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侵入を防ごうと鍵をかけようとしたところ、どすのきいた声がかかった。黒光りするサブマシンガンが突きつけられる。
「表に出ろ」
てっきり死んでるもんだと思ってた高橋だ。頬や手の甲に小さな切り傷があるものの、生死にかかわるケガはしてなかった。
「あんた、生きてたのか」
「ちょうどいい盾が沢山あったからな、下に潜りこんだんだ」
こいつ、仲間を犠牲にして生き残りやがった。死体の山が変に盛り上がってた、あの中に潜んでたんだ。刃物だらけで危なく、安否を怠ったのが甘かった。高橋は生存する本能において運も行動力も組で幹部という位置にいるだけのことはある。
銃をすんなり没収された立神ともども両腕を上げたまま外へ出た。
待機してたのは警察なんかじゃなかったんだ。ヤクザ屋の群れ。ちらほらと何度か見た顔があった。わりと中堅どころの連中が多い。そのうちの一人が、お疲れ様です、と寄ってマシンガンを代わりに持ち、こっちへ向ける。
タバコを出す高橋に他の男がすっと近づいて火を点けた。
「他の連中はどうしたんで」
渋く低い声の問いに、彼はたっぷりと煙を吸いこみ、吐いた。
「殺された、こいつらにな。それはそれは酷いもんだった」
一気に連中が殺気立つ。あの中に親しい奴がいたのか、血の気の多い一人が拳銃を出して、ぶっ殺してやる、と騒いだ。周りが羽交い締めにして止めてる。
おとなしくさせたのは高橋の発言だ。
「よせ、ここであっさり殺すのもつまんねぇだろ。じっくり痛ぶってやろうじゃねぇか」
数口しか吸ってないタバコを地面に落とし、踏みつける。火を点ける者がいても、吸い殻を拾う者はいなかった。山は綺麗に大事にしましょう、ポイ捨て厳禁。
「行くか。俺はどうも土臭い場所が嫌いなんだ、薄気味わりぃ虫の匂いが充満してるようでよ」
部下の男がそれぞれ一人ずつついて僕らは拘束される。
大物ぶって歩く背中へ言ってやった。
「あんたのヤニ臭さの方が嫌いだけどな」
「あ? なんか言ったか、小僧」
「何度だって言ってやる。ヤニ臭ーんだよ、おっさん」
「あんまり調子に乗るなよ」
彼のアイコンタクトで二人の男が動いた。
強烈な一発がみぞおちにめりこむ。ガキ同士でのケンカで食らうパンチとは比にならなかった。サンドバッグ状態で殴る蹴るの暴行を受ける。全身が悲鳴を上げた。
笑みを隠すのに苦労する。
いま殺そうとは考えてないんだ。奴らは警察が向かってるのを知らない。呑気にハイキングして、公道に止めた車で連れ去ろうって腹だ。実際には警察との遭遇、どたばた劇が待ってる。そうなったらこっちのもんだ。いくらでも逃げる隙がある。
僕も通った獣道をむさい集団が下ってく。
「おい、止まれ。お前ら、誰かに見られてる気がしねぇか?」
間もなくして高橋が停止させた。
男達が森林を見上げながら肯定も否定もしなかった。木々のざわめきと鳥のさえずりが聞こえてくる。
「気のせいか。いや、念のためルートを変えるぞ。携帯が繋がり次第、下の連中に連絡しとけや」
右方向に大きく進路を変更する。道は荒れ放題とはいえ、下っていくのに無理はなかった。準備がいいことに先頭集団が鉈で枝葉を切り落としてるんだ。
おいおい、そりゃないだろ。警察に遭遇しないで車に乗せられたら終わりだ。明日には東京湾の底に沈むなんていうセンスの欠片もない結末はやめてほしい。
あっ、と声を上げる。高橋に睨まれた。
「なんていうか、そっちは行かない方がいいかな、て。道なくて危ないし、熊も出るらしいんスよ。ほら、そこの木、引っ掻き傷があるでしょ。人の匂いがないところを通ると狙われますよ」
「ほう、確かに動物が引っ掻いたみたいな跡があるな。この大きさだと二メーター以上はあるか、襲われたら即死だな」
奴らは仲間同士で笑いつつ不安そうな顔をしてる。助かった、偶然この跡を見つけたのは幸運だ。トランプ株でぐてぐてだった運がここに来て流れ始めてる。
