■犯罪者のいる世界
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道行く人が犬を連れた大男に視線を浴びせてる。背が高いせいだけじゃなかった。セーターのあらゆるところに赤い羽根がついてるんだ。ファッションにしては前衛的過ぎる。僕は回れ右をして知らない人のふりをしようとした。
「おや、相原君。銀行に用事かい。実は僕もなんだよ」
「あ、奇遇ッスね。俺は預け入れしようと思って」
あたかもいま気づいたふうに装う。しまった、目的地が一緒じゃ逃げようがない。カーゴパンツのポケットに入れた厚みを叩く。生まれてこの方、お目にかかれなかった金額が入ってた。
「貯金かぁ、いいなぁ」
森里さんが羨望の眼差しで見下ろしてくる。タロさんも切なげに鳴いた。飼い主がある種の浪費家だと苦労しそうだ。ドッグフードが、食えもしない羽に化けたのだから落胆も甚だしいだろう。
人目が集まってきてる。写メを撮る者までいた。このままだと街の有名人の仲間入りをしかねない。入りませんか、と断って自動ドアをくぐる。
タロさんもすんなり入ってきた。入口に立った女銀行員が慣れた手つきで額を撫でる。元警察犬なだけはある、森里さんがリードを離してもお座りをしてちゃんとしていた。
ATMが一つ空く。森里さんへ先に譲った。ありがとう、とでかい体を狭いしきりの中におさめてる。暗証番号を覗けるやからは一人もいない。
「なんてこった!」
頭を抱える森里さん。
「残高が三円しかない」
現代の消費税にもならない。本当に公務員なのか疑わしい。
彼が大きな溜め息をする。体を小さくし、タロさんを抱き締めた。タロさんはチワワみたいにぷるぷる震えてる。心なしか涙目だ。ごめんよー給料日まで我慢だよー、と死刑宣告めいたことを言う飼い主。タロさん、怒ってもいいんだぞ。まだ月初め、振込日は遠い。
盛大な腹の虫が彼らの空腹をアピールしてた。昼食も食べてないんだ。
肩を叩く。
「これ、使ってください」
「え、いいのかい」
彼の瞳が一際に輝いた。黒目に映るのは一万円札。
すぐにかぶりを振る。
「駄目だ、ひもじくても僕は刑事。人々の安全を守るのが使命。お金を借りるなんて許されるものか、いいや許されない」
ぐぅるるるるぴぃ〜。
今度はタロさんの腹も同時で、腹減り二重奏が銀行内に広がる。客も職員もくすくす笑った。
「いつか返してくれればいいですから。タロさんと美味しい物でも食べてください」
「相原君、君はなんていい人なんだ!」
無骨な手で一万円札ともども握られる。
「この恩は一生忘れないよ。なにかあったらなんでも言ってくれ、お金以外のことならなんでも聞くよ」
「そんな大袈裟な。普通に返してくれればいいッス、よ」
脳内を一つの事柄が浮かんだ。綾木のストーカーについてだ。警察に頼んで犯人を特定できれば、なにかと先回りが可能だった。
彼らが暇じゃないのは承知してる。僕は駄目元で事情を説明した。
「いいよ、調査するよ」
まさかの回答だった。やっぱり無理ッスよね、と喉を出かかってた。本当にいいのか訊くとあっさり肯いた。
「立神に関して役に立ててないのもあるし、比佐もそうだ。それと極めつけに、このお金の借りもある」
重点はそこなのか。なにはともあれ心強い味方だった。立神の前じゃ見劣りするものの、一般の犯罪者には十分有効だ。犯人と対峙したって森里さんは素手でぶっ飛ばしそうな図体の持ち主。刑事と知り合ってラッキーに思う日が来るなんて一年前は考えてもなかった。
差出人不明で届いた物品は帰りがけに自宅に寄ってもらって渡すことにした。幸いにも彼には鑑識課の通称シバさんと呼ばれてる親しい友人がいるようだ。早く綾木に知らせてやりたかった。
