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出席番号二十四番 水川想樹

 夜の「早く寝なきゃテンション」で後半がおかしなことになっています。

 俺にとって、人生を変えるような日は、案外簡単に語れるものなのかもしれない。



 その日俺は、トラックに轢かれて全身骨折して、病院に入院することになった。



 数行にも満たない。一行で語れるのだ。人生を劇的に変えたその日が。

 その日、俺が経験した出来事は、たったの数十文字。

 だからって、何かを求めているわけじゃない。何も変わらない。だけど、俺が経験した出来事と、俺が思ったことをまとめれば、相当な数になると思う。


 ◆◇


「結崎さーん、一緒に帰ろう!」

「……そうね、想樹君」

 四年生の頃、俺が通っていた塾の中で、とてつもなくヤバい、と言われる少女がいた。


 彼女の名を、結崎紫織、という。


 結崎さんは、美人でスタイルが良く、髪の毛もサラサラで、身につけるものも雑誌から飛び出してきたのかと思うほどにセンスがある。物心ついた頃には既に芸能界入りしていたという、スーパー小学生だ。

 学校にあまり行かなくて成績が悪いから塾に行くのではなく、彼女が通っているのは世界で最も頭が良い、と言われている聖ハスカ女子大付属小学校。そんな彼女が庶民的で俺でも入れる塾にいるというのは、まさに奇跡的なことだった。

 もう、俺達の「美人、スタイルが良い、頭が良い」を完全に超越している人物なのだ。栗沢が思わず、「負けました、結崎さん!」と言ってしまいそうなほどの美少女。

 そんな結崎さんを、当時の俺はもう好きだったわけで。

 だって普通、目の前に自分と比べ物になんないほど頭の良い美少女が現れて、それでよく勉強を教えてくれて、スタイルが良くておまけにカリスマ感満載の少女がいたとして、恋しないわけあるか? って話だ。

 だがしかし、結崎さんは、優しいというわけではない。皆に優しいとかいうわけではないが、根は優しいと感じている。


 結崎さんはすごくモテるし、正直、塾に通う男子の半分が好きになるレベルの美貌の少女だ。

 聖ハスカ小学校に通い、モデルもそつなくこなし、男子より身長が高くて、そして何より大人っぽい。高校生と間違えられてもしょうがないくらい、大人っぽい。

 何千年かに一度の美人なのではないか、と塾内で噂されるだけあって、女子は悪口などを何にも言わない。男子にモテモテでモデルもやってる美少女なんて、女子がいじめをするには好都合な相手だが、人にちやほやされて調子乗ってるモデルではない。世界一頭が良い、と噂の聖ハスカに通う少女なのだ。こうやってはいじめが公の場にバレて自分達の居場所がなくなるのも時間の問題。だから悪口は言わないし、愚痴は言わない。彼女の前では、たとえば心が丘市に、心が丘小学校以外の結構頭の良い私立小学校に通っていても、結崎さんの前ではそれすらもかすれてしまうほどの頭の良さなのだ。


 俺が結崎さんと一緒に帰ろうと言い出したのは、至極簡単、結崎さんと一緒にいる時間を、誰にも作ってほしくなかったからだ。

 授業が終わると、我先に帰ろうとする男女二割、仲間内で集まって話をする男女三割、結崎さんに我先にと群がる男女五割。クラスはそのどれかに分かれる。つまりそれほど結崎さんは人気があるのだ。

「神に恵まれた才女」と噂される彼女に悪口を言う人は、最早誰一人としていない。

 そんな彼女は話しこんだ後、ぐったりと疲れた表情になる。俺はそれを見て、「一緒に帰ろう」と誘っているのだ。

 彼女に自分の想いが伝わればいいのに。それはあまりにも、高望みすぎではないか。

 自分で自分に呆れながら、俺は今日も結崎さんと一緒に帰る。


 せめて何か、進展でもあればいいのに。

 それもまた叶わない望みだと知りながら、俺は結崎さんと一緒に教室を出る。



 あの後、悪夢が待っているとも知らずに。


 ◆◇


 塾から出ると、途端にバイクの唸る音が聞こえた。

 自然の多い心が丘市だが、とある一角では都市開発が盛んに行われている。ここはそのとある一角。塾の目の前には、大通りが広がっていて、その前には結構話題になっているカフェがある。その裏手にマンションがあるから、死ぬほどうるさいだろうな。

