■エキセントリックワールド(2)
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奴が刃を開閉させてしゃきしゃき鳴らしてる。あれれーいきなりそんなことになっちゃうんですかそうですかー。目的のためなら人刺すのもいとわないんですね、と。
こうなったら一か八かだった。攻撃の瞬間に切り傷覚悟で蹴りをぶちこむ。上手くいけばハサミも手に入る。よし、それでいこう。
だんだんと凶器が迫ってきた。どこを狙ってくるんだろう、目玉か、首か、腹か、はたまた心臓か。判断を誤ると即死できる。
悩む僕を尻目に彼はいきなり腕を掴んできた。予想外だ。確かに左手首には動脈があり、急所の一つではあるが、そんな地味な局部に来るとは思ってもなかった。こいつの性格上、絶対に感情任せのめった刺しがお似合いだ。意外にも冷静。
黙ってやられてたまるかと腕を揺らすと途端に力が解放された。勢い余って壁際を離れて転んでしまう。短く切断されたビニール紐が静電気で服にくっついた。
ハサミがホコリっぽい床に捨てられて跳ねる。どういう気まぐれだ、変態の考えることは分からない。綾木を背に庇って体勢を整える。
「麻由たんは僕がこいつに勝てないとか言ってたね。勝った方が麻由たんを自分の物にできるってわけだ。お姫様に相応しい勇者は強くないとね。分かる、分かるよ麻由たん」
話しかけられた綾木は完全についていけてなくて放心してる。分かる、分かるよ綾木。こいつは社会に生かしておいちゃいけない。自分がやられた分、綾木が叩かれた分、万倍にして返してやる。
手足が自由になればこっちのもんだ。激しい妄想癖のある奴で助かった、自分が強いとでも思いこんでるんだ。贔屓目に見ても貧弱で骨に皮が張ったみたいな体つき。対する僕は皮肉にも汚い過去の経験でケンカ慣れしてる。さっさと終わらせて、警察につきだして終わり。
「相原伊吹。麻由たんに寄生する害虫め、ルームシェアなんて図々しいにもほどがある」
ストーカーがハサミを拾って襲いかかってくるでもなく新たな凶器を持つでもなく素手で体育館の中央へ移動する。
すぐにその紐解いてやるからな、とハの字眉の綾木の頭を軽く叩いて僕はついていった。
いったい害虫はどっちやら、駆除されるのはお前の方だ。ふと立ち止まる。いま奴が発した言葉に引っかかりがあった。
「なんでルームシェアなんて知ってるんだ」
彼女と親しくして家を出入りしてるのを目撃してただけじゃ、ルームシェアなんて特別な言葉は使わないんだ。男女が一緒に住んでるってなったら「同棲」と普通は言う。表面的には事実そうであり、ルームシェアか同棲かは当人らの線引きによる。
「麻由たんのことならなんでも知ってるよ。僕は彼女の一番近くにいるのさ、会話も一言一句暗記してる」
胸を反らせて笑った。どうだ参ったか、と鼻息が荒くなってる。なんの自慢にもならない不気味なことなのを自覚できないとは罪だ。
盗聴してるのは間違いない。いったいどこで? 家に入られた形跡はない。郵便物は念入りにチェックしてるし、立神警戒で鍵周りにこじ開けたような怪しい傷跡なんかがないかとそれとなく見てる。
一番近く……。
踵を返して綾木の傍へしゃがむ。彼女の荷物があった。鞄にはいくつかキーホルダーが付いてる。目立つのはやや大きく細長いヌイグルミがぶら下がった物だ。ネズミだかなんだか分からないキャラクターだった。一度紛失したというチュー太だ。
「先輩、どうかしたんですかぁ」
「やられたよ、綾木。ずっとあんな奴に覗かれてたんだ、プライベートを」