希望は一言で覆された。
高橋が腰元をまさぐる。
「だが熊なんぞ、これでイチコロだぜ」
やたらでっかい拳銃だった。
「44マグナム、俺の愛銃だ。まだ生物相手には撃ったことがないけどな」
お前あるか、と部下の一人に訊くと、ないッスよー、と苦笑いをした。ちょっとそこに立ってろよ、と言うと狙いを定める。やめてくださいよー勘弁してくださいよー、などとじゃれあってた。
豪快な笑い声が山奥で合唱する。
こいつらは銃を装備してたんだった。いい試し撃ちができると喜ぶ始末。熊を恐れるのは一般人の基準なんだ。
僕には不運の神様がついてる。
携帯が繋がると大まかな方角を告げて待ち合わせを指定してる。
到着はこっちの方が早かった。
ガードレールを超えると公道は閑散としてた。車一台来てない。電話をして連絡をする男。通話を切り、もうすぐ着くそうです、と高橋へ報告した。ガードレールに座る彼がタバコを吹かし、おう、と返事する。
いっかんの終わりだ。警察が待機するとしたら山道へ通ずる前の道路だろう。ここはだいぶふもとだ、僕達が徒歩で野道を下りてくるのは盲点になってしまう。
ただ一人すがりつけるのは立神だが、特に行動には出なかった。そうしてられる理由があるんだ。こいつには仲間がいる。みすみすヤクザに組織のトップを明け渡しはしない。犯罪組織もたまには役立ちそうだ。
期待は真っ先に裏切られた。
車が到着する。変哲もないワゴン車が五台で、公道にすぐ溶けこめる車種だった。ゲームオーバーだ。立神に動いた素振りはない、テレパシーでも使えなきゃ助けを呼ぶなんて無理だ。
三人とも先頭の車に乗せられた、高橋も一緒だ。この不審な集団を誰かが見て通報してくれるかもという淡い想いはスライド式のドアで断たれる。来たときと同じで人気がなかった。
山道を下り、街へ入る。数台の乗用車とすれ違った。止める者はなく、大学のある中腹あたりまでノンストップだった。
速度が急激に落ちたのはその先だ。渋滞になってて、ちっとも進まない。
運転手が告げる。
「検問みたいですね」
「銃は?」
「大丈夫です、ケツ走ってる車の座席内部に収納してます。奴らだけ他のルートで行かせますよ」
早速電話する。
高橋が助手席から身を乗り出して振り向いた。
「いいか、騒ぐんじゃねぇぞ。俺が塀の中に入るとしても、お前らをぶっ殺すのは決定事項だからな」
僕はほとんど聞き流して他のことを考えてた。チャンスだ。一か八か暴れて知らせるか。不審車両として扱われれば色々と調べられる、またとない機会だ。
脇腹に硬い感触が当たった。僕を拘束する隣の男だ。上手くコートで隠れて見えなかった。
「サイレンサー装着の銃だ。寝てる奴がいたところで怪しまれないだろ」
漫画みたいな悪どい笑みをする高橋。
万全ですか、そうですか。クソッ。
列が短くなってワゴン車が停車した。運転手が免許証を見せる。制服警官がチェックを始めた。救世主が一メートルしか離れてないところにいるっていうのに口に出せない。
ここだここだここだ、ここしかない。頭で分かってても脇腹の凶悪な感触が躊躇させる。もしかしたらこの先にもっといいチャンスがあるんじゃないかって都合のいい願望を考えてしまう。ジレンマがもどかしくて足裏がうずうずしてくる。
まずない、ここなんだ。ここですっぱりと決断が必要だ。不幸を先延ばしにしてたって状況は酷くなる。いまは人がいる、警察がいる。撃たれても一発がせいぜいだろう、血反吐を漏らされて困るのは奴らだ。
死ぬまでにタイムラグがある。運が良ければ助かる。
一呼吸のあとに声を張り上げてやろうとした。
警察官の言葉が思い留まらせた。
「硝煙反応を検査しますので、そのままお待ちください」
「あ? なんだそりゃ」
高橋はたまらずに抗議してる。当たり前だ、こいつは銃を乱射してる。不審者扱いは免れない。
チェックメイト。
運がやっと流れてきた。いままでの希望的観測じゃない、間違いなく助かるんだ。
