出席番号二十三番 松原七恵
ちょっとだけ加筆しました。
「あれ? ない」
九月のある日の中休み。
小さな声で呟くは、控え目で誰からも注目されない、私の声。
「……どこ行ったんだろう。次、算数なのに」
教科書がない。おかしいな、今日の一時間目にはあったはずなのに。算数の教科書の切れ端に「次の問題注意!」とか書いてたはずなのに。……どこに行ったんだろう。
「……もしかして、これのこと?」
頭上から、ぶっきらぼうな声が降り注ぐ。
私が顔を上げると。そこには木戸君がいた。
「き、木戸君、それ、私の教科書……?」
「棚の上に置いてあったよ。はい」
木戸君は小さく笑いながら、「おーい、蓮-!」と梶山さんの所に走っていってしまった。
あぁ、ありがとうを言えなかった。言いたかった言葉が、口から出てこなかった。
去っていく木戸君の後姿を見つめて、私はため息をつくばかりだった。
五年生の頃。私は、「いじめ加害者」のレッテルを貼られて生きていた。
二年生の頃、名門校の落ちぶれ転校生として転校してきた木戸君をいじめてきたのは、まぎれもなく、私。
謝っても許されず、「死ね」と言われて大号泣したのも、私。
木戸君の脳裏に熱く焼き付いているだろう、その記憶。
あの頃の私と今の私とは、まるで別人のようだった。当時はいじめの主犯格とも呼ばれていたから、結構悪い奴だった気がする。
春日と彩未ちゃんは今もあのまんま、と言っては何だが、まぁ意地悪い人達だ。
でも私は……言っては何だが、改心をしたのだ。
木戸君が給食を運ぶ時は譲ってあげた。掃除で忙しそうに木戸君がひょこひょこ動いていると、すぐさまやってあげた。むろん、五年生の頃から今にかけて一向に成長期が来ない私が、木戸君が高い所に届かなくて困っているときに助けてあげることなんて出来ないけど。
そんなときに登場するのが、我が「ふわふわ三人組」。
体重が軽いけど意外に力持ちな香奈枝ちゃんが、肩車をして実月ちゃんを持ち上げる。そしてそれを私が見物。
二人とも、私が木戸君を陥れるようなことをしたことを、ちゃんと聞いてくれ、それで嫌な顔一つせずに木戸君を助けようと思う私のことを応援して、よく手伝ってくれるのだ。
私は、この二人以上に優しい人を知らない。どちらか一人、優しい人を決めてくださいと言われても、どっちかを決められはしないだろう。
うーん。でも、実月ちゃんが実は一番、誰に対しても優しいんじゃないかな、と思う。
あ、もちろん実織ちゃんも優しいんだよ? 優しさの塊イコール実織ちゃんみたいなもんだもん。もちろん彼女も優しいんだけど、実月ちゃんも優しいって言うか。
その優しさのおかげで、実月ちゃんは想樹君と両想いになれたんだよ。
想樹君が交通事故で車に轢かれたときに、何度もお見舞いに行った女子は、実月ちゃんただ一人だけだった。
偶然想樹君が車に轢かれた瞬間を見てしまったからなのだろうが、実月ちゃんは想樹君が好き説が一時期校内で流れるほどの大騒ぎになってしまったのだ。
噂では、想樹君は美少女と話している最中に迫ってくる車に、気付かなかったとか何とか。その美少女に恋しているんじゃないかという話もあったが、どれも実月ちゃんはあてにしなかった。「友達が交通事故に遭ったら、お見舞いに行くのは当然」と笑顔で言っていたのを思い出す。
それがよかったんだろうな、想樹君は当然のごとく実月ちゃんを好きになった。想樹君のことを好きだった女子がその時からわんさかいて、特に後輩女子に多く、香奈枝ちゃんに迫る谷川悠里君と同じくらい、女子人気を誇っていたらしい。その想樹君を好きな女子が、実月ちゃんを「想樹君をとろうとした女」と陰口を言っていたことだってあったぐらい、実月ちゃんは玉の輿のように映ったのだろう。
彼女は傍から見れば玉の輿なのかもしれないが、実月ちゃん本人にとっては、全然そんな感情でお見舞いに行ったのではないことを、私は知っている。
実月ちゃんは、カフェの店内で、偶然車に轢かれる想樹君を見付けてしまい、それからダッシュで事故現場に向かったのだという。
