出席番号十六番 白井大志
「おはよう、大志!」
「おはよう、遼平君」
十月の朝。通学路を歩く僕に、後ろから声をかけてくれたのは、友達の遼平君だった。
「なぁ、俺が薦めたやつ見たか?」
「見たよ。あれ面白かったよ~」
僕の友達……いや、親友の遼平君は、本当にすごいと素直に思える、良い人だ。彼以上に僕に親身になってくれた男子はいない、と僕は感じている。
遼平君は、学校一頭が良い存在だ。僕も通おうとしていた聖ハスカ小学校には惨敗してしまったけれど、それでも小学校で一生懸命勉強して、聖ハスカ中学校を受験できるまで伸し上がっていったのだ。
おまけに、パソコンのことについて詳しいから、よくパソコンの授業のときに漢字変換やサイトの飛び方などを教えてもらっている。
更に、ネットにも詳しく、動画サイトだけではなく、2chまで見ているネット通だった。「聖ハスカのスレッドが出来てた」と事あるごとに言っていたから、聖ハスカへの執着心を事あるごとに確認できた。彼が何故そこまで聖ハスカに執着するのかはよく分からないが、彼のおかげで、壊れかけていた僕の心は、何とか復帰できるまでに成長したのだ。
六年生の二学期が始まると同時に心が丘小学校に転校してきた僕は、前の学校と同じように、ビクビクしながら生活をする羽目になった。
前の学校で僕は、辛いいじめを受けてきたからだ。
理由は、僕がオタクで女子っぽいから。
僕が「2chってすごいんだよ」と四年生の頃に話したら、「それってネットでしょ? 兄ちゃんが見てた。高校生のオタクの兄ちゃんが」と男子にからかわれたのがきっかけだった。
それから僕は、いじめられることになった。
上履きの中に給食のスープが入っているなんて日常茶飯事で、僕は毎日家に帰ると洗っていた。不審に思った両親に、「何でいつも上履きを干しているの?」なんて聞かれようものなら、「僕、洗わないと嫌なんだ」と言うしかなかった。おかげで両親から「息子は変に潔癖症だ」と囁かれたものだ。
髪を引っ張られたり、服の中に落ち葉を入れられたり、暴言を浴びせられたり、殴られたり。
教科書を破られたことだってあった。ノートいっぱいに、「死ね」だの「ゴミ」だの「大志ちゃん」だの書かれたときは、どうやって隠そうかと、本当に悩んだものだ。
いじめを受けている人って、本当に、周りに何にも言わない。驚くほど、自分のいじめのことを、何も言わないんだ。
皆、理由は違うだろうけど、僕は一つの理由しかなかった。
下手に両親に言って、両親がいじめっ子達に殴りかかったら、皆に変な目で見られる。あいつはモンスターペアレントの子供だって、高学年あたりから囁かれ始める。大人向けの番組で、「モンスターペアレント」なんて言葉を知った同級生がそう言うのが、目に浮かぶ。
それに、自分のことなんかで、心配してほしくなんて、なかった。
いつだって僕は、小さいか弱い人間。それでいいんだ。それ以上でも、それ以下でもない。
いじめられて良い人間。いじめられることが、僕の存在価値なんだって、本気で思ってた。
両親は、自分達のことしか眼中にない。仕事ばっかりで、家に帰ると、冷凍食品ばかりが並ぶ。「勝手に食べなさい」とパソコンを操作しながら、呟いているのか僕に言っているのか分からないほど、小さい声で言う母親。「大志、一人で寝れるよな」と僕を置いてけぼりにして夜勤に行ってしまう父親。
いつも暗い夜、一人で、一人ぼっちで。
寂しかった。ずっと。
それで、学校でも一人ぼっちで。蹴られて、殴られて、仲間はずれにされて、遠足の弁当を食べる時は、ずっと一人で。
頭が狂いそうになるほど、寂しかった。
そんないじめが、六年まで続き、正直僕は限界だった。
助けてくれる友達なんていなかったし、手を差し伸べてくれる存在なんていなかった。思い出すだけで胸がギュッとなるような好きな女の子なんて存在しなかったし、とにかく僕にとっての大切な人なんて、いなかった。両親も、僕を愛してくれるのかはあやふやだった。
六年の夏休み前に、僕は思い切って「転校したい」と両親に言った。
だけど、両親は、「何で?」「どうして? お母さんに話してみなさい」なんてことは一言も言わなかった。
だから僕は、自分から話したのだ。
「僕、四年生の頃からいじめに遭ってるんだ。本当に辛くて、転校したいんだ。お父さん、お母さん、お願いします」
僕は、必死に頭を下げる。
しばらく沈黙した後、父親が口を開いた。
「面倒くせぇけど、どこに行くんだ? なるべく仕事に支障が出ないようにしてな」
両親の顔を見やると、二人とも、ものすごく迷惑そうな顔をしていた。
それが普通だと思っていた。その返答が、普通だと思っていた。
