■エキセントリックワールド(1)
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「ええ、はい、分かりました、本人にそう伝えておきます」
失礼しますをして受話器を置く。
玄関で鍵の開閉する気配がした。綾木が帰ってきたんだ。以前よりずっと早い時間だった。最近のストーカー騒ぎでシフトが夕方前に終わるよう代わってもらったと彼女は言ってる。僕に気遣って送り迎えをさせない意図もあるんだろうと理由付けた。日の沈みきらないうちであれば確かに安心感がある。彼女に押し切られて駅での待ち合わせは渋々やめた。
「今日も客は沢山来たか」
「来ましたよ〜、平日なのに、いぃ〜っぱい。ああいう人達っていつお仕事してるんですかねぇ」
コップにウーロン茶を注ぎ、一口飲んで綾木はふぅと息を吐いた。
嘘をついてる。
さっきの電話はメイド喫茶の店長だった。綾木のバイト先だ。いつもちょくちょく休んではいたが、ここ数日は来てないんだという。店長調べによると、バイト仲間と折りが合わないのが原因。既に彼女をいじめた何人かを叱って、そういうことのないように注意済みらしい。人気のある綾木は店にとって重要なんだ。
彼女をソファーに座らせた。僅かに緊張しながらも小首を傾げてる。
「いまのバイト、嫌なら辞めたらどうだ」
「なんですかぁ、いきなり。それより麻由、ケーキ買ってきたんですよ〜」
「店長から電話があった」
立ちかけた綾木が再び腰を下ろす。何日かしたら行くって言ったのに、といじけ気味に呟いた。膝を寄せ、体を小さくさせてる。
向こうの状況を教えてあげた。
「働くところなら他にもあるだろ。なんなら次の仕事を見つける間、俺が稼いでも──」
言い切れる根拠がなかった。もはや麗葉の雑用係じゃいられない。立神にも狙われ、仕事選びも慎重になる。まともに稼ぐ自信はどこにもなかった。
「──とにかく、俺が頑張るからさ。続けてるふりするようなもんでもないし、ストーカーのことだってあるだろ。ちょうどいい機会じゃんか。綾木は休んでろよ、今度は俺が助ける番」
でも、とあんまり納得してない雰囲気で言う綾木。
こうなりゃとっておきを披露するしかない。
「知ってるか? 愛ってのは与え合うことを言うんだぜ。一方的にもらってばっかじゃ愛とは言えないのさ」
ふっ、決まった。
「愛、ですか」
リアクションは薄かった。我ながら頬が紅潮してきてしまう。そうだぞ愛だぞ、なんて挽回を狙ってみても白々しかった。本心のこもらない言葉は儚く脆い。
伏し目がちにしてた彼女はツインテールを左右へ揺らした。
「いまのお仕事、続けます。明日はちゃんと出勤します」
「それだと俺だけが──」
「もらってます」
上げられた表情はいつもの綾木だった。ぷっくらとした唇の間に白い歯を見せる。
「麻由は先輩にいっぱいもらってます。だから麻由も先輩にお返しするんです。愛は与え合うんですよね? 前言撤回はなしですよぉ〜」
ふっふっふっ、と小悪魔の如しにやけ。僕はとてつもない墓穴を掘ってしまったんじゃなかろうか。
いやいやこっから逆転だ。ホームランを目標に説得を試みようとする。
先攻は綾木だった。
「先輩、爪伸びてますよ〜。切らないと危ないですよぉ」
あ、本当だ。
爪切りを渡され、ぱちんと切る。近頃はあれこれあって爪に意識が行き届いてなかった。長いと自分だけじゃなく他人にも迷惑をかける。しっかり切っておこう。爪といえばストーカーも送ってきた物。あと得体の知れない液体に髪の毛と手紙。変態のすることは分からない。
鼻歌混じりに綾木はケーキを用意してる。キッチンで淹れられる紅茶の香りに誘惑された。
ショートケーキのイチゴを頬張って気づく。説得の機会を失ってた。食べ終わって言い出そうともした。携帯の着信メロディーに邪魔された。断念する。
液晶には「森里さん」の表示。
頼んでた鑑定の結果が出たようだ。
「髪の毛からも分かるんスね」
「違うよ、血液が微量ながら付着してたんだ。たぶん切るときにどこか傷つけたんじゃないかな」