そこで偶然同じカフェにいた鈴木と話していたみたいだ。鈴木に抱きついて泣いていたのだという。実月ちゃんの可愛さじゃ鈴木もイチコロで、きっと実月ちゃんに恋しているんだろうな、と私は感じているが、当の実月ちゃんは全然気が付いていないみたい。鈴木に抱きついたんだよ? 可愛い可愛い実月ちゃんが。
まぁ、そんな天然少女だからこそ、男子に好かれる秘訣だなんてもんじゃないのかな。
五年の想樹君大好き女子は、歯ぎしりをしながら実月ちゃんと想樹君をマジマジと見つめるしかないのだ。
当の私には、好きな人が真っ当にございません。どうしようもなく、ございません。想樹君とloveloveの実月ちゃんを羨ましいと思うのも乙女心ですが、いかんせん、男子はガキすぎて好きになる要素なんてない。全く。
実月ちゃんはめちゃくちゃ意外そうな顔をしていたけどね。そりゃあ貴方ハイスペックな彼氏がいるんですから。何か香奈枝ちゃんもびっくりしているけど、何で? 恋出来るような男子なんて一人もいないじゃない。女子の中で大人気の大田は、ふざけてばっかりいるし、秀才で実は密かに女子人気が高い、なんて言われている上原も、藍花ちゃんが大好きなのは、じわじわ伝わってくるし、それに男子の中で一番まともな想樹君だって、実月ちゃんと付き合っているし。
ましな男子は、いまだ誰一人としていない。
それに、好きな人に学校生活を注ぎ込むより、もっと大変なことが、家族内で起こっているから。
◆◇
「えっ、はい、お母さん、見付かったんですか。ありがとうございます、すぐそちらに向かいますので」
夜十時。私が歯磨きを終えて、さぁもう寝ようとしたところ、お父さんが、「何してんだ、七恵。今からおばあちゃん迎えに行くぞ」と私の手をぐいっと引っ張った。
「また? いいじゃん、私、寝たいんだよ?」
パジャマにも着替えているし、とムッとしながら言うと、お父さんは「いいから、ジャンパーでも着ろ。あの、黒とピンクのやつ」とそばのハンガーに引っ掛かっていたジャージをむしり取る。ジャンパーじゃなくてジャージだっていっつも言っているのに、全然覚えてくれない。
「違くて。外の空気に当たると、髪の毛が変なことになっちゃうの」
「おばあちゃんと、お前のたかが髪、どっちが大切だ」
お父さんはいつものように怒りながら、玄関に来てスニーカーを履いた。
せっかく気持ちよく寝ようとしたのに。私はこっそり舌打ちをして、サンダルを履いて、玄関のドアを力任せに押し開けた。
おばあちゃんが認知症になってしまったのは、私が一年生だった頃。
初めは、自分が言ったことを忘れたり、つい先ほど物を置いた所を忘れたり、ドジな奈名子ちゃんがしてもおかしくないような、小さなミスだった。それがどんどん重なっていき、ついには先ほど念入りに聞いていた話を、忘れたと言ってもう一度聞くようになった。
最初は、何故おばあちゃんがいっつも同じことを聞き返すのか分からず、「うっさいなぁ、覚えててよ!」と叫んでしまって。そこで初めて、「七恵は認知症って知ってる?」とお父さんから優しく教えてもらったのだ。
その言葉を聞いた瞬間、私は首を捻ったものだ。「さっき言ったことを忘れるなんて、普通じゃないじゃん」と。
お父さんは悲しそうに目を伏せて、「普通じゃないんだよ。皆いつか、そうなるんだ」と言った。
いつかは私も、おばあちゃんと同じように、今聞いたことを忘れてしまい、夜な夜な街を歩き回って、家族に迷惑をかけるようになるのだろうか。
今日もそうだ。私が学校で給食を食べている間に、おばあちゃんは「買い物に出かける」と買い物に行く。私が帰る頃に「おばあちゃんが帰ってきていない」と騒ぎになって、私がお風呂に入っているときや、私がお風呂から出てゆっくり宿題をやっているところに、「見付かった」と交番から連絡が入って、パジャマ姿の私が街へ出ていくこととなる。