親に愛されていなかったから、「自分の子供より自分の仕事優先」の両親の信念が、妙に納得できたんだ。
だから、僕はそれが普通だと思いながら言った。
「どこか、どこか、今通ってる学校じゃないところ! 隣にある、心が丘市の小学校が良い!」
両親は、気まずそうに顔を見合わせ、母親が答えを出した。
「まぁ、ここは賃貸だし。……いじめに遭ってるんだから、もうこれ以上辛い思いをしたくないわよね。いいわよ、転校しても」
それが、何故だか淡々とした冷たい声だったのは、気のせいだろうか。
「ありがとう、お父さん、お母さん!」
僕が涙目になりながら頭を下げると、どこからか「チッ!」という舌打ちが聞こえたような気がした。
それでも、僕はそれが普通だと思っていた。そりゃそうだよね、こんな、いてもいなくても変わらない息子が、自分の仕事に害を及ぼすわけだから。
◆◇
そんなわけで、僕は夏休みの間の転校手続きを経て、心が丘小学校に転校してきた。
僕の顔立ちが妙に女の子っぽかったからか、何故か藤川さん達目立つ女子には、「たいちゃん」なんて呼ばれていた。
正直、僕は「たいちゃん」と呼ばれるのが嫌だった。いじめのことを、思い出してしまうから。
女子に、「たいちゃん、マジ激カワ~」とからかわれる度に、僕はビクビクしてしまう。いらない存在の僕は、からかわれることにしか需要がない。なのに、それにビクビクするなんて、今更過ぎるのではないだろうか。
だけど。
そんな僕を救ってくれる、救世主のような存在が二人現れた。
一人は、言わずと知れた学校一の秀才、遼平君だ。
聖ハスカ受験経験のある数少ない僕の同志でもあり、親友だ。好きなゲームが同じという理由で知り合った。今ではかけがえのない存在となっている。そして、僕が尊敬する人でもある。男前で背が高く、成績優秀で信頼されている。そんな人が僕の親友になってくれたなんて、運が良いとしか言いようがない。
もう一人は、華菜さん。田中華菜さん。
ギャルで派手、キラキラした女の子だ。色つきグロスに、高そうな図書バッグ、蛍光色のシャツやタンクトップ、ジャンパーなどを着込んでいる。遼平君は引いていた。「あんな超絶派手なギャル、誰が好きになるんだよ」とぼやいていたほどだ。うん、そう思う、と正直僕も納得していた。僕も最初、ああいう派手な女の子は絶対好きにはならない、と確信していた。生きる次元が違いすぎるから。あんなにも自信を持っている彼女が、眩しすぎたから。
そんな彼女が好きになったのは、紛れもしない、九月二十日。
また僕は、藤川さん達から、「たいちゃん、女子より可愛い!」「今度ショッピング行こうよ~!」とからかわれていた。
正直嫌だったけれど、「やめてよ」と言いたかったけれど、僕は必死にそれを飲み込む。言ったら、「生意気」といじめられるから。今はまだ、可愛い、と言われているだけマシだ。
「大志、気にしなくてもいいからね?」
彼女は、女子っぽい、に戸惑う僕に、そう言ってくれた。
◆◇
「俺、体育委員会だから、残るわ」と校庭へ走り出た遼平君。
体育委員会は、運動会へ向けて会場設営などをしなければならない。遼平君は、体育委員会だから会場設営をしなければならないのだ。
「頑張ってね」と一言言って、僕は教室で本を読みながら遼平君の帰りを待っていた。
最近、遼平君と一緒に帰るのが、日課となってきているのだ。
そして、遼平君を待っている間の、密かな楽しみが。
「あっ、マズイ連絡帳忘れたわ! しょうがない、国語のノートに書くか!」
そう、独り言を呟いている田中華菜さんを、観察することだ。
この教室には僕と華菜さん以外誰もいないから、チラッと見ることが出来る。ヤバイ僕キモい。
ギャルっぽいところが妙に気になる。そんな彼女は、実は地味に仕草が可愛いことに気付いた。
まず彼女は、先生が帰ったことを確認すると、こっそりイヤリングをつける。僕が本を読んでいることなどまるっきり気にしていない様子だ。イヤリングをつけるときは、「ヨイショ……、オラッ」と頑張っている声を出している。何だこの声が可愛い生き物。
そして、黒板に書かれている明日の時間割を書き込む。そのときに、「えぇっとぉ?」と声を出す。マジかよ可愛いすぎるだろ。
駄目だ、僕、なんていう事やってるんだ。死ぬぞ、おい。
自分がやってることがあまりにも気色悪すぎて、僕は華菜さんから目を逸らす。そして本に集中する。
僕が本を読んでいると、ふいに華菜さんが立ち上がって、教室のランドセルが閉まってある棚の方に歩いていった。
ちょうどクライマックスであるにも関わらず、華菜さんの方に視線をずらす。完全に本のクライマックス≦華菜さんである。
「ねぇ。大丈夫なの?」
ふいに彼女は、ランドセルを取り出しながら呟いた。
……は?
