? しかし残念ながら赤も青も一声目は“あ”だ」

「いや待ってくれ、もう少し考えたい」

「いいとも、こちらは一向に構わない」

 赤。果たして本当にそれでいいんだろうか。問題が不条理である限り、解答するに越したことはない。ただし、二問目や四問目とは状況が違う。意図して間違えた場合、気絶したまま目覚めないで天井に潰される。つまり、死ぬんだ。

 死ぬ? 死ぬのか?

 吐き気が酷い。頭の古傷が内部で痛む。立神がなにか言ってるが聞こえない。脳に心臓を埋めこまれたみたいな痛みだった。耳朶を特急列車が走り回ってる。

 視界がぼやける。自分の体から意識がずれた。視界が勝手に移動してる。僕はなにをしてる? 正解の書いてあるポスターへ歩んでる。腕が伸ばされた。

 やめろ、そんなことをすれば立神に殺される。止まれ、持ち主の言うことを聞け!

 警告も虚しくポスターをめくる。色が見えた。

「おい!」

 怒気を含んだ声がした。

 ああ、なにもかも終わった。自分がこんなに馬鹿だとは自覚してなかった。

「どうしたゴミ野郎、プレッシャーに頭がやられたか。無視は良くないだろう?」

 鮮明な音声と視界が戻る。

 僕は答えのあるポスターの前にはいなかった。ボタンの前で寝転がってる。一歩として動いてなかったんだ。いつの間にか戻ったとも考えられない。幻覚だったのか。

 今回ばっかりは立神の言う通りかもしれなかった、僕はどうかしてる。次第に笑えてきた。なにもおかしくないのに腹の底で笑いが生まれて口を出る。気でも違ったか、と奴が言った。

「こんなことならボンキュッボンッの姉ちゃんを飽きるほど抱いておくんだったと思ってさ」

 青のボタンを押す。鳥がムンクの叫びよろしく青ざめて体をくねらせた。

「青でいいのか? 理由はなんだ?」

「直感だよ。根拠もなにもない、正真正銘の勘。しかも二択だろ、適当にやれば半分は当たる。どっち押したって同じだ」

「そんなことでいいのか。問題にトリックが隠されているかもしれないぞ」

「やめてくれ、俺にそんな推理する頭はねぇよ。それにもういいんだ、いまなら借金を苦に自殺する中年男の心境が分かる」

 まんざら嘘でもなかった。ヤクザに借金して、あとさきは暗い。望んで借りたお金じゃなかった。無免許で高橋の車を運転してぶつけたのは僕だ。強要された感はあった。拒む選択があったはずだ。なのに僕はしなかった。以前にも運転したことがあって大丈夫だと思ったんだ。言われるままにアクセルを踏み、ガードレールで車体を擦った。

