■無敵のち雨
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少しでも上達したいので、なにか思うところがありましたらコメントをお願いします。
批評といった大層なものでなくとも構いません。
「ここのシーンが面白かった」や「ここがつまらなかった」など言ってもらえればありがたいです。
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出入り口で男が群がってる。初めは森里さんがついに辿り着いたんだと思った。輪郭や背丈、あらゆる面で一致しない。ワイシャツの胸元がざっくり開いた刑事が横行してたら管轄内はスラム街になる。
どう贔屓目に見たって堅気じゃなった。
知ってる顔が二、三ある。高橋と、かつての悪仲間二人だ。室内を埋め尽くした趣味の悪い装飾品を目の当たりにして怪訝そうにしてる。僕も同感だ。
チビデブとガリノッポが、それじゃこれで、と高橋へ告げた。奴らが僕を尾行して案内したんだ。去り際に視線が向いた。お前が悪いんだからな──そう訴えてるようだった。つけられてる感覚があったのは二人のせいだったんだ。二度と会うことはないだろう。
「気味のわりぃ屋敷だな、おい。こりゃ相原の家か」
高橋が入口の階段に腰掛けて周りへ首を巡らす。
「んなわけねぇか。そうすっと俺の指をへし折ってくれたそっちの優男。おめぇ、なにもんだ」
なんのリアクションも起こさないで立神は集団を視界に収めてた。
「シカトか。それともこの数を前にしてびびったか。そうだよなぁ、二十人相手に、三人、それも一人は薄汚い女ときてる。いくら腕が立っても敵うわけがねぇ」
おそらく麗葉についての言動に反応したんだ、立神がイスを離れる。即座に奴らのストップがかかった。おい、と高橋の一声に若い衆が全員拳銃を構える。ぽっかりと空いた銃口が向いてた。一つや二つは致命傷になる弾丸を浴びる軌道上にある。今日はこんなのばっかりだ、人生で一番の不幸な日だと断言しよう。
タバコを咥える高橋。近くの男がジッポで火を点けた。包帯を巻いてない方の手で摘まみ、一吸いして灰色の煙を吐く。
「三人とも並べ。武器も捨てろ、持ってんだろ。しらみ潰しに覗いた一室には腐るほどの銃器が眠ってたぞ」
立神はおとなしく従って僕と麗葉の間に来た。懐へ手をやる。僕にとっても脅威だった物だ、グロック17を外気に触れさせた。
「ゆっくり足下に置け、ゆっくりだ。ふざけた真似したら体重が三倍になると思え」
相手方も緊張をみなぎらせてる。ちょっとでも異変を察知したら一斉放射してくるつもりだ。
部下の一人にあごをしゃくってなにかを命じた。男が、はひぃっ、と裏返った返事をしてこっちに来る。見た中じゃ最もなよなよしてた、下っ端だ。
「おい、相原。優男の手を縛れ。加減するなよ、思いっきりだ」
男にロープを渡された。やれやれだ、こっちの趣味はないんだけども。しょうがなく立神の後ろへ回る。彼は無抵抗だった。それどころか協力的に手のひらを上にして差し出した。随分と潔い。僕にも命がかかってる、加減して結ぼうとは思わなかった。
なよなよ男が執拗に念入りなチェックをする。結び目へ力を加えて問題なしなのを確認。異常なしです、と報告した。