「おーおー、今日も排気ガス飛ばしてるねー」

「本当だー、私達の吸う酸素がどんどん汚れていくー。歩けよドライバー」

 二人してバイクに文句を飛ばし、笑いあう。

 こんな下らない時間が楽しくて。

 家に帰れば、両親が喧嘩してうるさい。両親はいつも不仲で、何で結婚したんだ、と思うほどだ。喧嘩して子供が悲しくなるなら、結婚しなければよかったのに、といつも思う。

 おまけに、子供にも無頓着だ。「想樹、これ、食べときなさい」と言って、酔っ払ったお母さんを俺に押しつけて、お父さんは「夜勤だ」と外へ出かけてしまう。本当は夜勤なんかではないのに。

 真面目で人当たりの良いお父さんは、自分に降りかかってくる問題をすり抜けるのが得意だ。そして、いつもお母さんは俺に当たる。俺が迷惑なんてかけようものなら、「想樹は、自分を生んでくれた親に対してそんなに親不孝なんだね」と散々グチグチ言う。

 それに比べて、結崎さんと一緒にいるときの心の落ち着きと言ったら、まぁ何だろう。彼女は俺なんかと程遠い人物なのに、一緒にいると全てを忘れてしまえそうな、そんな雰囲気になれる。


 なのに、それは一瞬にして、ぶち壊れてしまった。



 青信号になった横断歩道。

 俺が渡ろうとした瞬間、トラックが、歩道に突っ込んできた。

 停止する俺の思考。ぷつり、と何かが途切れる音。

 何かを叫ぶ、結崎さんの声。



 そして迫りくるトラックの、轟音。



 全てが混ざり合って、俺の体から赤い何かが噴き出した。

 痛い。痛い。今まで経験したことのない何かが、脳から、いや体中から押し寄せてくる。

 誰か、この痛みを知っているものなら、早く助けて。今すぐ解放して。


 痛い。何で。何で。



 想樹君、と。



 誰かが、叫んでくれたような気がして。



 結崎さんではなく、もっと、俺が気にもしなかった、気にも留めなかった、



 誰かが。


 ◆◇


 目が覚めた後。

 微かな消毒液の匂いと、聞き慣れない機械音。誰かの息が聞こえてくる。

 一体、誰の?


 俺がうっすらと目を開けると、「おぉ!? 想樹!?」と男の人のびっくりしたような声が耳元で響いた。

 うっさいなぁ。俺がそう言おうとする。


 だが、何故か声が出せなかった。

 あぁ、もう、ウザいなぁ、何で声が出ねぇんだよ。

 頭を掻こうと、左手を頭に伸ばす。



 その瞬間、激痛が走った。



「っだぁっ!?」



 ぞわり、と寒気がして、飛び上がる。と同時に、背中に激痛が走った。


 激痛が俺の体を駆け巡っているのに、誰も気に留めてはくれなかった。その理由の分からない切なさを胸にしまい、瞬きをする。

「先生、想樹は、無事なんですよね?」

「はい。重傷ですが、命に別状はありません」

 俺は、声のする左を見やると、そこには俺のお父さんとお母さんと、知らない白衣を着た女の人がいた。

「……そうですか、よかった」


 飲んだくれ、酔っ払いのお母さんも、今日に限っては何故か改まっている。何故だろう。


「では、何かあればナースコールでお呼びください」


 白衣の女の人が出ていくと、俺はすかさず両親に尋ねた。何で声が出たのか分からないが、とりあえず出た声は有効活用すべきである。


「ねぇ、ここはどこ? 何で俺の体めっちゃ痛いの? 何で数分前の記憶が俺にはないの? 俺は寝てたの? 何でお母さんいつも飲んでるのに今日は飲んでないの? あの女の人誰? 重傷? ナースコール? 何それ美味しいの? ねぇ今どうなってるの?」

「落ち着きなさい想樹。そんなにいっぺんに質問されても困るし、後お母さんはいつも飲んでいるわけじゃないからね?」

 お母さんは必死俺をなだめてくれるけど、誰かこの状況を説明してください。

 俺の心の願いを聞いてくれたかのように、お父さんが話を切り出した。


「いいか、想樹。お前は塾の帰り道、紫織ちゃんという子と一緒に歩いているときに、トラックに轢かれて病院に連れて行かれた。集中治療室で一週間ほど治療して、今病室に連れていかれて、で、今想樹が目を覚ましたんだ。ところで想樹、紫織ちゃんって誰だ」


