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出席番号十九番 橘充

 クソ遅くてすみません。本当に時間がなかったんです。ごめんなさい。

 やけに暑い、真夏の日の出来事だった。

 五年生の夏休み。俺は、駅ビルの中の、駄菓子屋へ向かった。十円ガムや、香り付きのスプレーなんかを買って、俺は蝉の鳴る歩道へと足を踏み出す。


 汗でタンクトップが背中とお腹にべったりと張り付いて、気持ちが悪い。頬を汗がつたっていくのも、また気持ちが悪い。真っ黒に日焼けした腕が、走るたびに見え隠れする。

 駄菓子を買って来いと言ったのは、兄の(みちる)だ。部活帰りに駄菓子を食いたいんだとよ。大人っぽい見た目の割に、好みが子供っぽいんだよ。思いっきり舌打ちしたくなる。自分で買えよ、そんなもん。

「あ~あっちぃ」

 タンクトップで額の汗を拭い、俺は家へ帰る。どうやったって、この暑さは消えない。歩道にも、床暖房とかそんな感じで床冷房とかつけてくれないかな。手をついたら火傷しそうな歩道。水を撒く人もいない。歩く人の気持ちも考えて、国も何かすることはできないのだろうか。

「マジ、兄ちゃん、自分で買って来いってば。何で俺がこんなことしなきゃなんねぇんだよ」

 そうぼやいても何も変わらない。今頃兄ちゃんは、中学で汗水垂らしてサッカーしているんだろう。そして、スポーツドリンクを飲んでるんだ。いいよな、こっちは、自分で買わなきゃいけないのに。マネージャー達に入れてもらえるなんて、いいな、本当にいいな。


 ふと前を見ると、コンビニを見付けた。涼めるチャンスだ、よし。

 俺はコンビニに入る。軽快なメロディが流れると同時に、店員が「いらっしゃいませー」と大声をあげる。

 ふと商品棚を見ると、「真夏の暑い日に、熱中症対策!」と書かれているポップの下に、スポーツドリンクが山積みされていた。ポップの隅に、小さく「熱中症になると、病院に行くお金が必要になります。大人しくクーラーをつけましょう」と書かれていた。どっかで見たことあるぞ、この文章。

 まぁ、いい。そんなことより、タンクトップにべったり張り付いた、気持ち悪いぐらいの汗が少し乾いたら、外に出るか。

 俺は、暇な時間を持て余していたために、店内を歩いていた。けっ、温かいコーンスープだって。今の季節需要あるのかよ。飲み物の陳列棚を見て少し笑う。

 あー、アイスだ。期間限定、マンゴー味か。まさに夏って感じだな。夏野菜サラダ売ってる、美味そうだな。あっ、カニカマボコ入ってる。マジか、今度買おうかな。

 なんて、下らないことを考えていると。

 ふっと、飲み物陳列棚の、サイダーに気を取られた。

 しゅわしゅわサイダー、レモン味。

 新発売されたわけでも、期間限定のやつでもなければ、サイダーのレモン味が特別に好きなわけでもなかった。だが、何故か俺は、急にしゅわしゅわサイダーが欲しくなったのだ。

 口の中に広がる、何かが弾けたような刺激。体に染み渡るような、レモンの香り。それが結構好きで、俺、ラグビーの帰りに、よく飲んでたっけ。爽快感があって、何かが終わったような達成感が味わえる。夏にしか、冷たくて飲めないしゅわしゅわサイダーが飲めなくて、夏になると、買っていた。四年生の頃、サイダーの飲みすぎで父さんに怒られて以来、あまり買わなくなっていたが、今、ここでしゅわしゅわサイダーが欲しくなったのだ。

 ちょっとぐらい、いいよな。兄ちゃんが「駄菓子買ってこい」と言って渡してくれたお金、ちょっとぐらい使っても、いいよな。だって俺、兄ちゃんからスマホにメールが来るまで、俺ずっと夏休みの宿題を、クーラーの利いた部屋でやっていたんだから。クーラー天国からいきなり灼熱地獄まで突き落とされたんだから。いいよな、ちょっとぐらい。可愛い弟を灼熱地獄まで突き落とした罰だ。

