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出席番号二十一番 藤川美玖

 お気に入りのベアのぬいぐるみを背中に乗っけて、雑誌をぺらぺらめくる。

 ほんの少しの、そんな休日が、私にとって、安堵の時間となる。


 テレビに出てきたり、マンガに出てくる女の子って、いっつも、こんな感じで自分の部屋で寝転がっているのかな。

 自分とマンガの主人公を重ねてみたりするのも、あれだけど。でも、少しは自分も可愛くなったんじゃないかなって、思ったりしちゃう。

 だって、そうじゃない? 女子って、自分が可愛くなりたいって思っているもんじゃないかな?

 あぁ、でも、あいつは……可愛くなろうなんて、微塵も思ってないだろうけど。


 パラパラ、と雑誌をめくる。小学生向けの、ファッション雑誌。安くて可愛い服が載っている。

 読者モデルって、何でこうも可愛いんだろう。私と同じ、ツインテールの髪型の女の子がいるけど、どこが私と違うの?

 しばらく考えて、私の頭の中に、ぽんっと考えが転がってきた。

 そうか、私のは、ヘアゴムだけど、この子達、皆、シュシュなんだ。

 そう思ったが吉、私はマスキングテープを大量に貼ったタンスの引き出しを開けて、ラメの入ったシュシュを二個取り出した。小さい頃、私が買ったシュシュ。お小遣い貯めてやっと買ったんだ。今ならこんなの、楽勝で手に入るけど、当時は毎日学校に着けて行ってたっけ。


「あ、この服可愛いー」


 雑誌をめくると、ぴんとくる服を見付けた。

 黒と白のボーダーに、袖のところに小さなリボンが付いている。お母さんに頼もうかな。よし、頼もう。

 そう決意して、いったん雑誌を閉じ、タンスからシュシュを探すときに背中から引っぺがしたベアのぬいぐるみを、ベッドに置く。


 ……そうだ。明日は、学校か。

 やっと、明日から大田君に会える。

 でも同時に、()()()とも会わなくてはいけないのだ。あの、優等生面したいい子ぶりっ子と。



 私は、代表委員会委員長の神楽藍花が、大嫌いだった。



 ◆◇


「行ってきまーす!」

「行ってらっしゃい」


 髪の毛をサラサラに梳かして、シュシュで結んだツインテール。白のカーディガンにエメラルドグリーンのTシャツに、フレアスカートにトレンカ。結構可愛い格好だと思う。

 これなら、大田君も、振り向いてくれそうだ。

 クラスのおバカキャラで、不思議と皆から愛されている。おバカキャラという点では、奈名子ちゃんと気が合いそうだな、と正直思っていた。おバカキャラ同士、悩みも苦労も一緒なのかもしれない、もしかしたら陰で、楽しく話してはいないだろうかと不安だった程だ。だが、奈名子ちゃんは明るい性格で、おバカキャラでいることにむしろ「変なキャラじゃなくてよかった」と安堵しているのだ。「おバカキャラから天才キャラに昇格したい」と言っては皆を笑わせている大田君とは大違いだった。

 明るくて優しくて、いつだってクラスの人気者。イケメンでカッコいい。そんな子は自然とクラスのリーダーになっていき、女子にモテる運命なのだ。

 かく言う私も、大田君が好きになった一人。皆がカッコいいカッコいいと言ってくるから、私もつられて好きになったとはいえ、自分で言うのも何だが、結構な好きっぷりだと思う。

 大田君に裁縫を手伝ってもらったり、逆に料理が出来るアピールをしたり。大田君が怪我したときは真っ先に駆けつけて、絆創膏を貼ってあげる。

「藤川、ありがとう」と感謝された時のあの女の顔ったら、もう笑わせてくれるのかってレベルの悲しみっぷり。ウケ狙ってんの。マジウケるんですけど。


 あの女……藍花も大田君のことを好きだってことは、百も承知。そんなのとっくの昔に知っていることだし、藍花が大田君に少しでも良いところを見せようと頑張っているのも知っている。だけど私はそれをぶち壊そうと思っている。


 いっつも男子の傍に行って、か弱い女の子になりきって。優等生がそんなことを出来ないのは、分かっている。大田君に近付くと、気の抜けたような、悲しそうな顔をするのは、いっつも決まって藍花だ。私はそれを見てほくそ笑む。ざまぁ、藍花。話しかけようと思ってたら可愛い女子に先取りされた気持ちはどう?


