■スーパーベビー
※お願い
少しでも上達したいので、なにか思うところがありましたらコメントをお願いします。
批評といった大層なものでなくとも構いません。
「ここのシーンが面白かった」や「ここがつまらなかった」など言ってもらえればありがたいです。
1つでも多くのヒントが欲しい状況なので、
素直で率直なコメントをお待ちしています。よろしくお願いします。
●コメント送信手段
1:小説評価/感想欄
●コメントを公開したくない場合は下記の手段
2:「作者紹介ページ」>「◆メッセージを送る」
3:メールフォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P47878715
普通のバイトは無断欠勤でクビになる。叱咤されないのは気持ち悪かった。
休んだ理由を求めてきてもいいのに、三日ぶりの麗葉はなにも訊いてこない。僕は切り出すタイミングを失って一日の仕事を終えた。日給ももらう。
ストーカー騒動も忘れてなかった。駅前で仕事終わりの綾木と落ち合い、三人で家への道程を辿る。
ここでいい、と麗葉は玄関より先には入らなかった。森里さんにも一部預けた髪の毛と麻由たん好きを連呼した手紙を渡す。
紙を明かりに透かした。裏と表を見て返却される。小箱の毛髪を一本取ってぴんと張り、網膜に触れそうなぐらい近づいて見てる。次に爪で挟みこみ、引っ掻いた。ちぢれ毛になる。しばし見つめ、箱へ戻した。
ちらっと顔を上げる。綾木がたじろいで僕の後ろに隠れた。なによ、と反撃する。変わらず相性は良くない。
「無駄足だ、つまらない時間を過ごしてしまった」
「待てよ。大して調べてないじゃんか」
猫背を向ける彼女へ投げかける。
「やっぱり怒ってんだろ、黙って休んだの」
「調査する価値がないと言っているのだ。君も、くだらない付き合いはほどほどにしておきたまえ」
にべもなく去っていった。なんだ、あいつ。憤怒する反面、寂しくもあった。なんだかんだで力を貸してくれると思ってたんだ。そこそこ分かり合える仲になってたし、だいたいストーカー退治に乗り気だったのは麗葉だ。
綾木と玄関に立ち尽くす。
「きっと嫉妬ですよぉ、先輩が私につきっきりだから」
それはない、と断固否定。あいつは世界が反転したって妙な感情で行動しないだろう。
「なににしても、ろくに調べないで帰るなんて冷たい奴だよな」
心のどっかで見損なった。手伝う義務はないけど、もう少しちゃんとした対応のしようがある。あいつは僕をその程度の人間として位置づけてるんだ。草加部さんが言うような奴じゃなくて、森里さんの言う通り所詮は犯罪者なのか。
自己中心の機械女。母親殺害の説も真実味があるような気がしてきた。他人は当てにならない。
綾木の頭に手を置く。
「心配すんな、俺がストーカーを捕まえてやる」
そうと決まれば一刻も早く手掛かり探しをしたくなった。受け身ばかりじゃしょうがない、こっちが攻めに回る番だ。追い詰めて捕まえて警察に突き出してやる。
そういえば今日は郵便受けを見てなかった。またなにか入ってるかもしれない。居ても立ってもいられず、サンダルをつっかけた。
緊張しつつ蓋を開ける。ピンクチラシが一枚。他にはなにも入ってなかった。ひとまずはほっとする。
自転車のベルが鳴らされた。郵便配達員だ。こちらのお宅ですか、と訊いてくる。うち宛てに郵便物があるんだ。ご苦労様ですを告げて受け取ったのは髪が入ってたのと似た箱だった。
玄関を上がると僕の持ってる物に気づいた綾木が眉をひそめる。
「差出人は誰ですか」
「なんも書いてない、真っ白だ」
包装紙を破く。セロハンテープで留まった口を引っ張った。
出てきたのはビン。重みのあるそれを摘まみ上げる。
綾木はヌイグルミのチュー太を握り締めた。
爪が目一杯に入ってる。小ビンといえど、何ヶ月溜めこめばこんなになるんだ。気味が悪いが、重要な証拠だ。これも保管しておこう。
包装紙をどうするか考える。さすがにこんな紙っきれにはなにもないか。くしゃくしゃに丸め、ゴミ箱へ振りかぶる。なにかがおかしい。
改めてテーブルに広げ、皺を伸ばす。
「どうしたんですか」
「これさ、郵便屋がちょうど来て渡されたんだけどさ」
表、なし。
裏、なし。
「やっぱりだ。ない」
「なにがですかぁ〜」
彼女に広げて見せた。
「差出人どころか宛先もないんだ」
「えっと、それって」
郵便屋はなにを頼りに届けたんだ。隠れた推理の天才で、あるときは郵便屋、あるときは謎の運転手、そしてその正体は名探偵!