独り言、かな?
それとももしかして、僕に話しかけてる?
……いや、いやいや、そんなわけないじゃん。
大丈夫? ……って。いじめられることしか需要がない僕なんかが、そんなことを言われる筋合いはないよね。うん。
だから、これは独り言だ。きっと。
それに、もし独り言だとしたら、「大丈夫?」に返した自分が恥ずかしくなる。
だから、僕はこの言葉を無視した。
すると。
「もう、聞いてるの!?」
ムッとした声が、教室に響く。
「え?」
「大志だよ! もう、ぜんっぜん聞いてくれないんだから!」
や、やっぱり、僕だったんだ!?
いきなり生きる次元の違う僕に、華菜さんが話しかけてくる。それが、信じられない。
「もう、ガン無視して。大丈夫? って聞いてるの」
ボーっとしていると、僕の顔を、華菜さんが覗き込んできていた。
「う、うわあぁぁぁっ!?」
ち、近い! 椅子から立ち上がって、ドアまで駆け寄る。
「何もそんなに怖がることないじゃん……」
ムッとした顔。彼女の耳にかけたイヤリングが揺れる。ダイヤモンド型の、金色のイヤリング。それ、結構高いんじゃないかな? なんてことを考えながら、僕は華菜さんを見る。
「……でも、僕、こうやって近付かれると、すごく怖くて……」
そう。
僕、そんな風に近付かれると、怖いんだ。
いじめられたときも、必ず顔を覗かれた後に、殴られるから。
それが本当に、怖くて。
「……なるほど。トラウマってやつかぁ」
「は、はぁ」
正直言ってしまうと、トラウマよりも少々違うものかと思うのだけれど、華菜さんが顎に手をつけて真面目そうに答えるものだから、反応に困ってしまう。
……僕のことで、そんなに悩んじゃ、駄目だよ。僕なんか、心配されるような人間じゃないんだから。からかわれたり、いじめられることしか、需要がない。そんな僕なんかが、心配される筋合いなんてない。
「僕のことで、悩まないで……ください」
「え? 何で?」
僕が顔を曇らせながらそう言うと、華菜さんは不思議そうに僕を見つめた。
「大志のことで悩んでも、別にいいじゃん。……まぁ、今は悩んでないけど」
驚いた。
僕に向かって、さも「大志のことで悩むのが当たり前」と言うような顔をされるのだろうか。
「何でって、……知ってるでしょ? 僕、いじめで転校してきたんだ。……いじめられることしか価値がない人間のせいで、華菜さんが悩んだって……どうしようもないし」
「っ」
華菜さんが怯む。イヤリングがまた揺れて、蛍光色のピンク色のスカジャンに、皺が寄る。
「……そんなこと」
華菜さんの口から、ドスの利いた声が流れる。
「えっ?」
今のが華菜さんの声だと分かるのに、数秒かかった。
「大志のことで悩んだって、別にいいじゃん!」
何故か悲しそうな目をして、華菜さんは叫ぶ。
「遼平だって、きっと、大志のこと、大切に思ってるよ? もちろん、私だって、大志が「女子だ」っていじられて、どう思ってるんだろうって、思ってるよ?」
「……」
驚いた。
まさか、華菜さんが、僕のことを心配していてくれたなんて。
嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、僕の心の中に、暖かい何かが生まれる。
じんわり、じんわりとそれは広がっていく。やがて体中がぽかぽかするような感覚になる。
「大志が、前の学校でどんな風にいじめられたのかは分からないけれど、それでも、遼平と私は、大志の味方だから!」
「っ……!」
ドクン。
心臓が、いきなり高鳴る。
華菜さんの泣きそうな顔。それを見る度に、また心臓は高鳴っていく。
……何で、泣きそうになるんだよ。
自分のことじゃないのに。人のことで、そんなに泣きそうになるなんて。
……僕の心に、まるで住み着こうとしているみたいで。
ずるいよ、ずるすぎるよ。
「大志!」
華菜さんが、いきなり僕に呼びかけた。
「……はい?」