傍に控えてた検査員が運転手を調べてる。反応なし。そして助手席の方に回っていく。高橋が小声で言う、出せ、と。
車が急発進した。
尻餅着く検査員。警察官が無線連絡してるのがバックミラーに映る。ちくしょうなんだってんだ、と悪態をついた高橋はタバコを落ち着きなく取り出した。ジッポを擦る。火が点かない。何度やっても点かなかった。フロントガラスにタバコと一緒に投げつける。
こっちを振り向いた。
「おめぇらが呼んだのか」
「そんな暇がなかったのはあんたが一番分かってるだろ」
座席を殴打してる。苛立ちをどこかにぶつけたい気分なんだろう。直接の原因じゃなくても小さなミスが一つでもあれば必要以上に責め立てるのが高橋という男だ。部下が裸にされて足蹴にされるのを僕は事務所で飽きるほど見た。
「やばいですよ、追ってきてます」
「振り切れ。二つ先の交差点を右折すれば大通りだ、逃げ道はいくらでもある。ナンバーも偽造してるからな、足はつかない」
少々の冷静さを取り戻して車のシガーライターを手にした。新しく咥えたタバコに再び火を点けようとしてる。
寸前で口をこぼれた。
パトカーが並んで前方を塞いでたんだ。
「いくらなんでも早過ぎんだろ、どうなってんだ。俺らが来るのを知ってたのか」
「どうしますか」
「行くしかないだろ。突っこめ」
「しかし、それだと──」
「るせぇっ! 覚悟決めろ!」
アクセルが思いっきり踏みこまれる。重力が後ろへ傾いて背もたれに押さえつけられた。
腕を振って停止を求めてた制服警官が脇へ散る。
衝突。
衝撃。
エアバック作動。フロントガラスが埋まって視界はほぼゼロだ。車体が横へ滑っていくのが分かった。
エンジンがうんともすんとも言わなくなる。
ドアがスライドした。外の光が入る。逆光を突き抜けて顔を出したのは馴染みの顔だった。油断なく拳銃を突きつけてる。僕を拘束する男が銃を落として腕を降参させた。警察に囲まれながら罪を重ねる度胸はないようだ。高橋も同様で他の刑事に押さえこまれてる。
僕は車を降りた。アスファルトの感触が生きてるのを実感させてくれる。
「森里さん、ずいぶん用意周到なんスね」
「女性から匿名で通報があってね。いまから通る車にあなたが捕まえたい人間が乗ってる、てさ」
くすくすと笑い声がした。車内の立神だ。
女性と聞いて上戸さんの顔が浮かぶ。彼女が裏切って立神も逮捕されるのを良しとしたんだろうか。
「硝煙反応で割り出せるとまで教えてくれたよ。たまたま僕が向かってた場所なだけに信憑性は高かった」
立神に聞こえない小声で、なんで遅れたんスか、と訊く。
ああそのことだけど、と言葉を切って森里さんが後部座席を見る。そこにいる男の纏ったオーラがヤクザじゃないと直感で分かったようだ。
「立神荘士だな」
「誰のことやら──と言っても見逃してはくれないんだろうな」
二人の刑事が立神を連れ下ろし、手錠をかけた。
くれぐれも用心するんだ、と助言する森里さん。計五人の刑事がついてパトカーへ歩んでいく。あんな厳重に確保されたんじゃ〜あいつでも逃げられない。僕も世話になったことがある、訓練された警察関係者を相手に武器も持たないで対抗するのは不可能だ。
ざわめきが増えてくる。どこから湧いてきたのやら、野次馬が一帯を取り囲んでた。制服警官が警備員役になって防いでる。パトカーが何台もあってそこにワゴン車が突っこんで逮捕者が出たりと事態が大きくなってちゃ目立つのが当然だ。
ヤクザ連中が続々と捕まる姿は壮観だった。順次パトカーに押しこめられてる。銃を運んでた車も別働隊が逃亡を阻止したようだ、途中で列を抜けたせいでマークされてたんだろう。
最後に残った麗葉が車を降りた。彼女と森里さんが向かい合う。
こうなったらフォローしようがない。できるなら会わせたくなかった。しかしここで警察が介入したからこそ助かったんだ。任意同行か死か、どっちがいいかは決まってる。彼女ならなんとか切り抜けられるだろう。
え?
