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出席番号二十二番 本田一誠

 サッカーをして、ふと、運動神経の良い奴を見かけると。

 俺は少しだけ、昔を思い出すときがある。


 双子の妹と一緒に受験した聖ハスカに、妹が受かって、俺が落ちた。

 母親は、「あんな名門校なんだから、幼稚園のサッカーで服を汚してきた一誠が、落ちたのもしょうがない」と慰めてくれたが、父親はそうはいかなかった。

「何故、お兄ちゃんが受からないんだ!?」と父親は泣き叫んで、俺の顔をぶった。

 俺は、落ちたショックとぶたれたショックで、大号泣していて。

 妹はおびえ、母親は慌てるだけ。父親が俺をいつまでも責める独壇場が続いていた。


 小学校が別々になってからというもの、帰ってくると父親はいつまでも俺をなじることが多くなっていった。

「どうしてお前が受からないで、こいつが受かるんだと思うか? な? お前も、どう思う?」と妹に聞いていた父親。妹は怯えきって、涙を流していた。

 その分、父親は聖ハスカに受かった自分の娘を、今じゃ周りに見せたら恥ずかしいと思うぐらい愛していた。もうその愛しっぷりは中々のもので、六年三組で言う、水川天海カップルよりも上の愛しっぷりだった。


 母親が父親を必死に説得して、父親と妹、母親と俺とで別居……のちの離婚をしてくれなければ、俺は一生、心を閉ざしたままだったと思う。小学校六年間を暗いまま過ごしていかなければならないのだと、そう思っていた。

 大事だった妹もいない。こんな状態で俺はどうやって生きていけばいいんだ。

 休みの日の駄菓子屋の帰り道。近所の小学生に駄菓子を取られそうだったとき、決まって泣いていた妹を慰めていた俺。そして、妹のためにと、小学生に取られた駄菓子を取り返そうと殴りかかっていた俺。気付けば喧嘩になって、夕焼けに照らされて、俺は妹と手を繋いで、取り返した駄菓子を食べながら帰っていたあの日。

 妹と生きてきた幸せな時間が、今、ふっつりと途切れたような気がして、母親が再婚した時も、どうにも心の支えというものがなくなってきたものだった。


 母親が再婚した父親というのが、まぁ前の父親に似たようなもの。会った時の印象が運命なんだとか、母親は俺が小学校受験する前から浮気していたことを明かした。

 そのことを知った時はショックだったし、更に大好きな妹から遠ざかった気がして、俺は土曜でも日曜でも、早く学校に行きたい、とただ熱心に願い続けていた。


 三年生になってサッカーをやり始めるまで、それは続いていた。

 三年生になって、サッカーをやり始めてから、辛いこともあったし、サッカーをやめたいと思うようなことも何度もあったが、サッカーをやめなかったのは、父親と母親がいる場所に帰りたくなかったという願いと、サッカーをやりたいという想いのおかげだ。

 サッカーを続けたいと思ったのは、コーチがよくやるチームビルディングのゲームがあったりすることだったし、何しろサッカーで辛いことがあっても頑張ろうと思える魅力があるからだ。


 それに。


 サッカーで弟を応援する、熱心な同級生がいるから。

 そいつの姿を見るのが、密かに楽しみになっているのだ。


 低学年サッカーで必死に走る有村夏樹を、いっつも応援している、同級生、有村夏実。

 彼女はいつも眼鏡におさげで、かなりの優等生タイプ。優等生と言えば神楽だが、俺は密かに、有村が一番頑張っているんじゃないかという気もしてくる。

 体育の成績はダメダメで、シャトルランでは十五往復で吐きそうになったりしているし、ハードル走ではハードル五個のうち三個は必ず倒す。百メートルではいっつも、六人中五位だの最下位だのと最悪な数字。跳び箱をすると何故だか毎回膝に青あざが出来ている。去年の運動会では微妙な立ち位置。微妙も微妙、結構悪い方の微妙。

 だけど、勉強は上の中ぐらいで、算数は良く出来る。器用だから家庭科も割と早めに終わらせることが出来る、いわゆるインドア系だ。

 その他、提出物を忘れたことも一回もないし、忘れものもしない。配り物が溜まっていると誰かがやる前に真っ先に自分がやるし、何か大きな行事になると、指示こそ出さないものの、黙々と真面目にやり遂げている。春日や橘、鈴木達がふざけ始めて、有村に仕事を丸投げしても、やり通している。


 そんな彼女が子供心にすごいと思うのは、至極単純なことなんじゃないか?