心が丘市は結構広めで、おばあちゃんの出向く範囲はまぁ日に日に広くなっていった。今日は前回より家から近めの所だと思う。電話から聞こえる警察官の人が言う、交番の名前で、近くだか分かるようになっている。皮肉な話だが、おばあちゃんが出歩くことで、心が丘市の全体像が今やはっきりと地図に描けるまでになっていた。
「ねぇ、お父さん。おばあちゃん、今日はどこまで行ってたの?」
お父さんは、うーんと首を捻って、頭を掻く。
「今日は、昨日より近めだぞ。心が丘小学校前の交番だってよ」
「それ、学校じゃん」
私は、思わず目を見開く。
「だから、先生とかいるかもしれないな」
お父さんはにやりと笑みを浮かべる。
……先生か。先生なんかに見てほしくない。情けないおばあちゃんなんか。
昔は心が丘市の祭りで、司会役として大活躍していたおばあちゃんだけど、今は夜中街を歩いて家族を困らせる、恥ずかしいおばあちゃんだ。
本当は、恥ずかしいとか情けないとか思っちゃいけないってこと、分かっている。だけど、分かっているけど、ストレスを発散することが出来ないんだ。
おばあちゃんが毎日と言っていいほど、街を徘徊するもんだから、もうウンザリするほど辛い。
支えてくれるのは、今の心の中の愚痴と友達だけだ。
「あぁ、悪いねぇ、本当にねぇ」
松葉杖に羽織り物。黒髪があるのかも分からない、白髪だらけの髪の毛。それを飾り気のない、多分私が机かどっかに置いておいた黒いゴムで結んだお団子。
これぞおばあさんって感じの、松原佳恵。
「佳也も七海さんも、悪いねぇ」
おばあちゃんが、パイプ椅子から立ち上がって、私とお父さんに向かって深々と頭を下げる。
「いやぁ、お母さん、こいつ、七海じゃなくて、七恵。七海は、今会社。夜勤だよ」
お父さんが私の頭をなでる。思わず舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、おばあちゃんを見る。
この垂れ目がちな瞳。これが私に受け継いでいるんだ。
友達からはよく、「七恵ちゃんの瞳は、垂れ目で可愛いし、優しい感じがする」と言われるが、何だかこの瞳は、大切なことを全て忘れ去ってしまったような、悲しさも持ち合わせた瞳だ。悲しさを持ち合わせた瞳なんて、私はいらない。もっと明るくて、強くて優しい、そんな瞳を持っていたいのに。
いつだって現実は、私の思わない方向に押し寄せてくる。それが嫌で嫌でたまらなくって、いつも大人しくしている私だって、牙を剥くことだってあるのだ。
お父さんがいる前で、私は「おばあちゃんなんて、大嫌い!」と言ってしまったことがある。
自分でも、言っていいことと悪いことの区別がつく年齢だと、重々承知している。自分が思ったことを正直に言って、許される年齢だとは思っていない。だって、そのことを言ってしまったのが、五年生の時だったもの。
感情の波が高鳴って、私は思わず、叫んでしまったことがあるのだ。
お父さんは大激怒、お母さんは「そんなこと、七恵ちゃん、言っちゃ駄目よ!?」と珍しく怒っていた。おばあちゃんは何も言わなかった。何も、聞こえなかったみたいだから。ただ、「あらあら、七恵、怒っちゃってどうしたの? ちゃんと、ストレス発散しなきゃ駄目よ?」と言って、更に私を怒らせることになった。
そして、私は家を飛び出した。家の中でずっとあの空気のまま生きるのは、耐えられない。
ご飯までには帰らないといけないけれど、私はどうにも家にいたくなかった。だって、あんな気まずい空気、耐えられるはずもない。恐らく三日ぐらい、腫れものを扱うような目で私のことを見るのだろう。
あぁ、嫌だ。そんなの、隠れ豆腐メンタルの私には到底無理な話だ。
とりあえず、一月の街並みを歩くことにする。
近くの鈴蘭神社で、初詣が行われている。がたがた、と足音が聞こえてくる。初詣だけあって、屋台が沢山並んでいる。
その屋台の中に、お好み焼きがあって、私はフッと視線を向けた。
お好み焼きか……。私も、お好み焼き食べたな。まだ、認知症になっていなかったおばあちゃんと一緒に初詣行って。大吉引いて。大好きなお好み焼きと、たい焼きを食べたり。とにかく、とっても楽しかったのを覚えている。
