六年三組担任 渡辺碧
この度、ラブコメを主に書いていらっしゃる、クールホーク様とコラボさせてもらっております。コラボのやり方は、後々分かると思います。
毎週水曜日更新です。宜しくお願いします。
ここ、心が丘小学校は、立地条件も良い、最高の小学校だった。
近くには静かな住宅街があり、その横には、並木道が続いている。
赤、青、色とりどりのランドセルが、心が丘小学校の校門を彩る。
「おはようございます、渡辺先生」
「おはようございます」
我が学級の代表委員、もとい、この学校の代表委員会委員長の、神楽藍花と、僕は挨拶を交わす。彼女らしい、きりっとした水色のランドセルには、無駄な物が一切かかっていない。誇らしい、六年三組きっての優等生。誰に対しても礼儀を忘れない、まさにお嬢様な女の子だ。
「新任だと思いますけど、良く頑張ってますね……。って、私が言うことじゃあ、ないですよね」
神楽藍花は、クスッと笑う。
「とんでもない、ありがとう。応援してくれて」
僕は、軽く会釈しておく。
今年新卒で入ってきた僕に、周りからの評判は乏しい。
ゆとり世代を生きてきた新任に、自分の子供を任せられない、と面と向かって言われたこともある。
そう言ってきた親の子供が、神楽藍花だった。
でも、神楽藍花は、ゆとりの僕を引きつけないほど、天才ぶりを発揮して、皆から信頼される子供になっていた。
そのカリスマぶりに魅了され、惚れる男子も、少なくはなかった。
少なくとも、僕の受け持つクラスに、四、五人はいるだろう。
「藍花ちゃん、おはよう」
「おはよう」
そんな神楽藍花が、唯一礼儀を忘れ、心から接することが出来るのが、栗沢麗羅だった。
神楽藍花と違い、かなりのヤンキー家族に生まれ、秋なのに露出の多い服を着ている。
神楽藍花とは程遠い少女だが、実は神楽藍花のような少女になりたい、と思って、声をかけたのがきっかけだと思われる。この少女達の仲は素直に応援したいものだ。
「先生も、おはようございまーす」
栗沢麗羅は、頭を思い切り下げる。ポニーテールがぴょこんと揺れる。
彼女達は、学校内でも有名な二人組だ。
代表委員会委員長の優等生、神楽藍花と、ヤンキー家庭に生まれた美少女、栗沢麗羅。
凹凸なその二人が絡むこと自体が、周りから考えてみれば異質なのだろう。人の目を引き付ける何かが、彼女達にはあるのかもしれない。
「ねぇ、藍花ちゃん、昨日、公園で惨殺事件が起きたニュース、知ってる?」
「知ってるよ。……怖いよね、あれでしょ? 若いカップルが殺害されたっていう」
栗沢麗羅と神楽藍花は、昨日起きた猟奇的殺人事件の話をしているようだ。
昨夜、隣町の公園で若いカップルが首を切られて殺害された事件は、うちの学校にも出回っていた。
見付けた小学生がショックを受けて入院しているという噂も、聞こえていた。
「麗羅ちゃんは、怖くないの?」
「何、藍花ちゃん、怖いの?」
にやり、と笑う栗沢麗羅に、「そんなんじゃないわよ」と神楽藍花は明るく返す。
「ただ、こんな平和な街の近くで、そんな嫌な事件が起こっただなんて、信じられなくて」
「だよね~」
そう言いながら、校門を通過していく。
もし、もしあの二人が。
僕がその殺人事件の犯人だって知ったら、どんな顔をするだろうか。
◆◇
「おはよ~すっ」
教室の扉を開けると、ひときわ元気な声が飛び込んできた。
それは、大田太雅だった。クラスに一人はいる、おふざけ者。だが、個性的で明るい性格でもあり、彼がいると、奇想天外なことが起きるので、クラスの人気は彼に集中している。