 なのに、有村は滅多に評価されない。たまに先生に「ありがとうございます」と感謝されるぐらい。

 そんな彼女に、俺はいっつも感謝しているのだ。

 夏樹のついでなんかではなく、「本田君も、頑張ってください」と、笑ってくれた。彼女の笑顔を見ると、自然に元気になれるのだ。

 そして、愛おしく、大切にしたい存在。



 昔、俺が大切に、大事に想ってきた妹そっくりの笑顔。



 そんな有村だからこそ、俺は好きになれたんだ。


 俺と同じく……いや、俺よりも何倍も運動が出来て、両親が見てたテレビに、妹が映っていたときは、自分の知らない妹が出来ていったようで、悲しさより何よりも、悔しさが出てくる。


 テレビの内容は、『驚きのスーパー小学生! プロ陸上選手も驚きの徒競走タイム』と銘打ったものだった。

 俺の妹……山崎皐(やまざきさつき)が映っていた。

 趣味は運動、日課も運動なら特技も運動の典型的なスポーツ少女だった。ただ一つ、典型なスポーツ少女と違うのは、ネットやテレビなどで大注目されていることだろうか。

 聖ハスカ小学校という日本で屈指の名門校に通う、超成績優秀者だけではおさまらず、運動神経も抜群に良いという理由で、一時期皐と同じ髪型が大流行したほど、我が妹ながら人気を博している。

 これが普通の小学校出身だったら、「超運動神経抜群の天才小学生!」だけで、一週間ほど各テレビでスーパー天才ぶりを見せつけて、お茶の間大盛況で終わりだろう。

 だが、そこで皐は終わらなかった。聖ハスカという超秀才校の中で、トップの運動神経を誇るのだ。運動、勉強も普通以上、最早異常の域に入ったからこそ、世界的に大注目されたのだ。

 もちろん、聖ハスカは勉強でトップの域で、毎年全国模試には聖ハスカ生が入り込んでいる。そんな聖ハスカでのスーパー小学生と言えば、もう注目されないはずはない。オリンピック出場も夢ではない、最早現実と期待されているのだ。


 そんな彼女も、オリンピック出場候補者でも、一人の小学生。毎日スマホで俺に「お兄ちゃん、今日ね、紫織ちゃんがね」と連絡をくれる女の子なのだ。

「紫織ちゃん」というのは、幼稚園の頃、皐とよく仲良くしてくれていた少女だ。俺と同じ幼稚園だったが、組が違う皐と一緒のクラスのため、交流する時間はまぁ少なかった。……俺が通っていた幼稚園は一学年五クラスあったからしょうがないのかもしれないけれど。

 五年生の頃、皐と俺と「紫織ちゃん」で撮った写真を見てみたが、もう、我が可愛らしい妹が普通な顔に見えてしまうほどの美少女であった。

 「紫織ちゃん」という少女が、今も皐と仲良くしてくれているようで、俺は助かっている。正直、俺は皐が俺と離れ離れになってしまったことがトラウマになっていないか、と心配したものだから。


 しかし、人間というものは正直よく分からない。

 幼稚園の頃、「お兄ちゃんが前跳び三十回出来るのに、皐出来ない~」と大号泣していた皐だが、この前テレビで紹介されていたときは、三重跳び三十回余裕だったし。

 幼稚園の運動会で、クラスで一番徒競走のタイムが遅かった皐だったが、特別レッスンで、皐は五十メートル十四秒まで縮めることが出来た。ちなみに俺は九秒で、紅組のアンカー、「紫織ちゃん」と同じタイムだったのに、全く注目されなかった。「同じ山崎で、しかも兄妹なのに、走るタイムがこんなに違う~」とからかわれることもなく、微妙に悔しかったのを覚えている。

 そんなことはさておき、皐は心が丘一足が速い三輪角が裸足で逃げ出すほどの足になっていた。三輪角は五十メートル七秒零九で、皐は五十メートルが六秒何たらだったと、話してくれたような気がする。


 小さい頃はとんだ運動音痴で、周りがほとほと指導で疲れて、それでやっと上達した皐だが、今度は運動神経が良くなりすぎて、周りが緊張しすぎて疲れるほどの実力にまでなっていた。