そんな楽しみが、おばあちゃんの病気を境に、一気に失われてしまったんだ。
時の流れだ。仕方がない。仕方がないのに、何でこんなに胸が苦しくなるのだろう。
誰か、何か分かるのなら教えてほしい。あの楽しさが戻るのなら、何でもいい。ふわふわ三人組をやめてもいいから、このギスギスした空気をどうにかしてほしい。
そうして、ゆっくりお風呂に浸かってゆっくり寝たい。
平凡が失われてしまうのは、どうにもストレスがつきものだから。
友達は、失ってしまっても、しょうがない。赤の他人なのだから。でも、家族は違う。血の繋がりのある家族を失ってしまったら、本当の意味で支えてくれる人が、ただの一人もいなくなってしまう。
どうにもならないよ、時の流れっていうのは。しょうがないのよ、おばあちゃんは。
お母さんがいつか、そう言っていた。悲しそうに目を伏せて、「結婚式のときは、あんなにはっきり物事を伝えていたのにね」と、寂しそうに笑いながら。
◆◇
交差点で立ち止まると、見知った顔を見付けた。
同じクラスの、梶山さんだ。
メロンパンを食べながら、細い目で私を見つめてくる。同じクラスの松原だ、とでも思ったのだろう。
……その後ろに、「暴力団か何か?」と思わず声をかけたくなるほど、目つきの悪い男の人が立っていた。失礼だけど、梶山さんは目が細いので、目つきの悪い男の人と、家族みたいに思えてくる。
とりあえず、挨拶をしておこう。私は、赤信号が青になると同時に、歩きだした。
「……あ、梶山さん」
「おぅ」
しくった、何が「……あ」だ。気付いていたのだから、「あ」はないだろう。「あ」は。
思わず恥ずかしくなって、一瞬目をつぶる。
そこで、誰かにぶつかった。
思わず目を開ける。それは、さっきの「暴力団」の男の人だった。
「おい、お前、どこ見てやがんだよ!」
きゃっと叫びたくなるのをすんでのところで抑えて、私は「ひぃっ、ご、ごめんなさい! あ、ごめんなさい!」と情けない謝り方をするだけだった。
「……うるせぇな、謝るのは一回だろうが」
何故か舌打ちをされる。隠れなのかそうでないのか分からない豆腐メンタルの私は、ただ俯くしかなかった。
「気をつけろ」
男の人が、何故か急に足を出してきて、私はそこに引っ掛かってしまう。……男子よりも、タチが悪い。
前のめりに倒れた私は、思いっきり鼻を強打した。
痛い。鼻の痛みが顔に駆け巡り、鼻血確定だな、と自分でも確信した。
松原、と梶山さんが呼びかけてくれる。こんな、人に優しく出来ない私を、心配してくれるんだ。さすが梶山さん。
私は、両手で鼻を押さえて、じんわりと出てくる涙を拭うことが出来ず、涙を滴らせたまま立ち上がった。
「大丈夫だよ。ごめんね、ありがとう梶山さん」
私の涙が視界の下で溢れている。梶山さんが戸惑ったのが、少しだけ分かった。目は細いけれど、驚いた時、眉間に皺が寄るのだ、彼は。
本当に、私のことなんか気にしなくていいのに。
おばあちゃんに優しく出来なくて、小さい頃鈴蘭神社や市民プールで、よく遊んでくれたおばあちゃんに、大嫌いなんて言ってしまったのに。
おばあちゃんが変わっていってしまうのが怖くて、おばあちゃんが見付かったというのに、舌打ちをして交番に行くようになってしまったのに。おばあちゃんがお母さんと私をいっつも間違えて言うことに、心の中で「ふざけんなよ、私とお母さん、どこが似てるんだよ」と暴言を吐いたことだってあるのに。
大好きなおばあちゃんを、いつの間にか大嫌いになってしまう、最低で、親不孝……いや、祖母不孝な子供なのに。
そんな私が、こんな風に心配される理由なんて、ただの一つもないはずなのに。
なのに何で、梶山さんは私を心配してくれるんだろう。
私、人をいじめたことだってあるのに。
木戸君を、絶望まで追いつめて、麗羅ちゃんがあの日、木戸君を助けてくれなかったら、木戸君は死んでいたかもしれない。そして私は、今度こそ、優しい実月ちゃんや香奈枝ちゃんと話すことさえ出来ないクズ人間にまでなり下がっていたかもしれない。そんな最低最悪な私を、心配してくれる人なんて、ただの一人もいないはずなのに。