女の耳をつんざく悲鳴。
場が静然とした。よれよれのコートを脱いだ男が猟銃を手にボストンバッグを受付へ乗っける。女の客を人質にしてた。頭頂部にかけて禿げていて、目の下はくまで黒ずんでる。団子っ鼻が特徴的だった。どこかで見た顔だ。
「指名手配してる銀行強盗の逃亡犯だ」
ニュースで何度も流れてた顔。強盗の録画映像にも出てた。森里さんも人質がいては迂闊に近づけない。
犯人の指示で入口と窓のシャッターが閉められる。札束で膨れたバッグが戻ってきた。チャックがしっかり閉まってないせいで一束がこぼれる。おっと、と拾おうとする。
男の銀行員が見逃さなかった。すかさず飛びかかったんだ。よせ、と森里さんが言ったのは聞こえなかっただろう。揉み合いになり、更に客のサラリーマンと青年が向かった。
破裂音。絶叫。呻き。
タイルに赤い斑点が飛散する。肉薄してた職員の脚に散った弾が当たった。応戦した二人は両手を上げて退く。残った被害者は片脚を抱いて左右へ転がった。出血が酷い、長く保たないのは素人目にも分かる。
誰が通報したのか、パトカーのサイレンが近づいてきた。次々に表で停車してる。シャッターを閉めたら逃走経路を自分で断つことになるんじゃないかと思ったが、なるほど、中の様子が分からない限り簡単には突入できない。
全員がカウンター前に座らされた。給料日の遠い平日なのもあって職員含めて二十人に満たない。相手は一人だ、一斉にかかれば勝てる。
誰も勇敢に立ち向かおうとはしなかった。必ず犠牲者は出る、いまだ苦しむ職員のように。あの一発で刃向かう意思はすっかり削がれてた。
森里さんが腕を上げる。
「警視庁捜査一課刑事の森里という者だ」
銃口が向けられた。
「刑事だと? 俺がこの銀行襲うのを知ってやがったのか」
「いいや。たまたま休みでここに用事があったんだ」
胡散臭そうに森里さんを睨む。
「まぁいい。それでおめぇは自己紹介がしたかったのか」
「人質を僕と交代してほしい。女性には酷な役割だ」
申し出に、うなだれてた女も顔を上げた。
犯人は彼女と森里さんを交互に見て却下した。
「おめぇ、訓練を受けてんだろ。しかもでけー。なにされるか分かったもんじゃねぇやな。だが、役には立ちそうだ」
痰の絡んだ声で命じたのは外の警察との連絡だった。三億と車の用意、お札は使用済みの物。
森里さんは警部に電話をしたようだ。犯人へ再び視線を向ける。
「三億はすぐには用意できない」
なんだと、と険しい表情で携帯を引ったくる。
「皆殺しにするぞ、無理でもしろ。三十分やる、用意できたら連絡を入れるんだ。もしできなきゃ分かってるな」
一方的に早口でまくしたてて通話を切った。携帯を投げ返される。
「こんなことをしてどうするつもりだ。二度も強盗が成功すると思ってるのか」
「知るか。やるしかねぇんだ、俺はよぉ」
イスを引っ張り出してきて深々と座る。人質の後頭部には銃口があてがわれた。女子大生ぐらいの若さであろう女は諦めた様子で暗い面持ちで老けこんでる。
「だいたいおめぇらが悪いんだぞ、闇金業者を取り締まらねぇから借金まみれになっちまったじゃねぇか。たった五十万借りただけなのに一年で五千万だぞ、信じられるか。闇金さえなけりゃ、こんなことにはなんなかったんだ。怠慢な警察が全部わりぃんだよ」
このくそじじい。借りたのはお前の勝手だ。正規の金融機関が貸してくれるほど信用がないから承知して闇金に行ったんじゃないのか。貸す方もカスなら借りる方もカスだ。言うに事欠いて警察が悪いだと? ふざけんのもいい加減にしろ。
殴ってやりたい衝動に駆られた。