ああ、なるほど。髪は黒い。血の赤は目立たないし、固まれば黒っぽくもなる。しかもこんなことで本格的な分析をしてるとは送り主も考えない。細かく念入りに注意してなくて当たり前だ。
その結果だけどね、と森里さんが言う。
「犯人は女性だね」
情報がいきなり食い違った。
「なにかの間違いじゃないんスか」
「シバさんの鑑識に狂いはないよ」
彼は強気な口調だった。相当に信用してるようだ。
すんなりは譲れない。
「おかしいですって。俺、この前に犯人らしき奴を見たんスよ。郵便屋に扮して、爪を届けにきたんです」
「それが男性だった確証はある?」
どんな間抜けだって性別は間違えない。
「背も俺ぐらいあって胸もなくて声も男でしたよ」
「現代女性は身長が高くなってきてる。胸はさらしを巻けばいい。声はハスキーボイスなのかもしれない。男だと決めつけるのは早いよ」
「ちょっとこじつけすぎてませんか。仮にそうだとして、手紙はどう説明するんスか。麻由たん好きっていう」
「同姓に恋心を抱くのもあり得ない話じゃないよね」
なんとしても犯人を女としたいんだ。それはそうだ、森里さんにはDNA鑑定という物的証拠がある。そんなころころ変わるもんでもない。対する僕にはおぼろげな記憶がある程度。どう見積もっても分が悪かった。
「そういえば、爪にもDNAってあるんスかね」
「多少含まれてるけど、血液には勝らないだろうね」
僕は新たに届いた証拠品について話した。
「まぁ、シバさんに回せばなにか分かるかもしれない。一応調べておくかい」
お願いして通話を終える。
皿とコップを洗ってた綾木がタオルで水気を拭いて、警察の人ですか〜、と訊いてきた。
「犯人、女かもしれないってさ」
「なんでですか」
血が付いてたのを説明する。
「違いますよ絶対! ストーカーなんてするの、男の人に決まってます!」
意外なほどはっきりした否定に僕は驚いた。ああ実は俺もそう思ってんだ、とソファーへ乗り上げてくる彼女から退き気味に伝える。
への字口になる綾木をなだめた。
「じゃあ例えばだ、例えばの話。女に熱烈なファンがいるとかはないか」
回答は小動物みたいな唸り声だった。
分かるわけがない。ファンは熱烈なもんだ。もしくは、男も女も正解だとは考えられないか? 二人のストーカー。それなら森里さんと食い違うのが必然だ。仮に髪の毛は女の物であっても、爪は男とおぼしき奴に受け取った。
まずは二つを比較だ。
近所で落ち合って、森里さんへ渡した。犯人へは着実に近づいてる手応えがある。麗葉がいなくても大丈夫。警察と組めば立神だって易々とは近づけない。初めのクソッタレたゲームだって独力で突破したんだ。麗葉を助けてやったこともある。一つ一つ解決していく、なんとかなる。片付いたら新しい仕事を探し、のどかに綾木とのルームシェアリングを続ける。
ファンタジー世界はうんざりだ。
三日ほど独自に足跡を追ってみるも、成果は皆無だった。ストーカー側のアクションはなく、探し出す手段がない。そんなとき、森里さんから連絡が入った。ずいぶん仕事が早いと思いきや、違った。
「相原君と一緒に住んでる被害者のコ、綾木さんと言ったね。良ければ彼女のDNAも採取させてもらえないかな」
返答に遅れる。趣味で集めるわけがない、捜査で必要としてるのはもちろんだろう。
なにが目的なのか分からなかった。
彼の一言で回路が直結する。
「先日のDNAと照らし合わせてみたいんだよ」
「綾木が自分で被害を装ってるってことッスか」
思ってもないことだった。いままでの彼女の怯えは本物だ。あれが演技だったら名女優になれる。
「僕の直感に過ぎないよ。でもね、ちょっと気になるんだ。前にも言ったよね、警察はこうやって一つ一つの可能性を捜査するのが仕事。疑いが晴れればそれでいいじゃないか」
正直なところ、親しい人間が疑われるのはいい気分がしなかった。きっと綾木本人はもっと嫌な想いをする。我慢してもらうしかない、彼の言い分にも一理あった。自分らじゃ前進は難しい。
了承した。森里さんが礼を言う。