目の端でなにかが落ちるのを僕は知覚する。忠実に命令を実行した男は一歩前の位置にいて気づいてない。横にいる僕には分かった。立神の自由を封じてたロープがあっさり落ちたんだ。どんなマジックを使ったかは不明。
テーブルに突き立ててたナイフを取って男を羽交い締めにした。一秒もかからない素早さにヤクザ軍団が固まった。
違和感があった。これで形勢逆転だ、普通は人質をとられたら終わり。なのに彼らは大して動揺してなかった。ほくそ笑んでる者もいる。
画面が揺らいだ。僕の中で、だ。
来たんだ、久々に、この感じ、予知。
「まずい、撃たれる三人とも、いや四人だ」
ずきずきと痛む頭を押さえながら声を絞り出す。
「たぶんこの男、なんか失敗しやがったんだ。落とし前みたいなもんなんだろ。だから、なにをしでかすか分からないあんたに近づかせたんだ」
「なぜそんなことが分かる」
「細かい事情は分からないし、全然違うかもしれない。でも過去の経験からしていまのところは──」
高橋がタバコを前方へ弾いた。
「──百パーセント的中」
赤く小さな灯りが宙を回転して床を跳ねる。散って転がる火の粉。
発砲音が聞こえるより早く僕と麗葉が飛び退いた。無数の弾丸が床を爆裂させて追ってくる。全力疾走、棚の並びへ駆けこんだ。立神は盾にした男を突き飛ばして自分の銃を拾い、飛び込み前転。流れるような動きで立ち、奴らに発砲しながら同じ場所に避難してくる。
彼は男が穴だらけで絶命してるのを目視し、僕を不思議そうに見つめた。
「トランプ株ではいいところがなかったのに不思議な奴だ。どうだ、考え直して夢幻倶楽部に入らないか」
「丁重にお断りします」
銃声がやんで静寂した中、立神の喉を鳴らす笑いが響く。
ひとしきりのあと、さてどうするかな、と言った。
「どうするかって、ご自慢の味方がいるんだろ。騒ぎ聞きつけて来るんじゃないのか」
「一人もいない」
「はい?」
「邪魔をされたくなかったからな、この館には俺以外いない」
耳を疑う。
「逆に俺が仲間を引き連れて来たらどうするつもりだったんだよ」
「それはない、下手をすれば自分が危ういとお前は考えるだろう。人数は必要なかった。あのヤクザ屋が入ってきたときは推測が外れたとも思ったが、イヴが俺を助けるような言動をしたことからそうではないな」
別に助けたわけじゃない。咄嗟で麗葉に伝えるにはああするしかなかったんだ。しかし立神を殺すつもりなら聞こえるように言わなかった。結果的には同じか。
「多勢に無勢、それがあんたの武器でもあるんだろ。真逆じゃんかよ」
「まさか本当に復讐に来るとはな。想定してなかった展開だ」
「あんたみたいな奴でも考え足らずなときがあるんだな」
立神が眉を持ち上げる。
「なにか誤解しているな。俺を神様かなにかだとでも思っていたのか。分からないものは分からない、死ぬときは死ぬ。人間はどこまで行っても人間だ」
上戸さんも言ってた、彼は現実主義者だと。僕からすれば十二分にあんたは化物だ。口にも出そうと思い、やめておいた。軽口が叩けないほど気分が悪かったんだ。
車酔いをしたときに似てる。食道に塊がつっかえてる感覚だった。プラス頭痛。視界には薄ぼやけた膜が張って、まばたきをしても戻らない。
背後の棚から男が迫る映像が現実の景色と重なって現れる。
「後ろだ、来る」
立神が銃口を向けると同時にサングラスをした敵が出てきた。直面した本人はあんぐりと口を開けた。我に返って拳銃を構えようとしたって無駄だ。