体が緊張で固まった。森里さんが手錠を出したんだ。
一枚の紙切れを提示した。
「銃刀法違反、および傷害の罪で逮捕する」
ハンカチを捲いた麗葉の右手に手錠がかけられた。夢を見てるような、不確かな光景だった。彼女と手錠がこうも似合わないもんだとは思わなかった。
僕は口をぽっかり開けたまま声が出てこない。唾を飲んで、ようやく言葉を紡ぐ。
「どういうことッスか。なんでこいつまで逮捕されるんですか」
「令状の通りだよ。銃の所持、その使用による傷害。まだまだ出てくると思ってるけどね、今回の名目はそんなところだよ」
「証拠は、あるんスか。ないのにこんなことしてるなら──」
スーツのポケットを出てきたのはビニール袋だった。小さな拳銃が入ってる。麗葉の母親の形見だった。なんで森里さんが……。
「先日の発砲事件で容疑濃厚ってことでね、家宅捜査させてもらったんだ。廃校で撃たれた容疑者の膝の皿から検出された弾丸と比佐香葉子が殺された現場で見つかった弾丸の線条痕が一致した。発射したのがこの銃なのは鑑識課のシバさんが確認済みだよ」
来るのに時間がかかったのはそのためだったんだ。
麗葉が立神に呼び出され、いない間に勝手に事務所を漁って、勝手に鑑識にかけて、勝手に逮捕。
「そんなのありかよ。警察だからってそんなことしていいのかよ。なんでもありか」
だんだん笑えてくる。
森里さんを見上げて襟首を掴んだ。
「立神が逮捕されるのは分かるけどよ。たまたま形見が拳銃で、それのなにが悪いんだよ」
「比佐は例のストーカーへ向けて発砲してる。立派な犯罪行為なんだよ」
「正当防衛に決まってんだろ!」
背広の生地を固く掴んで揺さぶる。でかい図体はほとんど動かなかった。
「男相手にこんなちんちくりんな女が勝てるわけないじゃんか! 知ってるか、あの男は合気道やってて俺だってボコボコにされたんだ。危険な奴なんだよ、ああしなきゃ殺されるかもしれなかった、あんただって分かるだろ、なぁっ森里さん」
肩に誰かの優しい手が置かれた。
草加部さんだった。
「もういいんだ、すまなかった。まさか強制捜索されるとは思わなかったんだ。私の責任だ」
「草加部さんが謝ることじゃないって」
そもそもああなったのは誰の責任だ。
本当は分かってる。僕は気づいてないふりをしてたんだ。
「麗葉は俺のために撃ってくれたんだ。俺を助けるために」
あそこで撃たなかったら明確な証拠はいまだなかった。敢えて発砲したんだ。
なんで撃ったかなんて問い詰めて麗葉が、君のためだった、なんて臭くて恩着せがましいことは言わない。
だから──
「だから!」
両手を差し出して頭を下げる。
「捕まえるなら俺を捕まえてください」
「それはできない、無理な願いだよ」
「こいつ、麗葉は、ちょっとぶっ飛んでるところあるけど、それは犯罪者になりたいわけじゃなくて、そういう教育受けてなかっただけっていうか、頭は俺より何倍もいい奴だからちょっと言えば分かると思うんス。今度なんかしたら牢屋でも五右衛門風呂でも入れて構わないんで、今回だけは俺の逮捕で見逃してください、お願いします」
頭上で呆れてる森里さんの顔が想像できる。僕はなんてみじめなんだ。
構うもんか。どんな方法でもいい、彼女が捕まらないようにするんだ。なにかないか、考えろ、考えろ、考えろ。立神のクソゲームをクリアーしてる僕ならなんか思いつくだろ。脳みそを雑巾みたいに絞り出せ。
そうだ。
顔を上げる。
「俺、ここにいるヤクザに雇われて色々汚いことやってきたんスよ。身辺洗ってくれればすぐ分かります、それなら逃すわけにはいかないでしょ」
「証拠はどこにあるんだい」
「そんなのそこらの奴に聞いてくださいよ。そうだ、いつもつるんでた奴らがいるんスけど、そいつらなら俺に罪かぶせてなんでも吐きますよ」
これでどうだ。なんせ確固たる事実だ、突破口になる。一つでも犯罪を犯してれば、残り全部も僕がやったことにすればいい。この銃の所持者も僕。ヤクザと繋がりがあるなら巡り巡って持つことになったと言ってもなんとか通る。通すんだ!