華菜さんは、悲しそうに目を伏せて、こう言った。
「大志、気にしなくていいからね?」
どきんっ。
心臓が飛び跳ねる。
何で、そんな風に心配できるんだよ。
……こんな、こんな人間なのに。何でこんなに心配してくれるんだよ。
華菜さんが、分からない。
でも、その華菜さんが、とても有り難い。何かとても大きな暖かいものに包まれているような、そんな安心感があった。
「じゃあね」
華菜さんは、ランドセルの中に教科書を詰め込み、教室から出て行った。
◆◇
この胸の高鳴りは、何て言う名前なんだろう。
これは、きっと。
……恋、なのかもしれなくて。
学校からの帰り道、遼平君にこのことを相談すると、思った以上に引かれた。
「何であんなギャルのこと、好きになったんだ!?」って。うーん、この感情って、やっぱり「恋」なのかなぁ。
「遼平君、この気持ちって、恋だと思う? 華菜さんを見ると、何故か笑顔になれたり、華菜さんを見ると、今日も一日、頑張れたりするっていう……」
「それまさしく恋だよ! 何? 大志、今まで恋したことなかったの!?」
遼平君は何故か僕の肩を揺さぶりながら言う。
「……僕、いじめられてたから、恋をしたことがなくて……」
「あっ、そうだったな、すまなかった」
遼平君が肩に置いた手を外して、僕に頭を下げる。
頭を下げられることに慣れてなかった僕は、「うぇぇ!? 遼平君、頭を上げて!?」とひどく慌てた。
「っていうか、初恋が田中って……お前、あのギャルだぞ!? 頭大丈夫か!?」
うーん。……頭大丈夫? って、華菜さん、良い人だよ? 人間、見た目にも寄らない、ってことだよ。
「そういう遼平君も、恋をしたことって、ないの?」
「っ? うーん……」
いきなり話を振られた遼平君は、いきなりキョドり始めた。もしかして、また変なことしちゃったかな。
謝ろうとしたら、いきなり遼平君が立ち上がり、
「いや、今、恋してる……かもしれない」
と呟いた。
え?
「こ、恋って、誰に!?」
「しっ、恋がデカイ!」
「噛んだ、噛んだよ遼平君! 恋じゃないよ、声だよ! 恋って、なんちゅう噛み方だよ!」
「どうした大志、キャラ変わってないか?」
「変わってない! 戸惑ってるだけ!」
小学六年生の男子二人が、通学路でキャーキャー騒いでいる。傍から見れば異様な光景だろう。
「……かもしれないって話だよ、そんな騒ぐことじゃないだろ」
「……ま、まぁね」
まぁ、そうだろう。
確かに、小学生男子でも、好きな人の一人や二人はいるだろう。あまりに好きな人に執着していたら、そろそろ「大志、マジで女子だぞ」と遼平君に見放されちゃうかもしれない。
……そしたら、僕の味方は、いよいよ一人だけ。
「……ま、知らない方がいいよ。余計戸惑うし、それに、相手は俺のこと、絶対好きじゃないし。……そ、そもそも好きかどうかも分からないからな!」
何故一気にまくし立てる必要がある。
「……遼平君」
「あ?」
僕は遼平君の服の袖をつかむ。
「ありがとう」
「……お、おぅ」
何故か恥ずかしそうにしながら、遼平君は答えた。
「……ねぇ、華菜さんは僕のことどう思ってると思う?」
「は? ……さぁな。何とも思ってねぇんじゃん?」
「う、うん、そうだ……ね」
「……おい、何だその悲しそうな顔。……ちょ、泣くなってば」
「泣いてないよ!?」
僕らは、ボケとツッコミをかましながら帰路につく。
まさかその一週間後に、僕の人生を終えるような出来事が起こるなんて。
今は、考えもしなかった。
◆◇
「華菜さん」
「ん? 何、大志~」
昼休み。
僕は、机に寝そべっている華菜さんに、国語の教科書を突き出す。
「これ、ありがとうございます」
「あ、国語の……いえいえ、お礼なんて。むしろこっちがお礼を言いたいぐらいで」
「え?」