 ホント、世の中何が起きるか分からないもんだ。

 俺は、まるで正反対のタイプの有村に恋をするし。

 小さい頃運動音痴で泣け暮れていた皐が、いつの間にか小学生で「オリンピック出場はすぐそこだ」と日本だけでは物足らず、海外からも注目を浴びるようになったし。



 あんなに優しかった先生が、殺人ゲームをすることになるなんて、誰にも分からなかったんだから。

 本当に、世の中、何が起きるのか、全く持って分からない。


 ◆◇


 殺人ゲームが始まってから、今は一体何分経ったのだろう。

 外は薄暗く、六年四組の教室の窓を開けると、ほのかに風が吹いてくる。

 俺はしばらく、風に当たっていた。恐らく、もうこれで最後になるのだろう。学校で風に当たるのは。一人窓にもたれかかって風に当たる。……うん、こんなシチュエーション、地味に良いかもしれない。


「マジ、ムカつくんですけど、津田!」


 わっ、誰だよ、こんな時間に。……こんな時間に学校内にいるのは、六年三組の誰かしかいないけど。でも、津田の悪口を言う人なんて、このクラスにいたかな?

 藤川は女子のトップで、悪口を言うシーンも何度だって見かけたことがあるけれど、それは全て「男子マジウザい」だの「春日、ふざけてるよね? 絶対」と男子を非難する言葉だった。彼女はぶりっ子だけど、間違えても女子を表だって非難することはない、と信じている。

 その藤川ではないとすれば、六年三組で唯一女子の悪口を表だって言うのは……。


 渡辺彩未か?


 そう考えて、俺は六年四組の先生の机に隠れる。


 予想通り、教室に入ってきたのは渡辺だった。

 ……はぁ、来た。渡辺だやっぱり。

 六年四組で一番モテているのは、津田。ぶりっ子でもなければ、男子と一緒に行動するような雰囲気があるわけではない。それなりに男子と関わり、かといってぶりっ子ではなく、女子の人気も非常に高い。特技は裁縫、よく着る服はナチュラル系。鉛筆は保育園の卒業祝いの物、もしくはごく普通の鉛筆。キャップはベルマーク指定品。筆箱は大手文房具店で売っている、それなりにデザインも可愛く、かといって目立ち過ぎないもの。

 眼鏡をかけて、ほんのりこげ茶の髪を二つ結びにしている。藤川のように結ぶ位置が高いわけではない。比較的低めである。


 そんな彼女に恋する男子は山ほどいる。正直、六年生の中で一番可愛くて清楚なんじゃないかと、男子は確信している。彼女の想い人は誰なのだろうと、調査する男子も後を絶たない。

 俺も昔は彼女が好きだった。キャラはぶれない、男女両方に好かれる。栗沢みたいな超絶美人ではないし、凡人な顔だけど、何故だか愛嬌があって不思議と好かれるのだ。

 女子いわく、津田は、優しいし、明るいし、一緒にいて面白い。

 男子いわく、津田は、優しいし、可愛いし、一緒にいて楽しい。

 そんな彼女を嫌う人が、渡辺というものだ。


「マジムカつく! あいつぶりっ子じゃん! 調子乗りやがって。男子女子どちらにも好かれると思うなよ。世の中には二対六対二の法則がある! だから絶対、あいつのことが嫌いな奴がいるはずなのに!」

 渡辺のくせによくそんな法則知ってるな。

 ……俺はもちろん知っている。皐が前電話で、「お兄ちゃん、知ってる? 先生が言ってたんだけどね?」と教えてくれたのだ。

 聖ハスカって、勉強のレベルがこんなにも違うんだな。……受験するときはそんなこと、考えもしなかったな。

 俺は渡辺に見付からないようにそっと机の下に隠れる。

 ……俺が今隠れているのは、佐藤の席。津田の席からは結構離れているため、彼女がもし六年四組に来ても佐藤の席の下に隠れている俺に気付くことはないだろう。


 俺の読み通り、渡辺は六年四組の教室に我が物顔で入ってきた。こんな非常事態にもこうやっていつもどおりに生活できること、俺は尊敬出来るけどな。

 っていうか、他の教室に我が物顔で「ここ私の教室だから」的な顔で入ってきていいのか。いや、駄目だろ。

「あーあ。お前、マジウザいっつーの」

 がんっという音がして、津田の机が揺れる。

 おぉ怖。女子って怖いのね。

 なんて、のんきなことを考えている場合じゃない。もしかしたらこいつ、片っ端から「お前もウザい、お前も!」なんて蹴っていく可能性もある。俺が今隠れている席の座り主、佐藤は爽やかな野球少年である。だから、渡辺がその佐藤の机を蹴る可能性なんて、限りなくゼロに近い……と思いたい。