森里さんはゆっくりとまばたきをした。
「僕はそうは思わない」
「なっ!?」
なんで!
「その友達やヤクザが罪を重くしたり捕まるかもしれないリスクを抱えてまで素直に白状するとは思えないよ。そんな相原君を僕達警察が捕まえる権利はない」
なんでこうなるんだ。
捕まりたくないときは追ってくるのに、捕まりたいときには逃げていく。そんな不条理が許されていいのか。僕は法律違反をした、懲役を食らうようなことだ。でも逮捕はされない。おかしいだろ、どう考えたって。
なんのための警察だ、なんのための法律だ。ふざけんな。
憤りが唇を噛ませる。
怒っても脳が働いててくれた。
森里さんを殴れば公務執行妨害で現行犯逮捕だ。誤魔化されようがない罪だ。
拳を形作る。彼ものんびりしてるようで刑事だ、訓練を受けてる。上手く躱されて、またはぐらかされないように油断してるところを狙うしかない。
刑事が一人やってきた。立神をパトカーへ乗せた報告だ。森里さんが横へ向いた。
ここだ。一発でダメージが与えられるようパンチのスイングを大きくする。
発射しようとする直前に後ろ頭を叩かれた。
「馬鹿者、屁理屈にすらなっていないよ。私は捕まった、ただそれだけのことさ。君はいちいち大袈裟なのだ」
麗葉だった。
呆気にとられる。拍子抜けだ。悲観して絶望な心境にあるのかと思いきや、あっけらかんとして開き直ってる。
「いいのかよ。あんだけ捕まるのを嫌がってたのはお前だろ」
「草加部、あれを持ってきてくれたかい」
「おい、無視か。俺はあんたを心配してだな──」
草加部さんに手提げを渡される。なんだこれ、紙の束が入ってる。
「私の新作だよ。感想はちゃんと伝えてくれたまえよ、今回は自信作なのだ」
「そんなことよりもっと重要なことがあんだろ」
おおそうだった、とぽんと手を打った麗葉が森里さんのスーツを引っ張る。
「面会や手紙ぐらいは許されるのかね。そこははっきりしておかないと何年もあとに感想を聞くことになるからね」
手紙なら自由に構わないよ、と彼は応えた。麗葉は心底ほっとしたようで、にんまりと表情を崩す。
彼女を睨まずにはいられない。
「ふざけてる場合か。逮捕だぞ、逮捕なんだぞ。事態が分かってんのか」
「分かっていないのは君の方さ。法律を破れば捕まるのは至極当然の成り行きではないかね」
なにを言っているのだね君はハハハ、とでも言いたげな目だ。ド直球な正論に返す言葉がなくなってしまった。
なにも言えないでいると麗葉は草加部さんへ身を預けて胸に顔を埋めた。
「世話になった、ありがとう」
「帰りを待っているよ」
二人の姿は妙にマッチしていた。それはまるで──。
すぐに離れる。
「連れていってくれたまえ、森里刑事。時間は有限、大切にしなくてはいけないのだ」
彼女にコートがかけられた。野次馬が携帯を構えて写メールを撮ってるんだ。小さな背を押して森里さんが連行する。
待てよ。呟くも、二人はどんどん離れていく。
目一杯に息を吸った。
「待てよ! 理由を教えろ! 納得いかねぇよ! 警察嫌ってたんじゃねぇのかよ! どうしていまさら簡単に捕まるんだよ!」
上半身を捻ってこっちを見る麗葉。
戻ってきてくれるのかと思った。ここから大逆転するのかと思った。
違った。
「たまにはいいものさ。悪くない」
逃げる気が全然ない表情だった。むしろ憑き物が落ちた安らかなものになってる。そんな顔を見せられたら僕はどうしたらいいんだ。
「ああそうかよ、もう勝手にしろ。さっさと警察でも地獄でも行っちまえ。小説だって読んでやらないからな」
応答はない。
背筋を丸めてパトカーに乗る。