 斜めがけバッグから小銭を取り出し、値段を確認する。しゅわしゅわサイダーは百五十円プラス税。ってことは、百六十二円必要ってことか。それぐらいなら、あるだろ。

 小銭を取り出す。そして、予算を数えて、俺は、愕然とした。


 嘘だろ、百五十円しかない。


 引いてきた汗が、逆戻りしてきた。

 ……うん、しょうがない、しょうがないんだ。だって、もともと買わなきゃいけない物じゃなかったんだから。お金足りなかったからって、しょうがない。それより、さっきの駄菓子屋に戻って、格安で、缶ジュース、買ってこようかな。


 ……そう思って、落ち着こうとしても、駄目だった。

 今すぐ、この飲み物を飲みたい。コンビニを出て灼熱地獄の時に、思いっきりがぶ飲みしてやりたい。そして、家にダッシュで帰って、クーラーの利いた部屋でもう一度、このサイダーをがぶ飲みしたい。

 ビーズクッションにダイブして、サイダーをごくごくと飲みほす自分の姿を想像して、思わず唾を飲み込む。

 あぁ、手に入れたい。でも、お金が足りない。……しょうがない、でも欲しい。しょうがないけれど、でも欲しい。


 ……あっ、そうだ。

 俺の頭に、一つの考えが思い浮かんだ。



 こっそり、盗んでしまえば?



 今考えると、犯罪行為だと自分でも分かる。でもその時は、絶対成功すると思っていた。飲み物コーナーは監視カメラから死角だし、誰もいないから、出来るって。きっと、頭が暑さでどうかしていたんだと思う。

 でもその時、俺はこれを何としてでも手に入れたかったのだ。一瞬の行いが、後に自分の首を絞めることになるって、今この時、一番理解した。


「よし」

 決意を固め、飲み物コーナーの扉を開ける。中から更にひんやりとした空気が流れ込んできて、鳥肌が立った。

 俺は、しゅわしゅわサイダーレモン味に手を伸ばした。ただ、この炭酸飲料水だけを手に入れたい。それだけしか、頭になかった。

 だから、横で発された妙な機械音に、気付かなかったのだ。



 しゅわしゅわサイダーを掴み、監視カメラの位置を確認して、かけていた斜めがけのバッグに一瞬で滑り込ませる。俺が急いで、店を出ようと、体の向きを変えた時だった。



 ピコン。

 機械音がして、俺の心臓は、どっきーんと音を立てて暴れだし始めた。

 まさか、どっかで撮られてた……?

 今更そのことに気付き、俺は辺りを見回す。

 嘘だ、犯罪行為、どこで見られてたんだ? まさか、店の奥に連れて行かれるのか?

 一秒にも満たなかったその時間で、それほどのことを考えられていた俺を、誰か褒めてほしい。しかし、そのときはそんなことを、考えることも出来なかった。

 ふいに、気付いた。俺と同じ背丈ぐらいの少年が、スマホで、俺のことをまっすぐに捉えていたことに。


「っ!」


 見られた。

 やっと、さっきまでの思考が異常だったんだと気付き、俺は、慌ててバッグからサイダーを取り出し、ドアを開ける。すると少年が、スマホを下ろして、ニヤリ、と微笑んだ。


 その顔で、息が止まりそうになる。



 そいつは、春日巧だった。



「……あれ? お前って確か、橘だったっけなぁ? どうしたんだ、こんな所で」

 彼にニタリ、と微笑まれ、俺は、先ほどの暑さの倍ぐらいの汗が噴き出してきた。タンクトップがまたじんわりと汗ばんでいくのを感じる。

 これが、仲良しの友達だったらよかった。例えば、ゆうちゃんとか。……春日って、ないよ。運が悪すぎるよ。万引きスレスレのところを、俺の大嫌いな奴に見られたとか。笑えない、マジ、笑えない。

「……い、いやあ……。ちょっと、実験してみたくてさぁ。監視カメラって、二十四時間、店員が監視しているのか、実験してみたくって、ちょっと、バッグの中にサイダー入れたって言うか……。だ、大丈夫だよ、盗みなんかじゃないから、ね、ホント、信じて!?」