 ……思い出した。


 あの時、そうだあの時。

 結崎さんと話しながら帰っている最中に、トラックが猛スピードで俺の所に突っ込んできて……。それで……。


「あれ? ってことは俺、ずっと寝てたの? 今日何日?」

「日曜だ。お前はずっと寝てた。だから紫織ちゃんって誰だ。俺が病院来た時、病院の椅子座って大号泣していた髪がここまでの子か?」


 日曜日か。……って、お父さん、どんだけ紫織ちゃん知りたいんだよ。

 お父さんは俺を睨みつけて、両手を二の腕の高さまで持っていく。


 あれ? 結崎さんって、確か。


「結崎さん、髪それ以上あるよ。腰ぐらいだよ。よくポニーテールにしてるもん」

 俺がそう言うと、お父さんは心底意外そうな顔をして、「あ? そうなのか?」と目を丸くする。

「あれ~、じゃあ病院の椅子で「想樹君……」ってすっごい悲しそうに泣いてたあの子、誰なんだ? 知り合いか?」

 はぁ? ちょっと何言ってるか分からない。

 俺の名前を呼んですっごい悲しそうに泣いてた子? 俺のことをそんなに心配してくれる女子の知り合いって、いたか?

「……ごめん、ちょっとその子知らない」

「知らないかぁ。じゃあ、もしかして一方的に想樹を知っていて、想樹のこと、好きなのか? 泣いてた子ってのは」

「それは違うと思う」

 俺が素早く返すと、お母さんがクスッと笑う。

「もう、想樹ったら。照れちゃって。結構可愛かったわよ、その子。お人形さんみたい」

 お母さんが笑いながら言う。

 可愛いって言ったって、俺の知らない人だし。大体、髪がセミロングの少女って、俺あんまり会ったことがないっていうか。


 俺がそう思っていた矢先、病室のドアに人影が見えた。


 こんこん、という小さく控え目な音がして、それが二秒ほど続いた後、それは消えた。

 お父さんが、「はい」と言って扉を開ける。



 そこには、天海実月がいた。



「……君が、紫織ちゃんかい?」

 お父さんが余計なことを言う。違うって。天海は結崎さんではない。

 もっと馬鹿で、俺と普通に話せる気軽な存在。結崎さんのような高貴な方ではない、と俺は失礼なことを思っていた。

「いえ、違います。私、水川想樹君と同じクラスの、天海実月と言います。想樹君とは、仲が良いんです」

 馬鹿で天然な子だなぁ、と思っていたのだが、意外にもしっかりしていた。お父さんは、「おぉ、そうか、宜しくお願いします」と何故だか慌てている。お母さんも、「想樹、こんなしっかりした女の子と友達なのね。今度家に呼びなさいよ」と言っている。うん、友達は友達なんだけど。しっかりはしてないよ。こういう一面があるだけ、だと思うよ。


「……紫織ちゃん、とは、あの、事故現場で叫んでいた女の子のことですか?」


 天海が、その紫織ちゃんに興味を持ち始めたらしく、首をかしげて俺に尋ねてきた。

 事故現場で叫んでいた女の子。それは、結崎さんかもしれない。

「叫んでいたって、どんな風に?」

 俺が尋ねると、天海はうーん、と首を捻って、思いついたらしく、「あっ」と呟いた。

「うん、何か、離れてくださいって叫んでたな。最初は、何で想樹君を心配しないの? なんて思っちゃったけど、救急車に想樹君と一緒に乗ろうとしていたときに、「想樹君、生きてますか?」って尋ねてたから、すっごい心配しているなって思っちゃって」

 ……何だか、嬉しい。

 結崎さん、俺のこと、心配してくれてたんだ。一緒に救急車に乗ったなんて。結崎さんにとっては、どうとも思っていない、ただの知り合いが事故って救急車に一緒に乗るなんて、はた迷惑な話じゃないかと思うけれど、俺のこと、少しでも、心配してくれていたんだ。

 やっぱり、結崎さん、根は優しいんだ……。


「想樹君、大丈夫だった?」

 天海はそう言って、自分が背負っていたリュックから何やら小包を取り出した。

「これ、心が丘の駅前で買ってきたやつ。よかったら、食べてくれる?」

 何で俺が天海からこういうものをもらえる立場になっているのだろう。天海って確か、ゆるふわ天然で、モテているって、誰かが言ってたよな?