「絶対読まねぇからな! 分かったか、お化け女!」
言った瞬間、破裂音が辺りの空気を震撼させる。だいぶ聞き慣れてしまった音だ。
異変があったのは立神のいるパトカーだった。野次馬の一人が車内へ銃を向けてる。なんの不審さもない若者だ、誰も警戒してなかったんだ。窓ガラスに血の跡がべったり付着してる。
悠々と立神が出てきた。一拍遅れて周囲の刑事や私服警官が二人に銃を向ける。
立神荘士が笑う。
笑う。
盛大に笑う。
ボリュームがどんどん上げられる。狂喜の爆笑だった。僕と麗葉を一瞥して下を指差した。
「伏せろ」
死ぬぞ、と聞こえる。
野次馬全員がさっきまで写メールしてた携帯を構えてなかった。代わりに突き出したのは拳銃だ。ぐるりと周りを囲み、警察の何倍もの銃口を向ける。
僕が叫ぶ。しゃがめ。みんなに伝わったかは分からない。
無数の銃声で埋め尽くされてた。刑事がどんどん倒れてく。悲鳴と呻きが連鎖を重ねて死体を増やしていった。
火薬の匂いが鼻孔を突く。
静けさが戻ったとき、残ったのは僕や麗葉、草加部さんに森里さんを含めた幾ばくかの刑事だった。他は、地獄絵図だ。
手錠を外した立神がパトカーのボンネットに座ってた。背後に横並ぶ者達が誰か、一人一人は知らなくたって予想ができた。
これが、夢幻倶楽部。
「なかなか楽しめたぞ。ウルルンを仲間に入れ損ねはしたが、久しぶりにエキサイティングな日々だった」
「仲間は来てなかったんじゃないのか」
声が震えた。
「あの屋敷にはいなかった、だろう?」
そういうことか。あそこにいないから本当に誰も来てないと思いこんでしまった。道中を監視してたのも夢幻のメンバーだったんだ。隠密の尾行はお手の物ってことか。現にちょっと前までそれぞれ主婦や中高生、サラリーマンの服装が景色の一つになってて気づけなかった。
なんということを、と森里さんが倒れ伏す同僚を見渡す。どこから手をつけるべきか分からないかのようにあっちこっちを彷徨った。
立神を視野に入れて声を張る。
「貴様は、どこまで非情なんだ!」
リボルバーを抜いて奴へ向ける。
夢幻倶楽部の照準が森里さんへ一点集中した。それらを立神が下ろさせる。
「撃たせればいい」
森里さんは怯えてた。人差し指に力が込められるも、金縛りにでもあったように動けないでいる。
立神はボンネットの上で両腕を広げた。
「どうした森里刑事、撃つんだ。同僚を無差別に撃ったこんな奴を許してはいけない。そうだろう? 犯罪者が相手だからといって躊躇しているのか? 中途半端な正義感を抱くな、そんなものは偽善だ。諸悪の根源を撃て。いいんだ、撃っていい。殺せ、鉛玉を撃ちこんでやれ。できる、お前にはできる。俺を生かしておいたらまた同じようなことが全世界で起こるんだぞ。犠牲者を増やしていいのか。チャンスはいまだ、撃て、撃つんだ!」
早口な激昂に森里さんが嗚咽を漏らす。小刻みに揺れて狙いが定まってない。あれじゃ命中は難しい、完全に呑まれてしまってる。
「撃てないよなぁ、これだけの敵に囲まれてたら。自分が殺されると分かっているんだろう? 賢明だ、実に実に。それが正解、お前は間違っていない。むしろ誇らしく思え。これから死にゆく幾百幾千幾万の他人より、たった一つの自分の命の方が誰でも大事だ。それが人間だ。いい、すごくいい。銃を向けただけでもよくやった方だ、そこまでやれば正義感も充足している。俺はお前を認める、立派な刑事としてな」
そんなんじゃない、と発する森里さんの声は酷く弱々しかった。
あごが震えてかちかち鳴ってる。