発砲。左胸に赤い花を咲かせた。
ここにいたら危険だ。いくら予知ができても囲まれちゃ話にならない。
「切り抜ける方法がないわけではない。どう辿り着くべきか考えていた。おっと、棚には近寄るなよ」
あちこちで男の叫びがした。
「触れると五万ボルトの電圧が流れる仕組みになっている。即死は免れない」
にっと口を釣り上げる立神。ゲームを始める前の「触るなよ、ケガするぞ」の言葉を思い出した。短絡的な反抗をしなくて良かったと安堵する。油断も隙もあったもんじゃない。
これを使え、とごついナイフを渡された。周りの刀剣類が使えないとなると武器は立神の銃とこれのみになる。なんとも頼りなかった。
そういえば、もう一つある。
「あの小さい銃持ってきてんだろ」
麗葉の物だ。ないよりはいい。
「事務所に置いてきた」
「なんでこんなときに限って携帯してないんだよ、大事な銃なんだろ」
きつめにあたる僕に、彼女は口をつぐんだ。
言って気づく。使わせないようにしたのは僕自身だ。
空気を読んでか、右手を掲げてみせた。
「どちらにしろこれではあの重いトリガーは引けないさ」
ハンカチに隠れ切れてない皮膚が赤く腫れてる。見るからに痛々しかった。トランプゲームならまだしも、運動には向かない。
「引かなくていい。今後一切、銃は使うな、人を撃つな。あんなもんなくても俺と違って頭いいんだ、どうとでもなるだろ」
現実をぼやいたって未来への道は切り開けない。状況が状況だ、僕が一番本領発揮できる。彼女に貸しを作っておくのもいい。
立神にもだ。
「なにか脱出方法があるなら協力するぜ」
「初めからそのつもりだ」
さいですか。
どうやらこいつには貸し借りなしでいた方が良さそうだ。どんなに細い要素でも繋がってたくない。用が済んだらおさらばしてやる。高橋は共通の敵、一時的な協同戦線だ。少なくとも立神には即殺害されることはないし、館の構造を熟知してるのは彼だ。
まだ古傷の痛みの中で蠢く感覚がある。脳みそを直に指圧されてるみたいだ。僕は絶好調らしい。
立神が一方を指差した。
「角にあたる場所に管理室がある。そこまで辿り着ければどうにかなる。出入り口付近側にあるのがネックだな。何人かが張っているだろう。それにいくら広くとも途中で出くわす確率は高い」
「そこで俺の力か」
彼は首肯する。
視界が重複した。半透明な景色には棚の上で見下ろすヤクザの姿。
「上だっ!」
即座に立神は腕を動かした。ジャストで顔を覗かせたところだ。銃口をぴたりと押しつける。見開かれる目。眉間に斑点が穿たれる。
過剰防衛だろうか。いいや、もはや現実の物差しの外だ。綺麗事を言って助かるなら苦労しない。ファンタジー世界に迷いこんだらそのルールにのっとるんだ。それが生き残る道。
「中央突破するのが最も近いが、向こう岸の棚に辿り着くまでに蜂の巣だ」
確かに。テーブルを置いた広場のような空間は隙だらけになる。予知しても弾丸を避けるのは肉体的に間に合わない。急がば回れだ。
立神のあとについて壁沿いに迂回する。これなら右手側に注意をしなくていい、とは彼の言葉。
角を一度曲がり、順調に進んでいく。突き当たりが遠すぎだ、余裕で短距離走のタイムを計れる。一般家庭のリビングならこうはならない。それはそれでパニックになるけど。