 小包を開けると、中からおまんじゅうが入った箱が出てきた。


「うわっ、これ、結構高いやつじゃない? 駅前の、「和菓子の夕月」の」

 俺が驚いていると、天海は「でしょ? 私も結構苦労したんだよ?」とドヤ顔で言い放った。

「和菓子の夕月」は、いまどき珍しい、チェーン店ではない和菓子のお店である。結構な老舗で、デパ地下の六分の一をこの「和菓子の夕月」が独占しているような大きな店である。大人気、とまでは行かないけれど、確実にファンを獲得していって、現在も順調に進んでいる老舗和菓子店である。

 値段もお手頃な物が多いのだが、このおまんじゅうはお母さんが「仕事のご褒美に、今日は奮発して~」とか何とか言って買うやつだ。そんな物を天海は俺のために?


「何かねぇ、私がお見舞いに行くには何にしようかなって思ってたら、お店の奥から琴音ちゃん出てきて。琴音ちゃん、「和菓子の夕月」の社長さんの娘さんだからさ。「このおまんじゅう、事故で入院しちゃった想樹君にあげるんでしょ? 半額にしてあげるよ」って、特別に半額にしてもらっちゃったの! でも美味しさは落ちてないんだよ? 琴音ちゃんったら、太っ腹だよね~」


 えっ、そうなのか?

「和菓子の夕月」の社長の娘が、夕月琴音? 確かに名字は似ているなぁとかチラッとそんなことを思った日もあったけれど、でも、まさか……えぇ?

 今更、何故夕月にはお金持ちのイメージがあるのかという理由が、今分かった気がする。

「だからお言葉に甘えて、ほら、想樹君、食べちゃってよ」

 横では両親が、今日は仲良く口を同じようにぼんやり開けちゃっている。天海の天然すぎる行動が理解できないのだろう。今のは流石に理解できるが、ふわふわした空気がどうにも理解しがたいのだろう。


「……あ、あぁ、あの、天海さん、だっけ?」

 我を取り戻したお父さんが、天海に尋ねる。天海は、「はい」と視線を俺からお父さんに向ける。ちゃっかりおまんじゅうの箱を開けて一個包装を開けて、食った。

 ……こいつ、俺へのお見舞いの品とか言いながら、食いやがった。食いやがったぞ天海!

 俺達家族はそこに唖然としながらも、天海を見つめた。

「何で今日想樹が目を覚ましたって分かったの?」

「あぁ~「和菓子の夕月」超美味しいわ~、もう琴音ちゃんの家に足向けて寝ないようにしよう……はい?」

 ……ねぇ何なのこの子、ねぇ何なのこの絶妙にウザいのかもしれないけど不思議とウザくないスタイル!

「……。何で今日想樹が目を覚ましたって分かったの?」

 お父さんがため息をつきながら尋ねると、天海は名残惜しかったのか、二つ目の包装を破っておまんじゅうを食う。そして包装をそっと自分のポケットの中に入れる。ちゃんとしているのかもしれないが、天海、やっていることが最早、愛され天然を通り越して、失礼だぞ。



「あっ、それは、私が毎日ここに通ってナースさんに状況を確認したからです。今日ナースさんの顔が浮かれてたんで。早速ここまでダッシュで来たんです。友達だから、当然ですよ」



「…………」


 今、人のおまんじゅう勝手に二個食って、今、三個目に手を伸ばそうとしているこの天海が、さらっとものすごくスゴイこと言ったぞ。

 俺のために毎日通ってきてくれたのか? 天海が? 知り合いじゃなく、友達として? このおまんじゅう食ってる天然……最早無礼少女がか?

「想樹のために、毎日、通ってくれたのか?」

「はい、そうですけど?」

 さも当然のごとく天海はすごいことを言う。そしてさも当然かのようにおまんじゅうを食べる。一つの行いが国民栄誉賞貰っても良いんじゃないかなって素晴らしいんだけど、もう一つの行いがとんでもなくクソに等しい。人のおまんじゅうを勝手に食べるな。おいこら。