もちろん梶山さんがそんな深い意味で助けたのではないということを、私は知っている。彼は、この時、まだ正義のヒーローを目指すような少年ではなかったから。ただ、「クラスメートが暴力団っぽい男に足を引っ掛けられて転ばされた」から心配したのだ。
でも、私には、たかがそれほどの心配もいらなかった。
こんなに人を痛めつけて傷つけた私が、心配してもらえるわけがない。
なのに、なのに梶山さんは。
「……何言ってんだ。あいつが悪いんだろ? ちょっと、注意してくるわ」
梶山さんは私の腕をぐいと引っ張って、男の人に、声をかけた。
ありがとう、梶山さん。
あの時、私は「別に大丈夫」と否定したけれど。
あの言葉、私、すごく嬉しかったよ。
六年で同じクラスになった時、梶山さん、すごく変わってたよ。
私がいじめていた木戸君と大親友になってしまって。梶山さんは、正義感溢れる男子になって、皆から信頼される人になった。
木戸君も、木戸君で、今は大分、私に対して温和になってきていた。ある日を境に、何故だか急に悟り開いた顔になって、「そうか、そうか。おーい、蓮」と何故だか梶山さんをよく私の会話に参加させることもあった。ちょっと何やってるか分かんない。
まぁ、こんな訳分からないこととかよくある私だけど、友達には恵まれていると思う。
実月ちゃんも香奈枝ちゃんも、優しいし明るいし、可愛い。それに比べて私は、全然優しくないし、可愛くも明るくもない。控えも控え、六年三組がもしアイドルだったら、パフォーマンスの最中に控え室に戻ってジッとしていても、誰にも気付かれないような、そんな存在だった。
そんな存在だからさ、きっと、実月ちゃんや香奈枝ちゃん以外、私の存在に誰も気付かないんだよ、きっと。
実月ちゃんは想樹君の彼女だし、香奈枝ちゃんは保健委員会委員長。
私だけだ。何もないのは。「皆から存在価値を認めてもらえる」ような人じゃない。私は。
誰かに認めてもらえることさえ出来ない、弱虫で、何も出来ない私。消えてしまっても、誰も文句は言わないだろう。クラスの中でおバカキャラの大田だって、スポーツも出来るし、それに女子から大人気という長所がある。存在が空気だという瀬戸口も、読書家だし、それに彩未ちゃんに何故か絡まれているという長所もある。言動と行動で周りを圧制する彩未ちゃんに好かれたら、瀬戸口はいじめられはしないだろう、と皆確信している。からかい方がちょっとキツイけど、彩未ちゃんのあの瞳は、嫌いな人を傷めつけたくてしている瞳じゃない。
それに比べて、何だというのだ、私の長所。祖母不孝だし、いてもいなくても変わらない。いなかったら皆、喜ぶんじゃないか。
いじめだって、したことがあるし。
あぁ、もう、私は何だって言うのだろう。誰か、私の長所を瞬時にあげることが出来る人が、この世に何人存在するんだろうか。何人もいない気がする。
あの時のことを思い出すたびに、胸の奥がチリチリ焼けるような感覚がほとばしる。
もう、穴があるのなら入って、その穴を埋めて、その穴の上に高層ビルでも立ってくれないかな、と思うばかりだ。一生、出てこられなくなるぐらい、埋め立ててほしい。
誰にも存在を気付かれることなく、一生を生きていきたい。「ふわふわ三人組」ではなく、「ふわふわ二人組」になってほしいぐらいだ。「天海と佐藤と、後誰だっけ?」ぐらいでいいから、こんな恥ずかしい自分に気付かないでほしい。
……でも、でもね。本当にワガママかもしれないけれど。
私、死ぬ瞬間は、何かをやり遂げたいって、思うんだよ。
◆◇
「殺人ゲーム」が始まってから、おおよそ何時間経ったことだろう。
見付かるだけで殺される。見付からなければ生き残れる。そんな世界。
……何でこんなことになっちゃったんだろう。もうこれは、別の意味で穴があるなら中に入りたい。そして先生が「ゲーム終了」と言ったらめっちゃ踊ってやる。