 五年生の頃、男子皆に、「神楽を見習え」って言われたけれど、それは多分、乗り越えろっていう、神様からの試練。

 か弱い女の子が男子にモテるってことに、藍花は気付いていない。代表委員会委員長だからって、学校のことを何でもテキパキ、順調にやろうとしている女の子って、男子からは可愛いって思われない。それよりかは、頑張ろうと思っても出来ない女の子の方が、ずっと「可愛い」って感じがするんだ。だから私はか弱い女の子になっている。藍花みたいなキャリアウーマンまっしぐらの女子って、将来男と出会う機会がなくて苦労すると思うなぁ、なぁんて。


 藍花は、普通に皆が着ているような女子向けの服なんて着ない。ファッション雑誌? 何それおいしいの? って顔してる。

 着ているものは、大人っぽい服。私も何着か持っているけど、地味な服だから、私はあんまり着ない。

 ストライプのタートルネックに、白のカーデ、紺のプリーツスカートが藍花の定番スタイル。狙っているんだか、それとも素なのか分からない服装。


 そんなんで、大田君の心をつかめるとでも思ってる? バッカみたい。そのうち、大田君は私と付き合うかもしれないというのに。

 そんなとき、あいつはどんな顔をするの? 優等生面を歪ませてくれるの? そうなったら、どれほど面白いことか。あー、想像するだけで笑えて来ちゃう。



「おはよー美玖ちゃん。何笑ってるんだよ」



 うっ。

 あの気持ち悪い奴、マジで私の家の近くに来やがった。

 六年一組の、菱川学。藍花と並んでこいつも大っ嫌い。保健委員会なのに、代表委員会で活躍している大田君にもライバル意識を燃やしているというこの男。何か私にべたべたとくっついてくるのである。

 こいつが女好きであるということは確実。菱川学は、学年全体のリーダーシップをとることしか、取り柄がない。中学に行ったら絶対苦労するだろうに。

「運動会だってさ。楽しみだよね~」

「うん、うん、そうだよね。楽しみだよね、マジで」

 私も仕方ないので愛想笑いを浮かべる。こうすると菱川は追ってこないから非常に楽である。

「学君は、赤組だっけ、白組だっけ」

「もちろん、俺は、炎の赤だよ! 美玖ちゃんは?」

 だからその美玖ちゃんという言い方をやめてくれ。気持ち悪い。大田君になら美玖ちゃんと呼ばれたら嬉しいことこの上ないのに、こいつに美玖ちゃんと言われるとぶっ飛ばしたくなる。

 こいつ私に惚れてんのかな。そんな勘違いをさせるには充分だ。


「そうだ、私、校門前で大田君と待ち合わせしているんだった! じゃあね~」


「は? 何で大田なんだよ」

 大田君の名前を出した瞬間、菱川の顔は曇る。そりゃあそうだろうな。自分が学年のリーダーシップをとって、学年で一番人気があると思ったのに、六年三組のおバカキャラでイケメンの大田君が、それをかっさらっていったんだから。

 ちなみに菱川はイケメンなわけではない。ただリーダーシップだけで学年を取り仕切っていただけ。そのくせ、裏では急に髪型を変えた一樹君を「イメチェンかよ、男子のくせにキッショ」と馬鹿にしていたのだ。秋枝ちゃんが、「あぁいうの、マジムカつく!」とまた更に菱川の悪口を言っていたのだけれど。

「学君には関係ないじゃーん。はい、行った行った!」

 菱川の背中を……正確にはランドセルを押して、私と菱川は学校に向かう。

 こうやってやれば菱川って単純明快でアホなんだから、きっときゅんってなるもんでしょ。何しろ、リーダーシップだけしか取り柄のない馬鹿男子なんだから。


 菱川を押すだけ押したところで、私は走り出す。後ろで菱川の舌打ちが聞こえたような気がしたけど、気にしないでおいた。

 ツインテールに、シュシュ。結構似合ってるんじゃないかなって我ながら思う。


 ◆◇


「おはよ~。大田君」

「お、おぅ」

 私が大田君に手を振ると、大田君は戸惑ったように手を振り返してくれた。

 きっと、女子に手を振られたのが恥ずかしかったんだ。うん、そうだよね。これからもっと手を振ってあげよう!