 悪いのは僕だ、ヤクザと一般人の区別は関係ない。後腐れなしにお金は返す。返せないときは死ぬしかない。それがいまか高橋の手によるものかの違いだ。

「決心してるなら答えを見てみろ。ちなみに、お前が確かめるまでは決着しない。認知した時点で電流か次の出題をする」

「カウントが止まるわけじゃないんだろ」

 中腰で移動する。地底人の心境になった。

「まぁな。人生にタイムやリセットがないのと同じだ」

「そうかい。じゃあ決まりだ、生き延びるなら時間を節約したいんでね」

 呆気なくポスターを剥がし、床へ放った。勢いだった。試験も当日より前日に緊張するタイプだ。やるならやれ、生殺しは勘弁だ。

 ポスターがくるりと旋回して柔らかく着地する。

「どうやらボンキュッボンッの姉ちゃんが俺を欲してるみたいだな」

 裏は青く塗り潰されてた。

「驚いた、どうやら運は強いようだな。どことなく根拠があるようにも思えたが」

 ない。幻覚内で見えた色をそのまま答えたんだ。確率が変わらなく、立神の思惑やトリックも見当がつかなかった。指標になるのは幻覚しかない。

 とうとう六問目に達した。二時間半が余ってる。最悪は気絶をしても根性で起きて脱出する希望もあった。

「次はサービス問題だ。お前はただ数えればいい。幼稚園児にもできる難易度だぞ、ありがたく思えよ」

「そりゃ感謝しないとな。自分の毛根の数とかそういうのはやめてくれよ」

「ああ、それも面白いな、それでもいい」

 言わなきゃ良かった。

「そう心配そうな顔をしなくても変えはしない。対象はポスターだ」

「ポスターって、この部屋のか」

「Yes。全部で何枚あるか答えろ。トリックは一切ない。重ねて貼っていたり、ミクロな物、壁そのものがポスターだったというオチもない、素直でいい。簡単だろう?」

 かなりの優しさだった。

 でもそれは僕が部屋に連れてこられた当初の状況だ。大部分のポスターは降りてきた天井に隠れてしまってる。

「外道が」

「なんだ、数えてなかったのか。ウルルンであれば即座に記憶するぞ。お前と会話した部下──トスミにだって可能だ。洞察力は落第点のようだな」

 そりゃ悪うございましたね、あいにくこんな異常事態に慣れてないんスよ。

 髪を掻き乱してあぐらをかく。覚えてるのは大した枚数はなかったことだ。大きい壁に、本当にちらほらあった。四方合わせても十枚そこそこだろう。

 で?

 曖昧な答えは許されなかった。一枚差で惜しくても、百枚と答えるのと差異なし。ポスターの枚数ぐらい、なんで見ておかなかったんだ。せめて一問目をやったときに、ポスターが怪しいと思ってても良かった。

 五問目で剥がしたのと「チキン野郎!」のポスターは明確だ。

 思い出せ、最低一回は一通り見てるんだ。なんなんだここは、てなふうに見回しただろ、自分。おぼろげな光景を脳裏に浮き立たせる。

 正面は他にも数枚あった。あまり密集はしてない、上の方に貼られてた。二枚か、三枚。そうだ、三枚だ。「チキン野郎!」と五問目のポスター、そして三枚で合計五枚。正面は五枚だ。

 いけるかもしれない、案外覚えてるものだ。

 次は左の壁。こっちは少なかったと思う。一枚か二枚、大きいグラビア写真だった。通風口の横に一枚あって、もう一枚は一股分離れて貼ってあった。二枚だ。他にもあっただろうか。いいや、ない。大丈夫、自信を持て。

 右。天井ぎりぎりのところにポスターの最下部が出てる。あの一枚だけじゃなかった。それぞれの壁にジャンルが分類されてて、左がグラビア、前がアメリカ風ので、右がアニメだった。二枚じゃなかっただろうか。一枚は見覚えのあるアニメで印象が強かった。それは見えてる方のポスターじゃなかった。そんな気はなかったが、他にも知ってるアニメがあるかと思ってざっと壁を見たんだ。二枚。いいぞ、冴えてる。僕もやればできるんだ。

 後ろ。真っ暗だった。記憶の中で、だ。実際に振り返ってみる。一枚も端っこすら出てない。半ば這いつくばって壁へ密着する。天井と壁との間に隙間がないかと思って見上げた。首が痛くなった。アリも通り抜けられなさそうだ。

 鼓動が早くなる。手の脂汗がぬるぬるして気持ち悪い。

 記憶が欠片もなかった。ドアがある、としか認識してない。たったの一面がどうしても思い出せない。呼吸を落ち着ける。

 情報を整理しよう。正面が五枚、左側が二枚、右側が二枚。平均して三枚だ。後ろも三枚だとすると答えは十二枚になる。あり得なくはなかった。

 唾を飲む。

 赤か青の二択とはわけが違う。勘を頼りにしてどうする。明らかに駄目だろ、そんなんじゃ。けど、どうするっていうんだ。後ろの壁も僕は見てたはずなのに、どうして覚えてない? ドアに気を取られすぎたのか?

 貧乏揺すりをする。

「時間だ」

 心臓出発で全身が跳ねる。鳥肌が各末端へ向かって津波の如く伝達した。タイムリミットになったのかと思った。

 一つのリミットではあった。

 頭上がゆっくり落ちてくる。滑車や歯車が回転してるんだろう、化物の呻きみたいな音がしてる。びびる僕を嘲笑ってるようにも聞こえた。

 残り二時間、天井の高さ一メートル。辛うじて出てたアニメのポスターも隠れた。中腰になるのもきつくて腰を下ろす。もはや誤答は死へ直結する。

 色当ての問題で頭痛がしてからずっと気分が悪かった。朝食を食べずに出発した遠足バス以来の不快さだ。常にみぞおちや食道がむかむかしてる。頭痛も酷い。古傷が蠢いて頭蓋骨に浸食し、脳を直に揉んでるようだった。