僕の動きを察知した森里さんに止められる。少し冷静になれた。特攻しても三歩目で撃たれる。勇気と無謀は区別しなくちゃいけない、ここはチャンスを待つしかなかった。相手は一人、それも猟銃だ、一発か二発をやり過ごせばなんとかなる。
状況は最悪なのに恐怖心はなかった。つい立神と比べてしまう。なにもかも幼稚に見えてくるんだ。クソゲームや爆破される学校からの生還で変な度胸がついた。気まぐれに撃たれる展開もなくはないが、ほとんどの出来事にはルールがある。
注意すべきは猟銃と人質の命だ。監視下に置かれてるいまは少しの動作で怪しまれる。いつでも突撃できるように心の準備をした。初めの行員のした行動は間違いじゃない、ちょっと運が悪かったんだ。僕はああいう人間に憧れる、なんとしても助けたかった。
外の騒々しさが増してる。犯人が人質を連れて小窓のブラインド越しに覗いた。
「森里さん、拳銃はないんスか」
「残念ながら持ってきてないよ。でも心配しなくていい、犯罪者が幸せになる仕組みはいつの世にもない」
小声でやりとりした。森里さんが言ったのは全部の犯罪者に当てはまるんだろうか。
犯人が戻ってくる。ぼくは、あ、と思わず声を出した。野太い銃身が方向転換する。引き金一発で死亡。これはこれで迫力がある。
「なんだ、なにか企んでやがんのか」
「いや、足を引きずってるから。俺の親父も両足が不自由になってて、それで」
右が悪いらしい。さっきから変だと思ってたんだ。銃にばっかり気を取られて見えてなかった。
なんだそんなことかとパイプイスに腰を下ろす犯人。
「事の初めはこいつだ。もともと土木やってたんだけどよ、これでも着実に出世してたんだぜ。そこへ馬鹿な若造が鉄骨落としやがって、あっさりクビだ。再就職するにもこの歳とこの足じゃどうにもなんねぇ。女房と子供にゃ愛想尽かされ、金は尽きた。足さえ無事なら家庭は壊れなかったのによ」
喉を鳴らし、痰を吐き捨てる。
「それ、本当に足のせいかよ」
つい口を出てた。
「うちのおふくろは安いパート稼ぎで家を支えてるぜ」
「俺に説教垂れようってのか、ガキ」
犯人が立った。僕も膝立ちになる。体を引っ張る森里さんを振り払った。
「親父だって内職してる。確かに金はないけど、それでもそれぞれできることをやってる。事故から数年経ったいまもまだ仲は壊れちゃいない」
少なくとも自分と以外は。
犯人が馬鹿にした笑いをする。
「よっぽどお人好しな女なんだろうぜ、お前のおふくろは。俺の方はクソババアだ、貧乏クジを引いちまった。ガキができちまったからしょうがなく結婚してみたがぁ、若さゆえの過ちってのはしたくねぇもんだな」
「過ちに若さもクソもあるかよ」
途端、こめかみに鈍痛が走った。猟銃の尻でぶっ叩かれたんだ。軽く切れ、押さえる指に血がこびりついた。見下ろしてくる犯人を睥睨する。
「撃てないと思ってんのか? 勘違いすんじゃねぇ、俺は若い奴見るとぶっ殺してやりたくなるんだ。次は撃つぞ、一人撃つのも二人撃つのも変わらねぇからな」
びっこを引いて戻っていく。
体を起こすのを手伝われながら僕は小声で言った。
「やっぱり甘い」
小首を傾げる森里さん。
「立神なら有無も言わさず殺す迫力がある。森里さんの言う通り、安心しても良さそうだ」
「相原君……?」
撃たれた男の血色が急速に悪くなってる。同僚がタオルで縛ってみても効果はあまりなく、短時間で真っ赤に染まる。森里さんが負傷者の解放を頼むも、容赦なく跳ね除けられた。
「知ったこっちゃねぇ、おとなしくしてりゃいいものを、刃向かう奴が悪いんだ」
貧乏揺すりをしてちらちらと自分が撃った相手を見てる。俺の責任じゃねぇからな、と何度も言った。
森里さんの携帯電話が鳴った。犯人が、出ろ、と合図する。お金と車の用意ができた、その連絡だった。