綿に混ざってお尻部分に硬い感触があった。それほど大きくはない、注意しなくちゃ気づかない程度のサイズだった。ごめん、と断って縫い目を破く。簡単に糸が切れたのは一度開いたあとに手縫いしたからだ。粗い仕事だった。こんなことにも気づかなかった自分が憎い。
本体らしき黒い長方形のケースにケーブルが繋がって先端にはマイクらしき装置があった。足元で踏みつける。
血液はすっかり末端へ冷え落ちていった。テレビでは盗聴器に関連した番組を見かけるも、本当にこんな人間がいるなんて信じられない。なんなんだこいつは、なにがしたいんだ。なんでそんなふうなんだ。
合図は必要ない。ふざけた顔面目掛けて殴りかかるのみ。助走も相まって我ながら最高の一撃だった。おまけに相手は棒立ちだ。
接触の瞬間、なぜか向こうにいる綾木が宙で逆さに舞ってた。攻撃された? それにしたって距離がある、超能力でも使ったんだろうか。そんな馬鹿な。
違う、これは彼女が吹っ飛ばされたんじゃない、僕が投げ飛ばされたんだ。なにをどうやってこうなったのか考える間はなかった。背中から床に叩きつけられる。油断した、こいつなにかやってる。
咳きこんでしまいそうなのを抑え、立ち様に身を翻す。強烈な回し蹴りが二の腕に当たる。手応えならぬ足応えがない。当たったものの、それは触れた程度の威力だ。軸になってた左足があっさりすくわれ、尾てい骨をしたたかに打ちつける。ついでにコブのある後頭部も床にぶつかった。泣きそうだ。
追い討ちを警戒して転がり、即座に体勢を戻す。敵は前歯を剥き出しにして眼鏡をくいっと直した。ひぃっひぃっと引き笑いをしてる。
「どうだい、僕の合気道の味は。外見で判断するなよ」
左右の手をラフに突き出して男が見慣れない構えをした。なるほど、格闘技をやってるなら妙な強さも肯ける。
だからどうした。こいつに立神のような恐怖を感じない。それどころか銀行強盗の緊迫感にすら遠く及ばない。命を賭けてるんじゃないんだ。臆することなどなにもない。
間合いを詰めてジャブを放つ。舐め腐って大振りに片付けようとしたのがいけないんだ。相手がただの素人じゃないならそれ相応のやり方ってもんがある。
隙のない細かい連打だ。案の定、向こうは防戦一方で後退しながら捌くのみ。合気道とは相手の重心の流れを読み取って受け流す技だ。ゆえに圧倒的な素早さと力をもってすれば防ぎようがない。女を平気で平手打ちするクズには負けられなかった。
フェイントも混ぜてやる。時には重く、時には速いだけのパンチを織り交ぜる。さっきの余裕は相手にない。身のこなしは良くても紙一重だ。どんどん追い詰めていき、綾木のいる壁際に近づく。そこまで行けばこっちのもの、逃げ場はない。
後ろを気にした奴の頬に拳が掠った。ここでフィニッシュだ。一際に力を込めたストレートを発射する。
歯茎を見せて笑む横顔が見えた。次には腕を捻られて体が反転、背中を見せてしまってた。力んだ一発を待ってたんだ、全て読まれてた。思ったより強い。後ろを蹴られる。前のめりに倒れかかった。膝に無理を言わせてブレーキをかける。
有利になれる状況は変わらない、今度こそむかつく出っ歯に拳を打ちこんでやる。
振り返る僕に特攻を躊躇させたのは奴がバットを構えてたからだ。ちょうど振り下ろされるところだった。
綾木の叫び。
反射的に身を反らす。直撃を寸前で免れたが、こめかみに当たって立っていられなくなった。片膝をつき、バットを捨てる男へ憎悪のたっぷりこもった双眸を向ける。頬を生温かいものが伝った。床で赤い雫が弾けて模様を作る。
「てめぇ、きたねぇぞ」
足があごを捉えた。容赦のない攻撃だ。体が思うように動かなくて回避は無理だった。脳がシェイクされて倒れる。高く暗い天井が回転したり縦横無尽に揺れたりした。また後頭部を打った。もはや漫画みたいなコブになってそうだ。