華菜さんは、照れくさそうにそう言ったけれど、何で、こっちがお礼を言われる側なんだろう。華菜さんは、隣の人にも借りなくちゃいけないし、おまけに今日は教科書に書き込む授業だったし、大変だったんだろう。僕も書き込まなかったけれど。人のだし。
「あ、何でもない! うん、返してくれてありがとう」
華菜さんはハッとした様子で、国語の教科書を手に取った。そして、机の引き出しを開けて、国語の教科書を滑り込ませた。
その時。
カサッ。
何かが、机の引き出しから落ちた。
華菜さんの顔が一瞬で青ざめる。何事かと思い、僕も「何か」を見やる。
華菜さんがそれを拾い上げるのと、僕がそれに書かれていた文字を見るのが、ほぼ同時だった。
「上原遼平様へ」
目の前が真っ白になる。
そんな。まさか、もしかして。
頭の中を、そんな単語が駆け巡る。
もしかして華菜さんは、遼平君のことが、好きなのか……?
目の前が、真っ白になる。
そうか、そうか、だから。
遼平君と仲が良い僕に、「大丈夫?」なんて心配して、遼平君の評価が上がるようにしたり。
僕が国語の教科書を忘れたのを良いことに、隣の席の遼平君に教科書を見せてもらったり。
全部全部が、遼平君への想いが詰まった出来事だったんだ。
胸が、また高鳴る。
以前の、胸がキューッとなるような、何かに包まれているような感覚ではない。もっと、苦しくて、もどかしいもの。早くいなくなってくれないかな、こんな気持ちなんて。
「……華菜さん、それって……」
「えっ? あぁ、これは違うのよ? 遼平のことがね、好きな女の子がいるんだって。その子がね、渡す勇気がないからって私にお願いしてくれたの」
その、「遼平のことが好きな女の子」って、華菜さんのことじゃないのか?
「……うん」
「あ、このこと、遼平には言わないでね? 大志、遼平と仲が良いけど、お願いします!」
手紙をショートパンツのポケットに突っ込んで、両手を付き合わせてお願いされては、僕は反論のしようがない。
「……うん。分かった。遼平君には、黙っておくよ」
「ホント!? ありがとう、大志。あ、あと国語の教科書も、ありがとう!」
辛い。
華菜さんは、必死に遼平君が好きってことを隠してる。
遼平君は、華菜さんのことは、好きじゃないって言ったら、どういう顔をするだろう。
どうしよう。これから、遼平君と上手くやっていける自信がない。
僕の好きな人の好きな人は、僕の親友。そんなの、想像もつかなかった。……前の学校では、親友も、好きな人も、出来たことがなかったから。
それに、僕は恥ずかしながら、僕と華菜さんって、両想いなんじゃないかって、密かに思ったことだってあったのだ。僕のことを心配してくれるから、とか、僕を「女子みたい」と馬鹿にしなかったからとか、そんなことで、僕は勝手に仮想を組み立てていた。
「……いや、大丈夫だよ。言わないから」
「ありがとう、本当に」
その安堵した瞳に、気付かないわけにはいかない。
遼平君のことを好きなのは、間違いなく、華菜さんなのだと。
僕は、静かにその場を立ち去る。遼平君は、当然のことながら、席にはいない。今は、図書室にいるようだ。
華菜さんが、頬を赤らめているのがよく分かる。
そんなに、遼平君が好きなんだな。多分、僕なんかより、数倍、片想い歴が長くて、数倍、想いが強いんだ。
本当に、これから遼平君とどうやって話をすればいいんだろう。
そうだ。今日は先生が残れと言っていた。あの後、遼平君を振り切って、急いで帰ってしまえば。
終わった瞬間に、立ち去ればいいのだ。そう思っていた。
「あ、大志、六時間目体育だから、着替えた方が良いんじゃない?」
華菜さんが、後ろから呼びかけた。
僕は頷いて、教室を飛び出す。廊下にかけてあった体育着を入れた袋を持って教室に入ると、藤川さん達が、「たいちゃーん!」と呼ぶ声が聞こえた。
「マジ可愛いたいちゃーんっ、女子更衣室行って着替えないのー?」
「たいちゃん、マジ可愛い女子だからさー、女子更衣室に入りなよー」