 両親もそれを注意したがっている様子だ。おまんじゅうにチラチラ視線を向けている。


「もしかして、食べたいんですか? おまんじゅう」


 天海が両親の視線に気付き、全く見当違いなことを言う。いや、天海を注意したがっているんだよ、と叫びたくなる。

「……いや、あのね、想樹にあげる物じゃないのかな? って思って」


「あぁ、私、自分絶対おまんじゅうあったら食べちゃうなって思って、用意しておいたんです。もう一箱」


 そう言って天海は、リュックからもう一つ、小包を取り出した。

「……へ?」

 間抜けな声が出てしまう。

「二、二個、持ってきたの?」

 天海が俺に小包を差し出す。俺は戸惑いながら聞く。

「うん。私、お菓子があると食べたくなっちゃうんだよね。それを抑えるために、想樹君にあげる用と、自分が数個食べる用と二つ買ってきたの。あ、もう食べないから、これ二つ、想樹君にあげるよ。すぐしまってね」

 何という天使。

 天海はちょっとクソみたいな奴ではなかった。自分の欲望に忠実だが、相手に決して迷惑はかけない、そんな天界から舞い降りてきた天使のような女子だった。


「……では、これにて私は、失礼します」


 回れ右をして、天海は病室のドアを開ける。


 天海の履いているスニーカーの、かつ、かつ、という音が、唖然とした俺の病室に聞こえてくる。


「……紫織ちゃん、すっごい天然だな」


 最初に沈黙を破ったのはお父さんだった。紫織ちゃんじゃないって、天海だって。


 ◆◇


 俺の家族と俺の前で不思議な登場をした天海だが、翌日から学校帰りでも構わず毎日来てくれるようになった。

 心が丘市内の総合病院だから、俺達の小学校から歩いて三十分ぐらいで着く。心が丘市って、結構でかいんだよな。

 不思議なことに、天海はどの女子よりも来てくれたのだ。


 一度、木戸が俺の病室に来てくれたことがある。

 俺を轢いたトラックと言うのが、木戸の伯父の運転していたトラックであること。木戸は何も悪くないのに、頭を床に擦りつけて、かすれ声で謝っていた。

 そんなことをされても、俺の胸は痛くなるだけだ。俺が「いいよいいよ」と言うと、木戸の顔は明るくなり、帰っていった。それ以来、一度も来てくれなかったけど。


 以前、「想樹先輩! 大丈夫でしたか!?」とアイドルの追っかけか? と思うぐらい、後輩女子の軍団が俺の病室に入ってきて、その時俺と話していた女子と付き合っているんじゃないかって、ひどい噂になったものだ。

 ……その女子と言うのも、何とまぁ、結崎さんであった。

 事故の一件以来、顔も合わせていないし、電話もしていない。だから、あの後結崎さんに会うのは初めてだった。

 何故か後輩女子に異常な崇拝をされている俺だが、正直、後輩女子は有難迷惑というものだった。


 運動会のときには毎回必ず応援してくれるし、縦割り班交流や三年生との交流の時間などでは、俺をいつも囲ってくれるため、ぼっちでいる暇がなかった。

 そういうときには感謝しているが、一人でいたいときにも、「想樹先輩!」と呼んでくるものだから、リラックスしようがない。後、帰る方面が一緒の後輩女子が俺に手紙を送りつけてきたことだってあった。怖い。

 そんな後輩女子が、結崎さんと話しているのを偶然見てしまったわけだ。後輩女子が俺のファンなのではないか、というのは雰囲気で確認はしているものの、それを大々的に認めるのはちょっとあれである。ナルシストと勘違いされそうである。


 だが俺は、病室の中で、「お前ら、いっつも俺にまとわりくっついてくるけど、何なの? 感謝することもあるけど、今は迷惑だっつーの!」とブチ切れしてしまい、結崎さんにも「うわ何だこいつ、危ねぇ奴だなぁ……」と蔑まれるような視線を向けられてしまったのだ。ここで俺の超淡い初恋は消え去ってしまうことになる。全て後輩女子の責任だ、となすりつけたくなる。



 たびたび後輩女子と天海が遭遇することもあったが、それでも天海はめげずに何度も来てくれた。一度、病室を出た食堂で、天海が後輩女子に一方的に責められる出来事も、見かけたことがあった。

 どれも後輩女子の言いがかりばっかりで、「想樹先輩のことを好きでもないのに、何であんたがウチらファンクラブを抜け駆けしているの?」と言ったのも見かけたことがある。うん、あの、俺のことを好きでいてくれるのはマジで嬉しいし有り難いんだけど、天海を責めるのは違うと思うんだよな。