棚の切れ目で止まる。全部連なって並べられてるわけじゃなかった。間隔は二人が手を繋いで通れるぐらいになってる。それがだいたい十メートルおきにあるんだ。ここを通るときは入口側へ直線に視界が開けてしまう。
僕が予知する。映像浮かばず。Go。
半透明な映像が後ろを振り向いてる。未来の僕が物音かなんかで首を巡らせたんだ。だいたい予想がつく。
「後ろっ!」
麗葉と一緒にしゃがむ。発砲。短く呻いて倒れる男。進む。
「前!」「上!」「Go!」「左!」
僕の端折った指示に立神は的確に動いた。着実に敵は減ってきてる。拳銃一丁でヤクザ集団と対等になれるのはまんざら僕一人のおかげでもない。実際、すごい奴なんだ。
身体能力、勘、運、どれもがずば抜けてる。一時的な協力関係になって初めて肌で感じた。仲間としては最強で頼りになる人間だ。一人でも九割以上の敵は傷を負わずに倒せるだろう。予測の隙間を突いた一割未満を埋めるのが僕。
正に無敵。
万能感に満たされるのを払い落とす。これはファンタジー世界でのこと。現実に戻ればほとんど役に立たない。銃の扱い方や殺人術など覚えてたって邪魔だ。
直線上に管理室がはっきり見えてくる。コンクリ質でドアが一枚ある小屋だ。レトロな派出所みたいだった。
「なぁ、あそこになにがあんだ」
「強力な武器だ。全員を一掃できる、な」
もったいぶるなよ、とぼやこうとする僕の耳にくぐもった声が聞こえた。ヤクザのものだ。リアルタイムな発声じゃなかった。ノイズ混じりで音割れしながら鼓膜を揺らす。音声の予知だ。
耳を凝らすと、せーの、と言ってるのが分かった。金属のぶつかり合う音。視界にも変化が現れた。棚が揺れてる。
いま僕らは一つの棚の半ばにいた。
「走れ!」
立神と麗葉の行動は早い。僕の様子で感づき、準備をしてたんだ。
せーの、と聞こえる。予知の時点で見えた景色よりは先に行ってた。間に合うかは微妙だ。刀剣がざわめいて覆い被さってくる。
跳ぶ。
ヘッドスライディングして床に鼻面をぶつけた。後方で重々しいのと高くやかましいのがアンサンブルを派手に奏でる。
上手い具合に受け身して体勢を整えた立神と麗葉に遅れて僕も立った。ヤクザ数人が革靴を手に装着してた、電圧を食らわなくて済む簡易防護品だ。敵は触れられないからと棚が倒されるのを思考の外に追いやってたら盲点になってた。
逃げ道を先読みされたらしい。
高橋はタバコをぷっと吹いて床に落とすと踏みつけた。
「あの部屋に向かってたんだろ? 裏口でもあんのかと思ったが、なんてことはねぇ。おい」
部下の一人がサブマシンガンを持ってきて渡した。ゲームや映画によく登場する銃とそっくりだった。
「こんなもん使おうとしてたとはなぁ。これがあれば俺らにも負けねぇわな」
部屋の中で見つけてきたんだ。奥の手を奪われた形だった。
眼球の濁った膜と頭痛が強くなった。
マシンガンがスローモーションで火を放ってる。立神が二発撃ち返した。倒れるのは二人だ。他の連中に撃ち返される。僕、麗葉、立神が死のダンスを踊ってる。
対処は? 不可。
隠れられるところはない、どこに逃げたって狙い撃ちにされる。
「ますます優男の正体が気になるところだが、もうどうでもいい。死ぬ奴のことなんか誰も気にしねぇからな」
死ね、と無情な一言。トリガーが引かれようとしてる。
違う、逃げ場がないと思うな。予知とは別の動作をすることに意義がある。棒立ち、それこそ予知通りになってしまう!