「藍花ちゃんも、おはよう!」

 大田君を自分の机から優しい笑顔で見つめているのは、藍花だ。私は、一応藍花にも挨拶する。

 すると藍花は、さっきまでの優しい笑顔を引っ込めて、事務的な口調で「おはようございます、藤川さん」と頭を下げる。

 はぁ? 何、その事務的な言い方。こっちはせっかく大嫌いなあんたに笑顔ふりまいてやってんのに。


「ねぇ、藍花ちゃん、大田君さ、超カッコいいよね! ね!? 今日もさ、おはよって言ったら、手振ってくれたんだよ! マジ、カッコいい!」

「……そうです、ね……」

 悲しそうな、けれども優しそうな、そんな瞳で、彼女は私ではなく大田君を見つめている。

 優しくて明るくて、空気の読める、イケメンな大田君。優等生の彼女も、大田君に恋をしているんだ。

 まぁ、勉強一筋のあんたには、叶わないと思うけどね、この恋。明るくてイケメンでおバカキャラの大田君は、自然と同じように、明るくて可愛い人の方を好きになると思うんだけどね。生真面目で廊下なんか滅多に走らない藍花なんか、全然眼中にないから、諦めた方がいいんじゃないかな、と思っている。


「藍花ちゃん、そういえば、そのカチューシャ、めっちゃ可愛い! 藍花ちゃんに超似合ってるよ!」

「えっ、そうですか? ありがとうございます」

 藍花は「意外なところを褒めてくれた」と言いたげな笑顔になる。自分が褒められることに慣れていないのだろう。勉強とかでは褒められていそうだけど、それ以外ではさほど褒められたことがないのかも。


「藍花ちゃんって、お洒落しないの?」


 そこで私は、ふと浮かんだ疑問を投げかけてみた。藍花はキャリアまっしぐらタイプの生活をしているくせして、妙に男子の評価が高い。多分そんじょそこらの男子よりかは信頼出来るからとかそんな感じだろうけど。

「そうですねぇ。……お洒落って、どうすればいいのか分からないものなんですね。……お洒落というものが、たとえば具体的に何をするのか……よく分からないんです」

「ふーん」

 よっしゃ、勝った。お洒落に勝った。……まぁ、元々、勝ってたんだけどね。

 藍花は、「藤川さんはすごいですね、お洒落してるって感じが、あの、伝わってきます」とはにかみながらに言った。は? 何それ、ナメてるの?


「藍花ちゃん、たまに、ヘアピンをつけるとかでもいいんだよ? 百均で売ってるよ。ほら、奈名子ちゃんがつけてるアメピン」

 私は、窓際で、六年三組ツートップ美少女の秋枝ちゃんと笑い合っている奈名子ちゃんを指差した。奈名子ちゃんがつけているのは、光に当てればキラキラ光るアメピンで、私も持っていた。たまにそのアメピンにビーズとかを接着剤で付けている。

「あぁ、本当ですね。よくヘアピンで留めるのですか? 皆さん」

「そーだよぉ。皆、自分が可愛くなりたいから、お洒落してるんだよぉ」

 自分が可愛くなりたいって、素晴らしい願い事だ。私も、一年生の頃に、お洒落になりたいって言って、服とか沢山買ったんだから。それまではお母さんのお下がりとかだったけど。信じられる? チェックのシャツだぞ。何十年も前の。

「皆さん、可愛いですよね。私も、可愛くなってみたいものです」

 そう言って藍花は、フッと微笑む。私とあの子達とは住む世界が違うっていう目をやめろ。

「試しに、買ってみたら? ……それにしても、藍花ちゃん、そのカチューシャ、どこで買ったの?」

 私は再び話題をカチューシャに引き戻す。すると彼女は、「これですか?」とてっぺんに小さな花の飾りがいくつもついた可愛らしいカチューシャに触れる。


「家族と大型ショッピングモールに買い物に行ったとき、雑貨屋さんで買ったんです。藍花に似合うって、お父さんが言ってくれて」

 何それ、幸せ自慢? 嬉しそうにする藍花に、私は思わず舌打ちをしてやりたくなる。私だって、幸せですけど? お父さんやお母さんに毎日可愛いって言ってもらえるし、自分の部屋だってあるし。

「買ってもらったんですけど、全然、地味な私に似合わなくて。むしろ、藤川さんにあげたいぐらいです。でも、お気に入りなんですよね」

 結局何が言いたいのだ、この女は。私にあげたいくせに? お気に入り? ちょっと何言ってるか分かんない。


「地味なんて、藍花ちゃん、めっちゃ美少女じゃん」

「いえいえ、そんなことはないですよ!」

 大急ぎで首を横に振る藍花。だからその仕草ウザいっつーの。男ウケ狙ってんの? 笑わせてくれるよ、大人っぽいを最早超えているくせに。

 私がぶりっ子だってことは、自分でも承知している。自分でも、男子の前で声のトーンが上がったり、語尾を伸ばしたり、怒ったときや困ったときに頬を膨らましちゃうってことが分かるもん。