 だが天海は、それらに「でも、友達なんだよ? 想樹君は……」と涙ながらに言っていた。うん、天然天使だ。前世はマザーテレサかな。


 そんな出来事があっても毎日来てくれた天海に、次第に俺は結崎さんに向けていた感情と似たような感情を持ち始めた。

 二度目の恋だ。淡い、淡い、そんな恋。

 天海が毎日来てくれた=天海は俺のことを好きなのではないか、と思ったことだって何度もある。だが彼女は、基本的に優しい。そりゃ及川みたいに、「前世だけじゃなくて、今も天使です」と言うような雰囲気ではないが、友達思いでひたすら純粋な天海は、太雅が俺と同じような事例に陥っても、同じように毎日病院に通いつめるだろう。つまりそんなものだ。


 彼女が毎日来てくれることが素直に嬉しくて、俺は毎日入院生活の出来事を話した。

 俺の友達が一週間に一回は必ず来てくれること。結崎さんと両親が御対面し、結崎さんのことを「完璧すぎて想樹には勿体ないな」と苦笑いしていた。待って、何でお父さんが「結崎さんは俺の好きな人」って体で話しているの。あながち間違いではないけどさ。初恋の人なんだけどさ。


 ◆◇


 俺が退院した後も、クラスの中で俺のために「よかったね」と泣いてくれたのは、天海だけだった。もちろん俺の友達である啓介も、「よかったな」と今にも泣き出しそうな雰囲気を醸し出していたが、あんな風に大号泣しそうだったのは天海だけだった。


 後に鈴木から聞いたことだが、彼女は事故現場で泣き崩れていたらしい。

 そんな風に自分のことを想ってくれているんだから、大切にしろよ、と鈴木はひどく真面目な顔で言っていた。こいつ、天海のこと好きなのかな、なんて失礼なことは言わない。忠告は有り難い。そして、自分の知らなかった事実を伝えてくれた鈴木には、感謝しなければいけない。



 そして、バレンタインデーのとき、天海に告白した。

 入院してから一年と何カ月か経った日の話だけど。それまでずっと、天海に想いを募らせてきたのだ。

 自分で言うのも何だが、俺って結構、恋を隠しておくタイプなんだな、と思う。

 たまに、告白されるときもある。俺に彼女がいるってちゃんと知ってて、「気持ちだけでも伝えたい」っていう人が現れる。すごく有り難い。めちゃくちゃ有り難いんだけど、それと同時に想いを伝えてくれた相手に申し訳ない。

 気持ちだけでも伝えたい。それってすごく良いことなんじゃないかな。でもね、相手の気持ちも考えようよ。彼女いるのに告白されるんだよ。それって結構キツイよ。

 まぁ中には「彼女と別れて私と付き合って!」なんて言うグイグイ系もいるんだけどね。そう言う奴は大抵断っているけど。


 俺の告白は見事に成功し、六年になる前にカップルになった俺達だったが、なにぶん皆が「バカップル」と称するもんだから、俺までもが馬鹿になってしまった。しかも実月だって、馬鹿ではない。ただの天然だ。何がバカップルなんだろう。そう啓介に聞いたら「そう聞くところがバカップル」との返答が返ってきた。

 なるほど、「バカップルとは何か」という質問をしなければ「バカップル」とは認識されないのか、と思ったらそう質問しなくなった今もバカップルと言われ続けているのだ。どういうことだよ。


 そう思っていた俺だったが、結構……というかかなり学校生活が充実していた。

 結崎さんに恋していた日々よりも多分ずっと、楽しかったんじゃないかって思う。


 楽しかったはずなのに。


 ◆◇


 思えば、何でこんな俺に幸福がいつまでも続いてくれると思ったのだろう。

 自分が殺されるのが怖くて、自分が誰よりも大切にしている実月を見殺しにしてしまったのだ。

 決して許されることではなかった。


 実月の笑顔が蘇ってくる。


 何故、自分はあんなことをしてしまったのだろう。

 PTA室で俺が「実月」と何度も呼んでいるところを、香奈枝に見られて叩かれた。「意気地無しのくせに、親友を想わないでくれる!?」と言っていた。香奈枝の目は、それ以上に何かを言いたそうだったが、それは考えないことにする。


 あぁ、自分は何と言う最低な奴だったのだろう。


 大切な人だったのに。もう絶対出会えないと思っていた、大切な人を。

 一緒にいる時間が大好きだったのだ。


 自分が見捨てた人というものが、一生ものの後悔を催すなんて知らなかった。「天海」という呼び方がいつの間にか「実月」という呼び方になっていたことが、嬉しかった。そして、「そう君」と実月が呼んでくれたことも嬉しいし、自分を必要としてくれる人がいることもただ純粋に嬉しかった。