あり得なかった。
「あいつがストーカー野郎だったんだ」
サンダルも履かないで階段を駆け下りる。
跡形もない。特徴を思い出そうとする。おぼろげな輪郭しか出てこない、薄くぼかした水彩画だ。こんなとき、麗葉なら雑作もなくモンタージュ写真を作るだろう。意地でも引き留めておくんだった。
いや、あんなのに頼ってたまるか。自分なりに調査して捕まえる。相手は立神じゃなく、ただのへなちょこ野郎だ。綾木になにかするには接近が必要になってくる。それはそれでチャンスだ。来ないなら来ないで気持ち悪い嫌がらせ程度で終わり。深刻に考えなくてもいいんだ。
翌日の仕事はまた休んだ。ただし、電話連絡はした。ストーカー調査のため、と皮肉たっぷりに言ってやった。
「私も連絡しようとしていたのだ。しばらく君は来ないでくれたまえ」
絶句する。これは実質のクビ宣告? こいつは遠回しに伝えるタイプじゃない、クビはクビと言う。印象は、半端な制裁。無断欠勤の罪を泣いて反省するまでは干すってことかもしれない。上等だ、そっちがその気なら徹底対抗してやる。泣きついてくるのがどっちか我慢比べだ。幸い、貯めこんだ日給で働かなくても生活には困らない。麗葉は敵に塩を送ってたようなもんだ。
意気込んで朝っぱらからストーカーの捜索を始めた。いきなり出鼻をくじかせたのは二人の男だった。例によって悪仲間ペア。いつも二人で仲の良いことで。
わりと近所にストーカーが潜伏してると考えてうろついてたのがいけなかった。またもや廃校付近で出くわした。ろくに働きもしない暇人はこれだから嫌だ。
門にされてたチェーンがなくなってる、無断で切ったんだ。重々しい音を響かせてスライドさせてく慣れた様子だった。こいつら、ここで生活してるんじゃないよな。
校内へ入るなり腐った桜の木にぶつけられた。木が軋んで破片が降りかかる。
ガリノッポは僕の襟首を掴んで押さえつけてる。チビデブはおもむろに携帯を出して格好つけて回転させた。ダイヤルするのは平凡だった。電話は、あっもしもし高橋さんッスか、で始まる。嫌な予感メーターが急上昇した。
「ええ、潰れた学校の体育館裏です。いまどこッスか。パチンコ? 近くッスね。じゃあ待ってます、はい、はーい」
ぱちん、と携帯を閉じて回転させ、ポケットにしまった。不敵な笑みをしてる。
高橋が来る? なんでそういうことするんだ、事態が面倒になる。こっちはさっさとストーカーを捕獲したいんだよ。僕は融通がきかない、二つ同時に対処するには脳を分割しないと無理だ。丸ごと細胞分裂したくなる、できないけど。
あいつは正真正銘のヤクザだ。出てくるとなにをしでかすか分からない。組の中で特に血の気が多いらしく、付き添いの舎弟をよく殴り飛ばしてた。たまにいつも見てた人がいなくなる。深くは言及しなかったし、したくなかった。
そんな高橋が来る? あぁ面倒臭い。
「面白いことになってるな」
いつの間にか男が立ってた。奴が来たのかと思えば、別人だった。警察でもない。あるいは高橋の何倍も面倒になる人物。
立神荘士。
「あんた、あのときのまんまなんだな」
「ん? ああ、顔か。凝りだすと三日はかかるからな、必要がなければ変えるつもりはない」
高校の屋上で見たのと同じ、中分けの黒髪に細い目だ。服装は作業着じゃなく、スタイリッシュなスーツだった。片手をポケットに入れて立つ様はモデルみたいだ。仕事のできる男、て感じ。
困惑する悪仲間を横目で見る。
「手を貸そうか、イヴ」
「やめてくれ、面倒の二乗の倍率ドン、更に倍になる」
死人が出かねない。嫌な奴らではあっても殺すほどのもんじゃないんだ。物事には分相応がある。殺人現場を目撃して警察に事情説明して立神との関係なんか訊かれちゃったりして僕は知らない僕は無関係だなんて訴えても聞いてくれなかった日にはストーカーどころじゃなくなってくる。過去の汚点を暴かれるのも遠慮したかった。警察は遠ざけたい、犯罪者も遠ざけたい。