「先に一つ訊いておきたいんだけど、毛髪が送られてきた頃に彼女は出血を伴うケガをしてなかったかな」
「そんなの覚えてるわけ──」
ない、と続けられなかった。あの日、料理で指を切ったとかで絆創膏を巻いてた。ベテランの彼女にしては珍しいこともあるもんだと印象に残ってる。髪に血液が付着してるとは考えてなくて違和感なかったんだ。知ってれば少しは森里さんと同じ考えがよぎってた。
一つ解決したとして、新たな疑問が芽生える。
「いったいなんのために」
「ジェラシーじゃないかな」
「なんスか、それ」
「嫉妬さ。彼女は君が比佐のもとで働いてるのを知ってるんだろ? 心配させて気を向かせようとする女性も世の中にはいるからね。僕なんかこの壺を買わないと世界が滅びるなんて心配させられたことがあるよ」
僕は思考の渦へ飛びこんだ。
綾木ならあり得る話だ。ただでさえ彼女は好意を抱いてくれてる。日頃の接し方やルームシェアリングからしてそうだ。プロポーズをすれば百パーセントOKしてくれる。これに限っては自信過剰とは思わないし、まんざら悪くないかもしれなかった。
彼女と麗葉の仲が悪いのも一つの要因になる。二人は同年代だ、それぞれの形で僕と距離が近いとなると綾木は心穏やかじゃない。僕は迷惑かけられないと思って仕事を頑張ってたけど、彼女にしてみたらそれはどうなんだ。麗葉に熱中してると怪しむのが普通だ。
「てことは郵便屋の男も綾木の友達で、演技を頼んでたとも考えられますね」
「壺の話は冗談だけど面白くなかったかな。──まぁアリバイ工作した可能性も十分あり得るよね」
共犯者や犯人が二人ってのは考慮してた。身内が首謀者とは考えにくい。全部が綾木の差し金とするのは盲点だった。
送られてきた爪の結果はあと少しかかるようだ。早ければ今日中。もし綾木が自演をしてるなら待つまでもなかった。
麗葉のいい加減な調査はこれを見抜いてたからなんじゃないか。そういえば髪を引っ掻く動作をしてた。血液の付着、そして綾木の絆創膏。それら二つをパズルのピースにして、あっさり推理したと思えてくる。
とっくに先を越されてたのが胸の内を弱酸性の液に焼かれる気持ちにさせた。それにしたってしばらく来るなってのはどういうことだ。僕だって人間だ、色々ある。そんな冷たくしなくてもいいだろ。心の狭い年相応のガキなんて、こっちから願い下げだ。
「ストーカーの件、演技はもうやめよう」
昼休み時間にあたりをつけて綾木にメールした。いわゆるかまかけだ。真相を知ってるふうを装うのが効果ある。鑑識でどの程度の情報が判明するか、一般人は知らない。彼女だって例に漏れずDNA鑑定が万能と思ってるだろう。
間もなくして返事が来た。件名は、ごめんなさい、だった。決まったも同然だ。
メールを開く。
「早くに言おうと思ったんですけど、真剣に心配してくれて言うに言えなくて。嫌いにならないでください。でも麻由だけど麻由じゃないんです」
自白にしては妙な言い回しだった。最後の一文がネックになってる。認めたのに認めてない。
「どういうこと?」
昼の休憩が終わったようで返事は来なかった。帰ってきたら説教だ。こめかみぐりぐりの刑は覚悟しておいてもらおう。
なにはともあれ一つの事件が解決して肩の荷が下りた。問題は僕だ。立神にどう対処すればいいのか案もない。神出鬼没ゆえ、後手に回らざるを得ないのもハンデになってる。なにかいい方法はないものか。
ソファーに寝転がって考えてるうちに寝てしまった。階下を下校する小学生の声がする。
携帯がメール着信の点滅を繰り返してた。綾木だ、仕事が終わって寄り道してなければ石寺公園駅に着く時間だった。
件名は空白。
「たすけて」
働きにくい頭とはっきりしない眼でそれを読む。いまさら平仮名で被害を演出してるんだろうか。漢字変換する余裕がない状況だよー、みたいな。
バイトが終わったんなら電話でもいい。メモリー登録を操作する。
コール音が淡々と鳴った。
出ない。これも演出なのか? しょうがなくメールで問う。
返事はすぐに来た。件名なし、本文なし。演出にしては過剰だ。