「良かったじゃねぇか、これで治療なりなんなりできるぜ」
ろくでもねぇ。
別に負傷者を気遣う優しさがあったんじゃない。一番ほっとしてるのはあんただろうに。殺人犯にならずに済んだ、などと考えてんだ。無駄に歳を重ねた典型例。器の小さい男の思考は簡単に読める。
犯人は機嫌良くブラインドの一行を開いて外へ視線を巡らせてる。
「相原君。僕はね、似たような目に一回遭ったことがあるんだ、子供の頃にね」
「銀行強盗ッスか」
「誘拐だよ。助けに来た刑事は人質にとられた僕を前に自身の銃で殺された」
刑事は父だった。
森里さんが、そう言った。
「あの頃の自分はなにもできなかったけど、いまならできる。君は手出ししないでくれないか。僕が絶対に捕まえてみせる」
決意の込められた瞳で犯人の背中を見据えてる。僕の思考も読まれやすいらしかった。先に釘を刺されちゃ動けない。行動が重複して迷惑になる場合もある。黙って肯くしかなかった。
一つ気になってたことがある。犯人は足が悪い。なのに、車を用意させたところで運転が不自由なくできるんだろうか。オートマはまだしも、マニュアルは無理だ。要求のときにそんな指定はしなかった。運転手役が他に必要になってくる。
外で待ってるとは考えられない。奴は連絡してないんだ、内部の状況を伝えてないんじゃ不都合が起きる。イレギュラーな事態に対応できない。計画が稚拙でそこまで計画が及んでないってことはないだろう、一度は銀行強盗を成功させた人間だ。
この中に犯人の仲間がいる?
初っ端に立ち向かっていった数人は違う、弾は誰に当たってもおかしくなかった。他、逃げ走るのすら満足にいかない年寄りは致命的なほど強盗仲間としては相応しくない。残るは八人。男行員が三人、男が二人、女行員が二人、女が一人。皆、強張った表情で皆目見当がつかない。
こんなときに麗葉なら解決法を冷静に瞬時に判断するだろう。
予知も出なかった。使い物にならない力だ。
無難は男。自分なら仲間に男を選ぶ。この強盗計画に限って女を共犯者にするか? しない、きっとしない。五人に的を絞る。若さ、体力もあった方がいい、頼りになる。そうなると残るは二人。二択なら行動方針も定められる。どちらかが不審な動きをしたら迅速に対応すればいい。
なんだそれ。
話にならない、これは屁理屈だ。
森里さんに共犯者について意見を求める。なるほど、と肯いてくれた。ただし彼にも分からないようだった。その代わりに動かしたのはタロさんだ。森里さんの言葉通りに犯人の死角になる背後、それも観葉植物の後ろへ伏せた。
犯人を無事に確保しても共犯者に反撃される懸念がある。取り押さえた途端に後頭部へ一発食らわされたんじゃコントだ。タロさんは切り札になる。
機械式のシャッターが自動で上がっていく。出口が開き、一人ずつ順番に出るよう言った。森里さんが仕切って年寄りと女を先に行かせる。続いて男。あとは僕と森里さんにタロさん、それと──
「私も」
後を追おうとしたのは銃口をつきつけられた人質の女だ。二の腕をがっしり掴まれる。
「おめぇは俺が金と車を手に入れてからに決まってんだろが」
脳裏に閃きがあった。
「あの女だ!」
僕が叫ぶ。発言自体は言葉が欠如してて意味が通らない。
言わんとしたことは森里さんに伝わった。タロさんに指示をかける。背に飛びかかられた犯人はあっさり女を解放した。八割の確信が一〇割になった。人質を模した共犯者だったんだ。逃亡を図る彼女を捕らえる僕。
銃声。床のタイルに穴が空く。タロさんが唸りを上げて噛みついた。振り解こうと暴れる犯人。遠心力を利用されてタロさんが離れて着地。
銃口が向けられる。
森里さんがタックル、犯人を弾く。