いっそ誰も寄ってこないでほしかった。
「なんだてめぇは!」
やーめーてー。
チビデブが威勢良く向かっていく。止めようにもガリノッポに捕まってて単純な腕力には負ける。とうとう殴りかかるのを見過ごすしかなかった。
カウンターで予備動作のないパンチがブタ顔にめりこむ。低い鼻がますます低くなった。白目を剥いてただの物体が倒れるように俯せになった。ぴくりともしない。
行ってほしくない方向に展開は進む。
ブタ君を見下し、足が上げられた。追い打ちで踏みつけようとしてる。
「やめろ! それ以上はいい、あんたはどっか行ってくれ」
寸前で止まった。革靴の足跡が頬についてる。顔面粉砕もあり得た。僕に感謝しろよ。証拠VTRがないのは悔やまれる。
立神が、そうだ、となにかを思いついたようだ。
「お望みとあらば、この醜いハム野郎の戸籍を抹消してやるぞ」
「望んでません、帰ってください、お願いですから」
残念そうに見えるのは気のせいじゃない。東京湾に沈めるヤクザの方がまだ良心的だ。立神の思考には価値のない人間は人間じゃないとする傾向があると感じられた。
「冗談だ、本気にするな」
愉快を言葉に乗せて発する立神。
ごめん、笑えない。チビデブがこの世に存在してないことにされる──現実にそれだけの力がありそうだから恐ろしい。
ガリノッポが僕を解放する。拳を握ってやる気満々だ。やめておけって、死ぬって、リアルに死ねるって。待て待て待て。
「なんだこりゃ。一匹ぶっ倒れてんじゃねぇか」
懐かしくも聞きたくない声だった。一人で来たらしい高橋だ。
頭が痛い。予知の前兆じゃないのは間違いなかった。
僕+立神+高橋+他二名(一名ハム野郎)。
こんな計算式、答えを出したくない。混ぜるな危険、警報ランプが百個は回ってる。どうにでもしてくれっていう気分になった。あとは野となれ山となれ、死人が出ないのを祈るのみだ。
赤いシャツのボタン三つをざっくり開けた高橋がオールバックの髪を撫で上げる。知らない人間である立神へガンをつけた。いつ爆発が起きてもおかしくない。
「なんだこいつ、相原の知り合いか」
「知り合いっていうかなんていうか、まぁ、はい」
ふーん冴えない顔してんな、と半笑いになって、んなことはどうでもいい、と話題を切った。よしよしその調子だ、立神には触れるな、エサを与えないでください。
「うちに戻ってくるつもりはないんか」
「そう言ってもらえるのはありがたいッスけどね、いまは他のことやってるんで」
戻るわけないだろバーカ。
高橋がタバコを出し、ジッポライターで火を点ける。吸いこみ、顔面に向けて煙が吐き出された。染みるのを防ごうと薄目になる。
「ただとは言わねぇよ。借金半分にしてやってもいいぜ」
「それはきっちり返します、大丈夫ッス」
戻る意思なんかこれっぽっちもないんだよ、察しろおっさん。三百万ぽっち、いつか一括払いしてやる。だからさっさとこの場を去ってくれ、なにがどうなっても責任持てない。
背後からくすくす笑いが聞こえてくる。敢えて耳に入れないようにした。
高橋が続ける。
「どうしてもか。腹割って話すとよ、使える若い奴がいねぇんだよ。俺を助けると思って手ぇ貸してくれや。報酬だって弾むし、組長に幹部候補として推薦してやったっていいんだぜ」
「勘弁してくださいよ、ホントすんません」
無理です、無理無理です。ヤクザの幹部? いいように使って捨て駒にされるのが目に見えてる。あんたらのやり口は知ってんだ。これでやる気ないって分かっただろ、さぁ帰ってくれ。
くすくす笑いが継続してる。
「そこをなんとかよ──」
くすくすくすくす。
こめかみに血管が浮き出るのを確認する。苛立たしげにタバコを捨てた。