 たまらず仰向けになる。リノリウムの床がひんやりしてて気持ちいい。電気の睡眠剤で死ぬよりも自然睡眠の方がいいかもしれない。目覚ましもセットしないで存分に眠る幸せはなにものにも代え難い。

 染みがあった。灰色の天井に三つの大きめな跡。人の顔に見えた。他にもないかと探るも、顔っぽいのはない。睨めっこする。こういうのをなんて言ったっけ。なんとかタルトっていうスイーツみたいな名前の法則をどっかで覚えた。人間は点や線の集合を一つのまとまりとして認識しようとするんだ。

 それにしてもなんでこんな跡があるんだろう。掃除ぐらいしろよ、なんなら僕が日給二万円で雇われてやるぞ。

 自分の状況と照らし合わせてはっとする。

 気分を悪くし、寝転がる誰か。時間が迫り、天井が降りる。最後の抵抗で床へへばりつく誰か。潰れゆく誰か。残った染み。洒落にならない映像が生々しく想像できた。

 待てよ?

 僕ははいはいをして解答装置へ帰る。答えが、少なくとも根拠のある仮説として判明した。正しいかは分からない、頼れるのはこれしかなかった。

 一桁の数字を入力する。

「それでいいんだな。特別に押し直しの権利をやってもいいぞ」

「あんたはまるで悪魔そのものだな、いちいち心を掻き乱してきやがる。大層嫌な子供だったんだろうな」

「どうかな、案外お前のような生活を送っていたかもしれない」

「冗談はよしてくれ、平凡な生き方をしてた人間がこんなでたらめなゲームを考えつくかよ」

 なるほど、と立神の肯く声。

「それで、答えは変えなくていいのか」

「今度は根拠があるんだ。もったいぶらないで早く結果を示してくれ。合ってるのか、合ってないのか」

 奴が笑う。

「天井の上下で示してやろう。生か死か、極上のスリルを味わえ」

 スイッチを押しこむ気配がした。

 天井が動く。どっち、どっちだ、どっちに動いてる。亀の歩行並に遅くて見分けがつかなかった。目を凝らしてみてもいまいち分かりにくい。なにか基準になる点はないか。視線を巡らせて一方を睨んだ。

 徐々に「チキン野郎!」の鳥が露わになっていく。

 上がってる。憎らしい顔も愛嬌に感じた。正解だったんだ、異常犯罪者とのゲームに僕は勝利したんだ。

 背後を見つめる。ドア全体が表出し、壁の面積は広くなっていく。簡素で味気ない打ちっ放しのコンクリートだった。ポスターは一枚もない。

「どうして分かった。しっかり記憶してたのか」

「前と左右の枚数は分かってた、あとは後ろだけだった。ただどうしても一枚も記憶に残ってなかったんだ」

「だからゼロとするのは安易過ぎないか」

「天井の染みがヒントになった」

「染みだと?」

「ああ。俺も気づきたてほやほやだけど、人間はなにか目印となる物に視線が行きやすいらしい。もし真っ白の壁があったら、どこに視線を持っていけばいいか分からないはずだ。つまりポスターが一枚でも貼ってあれば俺はそこへ目をやっただろうと思った」

「言いたいことは分かる。だが“はず”だの“だろう”だの、決断するに足る言葉とは思えないな」

「正直、こうして結果が出るまで半信半疑だった。だけど“ポスターが貼ってあることすら気づかない”わけがないんだ。ゆえに答えは──」

 天井が昇りきって地響きを上げる。

 正面に五枚、左に二枚、右にも二枚、後ろはなし。

「──九枚だ」

 立神が拍手した。

「どうやらお前を侮っていたようだ。ロックは外しておいた、部屋を出るがいい」

 ありがたい許しの言葉に膝が笑った。震えがやまない。自分の体を抱き締める。頼りない足取りはほとんど赤ん坊だ。早く出口へ近づきたいのになかなか距離が縮まらない。おまけに脚がほつれて転んでしまった。一人笑った。靴が滑る。ここはいつからアイスリンクになったんだ。