 それの殆どが、驚かれるかもしれないけれど、お父さんやお母さんにおねだりするときの必殺技として備わってきた、小さい頃から染み付いたクセだ。だから私は、「中途半端なくせにぶりっ子されて、すんげームカつく!」って言われないように、ちゃんと可愛い服装をしている。……のだと思う。


「藍花ちゃん、ねぇ、試しにそのカチューシャ買ったっていう雑貨屋さんで文房具買えばいいじゃん。お洒落はそっからだよ? 百円で買える物もあるし、鉛筆は六十円で売ってるよ?」

「そうなんですか? それは嬉しい情報ですね。今度、買おうと思います」

 なんだか嬉しそうな顔をする藍花。きっと、藍花も太雅君にアピールしたいと思っているのだろう。


 何かウザい。藍花、優等生面して本当は健気な少女アピってる? そういうの、ウザいんだよなぁ。

 それに、地味なんかじゃないでしょ。だって、地味なら代表委員会委員長なんてやんないし。代表委員会委員長やったら目立つでしょ。


 はぁあ。何やってもウザい。藍花って。大田君と結ばれるべきは私なんだから。

 こんなに地味な服ばっかり着ている藍花よりも、可愛い服を何着も持っている私が結ばれるに決まってるんだから。


 ◆◇


 どんなに走っても、どんなに願っても、しゃがんでも、誰も、助けてはくれない。

 五年生の冬ぐらいに行われたマラソンよりも、辛いんだけど。

 運動音痴な私がひぃひぃ言って、最後の方はもう同じクラスだった深幸ちゃんと歩いていたけどね。「ちんたら歩いてんじゃない!」ってよく当時の先生に怒られていたんだよね。その先生が今年の四月に異動しちゃって、その先生が大好きだった津田桃華が、泣きながら離任式のときに、手紙読んでたっけ。

 ……津田桃華か。

 あの子も、藍花と同じように、真面目な少女だった。廊下を走っているのを見たことがない。

 藍花も、そうだった。


 そう思うと、今更ながら笑いがこみあげてくる。

 今、笑ってはいけない状況なのに。

 あーあ。藍花も、損だよね。大田君は、廊下を大爆走するような生徒なのに。藍花は六年のうちに一回もしたことがないんでしょうね。授業に遅れそうになった時はそりゃあ私もダッシュするけど。藍花は一度もしたことがないんだろうな。


 そうだよね。


 ……でも、私も、もう嫌われちゃったかもね。



 大田君は、藍花のことが好きなんだって、気付いた。



 気付いたっていうか、理解したんだ。


 私が、殺人ゲームのとき。職員室前で倒れている藍花を見付けた時。

 背筋に寒い何かが伝わると同時に、ゾクゾクと震えあがるほどの興奮が押し寄せてきた。

 ざまぁみろって、正直思っちゃったんだよね。

 自分でも最低だと思った。マンガの中の女の子は、恋のライバルが死んだら、ざまぁみろなんて思わない。一瞬でもそう思ってしまった自分は、異常で最低最悪な女の子だって、そう感じ取ることができた。

 でも私、なんでか、無性に鬱憤を晴らしたくなったんだ。優等生ぶった顔が、どんな顔をしながら死んでいったのかを想像すると、楽しくて。


 気がつくと、藍花を蹴っていた。

 いけないことだって分かっていても、止めることが出来なくて。


 ちょっとだけならいいよねって、先生が異常なんだから、私一人が異常になってしまってもいいよねって、思ってた。

 だから、誰もいないことを確認して、私は藍花を蹴り続けた。


 がすっ、がすっ。


 不思議だ。

 やってはいけないことなのに、やったら気持ちが晴れ晴れとするような、そんな気分になった。


「お前が死んでっ、せいせいしたわっ!」


 自分でも笑ってしまうぐらいの言葉が出て、私は思わず笑顔になる。

 にんまり、と笑うと、藍花が更に傷付いているような幻覚を覚える。何か、すごい快感。このどうしようもないこの感覚、何なんだろう。


「あぁよかった、お前が死んで! お前のその優等生ぶった美人面、超絶大嫌いだったんだよなぁ! 死んでよかった、マジ、お前毎日呪ってたかいがあったわ~、これで大田君は私のもの? なんちゃって~、ヤバ~い、自分で言って笑っちゃうわ~」