咄嗟にナイフを投げた。日常でそんな経験や訓練も積んでない、群れの中を狙ったつもりが誰にも当たらなかった。
十分だ。
立神が発砲した。マシンガンの銃身に当たって弾く。反動で三発ほどを上空へ連射した高橋が倒れた。駆け寄る部下。
だけどこれでどうなるってんだ。奴らがマシンガンを持ったおかげで悠長にしてて反撃してくるのが遅れてるんだとしても、目的の物は向こうにあるんだ。こっちに対抗手段はない。
行くぞ、と構わず立神が言った。
「行くぞって、マシンガンはあいつらが」
「いいから来い」
銃が向けられ始める。駆け出す彼を半信半疑で追いかけるしかなかった。
足元に無数の穴が空いていく。すぐ横を高速の塊が飛んでいく。弾丸が腕を掠る。必死なおかげであまり痛みはない。致命傷さえ負わなければいい。
到着。狭く開いたドアの中へ無理からに体をねじこんだ。閉め際、いくつもの鉄の塊が当たって弾ける震動がした。鉄製のドアで助かった。ロックをかけて一安心。次々に銃弾が跳ね返ってる。
近距離でドアノブを撃たれちゃおしまいだ、のんびりはしてられない。
狭い部屋だった。物置に使ってるんだろうか、スパナなどの工具に鉄くずや木材が放置されてる。物という物がホコリをかぶってた。あとは壁に面した機械がモーター音を発してて、なんにもない。
出口も窓もなかった。
「おい、どうすんだよ。ここにいたってジリ貧だぞ。第一、希望のマシンガン奪われちゃどうしようもないじゃんか」
「勘違いするな、あれは俺のコレクションだ。それよりもっと素晴らしい物がある」
中途半端にかかった分厚い布のシートをどけると多くのメーターやらボタンやらが付いてた。電圧に関係するらしい注意書きのラベルも貼ってある。ここで電気を供給してるんだ。
立神は雑多に載っかった図面とペンを払い除いた。プラスチックの蓋がされた赤いボタンがある。それを見たとき、なんとなく察してしまった。
ここは屋根がある場所だ。逃げこむのが同時に武器となる。
プラスチックカバーが外された。
「押すか?」
「丁重に遠慮します。どうぞどうぞ」
「そうか、ではお言葉に甘えよう」
ボタンが押しこめられた。
頭上の方でタガが外れたような響きがした。室内なのに雨の降る音が一斉にやってくる。どしゃぶり級だ。煌めきを伴った線条の雫に視覚を奪われる光景が目に浮かぶ。その中に混ざる絶叫。
改めてとんでもない奴を敵に回してたんだと自覚する。武力で立ち向かうなんてもってのほかだ。トランプゲーム最高。
間もなくして雨はやんだ。ドアに耳を当てても気配はなかった。
ノブを回す。
「俺と麗葉が反抗するようなら、この仕掛けで殺すつもりだったのか?」
「そんなに深い意味はない、効率の問題だ。天井に吊した物は片付けでまた一つ一つ取るのが面倒だろう? 一遍に落として拾い集める方が楽でいい」
辺りを刀剣類が埋め尽くしてた。こんもりした刃の山中には倒れるヤクザが折り重なってるんだろう。照明が当たって銀色に輝く姿は芸術的でもある。
「気分が悪くなるな」
「予知かね」
猫背にうなだれる僕を麗葉が覗きこむようにする。否定した。色々ありすぎたんだ。彼女と会い、何度の出血や死体を目撃したことか。
足元にある刀身の幅広い剣に青白くなった自分の顔が映ってる。酷く疲れてるのがありありと浮かんでた。これじゃ女のコにはモテそうにない。
そのすぐ脇でなにかが動いた。麗葉でも立神でもない人間の腕だ。体は刀剣の下敷きになってる。あらゆる角度で反射した光景がこんなところにまで届いたんだ。生きてる、その手には拳銃が握られてた。
誰かを狙ってる。
「麗葉っ!」
彼女を突き飛ばした拍子に弾丸が轟きとともに飛来した。衝撃が体を抜けてきりもみ回転する。二の腕に火傷しそうな熱を感じた。床に伏す。
応酬してるのは立神だ。射撃の方向で位置を掴んだんだ。僕が膝立ちになる頃には敵は絶命したようだった。
麗葉が深刻な表情をして寄ってくる。大丈夫だよ、と心配させないように言った。腕を少し深めに掠っただけだ、神経や骨には達してない。僕のシャツの袖をめくって傷を調べる彼女が胸を撫で下ろした。