そして同時に、モテているらしい。「六年三組相談室」というものを僕が開設してからというもの、毎日のように大田太雅の話が寄せられる。
「先生、おはようございます」
こちらは藤川美玖だ。
ブランド物の服を着こなして、六年三組のファッションリーダーになっている、長いツインテールの少女。ぶりっ子だからなのか、陰で一部の女子からは嫌われている。
彼女も、大田太雅が好きだと言う。
「……せ、先生……」
僕が椅子に座ると、おどおどした様子で、一人の男子が話しかけてきた。
「どうしたの? 白井君」
女子っぽい男子、白井大志だ。小動物のような雰囲気で、女子からは可愛い可愛いと人気を集めている、二学期の初めに来た転校生だった。
そんな彼は、何と、クラス一のギャルだと噂の、田中華菜が好きだという。人って分からないもんだな。
「じ、実は、今日、国語の教科書忘れてしまって……」
「あぁ、忘れたんだね。……じゃあ、誰かに貸してもらうことは出来る?」
僕がそう言うと、ふいに田中華菜がひょいっと顔を出した。
「何だ~、大志、国語の教科書忘れたの~? じゃあ、貸してあげるよ」
彼女はそう言って、そばに置いてあった自分の教科書を手に取り、白井大志の掌に乗せた。
「あ、ありがとうございます……」
憧れの田中華菜に貸してもらったことが嬉しかったのだろう、白井大志は頬を赤くしながら、そそくさと自分の席に戻っていった。
残された僕に、田中華菜はにんまりと笑ってこう言った。
「先生、私、近付けてますかね?」
「うん。近付けてると思うよ。隣の席だもんね、良かったねぇ」
「はい」
幸せを噛みしめながら、田中華菜は去っていった。
彼女の隣の席には、上原遼平が座っている。
成績優秀、都内の名門高校の過去問すら解けてしまう、六年三組きっての秀才。
普段は冷たい彼は、実は皆の前で大恥をかいてしまった田中華菜を救った経験がある。
それ以来、田中華菜は上原遼平が気になっているのだという。
そして、上原遼平と田中華菜は隣の席。彼女にとってみればイヤッフーなのである。今日は、偶然国語の教科書を忘れた白井大志に、自分の教科書を貸して、上原遼平に見せてもらう計画なのだろう。
彼女が去っていってから、偶然にも上原遼平が僕の所へ来た。
「すいません、神楽さんが、給食当番用のマスクを忘れたと言っているんですが、貸してもらえませんか?」
「何で上原君なんだい? 神楽さんが言えば良いだけの話でしょ?」
僕が笑いながら言うと、上原遼平は、「それは……」と言葉を濁らせた。
何故神楽藍花の事情を上原遼平が喋っているのだろう。
答えは一目瞭然だった。
上原遼平は、神楽藍花が好きなのだ。しかも、その好意は皆にダダ漏れだった。田中華菜は気付かないふりをしているが、完全には目を背けられない状態だろう。
更に、当の本人、上原遼平が、自分が神楽藍花を好きだということにも気付いていない、まるで馬鹿……結構天然なのである。
神楽藍花の親友である栗沢麗羅は、時々上原遼平をからかっている。
「六年三組相談室」にも相談に来ない上原遼平の好きな人を知ることは、そうそう難しいことではなかった。彼は無自覚なうえに好意がダダ漏れだったからだ。
恐らく、上原遼平が神楽藍花に向ける好意は、親友である白井大志も気付いている。そして、今も仲良しなのは、田中華菜の好きな人が上原遼平だと気付いていないからだろう。上原遼平とは対照的に、田中華菜の好意は、本人に直接聞いてみなければ分からないほど、微妙なものだった。
だが僕は、上原遼平の恋が叶わないことも知っている。
なんせ、神楽藍花と神楽藍花の好きな人は、両想いなのだから。