「さっきっからなんだてめぇは、へらへらしやがって!」
相手は立神だ。
終わった、なにもかも。
高橋を前に、線にさせた目は弧を描いてる。会話がツボだったようだ。おそらく僕の回答と、その裏の心理とのギャップを読み取ってたんだろう。それぐらいはしてのける男だ、人生楽しそうでなにより。
僕はなんて不幸なんだ。
高橋が寝続けるチビデブを一目見る。
「こいつやったのおめぇだろ。うちの舎弟をたっぷり可愛がってくれたみてぇじゃねぇか、あ?」
首を縦に振って大股歩きした。
笑みを絶やさない立神は無視をする。
高橋の頭に血が昇ったのは顔色で分かった。襟首を掴んで、聞いてんのかこらっ、と脅しを入れる。直後、相手は無表情になった。瞼の隙間にはドライアイスみたいに冷たい眼球。
「ヤニ臭い手で俺に触れるな」
薬指が握られて曲がっちゃいけない方に曲がってる。おかまめいた女々しいポーズになって喚く高橋。
ぽきん。
スナック菓子を折ったような軽さだった。絶叫。腰を屈めて苦しんでる。ヤクザの面影はそこにない。
立神は尚も握りっぱなしで離さなかった。ひねくり回し、執拗に観察してる。指はどんどん赤黒く変色していった。念入りな鑑定が続く。
「E級未満、駄菓子も買えない廃棄物だな」
弾き飛ばす。なにをもって良しなのかは不明だ。
ひーひー喘ぐ高橋は患部を押さえてうずくまる。立神の脚が動いた。爪先があごを跳ね上げ、無様に転がる男が一人。鼻血を噴いた彼は地面を逆ハイハイした。
更なる危害を加えてこない立神を見て、ようやく立ち上がる。
「てめぇ、どこの組のもんだ」
いまさら凄んでも迫力はゼロだ。僕どころか、無傷のガリノッポも白けてる。内心を代弁すると、こんな奴に従ってた俺ってもしやカスなのか、だ。ようやく気づいたな青年よ、それは小さな一歩だが人生においては大きな一歩だ。
「組織の名前か。夢幻倶楽部だ」
「聞いたことねぇな。さては新手の組だな」
でっかい勘違いをした高橋は後退りながら声を張る。
「芽の出ねぇうちにぶっ潰してやる。逃げたって無駄だぞ、きっちり型にはめてやるからよ」
傍観してた僕の近くに差し掛かった。血走った目が向けられる。
「相原、てめぇもだ! ふざけた真似しやがって、ただじゃ済まさねぇぞ」
あはは。もうどうにでもしてくれ。
ヤクザのおっさんは片手を庇って小走りにいなくなった。呆然としてたガリノッポが我に返り、立神を警戒しつつチビデブを起こすとあとに続く。
時間的には大して経ってないのにゾウガメの甲羅を装着したような疲労感だ。
立神はというと情けない三人を嘲笑ってる。こっちの身にもなってもらいたい。
「俺は知らないぜ。あいつらだってしつこさじゃ負けてないし」
「なぁ、イヴ。薬指を見せてくれないか」
拒んで逆上されちゃ阿呆らしい。へし折られないか恐々と左手を掲げた。見つめ、いい指だ、と彼がうっとりした。顔面が近づいてくる。熱い息がかかった。無防備に開けられる口。
既視感があって引っこめる。ぱくっと危うく咥えられるところだった。僕の手は変人共の釣りエサじゃない。
距離をとる僕に肩を落とした彼が自身の指を口内へ含む。
「指は薬指に限る」
舌を絡ませ、丹念に舐め上げた。唾液でてらてらと光ってる。
「長すぎず短すぎず、細すぎず太すぎず、均整のとれた指だ。実に美しい」
「それなら人差し指でもいいじゃんか」
なにか言わないと呑みこまれそうだった。
コレクターの考えることは分からない。傍目に、薬指と人差し指は似てる。長さも太さも同じだ。薬指が美しいと仮定したら人差し指もそうだと言えた。
ちっちっちっ、と舌打ちされる。分かってないなぁお前は、てな具合だ。指なんてどうでもいいけど、ちょっとむかつく。
「人差し指は使いすぎる」
一本、その指を立てる。