 俺が一気にまくし立てると、春日は更に微笑む。足がすくみ、春日と視線を合わせることさえ、難しくなってきた。

「へぇ。俺、橘が盗みしてるかなんて、一っ言も言ってないけどぉ? 何、自意識過剰系?」

 流石春日。五年の中で一番性格が悪いと噂されるだけある。痛いところを的確に突かれて、俺は、黙りこくるしかなかった。

 腰に手を当てた春日は、俺を下からじろじろと見てくる。汗が、全身の毛穴から吹き出てくるのかというほど、吹き出てくる。


「橘。ってことは、これも、嘘ってことだよな? な?」

 そう言って、彼はスマホを俺の目の前に掲げる。やっぱり、と思っていたからそんなに動揺はしなかったけれど、でも結構、ビビった。


『よし』

 決意を固めた声を発して、ドアを開けて、バッグの中にサイダーを滑り込ませたことまで、何から何まで動画に撮られている。

「あーあ、これ、どうしよっかぁ。皆に見せる~? だってさ、これ、傍から見れば完全万引き動画じゃん。どうする? 動画サイトに上げる? それとも、店員さんに見せる?」

「そっ、それは」

「これがさ、嘘ならさ、じゃあ、何でこの動画があるんでしょうね~? 何で、ここに橘が映っているんでしょうね~? まさかこれって、幽霊? 心霊現象?」

 ……春日、完全に俺の反応を楽しんでいる。

 恐らく、一生、ネタにされていく。俺は直感した。

 あぁ、これは、完全に終わった。終わってしまったのだ。五年の夏休みにして、人生終了。あぁ、春日が私立とかの中学に受験してくれないかな。それだけで俺、すっげぇいいんだけど。


「万引き未遂、しちゃったね~? どうする? どうする?」

 俺のことを舐めまわすように見つめてくる春日に、流石に嫌悪感を抱き始める。

 どうか、こいつにだけはバレたくなかったのに。なのに、こいつに……。いやもう、おかしいって。

 全身から汗が噴き出した後は、真夏だというのに、冬のように俺の体は凍り始めた。声を出そうとしても、何も言えないのだ。



「……じゃあ、黙っててあげようか?」

「は?」



 一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 だって、あの春日が、俺の行いを、黙ってあげると言ったのだから。

 その嬉しさを一瞬噛み締めた後、俺は、果てしないような不安を目の当たりにした。

 春日のことだから、その代わり、俺の言うことを一生聞けとか何とか言うのだろう。そんなこと、分かってる。一生、言うことを聞くから、だから、黙っててくれ。

 身構えて、俺は春日を見る。そして「あぁ」と頷いた。頼むから、このことだけは誰にも話さないでほしい。万引き犯とか言われたら、俺、学校にどうやって行けばいいか、分からないから。だから、何でもいいから、黙っててくれ、どうか。


 すると春日は、ニヤリ、と底意地の悪そうな笑みを浮かべた。蛇に睨まれるようなその笑みが、何よりも怖いとゆうちゃんが言っていた。

「へぇ、黙っててほしいんだ。……その代わり、一つだけ、条件がある」

 あぁ、はいはい、やっぱりね。そうだと思った。どうせ、言うことを聞けとか言うんだろ。春日の言うことなんて、もうまさに筒抜けっていうか、地味に掌で踊らしている感があるんだよなぁ。

 すると春日は、両手を合わせて、片目をつぶって、こう言った。



「俺と、友達になってくれ」



「は?」


 えっ、待って。

 掌で踊らしている感があると思った矢先に、まさかの想像の斜め上を行く答えが返ってきた。

「……と、友達って」

 俺が戸惑っていると、春日はつぶっていた片目を開けて、俺を怪訝そうな顔で見つめてきたのだ。

「え? 分かんない? 友達って言葉。分かんない? なぁ? 分かんない?」

 お願いを聞いたというのに、何でそんな怪訝そうな顔をするんだよ。……って、まぁ、元はと言えば、俺が万引きしそうになったのがいけないんだけど。

 ……でも、それより。


「友達って、え、俺が? 春日の?」

「そう、俺の。……ってか、春日ってやめろよ、友達なんだから、巧でいいよ」

 あれ? 友達、決定なの? 俺、いいよなんて言ってないんだけど。そう思ったけど、俺は不満を口にはしなかった。不満を口にしたら、すぐにでもこの店の店員にバラすに違いない。


「宜しくな、充!」


 あぁ、俺、了承していないのに、決定されちゃったし……。


 ……でも、まぁいいか。一応、お互い様だし。こっちが万引き未遂を黙っていてほしいとお願いする代わりに、春日は、俺に、友達になれと……。

 あれ? でも、いくら性格が悪い春日でも、友達なんて沢山いそうなものなんだけどな。何で俺に、友達になってほしいだなんて言ったんだろう。少しだけ不思議に思いながらも、俺は「あぁ」と頷いた。