「僕は、僕は自分の命なんか。それより一人でも多く助けるんだ。こんなこと、あっちゃいけない。平和を守るのが僕の使命だ。撃たないのは、お前みたいな人間でも一つの命だからだ。そうだ、そうだよ」
上擦って、より白々しくなった。
僕は彼側の人間で、いわば味方で、考え方も共感できる。でもいまの彼の本心が口を出たのと違うのは明白だった。建て前と本音。一理あっても、過半数以上が保身だ。そんな一理、嘘も同然。
見たくなかった姿だった。
「だから、その、僕はお前を、逮捕する」
覇気なく、一歩を踏み出す。
立神の斜め後ろにいたサラリーマンがその脚を撃った。
転がり叫ぶ。
「おめでとう、よくやった。そうしてほしかったんだろう? 自分だけ無傷で助かったのでは警視庁のみんなに顔向けできないよな」
違う違う違う、と連呼しながら脚を押さえてる。
滑稽だった。
「否定するな、受け入れろ。お前はその程度の男なんだ。普段どんなに美徳を持って立派に立ち振る舞っていても状況が状況なら逃げ──」
銃声が彼のしゃべりを遮った。
フロントガラスへ立神が倒れる。小さく爆ぜた右肩が出血してパトカーの白いボディーを汚した。
弾道を追った視線の先には麗葉がいる。傍で倒れてる刑事からくすねた銃を構えてた。
「黙れ、外道。君より森里刑事の方が何倍も真っ当だ。偽善でなにが悪い。君に正義が貫けるのかね」
今度は彼女に銃口が集まった。
「私にはできない」
銃を捨てる。
「本当は心臓を狙っていたのだ。撃ち抜けば即死、私にも死の報復が待っている。ほんの少しの迷いが狙いを誤らせた。私には正義を貫けない、私も偽善──いや、犯罪者とされる私は偽善未満だ。森里刑事のような偽善は人間において最善なのだと思う。純度ある正義はあらゆる矛盾を生む、いうなれば神にしか扱えない代物なのだよ」
肩を抱えて起きる立神が一笑した。
「確かにできないな、俺にも。人間に、それほどわりに合わないものはない」
撤収の準備だ、と声をかける。近くの男は、ですが、と狼狽した。ボスを撃った小娘を生かしちゃおけない。胸の内で復讐の火が轟々と燃え盛ってるに違いない。
どよめく連中を凜とした声が突き抜ける。
「立神様の命令が聞こえないの。だからあなた達はいつまで経ってもエミネントのままなのよ」
姿が見える前に上戸さんだと分かった。
「立神様、あちらにお車を待たせています。肩をお貸ししましょうか」
「いや、いい。俺はいま愉快なんだ。今日はいい日だった」
ボンネットを降りた立神が群衆に紛れて見えなくなる。ほぼ同時に夢幻倶楽部のメンバーがばらけて街へ溶けて消えていった。
彼はもういなかった。
残ったのは上戸さんだ。麗葉を鋭い目つきで見つめてる。
「いつか借りは返すわ」
「断る。それに、しばらく私は獄中暮らしなのだ」
「お似合いよ」
「ありがとう」
鼻で笑って向き直った上戸さん。
目が合った。
「生きて出てきたのね」
「ああ、約束を忘れないでくれよ」
彼女は、とぼけるふうにベロを出して踵を返した。返事がなくても僕は信じてる、きっと自首してくれる。
街の真の住人が通報したんだろう、応援のパトカーが駆けつけた。脱力してアスファルトに膝をつける。
遅いっての。
あるいは遅くて良かったのかもしれない。これ以上の死人を見るのは敵でも味方でも、もう勘弁してほしかった。
あと少しで完結です。
こんなところまで読んでくれている方がいるかどうか分かりませんが、
もうしばしお付き合いくださいm(_ _)m
次話更新予定は来週頃です。
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