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出席番号三番 上原遼平

 やけに寒かった、試験当日。

 その日、俺は兄のお下がりのマフラーを首に巻きつけて、試験会場に向かっていた。


 聖ハスカ小学校。

 

 日本トップの名門校で、聖ハスカ女子大、また、聖ハスカ男子大の付属小学校である。

 小学校は十階建てで、年長の子供を持つ親が、子供を入学させたいと熱心に勉強を叩きこむのだ。偏差値八十二。誰もが、一度は校門の前で写真を撮りたい、と話題に上りつめた学校だ。

 俺の兄は、聖ハスカ小学校に通っていた。

 頭も冴えていて、ピアノが得意。俺より二つ年上で、憧れの兄だった。

 兄が聖ハスカの生活を家族に話しているのを聞き、俺も入りたい、と受験勉強に奔走した。

 

 だが、試験は散々な結果だった。

 国語と算数は殆ど全滅。合格発表の通知は、見なくても分かっていた。

 偏差値八十二の学校に受かること自体、俺の頭じゃ無理だと分かっていても、でも納得できなかった。

 兄に出来て、自分に出来ないはずがない。

 近所の心が丘小学校に入学することになり、俺の不満はトップに上っていた。


 心が丘小学校には、聖ハスカの試験会場にいた子が何人かいた。

 その一人は、本田一誠。

 双子の妹らしき人と一緒に、真面目に試験を受けていた。だが、試験の結果は駄目だったようだ。しかも、妹が来ていない。きっと妹は真面目にしっかり勉強して、合格したのだろう。

 六年生になった今でも、本田は教室で話していた。

 どうやら妹は、(さつき)という名前らしい。事あるごとに「聖ハスカで皐がさ~」と話しているからだ。

 

 そして、六年生になった今でも、不満は晴れない。

 何で俺は受かんなかった。聖ハスカに行きたかった。そして、こんな平凡な小学校より何倍も楽しい、私立小の小学生気分を味わいたかった。

 何しろ聖ハスカは日本が誇る大学。噂では、小学校、中学校、高校、大学と上へ行くごとに、ハーバードをじんわり追い詰めていくような高度な教育をしているらしい(噂なだけ)。いじめかよ。

 聖ハスカに通えば、近所の人気も根こそぎ上がる。中学にエスカレーター入学して、制服を着込めば、街行く人が一斉に振り返る。卒業すればあら不思議、結婚相手も仕事も選び放題。聖ハスカに入学すれば、死ぬまで一生安心。

 そして俺は、卒業後の人生をイージーモードで終わらせるつもりだった。最も、卒業するまで大変なんだろう。でも俺は、兄と一緒に学校へ通いたかった。


 なのに。

 何故六年間の貴重な小学校生活を、こんな平凡で、聖ハスカに比べたら百倍劣るような市立小学校で過ごさなければならない。

 俺はそう思って、中学で今度こそ聖ハスカに入るために、猛勉強した。

 クラスの全員から「秀才~」だの「頭良い」だのと言われたが、当然だ。

 聖ハスカを目指すなら、こんな学校、いない方が良いのだ。良いに決まっている。

 こんな平凡な学校の一番は、聖ハスカの最下位だ。

 中学に入れば、周りの者を圧倒できる。寮の制度も始まり、本格的な学園生活が楽しめる。

 願わくば、学内で友達を沢山作り、決して一人ぼっちにはならないように、勉強をして友情を育んで。ハイスペックな学校生活を楽しんでみたいのだ。

 だが、それは叶わぬ夢となった。


 こんな馬鹿みたいな小学校生活を、俺は早く終わらせて、聖ハスカに行きたかった。憧れの制服に身を通し、カッコつけて、入学式へ行ってみたい。


 そんな俺は、小学六年生になってから、遅すぎる楽しみを見付けてしまった。それも二つ。

 まず一つ目は、白井大志という親友ができたことだ。

 彼も、聖ハスカに受験しようとしていた一人だった。小動物のような雰囲気で、頼りなさそうなくせに、頭が冴えている。そんな彼が受験していたという話は、六年全体に広まっていった。