「汚い? 戦いに汚いもなにもないだろ。調子に乗ってバットを置いた場所まで退かせたお前が悪い。もっと頭を使えよ、頭をさ」
こっちが優勢なようで逆転するのは全て計算されてたんだ。油断に次ぐ油断だった。理屈では分かってても無意識でそこまでじゃないだろうと侮ってしまう。勝てるに決まってるという深層心理があった。無様な失態だ。
腹を蹴られた。抵抗するエネルギーが余ってない。目眩がする、意識を失いかける、視界がぼやけた。僕がこんな奴に負ける? やっぱり信じられない。こんな汚くて卑劣な変態野郎に負けたら心の奥で大事にしてる最低限の人間としての正しさを壊されてしまう。そんなことは絶対にあっちゃいけないんだ。僕が間違ってなきゃ勝てる。ここで立ち向かわなくてどうする、綾木がなにされるか分かったもんじゃない。
身を捻り、四つん這いになる。腕がぷるぷる震えた。歯を食い縛って崩れ落ちるのを阻止する。
またあのむかつく笑いが聞こえた。
「産まれたての子鹿か。滑稽だねぇ、惨めだねぇ、醜いねぇ」
うるさいよ、出っ歯。けちょんけちょんにしてやるからちょっと待ってろ。
さて、どう立とう。初めに右足を立ててしゃがんで、そこから思い切って踏ん張ればなんとかなるか。深呼吸をする。いっせーのっせ、でいこう。タイミングが外れると潰れてしまう。いっせーの──
「さっさとくたばれ!」
またも腹部に蹴りがめりこんだ。筋肉も緩んでて水袋を打つ心地良い音が響く。気分は最悪だ。仰向けに転がってふりだしに戻る。こめかみへのダメージが大きすぎた。体に力が入らない。指を曲げるのさえスローモーションだ。僕は負けるのか。
あれ?
こんなにもピンチなのに例の能力が発動しなかった。逆に言えば、発動するまでもない、てことだ。なんだ、それならやれるじゃないか。
僕はゆっくりと体を起こした。
「馬鹿か、お前。立ち上がってなにができるんだよ。足元もおぼつかないし、なにしてんだ。そのまま寝てりゃいいだろ、なに考えてんだ」
口を利いてやるつもりはなかったし、声を生む力もなかった。全身が怠い。歩くのが億劫だ。靴底を引きずって一歩を踏み出す。そうしてまた一歩。一歩。
なぜかストーカーは向かってこない。しかも退いてる。勘弁してほしい、こっちは体力が続かないんだ。自滅させる作戦に出たのか。来い、かかって来い。渾身のパンチをお見舞いしてやる。
目に映った男の姿が分身した。最悪の体調だ、膝に手をついて一旦休憩。対面する奴の方も止まった。僕は、呼吸を繰り返しながらじっと見つめる。
「不気味なんだよ、死に損ないが!」
待ってたぞ。
繰り出された拳を受け止める。くたばれ、ストーカー。
全身に残った力を右ストレートに注いだ。このあと気絶したって構わない。一発だ、一発を食らわせて二度とこんなことができないよう腹一杯にさせてやるんだ。
ひっと悲鳴する男。こうなったらもう遅い、逃がさない。勝つのは僕だ。
命中。全力の制裁は頬肉を歪ませた。
「へは?」
倒れなかった。よろめきもしなかった。別に相手に根性があるわけじゃない。僕はひたすらに愕然とした。たかがバットに殴られてここまで衰弱するなんて。バランスが崩れて不覚にもストーカーに掴みかかる。鬱陶しそうに転倒させられた。
「ふ、ふざけんなよ。びびらせやがって、このっこのっこのっ!」
めちゃくちゃに踏みつけられた。頭を庇うので精一杯だ、なんとも情けない。綾木が見てる。格好悪いったらありゃしなかった。後輩の女のコ一人として守れないのか。
そんなのは嫌だ。
足首にしがみついた。転びそうになったストーカーが、悪足掻きしやがって、と改めて執拗に踏みつけてくる。コブがいくつ増えようと離すもんか。漫画コブ上等だ。笑え、盛大に笑え、彼女を守れるならどんなに笑われたっていい。こうしてればきっと森里さんが来てくれる。他人任せと言われようと、それはきっと僕の勝ちだ。情けなくたって無様だって格好悪くたっていい。守ったら勝ちだ、それでいい。