「こういうときしか机蹴れないから、言ってやるけど、お前、マジ死んでほしいって思ってるから」

 あーあ。お前、ガチで呪われるぞ。しかも、津田に死んでほしいってお前どんな奴だよ。

 有村を好きになる前は津田を好きだったから分かるけど、津田は優しいし……可愛いし、それに何より思わず応援したくなるような人情味に溢れている人だ。

 そんな奴に死んでほしいなんて、お前も相当ストレス溜まってるな。


「……はぁ」

 ため息をついて、彼女は廊下に出ていった。どうやら六年四組に彼女が恨む人物は一人しかいないらしい。

 俺の方がため息をつきたい気分だよ、とは言えず、俺は佐藤の机から顔を出す。

 ……いやホント、渡辺もよくこんな時に人の机蹴れるよな。……何だろう。さっき、尊敬するなんて言ったけど、前言撤回。尊敬通り越して呆れるわ。


 渡辺が行ったからある程度行動は自由になったが、幾分、随分……というか非常にマズイ……というか、生死の境目に俺達は立たされているんじゃないか?

 非常にマズイとかそういうレベルの話じゃない。総合の発表の時、何も準備してなかった時の何兆倍も……というか、比べてもしょうがないほど、本当にヤバいことになっている。


「殺人ゲーム」なんて、生まれてこのかた、見たことも聞いたこともない。国語辞書にも載っていないだろう、そんな言葉。我が辞書に「殺人ゲーム」の文字はない。

 春日が殺され、続きは上原と田中が殺されたと。

 時刻は六時前。これだけの短期間で、知っている限り人が三人も殺されたとなると、いくら六年三組の中でも上位の運動神経を持つ俺だからといっても、殺されることは間違いないだろう。

 ともかく、有村が殺されていないだけ、まだ良かった。


 ……上原が殺されてしまったのは、ショックだったけれど。

 聖ハスカ受験歴があるのは、俺と一緒。あいつは、「受かった妹がいれば、話とかでいつでも、聖ハスカにまるで自分がいるかのような気分に浸れるから」って言って、中々仲良くしてくれることはなかったけれど。

 でも俺は、上原の頭の良さに憧れていたし、それに上原は、必要最低限の話などは親しく話してくれる。上原の話は面白いし、白井と話しているのを見たりしているのも面白い。


 いつか仲良くしたいと思っていただけあって、それなり……というかひどくショックだったのを覚えている。

 俺によくサッカーを教えてもらいに来ていた春日。あの時、キラキラと輝いていた瞳を、俺はふと思い出す。

 あの瞳。弟である夏樹を応援する有村の瞳に似ていた。

 俺が四年生だった頃のサッカーの試合のときに、「お姉ちゃん、手作りしちゃった!」と一年生である夏樹を応援して、お弁当を持ってきていたのだ。

 お姉ちゃん、これ美味しい! と夏樹が笑っていた。有村は「でしょー!?」と豪快に笑っている。

 普段目立たない彼女からは想像もできない豪快な笑い方。

 俺はそれすら、魅力だと今は感じている。


 ◆◇


 有村が俺に、一年生からのことを全て教えてくれた。

 それを知った途端、心が一気に空っぽになったような気がして。先ほどまで少しも泣きそうな素振りを見せなかったのに、今は見付かっても構わないというように泣き腫らした有村に、むしろこっちが泣き腫らしたいよと怒りたいような気分になった。


 彼女は、俺のことを迷惑そうに扱わなかった。しっかりしていて、いっつも陰で頑張っている有村は、本当はすっごく寂しがりな奴なんだな、と何故か俺は勝手に思い始めていた。

 好きな人を、好きな人の今以上に美化するってことを、何故かすることが多いんだよな、俺。

「なぁ、有村」

 俺は、隣で泣き崩れている有村に、そっと呼びかける。

 有村は気付いていないみたいだけどな。そりゃあそうだ。俺がそっと呼びかけたのを、大号泣していた有村が気付くはずもないから。

 聞こえていないことを好都合に、俺は呟いた。



「好きだ、有村」



 ぴたっと、泣いている有村の声が止まる。

 心臓が高鳴るのを感じる。


 嘘、聞こえてた?