画像が添付されてた。
一気に目が覚める。スニーカーのかかとを踏んづけて外へ飛び出す。駐輪場に封印してたスクーターのシートを放り、エンジンをかけた。大丈夫、腐ってなかった。神様仏様、検問に捕まりませんように。
ハーフメットを被り、アクセルを絞る。愛車が無免許な僕を乗せて走り出した。
写メには腐った木が映ってた。最近なにかと縁のある物だ、見間違うはずがない。
廃学校の桜の木。
校内で撮られてる。自演をするとしても校門が封鎖されてると世間に思われてる学校に入ろうとする人間はいない。僕が悪仲間に連れこまれるのを一度目撃してた綾木は嫌なイメージを抱いて、特にわざわざ選んだりしないだろう。
写真がなにを意味するかは判然としてる。
踏切で止まる。森里さんに電話しようとしてやめた。横に運悪く白バイが停まったんだ。変に目をつけられて免許証の提示を求められたくない。焦るな、自分が駆けつければ済む。僕の考えが間違ってて取り越し苦労になるかもしれない。急がば回れ、回れば分かるさ。
声をかけられる。背筋がぴんと伸びた。白バイ隊員がサングラス越しにこっちを見てる。勘弁してくれ、なんで踏切はこんなに長いんだ。足止め食ったら綾木がピンチになるんだぞ。
はいなんですか、と平然とする僕。彼の口が開閉するが、電車が通過して聞こえなかった。改めて聞き返す。心臓は高鳴りっぱなしだ。
「そんな薄着で寒くないか」
ええまぁと応える。言われてみれば急いで出てきたせいで上は長袖のシャツ一枚だった。周りはコートやジャンバー、マフラーを身に着けてる。不思議と寒くはなかった。風邪ひかないようにな、と心配してくれた。遮断機が上がり、白バイが排気音とともに走ってく。
クラクションが鳴らされた。フルスロットルで発進する。前輪が浮いてウィリー気味になるのを強引に体重をかけて押さえこんだ。目を丸くする通行人の前を疾風になって過ぎる。
廃学校前に到着。ブレーキが利くのがもどかしく、完全な停車を前に乗り捨てた。転倒する愛車。どうせ免許なしじゃおおっぴらには走れない。壊れようが盗まれようが知ったこっちゃなかった。
メールの画像と実際の景色を比べる。よくよく見ると、建物の中でシャッターを切ってた。端に窓枠の一部が写ってる。腐った桜の木が見える建物といえば一つしか心当たりがない。
体育館を一直線に目指す。
カンヌキが外されてた。鉄製で錆びてる扉は必要以上に重々しい。力任せに開けていく。
綾木がいた。
奧の壁際、手摺りへビニール紐で何重にもして繋がれてる。足元には携帯が転がってた。
二階の窓から射しこむ夕日が床を照らす。厚く積もったホコリは靴底型にくり抜かれてた。一つは彼女の。もう一つは大きさからして男だ。館内にはいなさそうだった。
「せんぱぁ〜ぃ」
僕が来た直後にはそうでもなかったのに、ほとんど泣きそうな表情をした。外傷はなさそうだ。僕は紐の結び目を解こうととりかかる。固結びがされてた。ハサミかなんかがあったら一発だ。たぶん図工室かなにかにある。
袖を掴まれた。行かないで、と双眸が訴えてる。一人にするのは危険か。
しょうがない、どうにか自力で断とう。思いっきり引っ張る。綾木も腕を動かした。白い肌は赤く滲んでる。
「麻由、もう駄目だと思いましたぁ。駅降りたら先輩が倒れてるって言われて、悪い人にやられちゃったのかと思って。知らない人だったけど、心配で」
悪い人……チビデブとガリノッポのことか。絡まれた光景を見せなければ良かった。あいつらとつるんだ過去ごと消し去りたいぐらいだ。そうすれば綾木もこんな危ない目に遭わなかった。百害あって一利なし、真っ当に生きるのが一番だ。
「ついて行ったらいきなり繋がれて。あいつが来るかもしれないから大声も出せないし、携帯もメールのあと落としちゃって、麻由どうなっちゃうんだろうって恐くて」
急に震えだした。目頭に涙を溜め、頬を伝う。僕の脚に顔を寄せてしゃっくりをした。その頭を軽く二度叩いて撫でた。顔が上げられる。
「事情はあとで聞く。まずは縛りをどうにかしないとな」