 快感が体中を駆け巡る。逃げ遅れた藍花が、今はどうしようもなくアホに見えてしょうがない。死んでいる人に悪いだなんてそんな感覚、微塵もない。

 今この瞬間を誰かに見られたらどうしようとか、そんなことを考えたりはしなかった。

 誰かに見られても、どうだっていいや。たいしたことない奴が、私の本性を知ったところで、何になる。

 それよりも、今はこいつを蹴っている方が楽しい。



 そう思っていた、その時だった。



「藤川っ、お前!」



 私の大好きな、その声が。

 背後から重く、冷たい声がのしかかってくる。

 今までにないくらいの、そんな冷めたような声が、後ろから響いて、私は振り返った。


 心臓がバクバク音を立てる。少女マンガによくある展開で胸が高鳴ったわけじゃない。ついさっき、誰かに見られてもいいと思っていたはずなのに、まさか大田君に見られてしまったなんて。

 こんなこと、あってもいいの?

 切羽詰まった表情。大田君は、憎しみのこもった目で私を睨みつけている。

「ちっ、違うの! これは……」


「何がっ、何が違うんだよ! お前、ふざけんなよ、何でっ、何で神楽に!」


 怒りを露わにして、体をふるふると震わせている大田君。今まで体中に張り巡らされていた快感が、すっと消えていった。体中に鳥肌が立ち、腕に触れたツインテールが、冷たい。



「俺の大切な人に何してんだよ。許せねぇ」



 その時、私は確信した。



 大田君は、藍花が好きなんだって。

 両想い、だったんだって。

 私の入る隙間なんて、ただの一ミリもなかったんだ。

 本当はどっかで勘付いてもいいときだってあったはずなのに。

 気付かないフリをしていただけなんだ。

 気付かないフリして、自分と大田君は両想い。大田君は恥ずかしがっているだけなんだって。そう思っていた。自意識過剰よりも上でどうしようもないけれど、自分は可愛いからって、そう思っていたんだ。



 私は、大田君から視線を逸らして走る。

 大田君が何かを言って。

 それから、何かを発射した音がしたけれど、私はそれ以上、何も知らない。


 ◆◇


 本日……って言っていい時間なのかな? まぁ、いいや。

 本日二回目。私のクラスの男子が豹変しちゃうのを見たのは。



 夜……じゃないかもしれない、午前四時。

 夏じゃないから、日が昇るのは遅い。だから、今はまだ暗い。

「……藤川、お前、何でここにいるんだよ?」

「……そっちこそ! 何やってんの!? 何で……? どうして、二人とも倒れているの!?」


 私は、目を見開いて、男子二人を倒して何かをしているそいつを見て、そう叫んだ。

 どうやったって、こんな状況が理解できるはずもない。

「どうしてって、そりゃあ、俺が殺したから」



「何で!? 何で水川君が、橘君と鈴木君を殺しているわけ!?」



 私の問いに、水川君はニタリと微笑んで、持っていたハンマーを下ろした。


 私の知っている水川君は、こんな水川君じゃないのに。


 六年三組きってのゆるふわ天然少女、実月ちゃんの彼氏で、優しくて明るい男の子のはずなのに。後輩の谷川君に負けず劣らず、五年生から大人気なのに。

 そんな水川君が、今、橘君と鈴木君を殺しているの?

 そんなの、信じられるわけないじゃない。


「ねぇ、何でこんなことをするの!?」

 

 私が叫ぶと、彼は「ふふっ」と笑って、言った。



「鈴木が、俺をいきなり殴ってきたからさ。揉め事になるかもしれないって思って逃げたんだ。だけど、「逃げんじゃねぇ」って。アホだよな。で、俺、図工室に逃げ込んで、ハンマーで思いっきり鈴木を殴ったんだ。……当然、動きもしない。一気に怖くなってさ。俺、図工室から別の場所に持ってったんだ。

 そのとき、橘が来て。俺、慌てて隠れたんだ。橘、鈴木の死体を前に、立ち尽くしちゃってさ。その隙を見て、俺、殴り殺しちゃったんだよ」


 ははっ、なんて笑っている。いや、ははっ、じゃねぇよ。

 また鳥肌が立って、私は水川君を……いや、もう、君ではない。


 彼も、殺人鬼になり下がってしまった。


 実月ちゃんを可愛い可愛いと愛していた水川の面影は、もうどこにもない。


 そこにいるのは、優しかった水川の化けの皮を被った、ただの殺人鬼。


 皆が「実月ちゃんの彼氏、マジで良い人だよね!」と話している水川ではない。


 そのとき、まるで一瞬の隙もなかったかのように。



 彼はにっこりと微笑むと、私に向かって、一度下ろしたハンマーを、私に向かって振り上げて。


 そして、振り落とした。

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