 大志とは、随分と仲良くできそうだ。本田とは違う。皐とかいう、双子の妹もいない。噂では、あいつの両親は、離婚したとか何とか言っていたが、大丈夫だろうか。

 そう思っても、俺にはどうすることも出来ない。

 だが、大志とは驚くほど意気投合した。

 とあるゲーム作品のBGMを俺が鼻歌で歌っていたところ、「その曲、僕も好きなんだ」と意外に大志が乗って話してくれたのだ。

 俺は嬉しくて、大志とその話をしていた。その頃から、俺は大志と仲良くしていこうと心に決めた。六年の学校生活の中で、初めて出来た親友。気が合う、何でも話せる親友なんてものは、この学校で過ごすのに、必要なかったと思っていた。だが、今は違う。この学校生活は、意味ある生活だ。決して聖ハスカが全てではないと、俺は少しだけ思い始めていた。


 そして二つ目は、神楽藍花と話す時だ。

 神楽は、この学校の代表委員長で、嫌いな人を作らない主義。そのため、男女皆から好かれていた。

 栗沢麗羅といつも一緒にいて、六年三組の優等生存在。おかっぱの眼鏡少女で、いっつも陶器のような艶やかな肌をしている。

 俺は、最初、こんな誰にでも良い顔をする八方美人が嫌いだった。

 市立の中学校に通うくせに、俺のように勉強を頑張って。クラブ活動も、友達関係も、バランス良く両立していて。

 五年の頃から、神楽のバランスの良さは噂で聞いていた。

 だがまさかここまでだったとは。


 一学期の初め、俺は彼女に「何故そんなに勉強を頑張っているのか」を聞いた。

 そこから返ってきたのは、「頭が良くなりたいから」でもなく、「私、受験するから」でもなかった。


「頭が良くなったら、沢山勉強をして、お父さんを助けるんです」と自信満々に言っていた。


 きっと彼女の父親は、病気なのだろう。

 初めは、そう思った。

 父親が病気で、その病気を治したいから、医療の道へ進むと。

 頭の良さそうな雰囲気を醸し出しているのか、と俺は嫌味ったらしく受け取った。こっちは目当ての小学校に落ちたっていうのに。


「医療系の仕事に勤めるのか?」

「違います。お父さんの仕事を手伝うんです」


 なんてことだ。

 そんな風に夢を確立している少女は、初めて見た。

 無論俺も、聖ハスカに合格して、残りの人生を薔薇色に染めてやると意気込んではいた。だが、彼女のように、人を想う気持ちが勝り、こんなに頑張ることは、到底出来なかった。

 聞けば、彼女の父親は、務めていた会社が倒産し、莫大な借金を背負っているらしい。その会社自体借金を背負っており、倒産して、それからの借金は社長と社員が背負うことになったという。

 だから一生懸命勉強して、いつかは法律関係の仕事に就き、弱り切った父親達を助けたいのだと言う。


 そして、最後にこう言った。


「上原君みたいに頭が良くなりたいんです。そうしたら、きっと、皆を助けられるから」


 その言葉が決め手で、俺の中の神楽藍花の評価はどこかで変わった。


 以来、俺は神楽を目で追うようになった。

 市立小学校には、こんなに人への想いで溢れた人がいるなんて、知らなかったから。ずっと、馬鹿ばっかりだと思っていたから。だけど、神楽は違う。自分じゃなくて、人のために、自分の身を削って勉強していた。それが単純に、スゴイと思った。

 この感情をどう呼ぶのかは分からないけど、それでも神楽を特別視しているのは、自分でもよく分かる。


 そして、神楽が渡辺彩未に反抗したとき。初めてこの感情は、「恋」なのではないかと確信したのだった。

 あの時、倒れた神楽を助けようとした。だけど、女子にすぐ抱きかかえられて。俺が助ける間もなく、神楽は立ち上がった。

 あの時もしも、俺が助けていたら。って思った時、好きなのではないか、と確信した。



 だけど、それに気付いた日は、人生最後の日だったなんて、知る由もなくて。

 神楽藍花への初恋に気付いた日に、狂った「殺人ゲーム」に巻き込まれるなんて。酷い話ではないか。


 先生が計画した殺人ゲーム。それはまるで、生きる気力をなくしてしまった俺を、更に地獄の底まで突き落とすようなゲームだった。

 そんな。聖ハスカに合格する前に、こんな平凡な小学校で生涯を終えろと言うのか。

 俺は、誰にも聞こえないような声で舌打ちした。ふざけんな。こんな所で死ねと。聖ハスカに合格して、そして、神楽に想いを伝えるより前に、死んでしまうと言うのか。

 何かの冗談であってほしい。

 神楽をチラッと見やると、彼女の白い肌は、更に白く、青白い肌に変わっていた。俺は彼女から目を逸らす。美人にそんな顔は、似合わない。


 ◆◇


 殺人ゲームが始まった直後、俺は渡り廊下で田中華菜とご対面した。

「うわっ、何だよ、ビビったぁ」

「ビビったはこっちの台詞だよ、遼平」

 そして彼女は、クスッと笑った。耳元で、大きなイヤリングが揺れている。


 田中華菜。この学校で有名なギャルだ。

 彼女は色付きリップを塗っている。噂では、昔、彼女の母親が水商売をやっていたとか。だから、いつも微妙に色付きリップの色が違う。きっと家で沢山のメイク道具を取り揃えているのだろう。まだ化粧をしていないのは、化粧をすることで母親の良心が痛むのだろう。