 ヤバい。マジかよ。そんな感情が駆け巡る。一体この状況、どうすれば打破出来るのだろう。


 俺の予想通り、有村は泣きやんで、ピタッとまるで石になったかのように、瞬きもせずに俺を見つめている。少し怖いくらいだ。

 あーあ。やらかした!

 俺は頭をガシガシ掻いて、「あのー、そのー、な!?」と自分でも分かるような曖昧な返事をした。これがサッカーの試合だったら、「一誠! 一誠!」とコールが入るはずだ。

 でも今はサッカーの試合ではない。殺人ゲーム中、しかも好きな相手に小声で聞こえない程度に想いを言おうと思ったら、まさかの聞こえてたパターンだ。

「……その、うん、あのさ!」

 駄目だ。


 運動だけは何とかいけるけど、俺、人と接するのは全然駄目だ。想いはダダ漏れだし。


「……ごめんな、有村」

 出てきたのは、意外にも謝罪の声。


「有村、俺のこと、そんな風に思ってないよな。だから、ごめんな。殺人ゲーム中に何ていうこと言ってんだって思うよな。マジ、ごめん」


 俺は、深々と頭を下げる。素直に謝ることが、こんなに苦痛だなんて、思いもしなかった。俺が昔、皐と大喧嘩した時は、こんな風な深刻な気持ちにはならなかったと思い出す。



「え? 何のこと?」



「うぅへ?」

 予想の斜め四十五度を行く返答が返ってきた。思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。

「さっきの、聞こえてた?」



「き、聞こえてませんでした?」



 何で疑問形なの。

 そ、それよりも。

 今の、聞こえてなかった……って?


 ……今の告白、有村には聞こえてない……つまり、なかったことになってるってこと?


 何だろう、良かったのに、悔しい。……それは有村にとって、幸せなことなのだろうと思っている。

 だって、彼女は、誰にでも俺に向けるような笑顔を向けるから。この時点で、告白する時点で、もうとっくのとうに失恋してしまっている。


「聞こえてなかったって、どういう?」

「なぁ、有村、と呼ばれた時は、泣いてばっかりで全然返事が出来なかったんですけど、もう一度「有村」と呼ばれて、ハッと我に返ったんです。ごめんなさい、ボーっとしてて」

 ……そ、そっか。なぁんだ、そっかぁ。

 俺ははぁとため息をついて、階段から立ち上がる。


「ま、聞こえていなかったらいいんだ。そんなことより、行こうぜ。なぁ、有村」


 俺は、有村に微笑みかける。有村も涙をハンカチで拭いて、頷いた。

「はい」

 その笑顔が、絶体絶命の瞬間だというのにキラキラ光り輝いたように映って、俺はそっと、笑みを向けた。


 ◆◇


 六年三組から逃げた俺だったが、いやはや、結構ヤバいことになっている。

 俺達を狙う殺人鬼がいるのも、承知している。

 何がヤバいかって、そりゃあ。思うのもためらうぐらい、ヤバいことになっている。



 有村が、死んだ。

 それに加えて、遠藤、近藤、夕月と揃いも揃って殺されてしまったことだ。


 有村は、俺の分の銃弾も浴びて、死んでしまった。

 その時は、ただどうしようもなく切なくて、その場に佇むだけで、四人を撃ち殺す先生を見ていられなくて、その場から立ち去った。

 本当に俺は最低だ。俺が先生を殴って、銃を奪えばよかったのに。それだけで、何人もの命を救うことが出来たはずなのに。

 でも俺は、フッと思い出してしまったのだ。


 皐が以前、言っていたこと。


「お兄ちゃん、知ってる? 人はね、あらゆる可能性を考えなくてはいけないんだよ」

 皐がよく電話で話してくれたときに言ってくれたこと。日本一頭の良いさ聖ハスカに通う皐が言うことだから、俺よりも正しいことを言うって、俺は分かっていた。

 だから、皐が言った、「どんな可能性も考えなくてはいけない」という言葉に、しみじみ考えさせられるものもあると思うのだ。

 その時俺は、母親と母親の再婚相手の父親が寝ている布団の横で、自分の布団を敷きながら、その「可能性」とやらをひたすら考えていた。

 明日、地球が滅びてしまったらどうしよう。明日もし、六年三組が全員死んでしまったらどうしようとか。そんな、ただの一パーセントもありもしない可能性。でも俺は、その可能性もあるんじゃないか、と馬鹿真面目に考えていたのだ。