 PTA室を出て廊下を歩いていると、たったった、という音がした。

「……っと?」

 俺が思わず廊下の柱に隠れたと同時に、「あーあ」という声が聞こえる。

「……どこだよ、想樹……」

 目を血走らせながら歩いてきたのは、鈴木である。

 あの、俺に忠告をしてきた、実月好き疑惑のある鈴木だ。


「俺ならここにいるけど、どうしたんだよ?」


 俺が柱の陰から顔を覗かせると、鈴木は血走った目をこちらに向ける。

「……どうした、そんな怖い目をして」

「……どうしたもこうしたもあるかよ!」



 鈴木は俺の心臓の辺りをグーで叩き、「ふざけんな!」と赤くなった瞳を向けて叫んだ。

 ズキズキ、と心臓の辺りに激痛が走る。

「いってぇなぁ、手加減とか知らないの?」

「んなもん、こんな時に必要ねぇだろうが」

 珍しく口づかいが荒い鈴木。何故いつも巧の腰巾着……巧の取り巻きみたいにひっついている鈴木が、こんな荒い口づかいで喋ることが出来るのだろうか。


 もしかして、鈴木は、俺が実月を見捨てた、とでも言いたかったのか?


 生憎だ、俺は今、それを反省していたというのに。反省だけでは足りず、後悔していたのに。実月をまた思い出させるような人が来るなんて、思いもしなかった。



「実月……天海を、どうして、見捨てたんだよ!?」



 一言一句違わぬ……いや、天海を実月と言い間違えることは想定外だったが、大体俺が鈴木の口から出るな、と思っていた言葉と合っていた。

 そこで俺は、言葉を返す。

「実月を見捨てたんじゃない。……見捨てたかもしれないけれど、自分の身は自分で守ったんだ。だから実月は見捨ててなんかいない」

「……そういうの、逆ギレって言うんだよ!?」

 ……あれ? 何で鈴木がこんなに怒っているんだ? と俺は素朴な疑問に気付く。


「ってか、何で鈴木が怒ってるんだよ? 確かに実月が殺されたのは誰だって悲しいと思うが、よりにもよって言うのが何でお前なんだよ? 普通なら香奈枝とか七恵で充分じゃん?」


 そう言うと鈴木は、視線を明後日の方向に向けた。

 図星だ。

「何で? しかも実月は自分でコケたんだ。それを俺は助けることが出来なかった。そんな話のだけだ。で、お前に何の関係がある?」


 鈴木は押し黙った後、もういいや、と言った様子ではぁとため息をついた。

「お前、モテる良い奴だと思ったのに、割と最低なクズだな。それってつまり、彼女のこと見捨てたってことだよな?」

 は?

 何がクズだよ。何でお前なんかに俺のこと決められなきゃいけないんだよ。

「天海がお前のこと、「そう君」だなんて言って好きでいてくれたのに、お前、それしか考えたことなかったのかよ? みつ……天海がコケたら、彼氏として、助けるのが普通なんじゃないのか?」

「……ちょっとお前、何言ってんの? お前に実月の何が分かるの? 実月に愛されることがなかったのに、何言ってんの?」

 実月から愛されたこともないくせに、実月から愛されたことあります、みたいな言い方して、何なんだこいつ。

「……ほら、そうやって、俺は自分とは違うって考え込むんじゃん。女子に人気がある男子って、腹黒いよな」

「馬鹿にしてんの? お前」

 何だかどんどんイライラしてくる。こいつ、こんな奴だったっけ?