「ひひひいひい、もういいや。お前死んじゃえ、死んじゃえよ」
強烈な足裏が頭部を押して床に額がぶつかった。一回ずつ力を溜めた足が降ってくる。ごん、ごん、と鈍く響き渡った。これなら意識を保ってられる。ゆっくり待とう、助けを。
攻撃の雨をやませたのは綾木だった。
「もうやめてよっ。本当に死んじゃうでしょ、馬鹿っ!」
擦り切れて裏返った絶叫だった。
「私が一緒に行けばいいんでしょ。だから、伊吹先輩に酷いことしないで」
「僕を選ぶんだね、麻由たん」
いやらしい笑みに綾木は黙りこんだ。
ストーカーの脚がすっと動く。ローキックが僕のみぞおちに突き刺さる。知らずのうちに咳が出た。重いダメージが胸を中心に浸食してく。
「僕を選ぶんだよね、麻由たん」
言うな、綾木。こんな奴に建て前でもそんなこと言うな。言葉にしたら終わりだ。心底で思ってなくても、言葉にした途端にそれは力を持つ。言っちゃいけないんだ。
「私は──」
声が震えてた。
「──あなたを──」
彼女も文芸部だった、未熟だけど一番熱心だった。言葉の重みは誰よりも心得てる。
「──私は、あなたを──」
「それは聞いたよ。僕を選ぶのか選ばないのか、はっきり言ってごらんよ」
綾木がこっちを見た。泣きそうな表情だ。僕は首を振った。
目をつぶり、彼女は息を吸いこむ。
やめろ、言うな。言うな、綾木!
必死の訴えも虚しく声は紡がれた。
「私は、あなたを、選──」
そのときだ。閉じた鉄の扉がゆっくりとスライドした。いったい誰だ、ギリギリセーフで森里さんが来てくれたのか。西日が逆光になって視覚が機能しない。森里さんにしては小さな影が入ってきた。
ちょっぴり猫背と目元を隠す長い黒髪の少女を僕は知ってる。
「なんであんたがここに」
「なに、簡単なことさ。森里刑事から連絡が入ってね、心当たりはないかと訊かれたのだ。私は分からないと応えたのだが、君の通り道で潰れた学校はここぐらいしかないからね」
自信満々な物言いはちっとも変わってない。どこからどう見ても比佐麗葉だった。
「俺が訊いてんのはそんなことじゃない。だって、あんたは俺に会いたくないみたいなこと言ってたろ」
「うむ、会わないのが望ましい」
「じゃあ、なんで来たんだよ。だいたいあんたがな、ストーカー調査を真面目にやらないからいけないんだぞ。誰のせいでこんな状況になったと思ってんだよ」
「すまない。早とちりをしてしまったのだ」
二の句が継げなくなる。会わないのがいいのにここに来る理由はいったいなんだ。尻拭いのつもりか。しかしあの時点での彼女の推理は的確だった。責任を感じ、わざわざ助けに来る動機にはならない。
僕を心配してくれたんだろうか。そうだとしたら会わないなんて言わない。矛盾ばっかりで、なにを考えてんのか分からなかった。
あんたは立神みたいに殺人を平気でやる犯罪者なのか、それとも全部が誤解なのか。態度からは一切感じ取れなかった。
ストーカーが麗葉を見て苦笑いをする。
「警察かと思えば、ブサイクなお化け女か。女を捨てたような女ほど醜いものはないな」
「安心したまえ、私もストーカーなど眼中にない」
眉間に皺を寄せる男が彼女へ足を向けた。
「気をつけろ、麗葉。そいつは合気道を使うぞ」
助言を聞いてるんだか聞いてないんだか、悠然と怖じけず歩みを進めてる。なにか策があるのかもしれない。実はすごい武術を体得してたり。上戸さんとの対決が劣勢だったのは用意なく武器で攻撃されたからと言える。
弱気を一切見せない麗葉に男は一定距離を保って止まった。