「なにかと力を加えて酷使するだろう? おまけに鼻をほじるときも耳を掻くときも大抵が人差し指だ。太さも長さも似ていながら力の入れにくい薬指の出番はほとんどない」
ああそういえば。なんとなく納得してしまった。わざわざ薬指で鼻をほじる人間は見た経験がない。耳もだいたい人差し指か小指が使われてる。
「人差し指は見てくれだけがいい淫売だな。その点、薬指は純潔を頑なに守る生娘のようではないか。この差は大きい」
さぁ今日から君も薬指収集家にならないかー。なってたまるかー。背筋が寒くなってきた。いつの間にか取り込まれてしまいそうな錯覚がある。すぐに逃げ出してしまいたいのに足が地面を離れない。本当にコレクター仲間にされそうだ。
「それにしてもお前がああいう連中と親交があるとはな」
話題転換される。
僕は胸を撫で下ろした。
「俺には人生のスランプ時代があるんだよ、いまも変わらないけど。そろそろ帰っていいッスか」
「こんな話を知っているか」
延長戦突入。
運がない、こういう日もある。今日ストーカー調査するとなにか厄災があるんだ、だから神様が邪魔を入れるんだ、きっとそうだ。自棄気味になって、腹の中であぐらをかく。
立神は高橋の捨てたタバコの火を踏み消し、土をかけて埋めた。
「十九世紀に興味深い実験がされたんだ。ラットを優秀群と劣等群に分けて繁殖を何代も繰り返し、その能力は子孫へ遺伝されるか否か。どう思う?」
「そんなの、環境だってあるだろうし、遺伝したって些細なもんだろ」
聞いたふりして受け流そうとしてたのに、少し興味があってつい応えてしまってた。
そうだな環境は大事だ、と立神が肯く。
「しかしそれぞれには個人限界がある。定められた限界、それは遺伝によって決まる。結果、優秀と劣等の双方の子孫には明確な能力差が出た。理論的には遺伝の起こるどんな生物にも応用が利くってわけだ」
「まさか、人間でもやってみようとか考えてんのか」
彼がほくそ笑んだ。
僕は踵を返す。
「馬鹿らしい、ラットと人間が同じかよ。悪いけど、俺は帰らせてもらうぜ」
「なにを言っている、極身近にいるではないか」
一瞬、奴自身かと思い、口振りからして違うと推測した。
他となると? 一人の姿がフラッシュバックする。
ご名答。立神が言った。
「彼女は優秀群の配合により誕生したスーパーベビーだ。母親がなかなか素晴らしい思想の持ち主で、自分の血を補い活かす優れた血統種を個人で調べた。相手が見つかってからは三年もかけて狂気じみたプロポーズを続けたらしい。惚れるだろう? もっとも、実の娘に殺されるようでは、だいぶ甘さがあったようだが」
「それ」
「ん?」
「ああ、いや、本当に麗葉が殺したのか。実の母親を」
スーパーベビーについても知りたくはあった。でも殺人をしたのかそうじゃないのかの方が僕にとっては重要だ。
気になるのか、の言葉に首肯する。
「まぁそうか、人生の分岐点になった事故を起こした張本人が彼女ではな」
なにを言ってるのかが脳で噛み合わなかった。事故ってのは相原家の家計を大幅に崩したあの事故だろう。麗葉とは水と油の関係だ。混ぜようとしても混ざらない、融合不能な物質同士。
珍しく立神が意外そうな反応をする。
「なんだ、聞かされていなかったのか。乗用車で逃走していたウルルンにぶつけられて横転したのは当時中学生のお前が乗っていた車だ。ちなみにあの刑事、森里とか言ったか。そのときパトカーで追いかけていたのがあいつだ。てっきり俺はその関係で親しい仲にあるんだと思っていたが、そうなると完全な偶然なのか。素晴らしい巡り合わせだな」
脳内スクリーンに当時の映像が再生される。対向車線を突っ切って暴走する車。僕は後部座席であの瞬間を見てた。パトカーを振り切るために白線を越えてきたんだ。そして横転。
違う。巻き戻し。窓際に座ってた僕はどうしてた。