 それに、彼女の服装は、いつも派手だった。

 蛍光色のパーカーを着こみ、その下には派手な柄が描かれたタンクトップ。黒のショートパンツの下には、この寒いのに、二ーハイしか履いていなかった。


 そして何よりこの田中、大志の好きな人なのである。初めて相談された時は、俺も少しばかり気が滅入ってしまった。

 よりにもよってこのギャルかよ、と。


「ってか、寒くねぇの? その格好」

「寒くないよ。うん、全然」

 

 だが田中は、性格だけは非常に優しい。

 間違ったことをする人には厳しいが、正しい人にはとても優しい。俺が正しいのかどうか分からないが。

「そうか。体を冷やすと血行が悪くなったり、風邪も引きやすくなるからな」

「へぇ。そうなんだ。教えてくれてありがと」

 田中はまたクスッと笑った。イヤリングがまた揺れる。ギャルというものは、こんなにも神楽とかけ離れているのだと、俺は思った。



「ねぇ、遼平って、藍花ちゃん、好き?」

「は?」


 いきなりの質問。

 神楽への好意を自覚した当日に、殺人ゲームに巻き込まれて、そしてクラス一のギャルに好意がバレてるとか……。

 俺は苦笑しながら、言った。


「そうだけどな。……いいよ、どうせ俺なんて、神楽は振り向いてくれはしないんだから」

 それにこの状況。

 まさに聖ハスカへの道を塞ぐような。

 聖ハスカなんて、田中が聞いたら、「うへぇ、あの超名門校?」と顔をしかめるに違いない。

 そうだ。俺は、超名門校を目指している。

 だから、ここで死ぬわけにはいかないんだ。いつか兄と、中学の制服を着て聖ハスカの校門に足を踏み入れるまで、絶対に死んではいけない。

 なのに、何故こんな狂ったゲームに巻き込まれなければいけない。

 そんなことをさっきから延々と考え続けていた俺は、田中が「そっか……」と寂しそうに呟いたのを聞き逃していた。


「……藍花ちゃん、すっごく良い子だよね」

「お前、そんなこと分かるんだ」

「分かりますってば。頭良い遼平とは比べ物になんないほど、馬鹿だけどね」


 俺はそんな田中を横目に、「でも、そっか~」と床に寝そべった。

「何が?」

 田中が不思議そうに聞く。今の話の流れで分からないのか。と俺自身も不思議に思う。

「何がって、神楽への好意。結構、バレてた?」

「あぁ、それね」と田中は口に手を押し当てた。

「もうマジ、バレバレ。逆に藍花ちゃん分かんないの!? って感じ。あの子自分のことに鈍いもん」

 そう言って、ひらひらと右手を振る。

「だから、藍花ちゃんに振り向いてもらうのって、結構大変かもしれないよ」

 思い出したように、またクスリと笑う。


「あぁ。こんなときにそんな話しちゃってごめんね」

 

 何だか、田中は、笑顔が多い気がする。

 いつも教室では、大志と神楽しか見ていないからか、そう思うようになってくる。


「田中」

「ん?」

 

 俺は立ち上がった。田中はそんな俺を見上げ、尋ねた。イヤリングが、大きく揺れた。


「こんな場所にいても、どうせ殺されちゃうだろ? だから隠れよう」

「隠れるって、どこに?」

「今それを探す」

 

 俺の言葉の何がそんなに面白かったのか、田中は「プッ」と噴き出した。

「何か、やっぱりこんなときでも遼平らしいや」

「はぁ? 遼平らしいってどういう意味だよ?」

「何でもない」

 また笑っている。じれったくて、それが面白くて、っていう感じだ。それがもどかしくてたまらない。


「田中、何笑ってんのか知らないけど、行くぞ」

「う、うん」

 笑いが止まっていない。しょうがないなと思いながらも、俺は田中の腕を引いて、渡り廊下を後にした。


 そう言えば、前もこんなことがあったかもしれない。

 あの時は、田中が委員会の報告をしていた時。間違って噛んでしまったのだ。

 それが決め手となり、体育館は大爆笑。引き続き田中は、委員会の報告を続けたが、ミスを連発していた。

 田中はその後、もごもごと口ごもっていた。先生方が田中の方を見てヒソヒソと話している。顔が赤くなった田中は、それっきり何も喋らなくて。委員会の報告が終わらず、ただ無意味な時間が流れるだけで。渡辺達は、田中にただひたすら、聞こえるようにブーイングをしていた。