 何度か転びながら到着した。ノブにしがみつく。握り、力を込めた。

 回る。特に力を入れなくてもドアが奧へ開いていく。頑なに閉塞を保ってたのが信じられない。僕は生きてる、外へ出れる、なんでもできるんだ。

 喜びを一気に開放させる。

 三歩のあと、僕は膝をついた。後ろでドアが閉まる。ポスター、通風口、解答装置、それぞれが前の部屋と対象的に位置づけられた空間になってた。

「さぁ、ゲームを続けよう。ルールは同じだ。第一問──」

 ふ。

「ふざけんな! 六問堪えたら外に出してくれるって、そう言ったじゃねぇか!」

「ふざけてるのはお前の方だ。俺は『六問ののちに背後のドアが開く』と言ったんだぞ、誰が外へ出すと言った。聞き間違いはお前の責任だ」

 言われてみれば、そう言ってた気がする。普通はそう聞いたら外に出れると思うだろ。いままでの苦労は、さっきの歓喜はなんだったんだ。信じられない、信じたくない。

「こんなのは嘘だ」

「ガキみたいなことを言うな」

「だけど!」

 言葉を呑みこむ。なにか引っかかりがあった。

「あんた、問題を始めようとしたのか」

「ゲームは続くと教えてやったばかりだぞ」

「ゲームスタートする前に聞かせてくれ。初めにこう言ったよな、『俺の言葉に嘘はない』って。それは信じていいんだろ」

「なんだ、いまさら」

「カウントは始めてもらって構わない。教えてくれ、どうなんだ」

 立神は一拍して、いいだろう、と応じた。

「もちろん。俺はルールをご都合主義に変えるほど小物ではない」

「こうも言ったな。『この部屋は見ての通り密室だ』」

「それがどうした」

 狙いを定めた僕は一直線に歩いた。

「“この部屋は”だ。これについては“ルール”じゃない」

 通風口の前に立つ。

「一目見てあっちの部屋と全く同じだと無意識に知覚した。しかしこっちの部屋に関しては『密室だ』とは言わずに問題を始めようとした。それが意味するところは」

 鉄格子に手をかける。

「これが出口だ!」

 一見ボルトで溶接されてるふうな通風口への障壁がずれた。力任せに引くと丸ごと外れた。投げ捨てる。

 立神は大笑いしてた、声を高らかに腹の底で。

「そう恐い顔をするな、ほんのジョークじゃないか。だいたいプレイヤーをその部屋に入れるには必ずどこかしらの出入り口が必要になる。それが意外な盲点になるんだな、少し考えれば分かることだ。もっとも、気づかなければ永遠にゲームはループしていたがな。最高だろう?」

「最悪だ」

 うぅーん、とわざとらしくしょぼくれた声でリアクションする男。

「お気に召さなかったか。まぁいい、合格だ。ウルルンの傍にいることを俺が許そう。お前は思ったよりもできそうだ。大抵の愚かな人間はせっかく与えてやった『最後まで冷静でいろ』というヒントを無下に扱う。過去には六回往復した奴もいたぐらいだ。半端に頭の切れるがちがち人間は使えない。おっと、末路を聞くのは野暮ってもんだぞ」

 聞きたくもなかった。

「もう帰っていいんだろ。まだ仕掛けがあるって言うんじゃないだろうな」

「まさか、俺は愉快なんだ。正真正銘のゲームオーバー。お前には得体の知れない可能性を感じるしな、今後じっくり楽しませてもらう。また会うこともあるだろう、その時はよろしく頼むぞ」

 ノイズが途切れる。

 安堵はしなかった。真っ先に通風口へ入り、全速前進をした。途中で腕輪の鍵が置いてあるのを見つけてちょっと気が緩んだ。曲がりくねった狭き道を行くと灯りが目に入った。青に黄色、赤は信号の色だ。道路がある。

 外は意外にも都会だった。廃材置き場に出て振り返る。なんの変哲もない白いビルだ。周りにも建造物はあり、少し離れて見てみれば特異な雰囲気もなく溶けこむ。夜の暗さが相乗効果で瞬く間に平凡な街並みへ変えていった。

 大通りに行き着くと知ってる景色があった。駅で切符を買って、電車を乗り継いだ。

 駅前には悪仲間二人がいた。にやにやと手を差し出してくる。

「もう忘れたのかよ、お前が運転した高橋さんのベンツぶつけたの。今月分払え」

 間に割りこんで突破した。

 肩を掴まれる。

「おい、こら。仲間抜けたからってこれは関係ねぇぞ。高橋さんの恐さ知ってんだろ。幹部だぞ、マジ殺されるぞ」

 幼稚に思えた。ベンツ? 高橋? 幹部? よしてくれ、笑えてくる。

 恐いものはなかった。僕は腕を払い除け、背を向けた。

次話更新予定は明後日(11/10)です。


Next:「■立神荘士という男」

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