肩を上手く使って雫を拭き、鼻をすすった綾木は元気良く返事した。被害らしい被害がなくてほっとする。場合によっては最悪の状況だってあった。こうなったら圧倒的に有利なのはこっちだ。
「あいつ、てのはストーカーだろ。どこ行ったんだ」
「分かんないです、お腹さすってどっか行っちゃいました」
「どうせ腹でも下したんだろ。ゴロゴロピーって」
彼女が吹き出す。少しは和んだか。
肝心の拘束は千切れなかった。彼女を残して役立つ物を探しには行けない。すぐに男が戻ってきてもおかしくない。僕がここにいながら救う方法は……。
現代に生まれて良かった。携帯を出す。途端に着信があって手をこぼれた。相手はいまかけようと思ってた森里さん。もしもしと出る。ちょうど連絡しようとしてたんスよー、などと気楽な会話をひとしきり。
「実は爪から新たなDNAが検出されたんだ。男性のね」
「爪からは無理じゃなかったんですか」
「爪の先に細胞が付着してたんだ。おそらく体のどこかに引っ掻けたんじゃないかな。これで綾木さん一人の犯行じゃないのは確定したね」
「ああ、それならもう解決しそうなんスよ。それで電話しようとしてたところで」
事情を説明する。一部は綾木本人の自演だったこと。残りは本物のストーカーで拉致監禁されたこと。ビニール紐を切る道具が身近になくて困ってること。いつ犯人が帰ってくるとも分からないこと。
「場所は石寺公園駅最寄りの廃校で、枯れた桜の木があるんスけどー。て、それじゃ分からないですよねー」
近辺には廃校の小学校がいくつかあったと記憶してる。
受話口を離して綾木に、ここの学校名なんだっけ、と問う。えーっと、と考える彼女の目が見開かれた。
「先輩、後ろ!」
瞬時にストーカーの接近を察知したが、相手の姿は見えなかった。後頭部に鈍い打撃を加えられたんだ。痛みを感じる間もなく視野が暗転した。遠くの方で綾木の叫びが聞こえた。気絶の間際まで彼女の無事を願った。
おぼろげな意識にだらしなく咀嚼する耳障りな音が届く。よく母親にくちゃくちゃするんじゃないのって注意されたっけ。みっともないと知って以降、他人がそうしてるのはやたらストレスに感じる。
首を上げた途端、激痛が走った。患部を押さえようとしても腕は動かなかった。ビニール紐で何重にもして手摺りに繋がってる。綾木とは絶妙な距離があった。きつい縛りは行動を完全に封じこめてる。僕が起きたのを察知した彼女は目を潤ませた。目配せして、大丈夫、と肯く。
男はステージに腰かけて脚を垂らしてる。弁当を食ってた。傍らにはコンビニ袋だ。歩いて一〇分のところに一店ある。メシを買いに行ってたんだ。
天然パーマの短髪、レンズのでかいメガネ、出っ歯、頬骨が浮き出る細さ。それぞれのパーツが特徴を主張してる。偽郵便配達員もそういえばこんな感じだった、そうだこいつだ。
くちゃくちゃくちゃくちゃ。
こっちを見てるのに黙々と食べ続けてる。外見といい態度といい無性に腹立つタイプだ。
「おいおい、俺はこういう変態チックな趣味はないんだけどな。いつまで繋いでるつもりだ」
くちゃくちゃくちゃくちゃ。
照り焼きハンバーグを囓ってる。
「聞いてんのか、ストーカー野郎」
くちゃくちゃくちゃくちゃ。
ごっくん。喉仏が動いた。いよいよなにか言い返してくるかと思いきや、ペットボトルのお茶をがぶ飲みしてる。
こっちを向いた。
来るか。
大口が開けられ、盛大なゲップが放出された。自分のこめかみに血管が浮くのを知覚する。殺人を犯す人間の気持ちが少し理解できた。
「先輩、冷静に。なにするか分かりませんよ。あいつ、金属バットで先輩の頭を思いっきり叩きましたし」
ストーカーの足元には確かにバットが立てかけられてた。どうりで利くわけだ。こぶで頭の形が変わったらどうしてくれるんだ。凶器を使う奴は素手のケンカに自信のない場合が多い。相手としてはなんてことはない。立神に比べれば尚更だ。
圧倒的な不利に変わりはなかった。横に落ちた携帯も液晶が割られて機能してない。例え使えても綾木と違って完全に腕の自由が奪われてる、助けを呼ぶのは無理だ。森里さんが上手い具合に見つけてくれるのを祈るしかない。