「どうした、合気道は受け専門なのかね」
煽りには応えないで構えてる。無防備に近づいてくるのは異様だった。奴はこう思ってるはずだ。こんな隙だらけの女に負けるわけがない、しかしなにか企んでたらどうする、ここは一打を無難に受けて様子見だ、と。なにごとも焦って失敗するのはありがちだ、賢明な判断だった。
「応答なしは肯定と受け取ろう。ではこちらから攻撃させてもらうよ」
素早く間合いに入りこみ、パンチが繰り出される。ストーカーは防御できずに腹で受けた。
ただそれだけだった。その場の全員が唖然とする。全くもって腰の入ってない拳なんだ。言うなれば、へなちょこパンチ。容姿に比例したものだった。
手首が掴まれた。拍子抜けした様子の男が片眉を痙攣させてる。警戒した自分にも怒りが湧いてるんだ、顔は真っ赤になってた。
「どいつもこいつも舐めやがって。だから嫌いなんだ人間なんて、見かけで判断して、見下して、一人じゃなんもできねぇくせに、寄ってたかってつっかかってきて」
他にもぶつぶつ言ってた。
彼は体を回転させる。軽々と投げ飛ばされる麗葉が苦痛に表情を歪めた。その拍子にポケットを重々しくなにかが落ちた。形見の銃のオモチャだ。拾おうとするも、腰を打ったせいで上手く腕を伸ばせてない。先回りしたストーカーに取られてしまった。
「よくできてんなぁ、このモデルガン。マニアに売ったら高く売れそうだぜ」
「モデルガンではない、本物さ」
妙なハッタリだった。例え本物だとして本物だと明かすメリットはどこにもない。下手をすれば銃で脅されてジ・エンドだ。逆にオモチャなんだとしても嘘をついたところで有利にはならない。麗葉のことだ、意味もなくそんな発言はしないだろう。なにかあるんだ。逆転するに足るなにかが。だけどなんでだろう、胸騒ぎがする。
「へぇ、じゃあ撃ってやるよ」
奴も冗談だと思ってるんだろう、面白半分なノリでトリガーを引こうとしてる。指の腹が圧迫されて白くなった。徐々に力が込められてる。銃口は完全に麗葉をロックオンしてる。いまにも弾丸が射出されそうで見てるのが嫌だった。
麗葉は微動だにしなかった。銃が本物ならいくらなんでも逃げる。こんな状況でなにもしないのは得策じゃない。
おかしいのは男の方もだ。グリップを握る腕が小刻みに震えてる。眉間の皺が激しく山になり、顔はますます赤くなった。恐くて撃てない感じじゃなかった。
「どうした、撃ちたまえ。それはハイスタンダードデリンジャーといってダブルアクション式だ。安全装置はついていない、トリガーを引くだけで発砲できるのだ」
嘘はついてない、銃はシンプルな構造で僕が見たときには安全装置らしき物はなかった。
撃てない。
腕に筋や血管を浮かせてぶるぶるしてる。
「壊れてんじゃねぇかよっ、騙しやがって。モデルガンとしても価値なしだ!」
馬鹿らしくなったんだろう、唾を飛散させて彼女に銃をぶつけた。
やっぱりオモチャだったんだ。ほっとしたのは束の間だった。即座にそれを小さな手で掴んで相手の脚にしがみつく麗葉。銃口をぴたりと押し当ててる。
「なんだ、そんなオモチャでなにしようってんだ、あぁ?」
「壊れてはいないよ。安全面を考慮した構造上、トリガープルが約一〇キロ必要なのだ。テレビやゲームの感覚では引けないだけさ」
「あ?」
銃身に人差し指を添え、中指をトリガーへ当てる独特の構えだった。
発砲。
鮮血が咲き乱れた。
絶叫。
尻餅をついたのは男だ。膝を抱えて左右へ転がる。
「いてぇ、いてぇよ! 誰か助けて、助けてくれぇっ! ママっ助けてっ、殺される!」
麗葉の方は落ち着いて衣服のホコリを払ってた。痛みで喚く男を静かに見つめる。
「殺しはしない、すぐに森里刑事も駆けつけるだろう。私はこれで退散するよ」