 ◆◇


 それから俺は、春日とゆうちゃんと三人で行動することになった。

 五年生の二学期から、違うクラスの春日が「充ーっ、おーい!」と教室の扉から手招きをすることなんてしょっちゅうあったし、ゆうちゃんが「あいつとつるんでるのか、大丈夫か?」と心配してきてくれることもあった。俺は「巧も結構良い奴だぜ」と言うと、ゆうちゃんは一瞬不機嫌そうな顔をして、「そっか、じゃあ俺も巧と友達になろうかな」なんて、言ってくれることもあって。

 それから毎日、六年になってもずっと一緒にいるけど、俺は、分かっている。

 ゆうちゃんは本当は、春日のことが苦手なんだ。ふとした瞬間に嫌そうな顔をするのだから、一年生の頃からずっと一緒にいた俺が分からないはずはない。

 でもゆうちゃんは、俺を見るに堪えかねて、春日としょうがなく友達になってくれたのかもしれない。俺と一緒に行動をするために。

 ありがとう、ゆうちゃん。今はまだ、お礼なんて言えないけど、いつか、必ず言いたい。

「俺も、春日は苦手なんだ。でも、弱み握られちゃってさ、友達するしかなかったんだけど、ゆうちゃんがいてくれて、マジ助かった」って。そしたら、ゆうちゃん、どんな顔をするんだろう。ゆうちゃんと一緒に、春日に反抗することも出来るかもしれない。

 その日を望んで、俺は今も、春日と仲良くしている。


 ◆◇


 だけど、その日は、来なかった。

 いつか、何故俺と友達になったのか、聞きたかったのに。

 春日は、殺された。先生に。


 どうして先生があんな風になってしまったのか、全然分からない。今も分からなければ、多分ずっと、分かることもないだろう。分かることも出来ない先生が、今まで、目の前でずっと授業をしていたんだと思うと、何だか怖くなった。

 今までの俺からは、想像もつかない先生。道徳の時間には決して教えてくれなかった、人が狂った瞬間というものが、今、目の前にあったのだ。



「…………」


 そして、今もなお、どうしても信じきれないような現実が、目の前にあった。


 ゆうちゃんが、赤い血を垂れ流しながら、目を見開いて、死んでいたのだ。

 どうしようもないぐらいの絶望が、まるで俺を取り囲んだかのように襲いかかってくる。気持ち悪さが襲いかかってきて、思わずしゃがみ込む。夜の綺麗な空気が、まるで「外の世界はこんなにも綺麗だぞ」と言ってきているようで、憎たらしくてしょうがなかった。


 ゆうちゃんは、先生に殺されたんじゃないか、と、そう思った。だけど、俺はすぐその考えを改める。よく考えたら先生の攻撃手段は銃しかなかったんだ。じゃあ、殺した奴って、一体……。

 ゆうちゃんは、開け放たれた窓の風が揺らすカーテンの中に、密かに眠っていた。もう二度と起きることのできない、永遠の眠りについていたのだ。


 もう、ゆうちゃんと笑い合うことは出来ない。二度と出来ないんだ。

 足もとから全身が冷え込んでいくような気がして、俺はいてもたってもいられず、立ちあがった。


 ゆうちゃんは、帰ってこない。だから、ここは俺で、俺だけで逃げるしかないんだ。

 ごめんね、ゆうちゃん。一緒に逃げることが出来なくて。


 そこまでゆうちゃんに謝ったところで、俺はふと気がついた。



 あれ? ゆうちゃんを殺した奴は、先生じゃなかったんなら、もしかして。

 六年三組の、誰か……?

 そんな。嘘だ。

 今までずっと一緒に過ごしてきた仲間が、いきなり、人殺しに豹変したって言うのか。

「……ゆうちゃんを殺した奴って……」

 先生に殺されることよりも、その新事実が何よりも恐ろしい。

 殺人鬼が、まさかゆうちゃんを殺すなんて。そのことに、怒りや悲しみを隠すことが出来ない。しかも、その殺人鬼が、まさか六年三組の仲間だなんて、思いも寄らなかった。

 もしかしたら、先生が殺した可能性だってあるけれど、俺は過ごしてきた仲間がゆうちゃんを殺した説を信じきっていた。


 田中と上原を殺した時も、カリスマ三人組を殺した時も、そして。


 神楽を殺した時も、銃殺だった。


 神楽とゆうちゃんは、殺してほしくなかった。ゆうちゃんはともかく、神楽は生き残れると思っていただけにずいぶんショックだったし、これから、たとえ生き残っても一生立ち直れないような傷が、心のどこかにあると思っていた。