もしも私一人が生き残ったら、一躍有名人になれるだろう。めっちゃ教室の隅っこにいそうな外見の人がいじめをしてましたなんて知られたら、それこそ人生終わりだけど。
いつもならとっくのとうに寝ている……いや、いつも、おばあちゃんの引き取りで寝る時間が十時半とかになっちゃうけど、それでも、そんな時間ぶっちぎりで過ぎてる、深夜二時半。
今なら、面倒くさかったおばあちゃんの引き取りが、今はとてつもなく懐かしく、愛おしいものに思えてきてしょうがなかった。あの日に戻りたい。そして今日、学校を休めばよかった。
何回も同じことを聞き返すウザったいおばあちゃんも、許すことが出来た。目の前の出来事が衝撃的すぎて、目を閉じてしまいたかったから。
あぁ、おばあちゃん、ごめんね。おばあちゃん、私のこと、お母さんと間違えて、私が激怒して家を出た時も、帰ってきたときは、「さっきは、おばあちゃん、何か悪いことしちゃったかな?」と私の大好きなリンゴを剥いてくれた。
大嫌いだと思っていたけれど、今分かった。
私、おばあちゃんのことが大好きだったんだ。
おばあちゃんが私の知らないおばあちゃんにどんどん変わってしまうのが怖かったから、嫌いだったんだ。
おばあちゃん、本当にごめんなさい。
また、布団を並べて、楽しく話をしながら寝たかったよ。
あの時の最高の思い出が、また、戻ってくればいいのに。
◆◇
「うわあぁあぁぁあぁぁあっ!」
叫び声は、木戸君のものだ。
木戸君らしく、声が小さい。しょうがないよね、驚くもんね。殺人ゲームなんて。
「うるさいですねぇ。もう少し、静かに出来ないのですか?」
あれ? これって、私の隠れている図工室で起きている出来事じゃない?
めっちゃ、声が近くに感じるんですけど。
今私が隠れているのは、木材などが入っている、中学一年生で体の小さい女子がギリギリ入れるか入れないか……ぐらいの所にいたわけだけど、ふわふわ三人組に入れていて、つくづくよかった。おかげで、体を一生懸命丸めた甲斐があった。
でも木戸君は、背が小さいとはいえ、私より身長が高いから、ここに入れるも入れなかったってわけか。
だから見付かったと。ひどく可哀想なものだ。
本当は、助けてあげたい。こんな私が最後の最後、木戸君に出来ることと言ったら、それぐらいしかない。
それぐらいしか、ないのだから。だから、助けてあげたい。
木戸君のかすれた声が、頭上に降ってくる。
木材の入った箱の蓋にガラスが貼ってあるので、それでこっそり、状況を覗いてみる。
木戸君が必死に先生の手から逃れようとしていた。
木戸君の髪の毛が、先生に掴まれている。彼は涙を垂れ流して、「痛い」とただ喚き散らしていた。
ごめんね、木戸君。このまま、見つめることしか出来なくて。
木戸君が殺されてしまうかもしれないのに、見つめることしか出来なくて。
そんな、自分を、変えたくて。
飛び出した。
もう、木戸君を傷付けたくない。
本当は私が臆病なだけだ。また、「死ね」と言われるのが、怖いだけだ。
だけど、それよりも、人が目の前で傷付けられるのを、見たくないだけなんだ。
「死ね」と言われるのは怖い。豆腐メンタルここに極まれり。言われるのは怖いし、そんな風に言われる自分も嫌いになってしまう。
がたんっ、という音が響き、私は蓋をあけて二人がいる方向に走っていく。
その足音は、だんっ、だんっ、というより、どしどし、と言った方がリアルだ。今までの体育の五十メートル走では想像もつかないようなスピードを出して、私は走る。
先生はそれに気付き、私に向かって銃を発砲した。
パンッと音がして、一瞬で、私の額から紅い血が流れていく。
私の血って、こんな綺麗な血だったんだ。今更ながら思う。あんまり怪我したことがなかったからかな。今の今まで、自分の血の色が分からなかった。
だけど。
今、ほんのり分かった気がした。
木戸君を助けてあげたい。何故そう思ったのか、本心が。
それを考える前に、私の意識は、深いどん底へ落ちていったのだけれど。