 結局、鈴木はただ天海に飢えていただけじゃないのか? もしかして、実月に愛されていた俺に嫉妬していたとか? なんてな、ちょっと自分で自分が気持ち悪い。

「言えよ、結局、実月のこと好きなんだろ? 普通の奴とかが死んでも、お前、何も言わないだろ? なのに、実月が死んだら、俺だけに言う。香奈枝とか七恵とかに言っても良いのに。……もしかして、俺と実月が一緒に教室出るの、見てた?」

 勝ち誇ったような笑みが俺の顔にこびりついて離れないのを感じた。なるほど、俺って確かに人間のクズかもしれない。鈴木が言ったのも分かるような、分からないような。


「……あぁ、そうだよ。俺、天海好きだよ。どこで好きになったか、お前、よく分かるだろ? お前、俺と殆ど同じタイプなんだからさ」


 またムカつく。何こいつ、俺の怒りの沸点抑えてんのかよ。しかも、俺と殆ど同じタイプって。何なんだよホント。マジムカつく奴だ。

「……どこで好きになったか、とか、俺に分かるわけねぇだろうがよ」

 半笑いで俺は呟く。すると鈴木は「何だと?」と再びキレ始めた。


「お前だって、そうだろ? あの事故が原因で、天海のこと、好きになったんだろ? 俺も好きになったよ、だって、そりゃそうだろう? あいつ、抱き着いてきたんだぜ。お前のこと、すっげぇ大事だって言って!」


 そりゃ有り難い。実月、それほど俺のこと、前から友達だと思ってくれたんだな。

 ……しかし、何だか大分喧嘩腰になっている気がする。鈴木、もしかして人に喧嘩を買わせる才能があるのか。


「天海が毎日病院に来てくれたおかげで、両想いになれたんだって? そりゃあ良かったな。俺なんか、み……天海とお前がイチャイチャしてんのが見ていられなくて、一回も病院に行くことなんて出来なかったんだぜ?」

「それはそれで、良かったと思うけど?」

 あぁ、本当にイライラしてきた。何なんだよ、こいつ。俺こそ幸せです、と言いたかったのだろうか。

 鈴木は更にヒートアップしている。もう最早「何故実月を見捨てたのか」という最初の話題には戻ることすら出来ないだろう。


「大体さ、その事故のおかげで、みつ……天海と付き合うことが出来たんだろ? だったらさ、この事故を起こした木戸の伯父って人に、感謝しとけば良いじゃん。自分のこと轢いてくれて、有り難う御座いました、って、土下座しろよ」


 最早鈴木の原型を完全に留めていない。鈴木の皮を被った怪物だ。こいつ、俺にただこんな状況に置かれたことのストレスをぶつけたいだけなのではないか。

 ……とか言う俺も、結構ストレスをぶつけているのかもしれないけれど。


 だけど、今のは結構ピキッ、と来た。



「……お前、実月に何とも思われてないってこと、知ってて言ってんの?」



 俺は走りだす。もうこいつと一秒たりとも一緒にいたくない。不快感が押し寄せてくる。

「待てよ!」

 何だ、漫画とかで見慣れた言葉が出てくるだけではないか。所詮、鈴木も、そんな奴なのか、と勝手に思ったりして。


 ◆◇


 図工室に着いて、俺は構わず、図工室のドアから離れた。鈴木がすぐに現れることが、容易に想像つく。

「おいっ、想樹、何で逃げたりとかするんだよ!」

 ほら、予想通り来た。あんなに派手な走り方したのに、先生は見付けることが出来なかったんだな。何だか嬉しい。

「お前が追いかけてくるし、実月に執着しているからだろうが」

「それとこれと関係あるの? え? お前、実月……天海に愛されてるからって、俺のこと見下してんの?」

「別に見下してなんかいませんけど? 何でお前そんな俺に喧嘩腰なの?」

「お前が天海を見捨てたからだろ?」

「いい加減、そういうのやめよう? そういうのつまんない。ちょっと何言ってるか分かんないし、大体俺実月のこと見捨ててねぇし。……それと、天海って言うのにちょっと突っかかるようだから、実月って言っちゃっていいんじゃない? 仮にも自分の好きな人だよ?」

「それは勝ち組の台詞だな。完璧。お前、自分の彼女が死んだのに、よくそんなことが言えるよな」

 そう言えばそうだ。実月は死んでしまったんだ。


 またその事実が押し寄せてきて、俺は目を塞いでしまいたくなる。いっそのこと、鈴木も皆も、全部いなくなってしまえばいいと思った。そして、今すぐ実月のもとへ走り寄って、俺も一緒に死にたい。



 ……あれ?


 ()()()()()()()()()()()()()()()()んじゃないか?



 突如として出てきたその考えが恐ろしく、震える指で、何とか机の上に置きっぱになっているハンマーを掴んで、俺は鈴木に突進する。



 この世から、俺を咎めるこいつがいなくなってさえすれば。




 そう思って俺は、茫然と立ち尽くす鈴木に向かって、ハンマーを振りおろした。

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