男を睨む。
夕飯を食べ終わったらしく、弁当付属の楊枝で目立つ前歯をほじってた。次は奥歯へ。食べカスが取りにくいようだ。舌打ちして人差し指を口内へ突っこんだ。何度か引っ掻き、満足げに出した指を見てる。ぱくっと咥えた。綾木が、汚ぁい、と顔をしかめる。
あ、と心の中で手を打った。DNA鑑定で検出された細胞は頬の内側を削って付着したものだったんだ。
既に役に立たない情報だった。
ようやくステージを降りて近づいてくる。殺意を込めて見る僕の前をあっさり通り過ぎて綾木の前に立った。脚を折り畳んで、できる限り離れる彼女。嫌悪ありありだ。それを知ってか知らずかにやにやしてて気味が悪い。歯茎もろとも出っ歯を剥き出しにした。
「お待たせ、麻由たん。もう少し待っててね、引っ越しセンターのグズのせいでこんな時間になっちゃったけど。ようやく一緒に暮らせるよ、愛しの麻由たん。愛し合う二人は物理的にも近くないとね」
どこかに部屋を借りてそこにつれていくつもりだったのか。
頬を引きつらせたのは綾木だ。ドン引きして言葉もない。なんといっても奴の笑顔が気持ち悪い。果たして鏡を見たことがあるんだろうか。親はなんで教えてやらなかったんだ、あんたは笑うと友達減るわよ、て。
「紐で繋いでおいて、愛しの麻由たんもないもんだぜ。本当に両思いなら繋ぐ必要なんてねぇし。お前だって逃げられるって分かってるから監禁したんだろ。矛盾してんだよ、ボケナス」
表情が一変する。瞼が半ばまで下ろされ、冷酷さを演出してる。わざとらしくて全然恐くない。本当にキレてる奴は近づくのさえ嫌なオーラを持ってる。こいつはただのストーカーだ。
「どうした、変態野郎。目からビームでも出すのか」
相手の右脚が動いた。蹴られると予測。ふくらはぎのあたりに力を入れて準備した。間もなく爪先による衝撃がやってくる。問題なし。
ストーカーが鼻で笑った。
「これだから単細胞は嫌だ。ここは仮巣だ、いま愛の巣を準備してるところなんだよ。それまで悪い男にさらわれないよう苦肉の策として繋いだんだ。分かったか、単細胞」
「単細胞だから分かんにゃい」
かっと見開かれる瞳。二撃目が来る。いや、三撃、四撃も続けてだ。がむしゃらに蹴られて踏まれた。さすがに防御は不可能。脚に飽きたらず腹や胸、顔面にも暴力を受けた。僕は俯いてひたすらに堪える。
これでいい、時間稼ぎになる。森里さんが来るまでは綾木に近づかせない。
「どうした、軟弱男。そんな蹴り全然利かないぞ。こんなんじゃ、そりゃ女にもモテないわ、無理矢理さらいたくもなるわ、うん」
男は蹴り疲れて荒い息をしてる。いまだ無駄口を吐く僕に苛立ちを覚えてるんだ。
利かないわけがない。無防備なところを滅多打ちにすればプロの格闘家をノックダウンさせるのだって簡単だ。本能は、もうやめてーいじめないでー、と訴えてる。
他に彼女を守る方法は思いつかなかった。僕はこいつの言う通り、単細胞なのかもしれない。
「おい、もう終わりか。自分がどんだけ情けないか認めたんならさっさと拘束を解いてくれよ」
なにかを探して辺りを見回してる。ステージの方へ体を向けた。小走りに行って持ったのは金属バットだった。
耳の裏で血の気がざっと退くのを聞いた。
前歯を見せながら素振りをして歩いてくる。冗談にならない風切り音。つい黙りこんでしまった僕を愉快そうに見下ろしてる。
「金属バットは痛いぞぉ?」
振られるバットが何度も目の前を往復する。風圧に額を撫でられた。あのぉ、痛いじゃ済まないと思うんですけど。
凶器の先端を頬へ乱暴に押しつけられた。無骨で冷たい。
「なんか言ったよなぁー。俺が情けないって? ん? 軟弱男だって? ん?」
「ふざけただけッスよー。勘弁してくださいよー、そんなので殴られたら死んじゃいますよー」
ぷっ、と吹き出すストーカー。引き笑いをして僕を指差す。
「さっきの威勢はどうしたんだよ、情けないのはお前だろ単細胞。謝れ、もう言いませんって謝れ!」