渡辺さんと藤川さんが、僕をからかってくる。流石に女子更衣室に入るのは、あれなんじゃないかな。
「美玖ちゃん、流石に女子更衣室入るのはまずいんじゃな~い?」
華菜さんが指摘してくれる。有り難いと思っていると、急に渡辺さんが舌打ちをした。
「ギャルマジウザい。……美玖、行こう?」
「……うん」
藤川さんは戸惑ったような表情をしながら渡辺さんについていく。僕をいじっていたけれど、まさか華菜さんまでいじることは想定外だったのだろう。
「あーあ。行っちゃった」
華菜さんは腕を組みながら、廊下に出て、自分の体操着の入ったバッグを掴む。
「困っちゃうよね、男子は。あーいうの」
答えに戸惑っていると、華菜さんは、「じゃね、大志」と言いながら女子更衣室に向かっていった。
もう二度と見ることの出来ない彼女の後ろ姿から目を逸らして、僕は教室に入って、着替え始めた。
◆◇
六年三組にいることを、僕はこの日以上に後悔したことがない。……ってそりゃそうか。僕が転校してきてから、まだ一ヶ月しか経っていないんだから。
そして、僕はこの日以上に、華菜さんを好きになったことを後悔した日がなかった。華菜さんは、綺麗で、優しくて、明るい。そんな人だったから、後悔なんてしたことがなかったのに。
華菜さんは、遼平君と共に死んだ。
二人で一緒に逃げていたらしい。その情報を聞いたときに、僕は、胸が痛くなるのが分かった。
やっぱり、二人は、結ばれる運命だったんだ。
それに僕が介入してきちゃって。
そして、二人は一緒に死んでいって。
僕の入る隙間が、どこにもない。きっと、両想いだったんだ。多分。僕が好きになる、ずっと前から、二人はきっと両想いで、親友の僕に内緒で遊びに行ったりしていたんだ。
そうだ、きっとそうだ。
……まだ、いじめられるのかもしれない。生き残っても、この出来事がトラウマになって、ずっと根暗になって、そして、また家族に迷惑をかけるのかもしれないって。
あの時、迷惑そうな顔をしていた両親。……あの態度が異常だったんだって、やっと分かった。
華菜さんや遼平君と出会って、僕は、知ってはいけない感情を知ってしまった、ような気がする。
初恋、親友。人を大切にする感情を知って、初めて親に不満を持った。持ってはいけないんだ。仕事に害をもたらす存在が、引っ越しを希望して、引っ越したのに、不満を持つなんて、あってはいけないんだ。
「……おや、誰かと思えば、白井大志……えっ」
先生だ。先生が、驚いている。そりゃそうだ。
何せ僕はベランダで、手首を自ら切って、倒れこんでいるのだから。
不思議と、痛みは感じない。ベランダの床に広がっていく自分の血を見ても、何も感じない。
ただ親友と初恋の人が死んで、その悲しみに打ちひしがれているだけだ。
……そして、気付いたんだ。
僕が初めて出会った二人の大切な人。いつかの「はじめまして」は、いつかの「さようなら」ってことは分かっていたけれど、六年生の僕は、その重大な出来事が耐え切れなかったのだ。
「……まさか自分から死を選んでしまうだなんて、不憫ですねぇ」
不憫で悪かったな。……僕は、いじめられること以外に、需要がない人間。
そうだったんだって、やっと今、思い出したんだ。
だから、僕は死ぬことにしたんだ。
いじめられることにか、自分の価値がないことに、気付いていた。だけど、それから幸せを見付けた。
幸せは一時だった。孤独は、それからずっと。
幸せを経験して、それまでの地獄のような生活が、本当はどれほど辛かったか、痛感してしまったから。
あれに戻るなんて、耐えられなくて。
もう二度とあんな経験をしたくないから、僕は自殺を選んだ。
だけど。
僕の意識は、まだあって。
薄目になっていた僕に向かって、先生は拳銃を突きつけて。
そして、発砲して。
あぁ。
せめて、僕もあの二人と一緒に死にたかった。
そしたら、夜の風が寒い中、一人自殺を選ぶことなんて、なかったのに。