横転の間際、運転手を見てる。うん、見えた。衝撃が酷くてすっかり忘れてた。どんな人間だ? あれは、そう、少女。背が低くて顔の半分がハンドルに隠れてた。
その顔は──
「麗葉。似てる。いまより幼いけど、あれは麗葉だ」
いまにして思えば日給二万円というのもおかしい。おかしいのは初めから感じてた。雑用係でその高給はできすぎだ。ただそれから立神の件もあって、危険さが考慮されてるんだと納得した。一度答えを発見したらそれ以上は深く考えようとしないのが人間の心理だ。
ずれたのはどこだ。出会いは偶然、これは確信できる。悪仲間二人に追いこまれて事務所前の路地で袋にされたんだ。意図されてるのは次。そもそも普通は出会って間もない奴を雇おうと思わない。小説家を目指してたのを明かしたのは後日だし、僕に不思議な力を見出したからだけじゃ信用して雇うに値しない。もっと根本的な理由があったはずだ。
僕への償い。
彼女に拾われた携帯には簡単なプロフィールを登録してた、あの相原家の息子だと分かる。ちょっと電話番号や住所、経歴を辿ればそんなに難しくない。僕がお金を望んでることを知ってたんだ。
いきなり大金を渡したんじゃ気持ち悪がって受け取らない。特に僕はどんなお金か分からずに手をつけると酷い目に遭うことを裏社会で見てきてる。
だから「雇う」形で償いを始めた、日給二万の不当な額で。
辻褄が合ってしまった。麗葉が僕の真っ当な人生を奪った人間。理由はどうあれ親殺しをし、自分勝手に事故を起こして逃走した最低な人間。交通事故さえなければ上戸さんとも縁が続いて早いうちに留められた。こんなにもほころびだらけの人生になることもなかった。
なにもかも手遅れ。
体が震えた。どんな感情の震えかは自分でも分からない。どうしていいか分からない。無人島で身の丈の何倍もある穴に落ちてしまったみたいな感覚だ。助けを呼んだって無駄だと分かってる。声も出せない。どうしようもない現実に震えてる。
「憎いか? 殺してやりたいって顔に描いてあるぞ」
勢いで襟首を掴んでた。
恐怖する。高橋の二の舞になるんじゃないかと思った。
立神は、ジョークだ、と笑って離すようやんわりと腕に触れてくる。
乱れたスーツを正し、
「殺すにしても少々待ってくれよ。ウルルンとの遊びは気に入っていたが、そろそろおしまいにしたい。入部させたい人材は世界中にまだまだ多いからな。どうにか次で彼女を俺側につけたい」
「あいつが仲間にならなかったときはどうするんだ」
そうだな、と考えるポーズをした彼は肩を竦め、その答えも次で出そう、と言って校舎の裏へ行ってしまった。
体育館に寄りかかる。頭の後ろで手を組んで抱えるようにした。なにかする意欲が湧いてきそうにない。
僕は細った桜の木を気温が急激に落ちこむ時間までずっと見上げてた。
次話更新予定は明日(11/19)です。
Next:「■エキセントリックワールド(1)」
▼メールフォームでコメントをくれたYさん
ありがとうございます!
丁寧でいて率直な言葉に感謝します!
おかげで新たな意識の目が開きました! それも複数。
上手くなるにはこの意識の目を増やしていくことが大事だと思うので、大変ありがたいです!
今作はキャラや展開がガチガチに固まってしまっているゆえ
アドバイスを活かすのは次作からになってしまいますが、
指標を見出せずがんじがらめになった現状を打開するための大きな一歩になりそうです^^
思い切って連載をしてみて良かったと心より思いました。
結構な年月の間、小説を書いてきました。
しかし、そういえばラブコメらしいラブコメを書いた記憶がありません。
チャレンジしたいと思うと同時に、しばらく忘れていた活力が湧いてきました。
色々な意味で、ありがとうございました!m(_ _)m