なにがそんなに嬉しいんだ。絶対に友達にはなりたくない性格だ。ストーカー行為をするようになったのも当然の成り行きに思える。自己中心。いままでの人生で自分のどこが悪いかなんて深く考えたこともないんだ。
謝ればいいんだろ、謝れば。
ふと見た綾木が首を左右へ振ってる。そんなことはしないで、てところか。
僕は息をついた。
「もう言いません、すみませんでした。だから俺達を逃がしてください、お願いします」
彼女は唇を噛み締め、怒りに満ちた目でストーカーを凝視してる。おいおい、作戦をぶち壊しにするつもりかね。あくまで低姿勢になって切り抜けるんだ。自由になれれば敵じゃない。ぎったんぎったんにしてやるんだ。そう思えば、謝罪ぐらい何度だってする。だからそんな恐い顔をするなよ、似合わないぞ。
ストーカーが笑いをやめた。ふーふーと呼吸して落ち着こうとしてる。
改めて視線が向けられた。
「駄目だ、お前は死刑」
バットが頭上高々と振り上げられる。
生きてられるかな、なんて思ってると横の方で目一杯の空気を吸いこむ気配があった。綾木の怒気が膨れてる。制止は間に合わない。
「てめーっ、ふざけんなよ、このがりがり! きもいんだよ! おめぇみたいなふにゃふにゃは、こんなことしなきゃ伊吹先輩に勝てねぇんだよ、クソがっ!」
不可思議なものを見るように首を傾げる男。照準が綾木に変わった。無表情に彼女へ近づく。やめろ、と僕が言っても聞こえてないようだった。肉薄し、じっと見つめてる。
「なによ、近づかないでよっ! 息が臭いん──」
ぱしんっ。
平手打ちだった。綾木は目をぱちくりさせてる。
「麻由たんは汚い言葉を使わない」
「はぁ? バッカじゃないの、夢見すぎなんだよ」
ぱしんっ。
今度は逆の頬だった。
きっ、と男を睨みつける。
「ってーな。どうせあんた、誰とも付き合ったことないんでしょ」
ぱしんっ。
「麻由たんは、もっとおしとやかでしおらしい」
「モテなくて当たり前ね、ブサイクでキモくて暴力振るう男なんて最っ低」
ぱしんっ。
「僕はモテないんじゃない、モテようとしてないんだ。汚い女共なんか眼中ないね。だいたいあいつらは女の匂いプンプンさせて臭いんだよ。寄ってきたら蹴り飛ばしてやる」
「正気? あ、狂ってるか、ごめんごめん。言っておくけど、誰もあんたなんか相手にしないっつーの」
ストーカーが停止する。綾木は来るなら来なさいとでも言わんばかりの気迫で身構えてる。いくらなんでも危険だった。こういう人種はスイッチが切り替わると過去の好き嫌いを逆転させる。今回だと、自分のことを好きにならない綾木が悪い、とする。なにをしでかすか分からない。
にへらと焦点の合わない視線で彼は笑った。
「そんなに照れなくてもいいじゃないか」
こういう奴なんだ。
さすがの綾木も壁際にいるのすら忘れて後退してる。
「でもいまのはちょっと言い過ぎだよ、お仕置きしないとね」
平手が大きく振りかぶられ、彼女が瞼を強く閉じた。加減してるさっきのものとは明らかに違うスイングだ。弾き散らさんばかりの暴力が迫る。
僕が阻止した。
物理的に届かない距離にあってどうやったか。手足が届かないなら飛び道具を使えばいい。スニーカーを飛ばしてやったんだ。見事顔面を直撃。威力は微々たるもんでも意識は再びこっちに移った。
「調子に乗んなよ。綾木にそれ以上手ぇ出してみろ、ぶっ殺してやる」
するとどうだろう、空中に黒目を行ったり来たりさせてぶつぶつなにかを言ってる。そうかそうだったんだこいつが膿みたいな情報で洗脳したんだね可哀想な麻由たんすぐ元の君に戻してあげるよ、と呟くのを辛うじて聞き取った。
そういう設定になったらしい。この勘違い野郎をどう殴ってやろう。思案してると男は迷彩色ズボンの後ろポケットをまさぐった。
鋭い輝きが小窓から射した夕日を映す。なんともよく切れそうなハサミだった。
次話更新予定は明日(11/20)です。
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