銃声。
タロさんの果敢に挑んだ二度目の噛みつきは体が浮いた地点で散った。胴体を床に激突させて蠢く。
発砲があったのを合図に盾を持った警官隊が突入してくる。森里さんの荒い息、犯人の罵声、そしてタロさんの悲痛な鳴き声が静寂に落ちようとしていた。
手錠のかけられた犯人は任せて銀行に残る。森里さんは呼吸の弱々しくなったタロさんの傍であぐらをかいてた。
救急隊に診てもらった。彼らは、なにも言わずにただ顔を伏せた。弾丸の一部が急所に当たってたんだ。おびただしい出血量だった。毛布で包んであげるのが精一杯。
意外に森里さんは冷静だった。タロさんを撫でてる。虫の息だった呼吸が次第に激しく短くなっていく。舌はだらしなく垂れて焦点も合ってない。
「頑張ったね、偉かった、タロさんは最高の警察犬だよ。疲れたろう」
優しく語りかける。
「もういいんだ、犯人は逮捕した。あの有名な指名手配犯をタロさんが捕まえたんだ、大手柄だよ。だから──」
おやすみ。
言語が通じたようだった。いや、通じたんだ。瞳をつぶり、最後に大きく一呼吸をした。膨らんだ肺がスローモーションでしぼんでく。
森里さんは血で汚れるのを構わず片腕で抱えた。もう片方の拳で床を殴りつける。表情は苦渋に満ちてた。犯人に対しての悔しさじゃない、おそらく自分に対しての不甲斐なさだ。
犯人がパトカーに乗せられてる。どうせ何年後かには出所するんだろう。
「いいんスか、このまま行かせて。きっと好きなだけ殴っても誰も文句言いませんよ。なんなら俺がやりましょうか」
僕は自分の手のひらを殴りつけた。森里さんの代わりにというより、本心からそんな気分になってる。
「いいんだ。犯人確保、それで十分」
「タロさん殺されたんですよ。やられっぱなしで、それで気が済むんスか」
「僕は仏様じゃないんだ、殺意だってある」
僕が言葉を返す前に、だけど、と言う。
「それじゃ駄目なんだ。奪われてばかりの人生でも、同じことをしたら犯人と変わりない。僕にできるのは、一人でも多くの犯罪者を捕まえて、更正させること。そうやって全員が更正すれば、この世は誰もが安心して暮らせるようになる」
「なに生温いこと言ってんスか。ああいう根っからひん曲がった奴は出所したって反省なんかしないッスよ。犯罪に至らなかったとしても、色んな場面で小汚い真似をするに決まってる」
「分かってる、綺麗事だって言いたいんだろう」
図星だ。口をつぐむ。
森里さんがタロさんを胸に抱いたまま立った。
「僕がしたいのは綺麗事なんだ」
パトカーが野次馬を掻き分けて走り去っていく。
「生まれながらにして犯罪者だったら、人間という生き物ほど哀しいものはないじゃないか」
上戸さんを連想する。中学時代の彼女は間違いなく犯罪者じゃなかった。どこかで脱線してしまったんだ。銀行強盗のおっさんも、どこかでレールを落ちてしまったのかもしれない。
「立神もッスか」
彼がこっちへ向いて応える。
「そう信じてる」
嘘偽りを感じさせない一直線な瞳だった。
この人には敵わない。綺麗事だとは思う。でも彼の言う人間が世界人口を占めれば、等しく平穏が訪れるだろう。強盗も、殺人も、暴行も、事故も、なにも惨事が起きない毎日を望むのは自分も同じだった。
タロさんの葬儀は人間と同様に行なわれた。霊柩車を見送る敬礼は排気の匂いが消えても尚続けられたという。それからというもの、僕は仕事を休んだ。事務所の番号で電話が何度かあったが、出る気になれなかった。
犯罪者のいない世界で底なしに沈んでいたかった。
次話更新予定は明日(11/18)です。
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