銃をポケットにしまってなにごともなかったかのように去っていった。あまりの出来事に声をかけられない。どうにもできないで、苦しみ足掻くストーカーをなんとなく眺めてた。
彼女の予言通りに二、三分で森里さんが現れて我に返る。現場を見た彼は凶器の銃がないのを訝しげにしてた。
「比佐だね、あのコならやりかねない。とうとう尻尾を出したか」
僕に反論する気力はなかった。麗葉に関しては無言で通し、ストーカーについてのあらましを説明して、暗くなる頃に綾木とコンビニ弁当を買って帰った。会話はほとんどしなかった。
「なんで撃った」
「身の危険を感じたからさ。私には対抗し得る体術がない、正当防衛が成り立つ」
事務所を訪れた。銃を発砲した翌日だというのに彼女に変化はない。ちらっと見て、やあ来たのかね、などと平然としてるのが苛立たしくさせた。お構いなしでキーボードを打ってる。
「俺にはわざと無防備に近づいて油断させたように見えたけどな。それにすぐ警察が来ただろ」
「それは結果論なのだ。不確かな想定で物事は決断できない」
「そうだとしても向こうが素手にこっちは拳銃で正当防衛って言えんのかよ」
「体術を会得している者は凶器を持っていなくてもただそれだけで脅威なのだよ、君も身をもって味わっただろう」
打撲多数に裂傷複数で僕は頭に包帯を巻いてる。見た目には派手でも入浴で傷が染みる程度だった。銃撃よりは何倍も軽傷だ。
作業中に使ってるノートパソコンのモニターを勝手に閉じてやった。麗葉の両肩を掴んで揺さぶる。ようやく目が合う。
「理屈の言い合いをしにきたんじゃねぇんだよ、事態が分かってんのか。今回の件で確実に疑われてる、十六歳になってるあんたは逮捕されるんだぞ」
「いまに始まったことではないさ」
「過去になにがあったか知らないけどな、銃弾だって体内から検出されてんだ。使った銃と弾に残った線条痕とかいうのが一致すれば逮捕されるって知ってるか? 知ってるよな」
そうだ、銃だ。
すっかり本が散乱した部屋を見渡す。しゃがんで本の山を掘り返した。昨日今日のことだ、そんな深いところにはない。
「どこやった。あるんだろ、どうせここらへんに。毎日片付けてたからな、俺は知ってんだ」
埋もれさせた指先に硬質な感触があった。ビンゴ。誤って撃ってしまわないようグリップ部分を持つ。重みといい銃口周りの焼けた跡といい見れば見るほど本物だ。どうしていままで気づかなかったんだ。知らなかったとはいえ、草加部さんに向けた自分を思い出すとぞっとする。
「俺に任せろ、処分してやる。こんなもんがあるから警察なんかに追われるんだよ、二度と使わせねぇ」
大股で本の数々を越える。幸い手のひらに収まる小さな銃だ、隠し持って歩くには困らない。誰かに見られたとしてもオモチャだと思われる。トリガーが容易くは引けないんだから余計にだ。誰にも見つからない場所へ捨てるには都合が良かった。
海か山か、どこでもいい。とにかく人気のないスポットに隠せば安心だ。発見されるときには腐食して線条痕もクソもない。そうだ、塩水のある海がいい。東京湾にでもちょっくら行ってこよう、今日にでもすぐ。
不安定な床を歩くのにバランスをとるため伸ばしてた右腕へ激痛が走った。シャツを貫通して皮膚に歯が食いこんでる。いつもの冗談の噛み方じゃなかった。反射で、銃を落とすと同時に彼女を引っぱ叩いてた。
簡単に倒れる麗葉。殴ってしまった罪悪感と怒りが混ざって困惑した。平手打ちするなんて、これじゃあのストーカーと同じだ。
ごめんを言う前に、彼女の顔を鼻血が垂れた。息を荒げ、銃を渡すまいと抱き締め、敵意の視線を向けてきた。なんだか遠くに感じてしまった。理解できたことなんて一度もないけど、いままで先生って呼んでくれたりからかったりからかわれたり笑ったりして通じ合える面があると思ってたんだ。