 神楽に対するこの想いが、「好き」だと初めて気付いた時って、一体いつだったんだろう。

 俺はふと、そんなことを想像し、そして、ふるふると首を横に振る。

 こんなこと、今、想像してしまっては駄目だ。あまりにも現実逃避過ぎて、あやうく、殺されてしまうところだったかもしれないのに。


 そう思っても、頭って、勝手に想像を進めちゃうもんなんだよな。


 ◆◇


「よし、完成したぞー」


 落ち着いた神楽らしからぬ言葉が、静かな教室に響く。

 今は、先生の考えた「プラモデル作り」という名の、班の共同製作が行われている。一つの班で四人なので、四つのプラモデルを組み合わせて作るのである。俺は、神楽、栗沢、太田という、普通の俺の影が限りなく薄く、また、三人とも俺と全く関係性がないメンバーで班が出来ているのだ。だから、頭の良い神楽に話しかけるのは栗沢、太田と必然的に決まっていた。

「えっ、藍花ちゃんもう出来たの? 早いー! 教えてー?」

 俺がそちらを見ると、自分の言葉づかいが恥ずかしかった様子の神楽に、栗沢が走り寄ってきていた。

 この二人は、性格や外見の差が激しいものの、その差を乗り越えて親友にまでなっている。正直、「何で麗羅ちゃんと藍花ちゃんが親友なの?」と言う女子に賛成気味だけど、二人は、「どんなに性格や外見が違う人でも、頑張れば友達になれるんだよ」と言って譲らない。そこが二人の良いところなのだと、俺は思う。


「麗羅ちゃん、ここは、こうするんだよ」

 カチャカチャ、という音がして、栗沢の「ホントだ! 藍花ちゃん、マジすっごい!」と歓声が聞こえてくる。

「神楽、そこ、俺にも教えてくれない?」

「えぇ、分かりました。大田君、どこが分からないのですか?」

 続いて、神楽は太田のプラモデルを組み立てていく。大田は、「神楽、手先めっちゃ器用だな。どこでそんな才能拾ったんだよ」としきりに彼女を褒め称えていた。

「えへへ、……そんなことはありませんよ」

 神楽は、褒められたのが嬉しかったのか、それとも照れくさかったのか、頬を少しだけ赤らめて、完成に近付いたプラモデルを太田の手に優しく乗っけた。

 太田も、ニヒヒ、と笑って、「ありがとう」と一瞬微笑んで、神楽から視線を逸らす。



「よし、出来た」

「あっ俺もだ」

 栗沢と太田が嬉しそうな声を上げる横で、俺はひたすらプラモデルと格闘していた。何しろ、神楽と一切関係性がない俺。事務的な会話をするのにも一苦労で、頭の良い神楽に「こいつ頭悪いな」って思われたら、それこそ小学校生活終わりだ、と何故か俺は勝手に思い込んでいた。自意識過剰も甚だしいが、俺は誰にでも優しい神楽に嫌われたら、それこそ終わりだと思い込んでいたのだ。正直俺はイケメンじゃないし、優しくないし、勉強も運動も並みで、いや、並み以下で、クラスの二大バカキャラ、太田と遠藤よりも頭が悪い。そんな俺が神楽に見放されるのは時間の問題だったし、何しろ、神楽から見放されたら、六年三組と隔離されたような気がしてならなかったのだ。


 頭悪いのがバレたら終わりだと、俺は隠れて必死になってプラモデルをやっていた。机の下で、こそこそと。多分、周りから見たら即バレていたと思うけど、その時の俺は、その事実を認めたくなかた。


「はい、皆さん、出来ましたかー?」


 先生の号令がかかり、皆が口々に「出来ましたー」「うえーい、完成!」と嬉しそうな声を上げていた。

 当の俺は全然出来なくて、神楽と栗沢と太田が、話しながらプラモデルを合体させているというのに、俺は机の下で、かちゃかちゃと組み立てていた。

 しかし、どうしても組み立てられない所がある。俺がそこに苦戦していると、太田が、それに気がついた。


「おい、何だよ、橘。ぜんっぜん出来てねぇじゃねぇか」

 小声で俺に注意した彼の口調が尖っている。一瞬、鼻の付け根がツン、と痛くなったが、俺は構わずに、「うん、もうちょっとでできるから」と怒りそうな彼をなだめようとした。