 まぁ、そんなことが本当に起こってしまったわけだけど。


 皐が話してくれたことが今、頭の中にふいに蘇り、殴りかかろうとしていた自分の勇気をフッと止めてしまった。

 もし今この瞬間、先生が振り返って、俺に銃を発砲されて、俺が死んでしまったら。

 想像すると、足がすくんで思うように動かなくなってしまって。


 くるっとまわれ右をして、六年二組のベランダへとダッシュしてしまったのだ。


 最低だ。俺は、最低な奴だ。


 好きな人を見殺しにして、好きな人を見離して、好きな人を裏切って。

 もちろん、俺が大切にしている六年三組の人達も、裏切ったことになってしまう。

 自分が先生から拳銃を奪い取るだけで、何人もの命を救うことが出来たのかもしれないのだ。なのに、それをしなかった。


 こんな俺なんか、先生が殺してくれたって構わないほどだ。

 先生が俺を殺さなかったのが不思議なほど、俺は清々しいほど屑な奴だ。


 涙があふれ出てあふれ出て、走っている間にも数え切れないほどの涙がぽたぽたと床に落ちる。

 自分を早く殺してくれ。

 脳裏に、有村の笑顔が貼り付いて離れない。

 同時に、幼い頃の皐の笑顔も、有村と重なる。



 こんな俺を……自分が、家族と同じように大事にしていた人を、見殺しにした自分を。

 そんな自分を支えて、「大丈夫だよ、一誠なんだから」と言ってくれる人は、皐しかいない。


 あの日のように、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とすり寄ってきてくれる皐は、今はもう、近くにいない。



「すごいですね、本田君は」



 体育のサッカーの時間に、へろへろになって見学している有村が俺を見付けて、そう言ってくれる。

 俺の人生に、ささやかながらも花が添えられたような気がして、無性に嬉しかった。


 皐と同じように笑い、皐と同じように俺を尊敬してくれる人。

 あぁ、そうだ。幼い頃の大切に保管していた気持ちを、そっと開けてくれる有村。

 皐とは違って、体育の成績がオールもう少し……もしくは普通がある有村。頭が良いけれど、皐よりは頭が良くない。


 今となっては、完全に妹である皐の方が俺より上位の人間になってしまったけれど。

 子供の頃、俺を尊敬してくれた皐が。

 小学校の時点で疲れ果てた俺に、尊敬という想いを向けてくれた有村と重なって。


 妹とはまた違う、大切な存在になっていったのだった。

 妹とは違うけれど、俺はひたすら、有村を大切にしたいと思った。皐も大切だ。でも、有村は皐とは違う。そりゃあそうだ。皐は血の繋がりがあるから大切にして当然だけど、有村は、六年前までは顔も名前も知らない赤の他人だったのだ。そんな人を、皐と同じように大切にしたい、大事にしたいと思ったのだ。それは恋であると、俺は結構早くから知っていた。


 有村に芽生えた恋愛感情に気付いて、俺は有村と楽しげ……というか親しげに話していたけれど。


 そんな日々すら、俺は今この瞬間、ぶっ壊してしまったのだ。


 どうしようもない。果たして、俺が下した答えは、正解だったんだろうか。


 俺が逃げ切る代わりに沢山の人の命を犠牲にするか、俺が死ぬ確率が二十パーセントだけど、その代わり周りの人を生き残らせるか。


 そんなの答えは一目瞭然だと、皆が口を揃えて言うだろう。


 でも、考えてもみてほしい。

 自分が助かりたいと思うがあまり、大切な人を見殺しにした。そんな人が真っ当に考え事が出来るわけがないだろう。

 俺は今その状況に立たされているから、だからこんなにも辛くて苦しいのだ。

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