「あ~っ、ごめんなさい。ちょっと原稿用紙間違えてたみたいで! 俺の放送用の原稿と、間違えてたんだよな! ごめんなっ、田中!」


 俺は、自分が何をしたのか、よく分かっていなかった。

 田中を助けたことは確かだった。

 それはちょうど、神楽藍花を意識し始めた頃だ。だからなのか、俺は神楽と仲の良い田中を助けたのだった。


「ありがとう、遼平」

「何がだ」

 田中は、小声で呟いた。独り言のつもりだったのだろうけど、俺にははっきり聞こえていた。

「ん~? ごめん、何でもないよ」

 走るたびに、ハートの大きなイヤリングが揺れる。

 そう言えば、このイヤリング、さっきは着けていなかった気がする。そう、神楽が渡辺に突き飛ばされるまでは。

 恐らく、帰りの会をしているときに着けたのだろう。


 田中の小さな笑い声が、横から聞こえる。

 ギャルなのに、こんなに可愛く笑うのか。

 ギャルの意外な一面を見て、俺は少しだけ口角を上げた。


 ◆◇


 六年三組に足を踏み入れる。春日の死体は、床に転がっている。

 田中は、いたたまれなくなったのか、自分のハンカチを春日の顔に敷いた。春日になんかやらなくてもいいのに、田中は手を合わせてなんかいる。

 こいつ、本当は優しいのかもしれない。

 普段の田中を見ていると、このギャルらしさの陰にあるものなんか、見えなくなってしまう。

 殺人ゲームの中で見え隠れする田中の優しさ。俺は少しだけ、この学校に意味のあるものを見付けた。


 心が丘、この平凡な土地で育つことを、無意味に感じていた時もあった。

 だが、神楽や大志と出会って、その考えは大きく変わった。

 神楽は、俺を変えてくれるきっかけを与えてくれた。彼女の芯の強さ、彼女の揺らぐことのない夢。それは、どれほど意義のある時間を過ごすことのできる夢だろう。

 大志は、聖ハスカに受験した、数少ない受験歴のある同級生だ。

 本田は、皐という妹が合格して、そこで家族問題が発生したと言っていた。あぁいう奴も、いる。だけど、俺には関係ない。本当に、関係ないんだ。どうせ、あいつはサッカーメイトが何とかしてくれる。

 でも、俺はどうしようもなかった。

 神楽に話そうにも、どうせ慰められるだけだろう。慰めは、いらない。だけど、どこかで俺を支えてほしかった。

 大志と仲良くなった時は、俺を救ってくれた神様に感謝した。六年間、意味のない生活を終えてしまうよりも、少しは意義のある時間を過ごした方が良いと、心のどこかで思っていたに違いない。だから、大志と仲良くしようと思ったんだ。


「遼平もやったらどう?」

「俺か? 俺は別にやんなくてもいい。こいつの自業自得だろ」

「結構冷たいんだねぇ遼平って」

 クスッと笑って「行こっか」と俺に笑いかける。

 そこで、俺も頷いた。


 もう少し、田中と行動したい。神楽とはまた違う視点を持っている田中華菜。ギャルと受験生。噛み合わない相性だが、それでも気付くことはあるだろう。

 だから、俺はもうちょっと、田中と行動するとしよう。


 ◆◇


 屋上へと続く階段に、太陽が差し込んでいる。

 太陽の光に照らされているからか、埃が目立つ。まともに掃除しろよ、と思っている。ここら辺、やっぱ聖ハスカとは違うな、と感じる。

 心が丘小学校にいる意味を見付けても、聖ハスカを目指す志は変わらない。

 神楽が好きだと気付いた。でも、中学でも一緒にいたいとは思わない。聖ハスカに行きたい。これから先、神楽と出会う機会はいくらでもあるだろう。神楽が通う中学の運動会。それ以外にも色々ある。聖ハスカの高等部に入ってくるかもしれない。そう思えば良い。