 だが、それに、栗沢も気付いたのだ。

「ちょっと、橘、もうそろそろで発表の時間だよ? 出来てないんだったら、相談すればいいのに」

「う、うん、ごめんって。やるってば」

 あぁ、もう、うるさいな。こっちは、申し訳ない気持ちと、出来ないイライラの中、必死で組み立てているんだからさ。


「はい、では、一班から発表してください」

「はい」


 だが先生は無情にも、発表を促す。そして一班の代表者が立ち上がり、前に持っていく。説明が始まっても、俺は耳も貸さず、ただひたすら進めていた。しかし、先ほどまでの難関を乗り越えても、次なる難関が待っている。教室のどこかで、「やっば、危ねぇ、やっと出来た!」と歓喜の声が上がり、皆が一瞬笑った。それにも耳を貸すことは出来なかった。楽でいたいのに、それが出来ない。

 じわじわと涙が出そうになる。太田が舌打ちをして、栗沢がため息をつく。申し訳ない気持ちが、溢れ返ってきそうで、俺はもう自棄になって、荒々しく、がちゃがちゃと音をたてた。



「はい、では次は、四班」



 俺達の班だ。息が、止まりそうになった。

 結局、完成させることが出来なかった。

 どうしよう、どうしてしまえばいいのだろう。他の三人は立ち上がったのに、何故か俺だけ立ち上がらない。周りのクラスメートも、異常事態だと気がつき、ざわめき始めた。

「おい、早くしろって。授業、長引くだろ」

 さっきの口調よりも尖った声を出す太田。


 あぁ、もう、駄目だ。


 俺は、手からプロモデルを落とした。

 床に、がしゃん、という音が響いて。

 俺のプラモデルは、さっきの状態に、戻ってしまった。


 じわじわ、さっきから出てきそうになっていた涙が、今で溢れ出した。

 迷惑をかけて、ごめんなさい。足を引っ張っちゃって、本当にごめんなさい。

 そんな風に謝りたい気持ちでいっぱいなのに、声が出なくて。泣き声を押し殺そうと思っても、押し殺すことなんて、出来なかった。

 涙が床に落ち、皆が俺に奇異の視線を向けたのが、はっきり分かった。



「……ご、ごめ、ごめんなさ……」



 今すぐ、泣き叫びたいと心から思った。ここで皆が慌てるほど号泣してしまいたい。そして、罪を覆い隠せるほど、皆に心配してもらいたかった。そんなの、卑怯だって、ズルイって、そんなの、分かっている。でも、分かっていても、そうしてしまいたい欲求なんて、簡単に変えられるものではないのだ。


 あぁ、このまま、消えてしまえればいいのに。



 と。



 スッと、白い手が、俺の足元に転がるプラモデルを、掴んだ。

 俺がふっと顔を上げると、そこには、神楽がいた。


 下から見上げると、涼やかな顔立ちをしているのが、はっきり分かる。

 おかっぱが、俺のプラモデルを組み立てるたびに、サラサラと揺れる。



 その時、俺の中で、神楽を見る目が、どこかで変わったんだって、今なら確信できる。

 かちゃかちゃ、静かな教室に、プラモデルを組み立てる音だけが響く。

 そして、彼女は嬉しそうな顔をして、自分の机の上にある、合体したプラモデルを手に持ち、俺のプラモデルをそのプラモデルとくっつける。

 満足そうな笑みを浮かべ、彼女は「麗羅ちゃん、大田君」と二人を呼び、颯爽と黒板の前に歩いていった。フレアスカートが歩くたびにひらひら揺れて、俺は、その姿さえも、俺のことを覆い隠してくれるような気さえして、申し訳なく映った。



「私達の班も、無事、完成しました。合体させるということが予想以上に難しく、プラモデルを作った経験が乏しいため、私も中々に苦戦しました。父親が昔、プラモデル好きではなかったら、間違いなく、足を引っ張っていたと思います」



 皆の前で、にっこり笑う神楽。そこに慌てて二人も登場し、同じように笑みを向ける。


 ありがとう、神楽。

 一言も言葉を交わしていないけれど、それでも、神楽が俺をかばってくれたという事実は、ひしひし伝わってくる。

 ありがとう、そして、ごめん。あと、もう一つ。



 俺、神楽のこと、好きになっちゃったかもしれない。


 ◆◇


 神楽との思い出を思い返していた俺は、気付く余地もなかったんだ。


 後ろに殺人鬼……俺のクラスメートの、水川想樹がいたことに。

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