「死ぬなら新作を読んでからにしてくれたまえ」
そこですか。大事に至らず良かったとかもっと体をいたわる気持ちで心配してくれてもいいと思うんですよ、麗葉さん。もしもーし。
近くにあった小型のナイフでシャツの肩口に切れ目を入れ始めた。僕の長袖シャツに、だ。破いて傷口に巻きつけてくれる。片腕に鳥肌が立った。いきなり半袖になるにはまだ早い季節だ。細かいツッコミを入れる気力はない。
批評を聞きたくて僕を生かしておきたいってんなら、それでもいい。どんな動機であれ、必要としてくれる人間がいるってのはいいもんだ。反対に自分自身も彼女を必要としてるのかもしれなかった。
頭によぎったことがある。
「早くここを出よう。警察がもうすぐここに来る」
「どういうことだね」
たまたま近くにいて良かった、立神に聞かれずに小声で説明できる。彼女は応急処置を手間取ってる演技をした。
「三十分はとうに過ぎているよ、来ないのではないかね」
「立神を知ってる慎重な森里さんが簡単にドジるとは思えない、なんか理由があるんだろ。とにかく、一秒でも迅速にここは出た方がいい」
ふむ、と考える麗葉は、そうするかね、と言って仕上げに僕の腕を叩いた。声にならない声を上げて苦悶してしまう。スーパーベビーは鬼の子だ。
「ご覧の通り、どうやら伊吹の傷は予想以上に酷いようなのだ、帰ってもいいかね」
おでこにも皺を寄せてぷるぷると痛がるこっちを立神が見てくる。なるほど、そういう作戦だったんだ。僕の素振りは天然のリアルなリアクションだ、嘘をついてるとは見抜かれない。それにしたって他に方法はなかったのか。血も大量に滲んできてる、本気と書いてマジで痛い。
「この状態では続行とはいかないしな」
片付けるのに数日を費やしそうな辺りを彼が見渡す。
任務完了。内心で気が緩む。
「忘れるなよ、ウルルン。勝負はついていないんだ、必ず我が同胞へ引き入れる」
それと、と今度は僕に視線を合わせた。心臓が一瞬止まる。ヘビに睨まれたカエル状態だった。
すぐに麗葉が間に入って遮る。
「伊吹にはもう接触しないと約束したのは君なのだ」
「どうしてもか」
「どうしてもさ」
「そこをなんとかならないか。実に興味深い材料なんだ」
「私との決着に終止符を打ちたいならばそうしたまえ。むろん、君の不戦敗で」
「そう来られると弱いな、参った」
冗談半分、本気半分だったんだろう。
肩を竦めて彼が扉へ促す。
「さぁ玄関まで送ろう。館に慣れない客人は表に出られないかもしれないからな」
迷路になった廊下を歩いた。多少は覚えてると思ったけど、行きと帰りじゃ通路の雰囲気が変わってる。一日かけたって外には出られないと言いたくなるのは大袈裟じゃなかった。
まずいのは警察が踏みこんで出くわしたときだ。麗葉が相当に怪しまれてるのは確かだし、捕まって叩かれるとボロが出る。奥の部屋で遺体がいくつも発見されるのも悪い要素になるだろう、重要参考人として連行されかねない。警察にとってはつれていく理由なんてなんでもいいんだ。この際、徹底的に遅れてほしかった。
両開きの扉が立ちはだかる。振り返ると初めに見た光景だった。無事に玄関へ来れたんだ。立神が通路の端に逸れて僕達を優先する。
扉に手をかけ、予知じゃなくてただの予感がした。警察が待ち構えてるなんてことがあるんだろうか。いま正に突入の準備をしてたらどうする。高貴なおもむきのある金色のノブが重かった。
立神は不審に思ったらしい。そりゃそうだ、晴れてクソゲームを解放されるってのに外へ出ない理由はない。
「どうした、もう一ゲームしたくなったか」
「いや、帰る、帰るに決まってる」
勇気を出して扉へ体重をかけていった。蝶つがいが軋むのが手にも伝わった。傾きかけた日が眩しくて視覚を無にする。
唖然としてしまった。ある意味で予感は的中してたんだ。
そこには待ち構える姿が無数に存在した。
一人相撲をしてる気がする今日この頃(´_`)
次話更新予定は来週頃です。
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