 しかし、殺人ゲームに巻き込まれてしまった。これでは意味がないのではないか。


「……遼平って、聖ハスカに通おうとしてたんでしょ?」

 突然、隣に立つ田中が尋ねてくる。俺は頷いた。

「超名門校だよね、あそこって。遼平が小学校受験で落ちても仕方ないよ」

 うん、うん、と一人で勝手に頷く田中。「何だよ」と俺はムッと来た。

「別に。……でも皐ちゃん受かっちゃうんだよね。一誠の妹」

「あぁ。まぁな」

 ここで本田の妹を褒めないでほしい。そんな感情が膨れ上がる。俺が一気に情けなく感じてしまうから。

「偉いよね、ちゃんと勉強してたからかな。すごいよねぇ」

「お前、いつものお前らしくないな」

 俺は、田中の優しさを全面に押し出すスタイルに見慣れなかった。だから、尋ねた。

 すると、田中は「やだぁ」と噴き出した。

「こんないつ殺されるか分かんない状況で、いつもと同じでいられるわけないじゃん」

 コロコロ笑う田中。俺はそれについていけず、笑った。


「ホント、今日がいつもと一緒だったら良かったのにな」

「は?」


 何のこと? と聞き返すまでもなく、グシャ、という音が聞こえた。

「え?」

 今の音。紙を握りつぶすような音だった。


「何でもないよ」

 そんなことより、早く逃げようと田中は促した。気になる終わり方をされてしまったが、田中が何でもないと言うのだから、俺に追求する権利はない。


 屋上の扉を開けると、屋上から冷え切った風が吹いてきた。

「さむっ」と田中は言いながら、手を温めた。そんな恰好をしているからだろ、と言いたかったが。

「ここなら逃げる所も充分にあるだろ。分かりにくい狭い所に隠れて、見付かって死ぬよりかは、広く見付かりにくい所の方が逃げ道も充分ある」

「そうだね、ありがとう」

 絶対聞いてなかっただろ、田中。


「何か、遼平がいてくれるから、すっごい安心」

 田中がそう言った。俺は、「そうか?」と少しだけ謙遜した。

「まぁ小学校お受験組だったからな。少しは頭が良くなくちゃ、やってけないぜ」

「だよね、すごい遼平!」

 パチパチとわざとらしく拍手する田中。何か田中に操られてる気がするんだが……気のせいだろうか。


「でも何か寒いんだよね」

「あっそ」

 

 せっかく粘り粘ってここを見付けたと言うのに、薄情と言うか、人への礼儀を知らない奴だ。田中は優しいが、こう言うことに対してはずぼらな気がする。


「私だけ中に入ってるね。遼平は外にいた方が見付かりにくいでしょ? それに運動神経良さそうだし」

「そんなわけねぇだろ。勉強一筋なのに」

 だよね、と笑う田中。おいおい失礼だろ。


「じゃあね」

 屋上の廊下をバタンと閉める。音が大きかった。一瞬ビクッと肩を揺らす。

 だが平常心を取り戻し、俺は田中の去っていった扉を見つめる。

 後姿のスタイルは、結構綺麗だった。

 ショートパンツからなびく細い足。あれは錯覚とかじゃなくて、紛れもなく細い。


「って俺、変態っぽいこと想像してるし……」

 神楽が好きなのに田中のスタイル綺麗とか言ってるし。駄目だ。俺、中学生ぐらいのこと考えてるし。


 でも、多分聖ハスカでは、こんなことは起きなかっただろう。

 神楽のような少女はいないかもしれない。皆勉強に奔走しているかもしれない。

 こんなのびのびとした学校だからこそなのかもしれない。


 俺は心が丘小学校に少しばかり感謝をして、屋上に身を潜めた。

 すると、校庭の反対側から、「最初はグー! じゃんけんポイ!」と大きな声が聞こえた。

 学校の裏手にある公園で、小学校低学年ぐらいの奴が遊んでいるのだろう。

 ふざけるな。俺は生死を賭けた殺人ゲームに巻き込まれてるのに。

 こんな所で鬼ごっこなんか。見せつける気満々じゃねぇかよ。


 理不尽に怒る自分を抑えつけながら、俺は呟いた。


「聖ハスカにいれば、こんなことにはならなかったのかも……」


 そんなこと思っても、どうしようもならないことぐらい、分かっていた。でもどうしようもないからこそ、そう思うしかなかった。

「やべぇな。俺。何でこういうことばっか考えるんだろ」

 頭を抱えて、俺は俯いた。

 

 屋上の床に、一筋の水がこぼれ落ちる。

 それが、自分の涙だと知った頃には、俺は泣いていた。

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