今日だってだからこそ来た。単純に、警察に捕まえさせたくなかったんだ。すんなりストーカーを撃った麗葉は理解できない。でも彼女の言うことだって一理ある。犯罪行為もいくつも目撃してる。今回もその一例として協力してやりたかった。麗葉は立神や銀行強盗、ストーカー野郎とは違う。
そう思ってた。
違った。こいつも例外じゃないんだ、犯罪者の目をしてる。自分さえ良けりゃいい自己中心の思考だ。もう知らない、辞めてやる。こんなところにいたら自分が逮捕される。
じゃあな、と簡潔に言ってドアが壊れるほど強く閉じてやった。
殺したんだ、あいつは母親を殺した、いまなら確信できる。いくらスパルタ教育が苦痛だからって殺す必要がどこにある。あまりに不相応じゃないか。昨日もそうだ、俺も動けないことはなかった、手を組めばなんとかなったんだ。
森里さんだって来た。結果論かもしれない。だけど彼らだって馬鹿じゃない。廃校になった学校で、それも僕の行動範囲であろう場所を絞ればいい。
なのにあいつは撃ったんだ。
森里さんの言う通り、彼女は犯罪者だった。暴利の金貸しやインサイダー取引までは百歩譲って許せても、銃をぶっ放したり殺したりしたら終わりだ。それは年齢的に責任能力が問われるかどうかの問題じゃない。こんなんじゃやってることはあのろくでもねぇ銀行強盗と同じじゃないか。
外階段を下りると草加部さんとすれ違った。
「お世話になりました、さいなら」
呼び止める声を無視した。背後で立神がどうのこうのと言ってる。問題ない、自分には力がある。麗葉には知能で劣ってても、それは推測や不確かな要素を多分に含む。確実に近い未来を見通せる予知の能力の方が上だ。大丈夫、切り抜けられる。綾木も僕が守ってやれる。
家に帰ると中年の女がいた。綾木の母親だ。二言三言の当たり障りない挨拶をした。部屋で荷物をまとめる後輩は元気がない。ストーカー騒ぎで保護者に連絡がいったんだ。こんな事件が起きちゃ立場が悪かった。親の身になると痛いほど分かる、帰るのが妥当だ。
彼女にわんわん泣きつかれた。
いなくなった。
ソファーに身を託す。お金はあっても静かだった。豪邸に住んでた上戸さんもこんな心情だったんだろうか。
分かったことがある。例えば僕が金持ちの家に生まれてたってなにも変わらなかったんだ。お金がないせいでぽっかり空いてるんだと考えてたやるせない気持ちは、いまだに満たされなかった。
僕はなにがしたいんだろう。自分で自分が分からない。お金が解決してくれるんじゃないならどうすりゃいいんだ。事故にあって高校に進学できないってなったあのときから変わってない。三年も経つのになんも変わってない。我ながら色々経験したつもりだったのに、一歩だって進んでなかった。
笑えてくる。死ぬのは恐くなかった。立神荘士? 来るなら来いだ。自分のようなゴミ人間が蔓延る世界はリセットしてしまった方がいい。向上心溢れる優秀な人間にとっても邪魔だし、劣った本人からしても生きるのは苦痛なだけだ。
さぁ、無能者ゼロ国家をぜひとも作ってくれ!
次話更新予定は明後日(11/22)です。
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思ったことをそのまま言っていただけるのが一番望ましいので感謝します^^
親切に訂正例まで書いていただいて指摘のポイントが大変分かりやすく、とても参考になりました。
今後のために色々と見当して試行錯誤させてもらおうと思います。
貴重な時間を割いていただき、ありがとうございましたm(_ _)m