神楽藍花は、クラス一のモテ男、大田太雅が好きだという。周りの人をちゃんと見てくれる大田太雅が、いつの間にか好きになっていたという。
そして、大田太雅も、神楽藍花が好きだという。性格が良く、しっかり者の委員長に、何度か救われたことがあるらしかった。
二人は、「相手は他の人が好き」と思い込んで、カップルにはなっていなかった。もどかしい関係が、二人の小学校生活を更に甘くさせている。
どうかこの一年で、二人にはカップルになってほしい。教師としては、そう思わんばかりだった。
「先生~、おはよ~ございま~す」
ふわふわした雰囲気を持つ、天海実月が、僕に挨拶をしてきた。頭を下げると、ロングの黒髪が、サラサラとおちてきた。彼女こそ真の女子のリーダーと言っても良いだろう。女子力満載で、女子らしい服装を上手に着こなして、ほんのり色気を放っている。
「あ、実月ちゃん、今日のヘアピン可愛いね~」
藤川美玖が、天海実月のヘアピンを触っている。天海実月は一瞬嫌そうな顔をしたが、「そうかな~?」と首を捻った。
藤川美玖は、先ほど話した通り、一部の女子から嫌われている。唯一良い人だと言ってるのは田中華菜や神楽藍花達だ。田中華菜は六年間一緒の仲だから嫌いになれないと言うが、神楽藍花は「嫌いな人は作らない」主義らしい。そのせいか、男女両方とも好かれているが、藤川美玖はそういう主義の神楽藍花を嫌っているという。なんとも皮肉な話である。
「実月~、おはよう!」
僕と同じ高さの声が、あたりに響き渡った。
「あっ、そう君!」
天海実月はたちまち明るい声をあげて、声を発した男子の元へ駆け寄っていった。
水川想樹。声変わりを経験している、子供っぽい男子だ。
五年の終わりに声変わりが来たのに、身長は百五十三センチ。小柄で優しい顔つきの男子。
そして、天海実月と水川想樹は、付き合っている。
五年のホワイトデーの時に告白した水川想樹は、見事天海実月と両想いになり、付き合っているのだと言う。
六年三組は複雑な恋愛関係に特化している、と僕はいつも感じる。
昼ドラのように複雑化している六年三組の恋愛事情は、「六年三組相談室」を管理している僕が一番理解している。そして、この六年三組に、不思議で個性的な人が多く揃っているのも知っていた。
例えば、遠藤奈名子。
目立たなくて、ロングヘアーをヘアピンで上手く留めている。彼女は時々人に紛れて自分のことを上手くやることが出来る。生徒ながらすごいと密かに思っている。
遠藤奈名子の親友、近藤秋枝。
セミロングで、栗沢麗羅と並ぶ程の美人。友達が多いタイプで、優しい性格。
名字に二人とも、「近」と「遠」が入っていて、「面白い」と思いすぐに親友になったのだという。
そして、その二人とよく一緒に行動している、夕月琴音。
服のセンスが良く、いつも違う服を着ていて、お嬢様らしい雰囲気を醸し出している、緩いツインテールの少女だ。
彼女達も、神楽藍花や栗沢麗羅同じく、この学校では目立っていた。
何しろこの三人は、歴代でトップを誇るほど賞の受賞歴が高かったからだ。
絵の才能が極端にある近藤秋枝と、文の才能が極端にある遠藤奈名子。更にピアノの才能が極端にある夕月琴音は、受賞歴の多さから、下級生から人気を集めていた。特に近藤秋枝は、「下級生が一緒に遊ぼうと誘ってきて断るにも断れない状況です」と相談をしていた。
この三人は受賞歴が沢山あり、そして大のお人好し集団なのだ。「あの三人を見てるとこっちがハラハラします」と相談が送られたこともあった。
「ねぇ、秋枝ちゃん、今日って算数あったっけか」
「あ~、あったね~」
「わ~まずい! 私ノートなくなっちゃったんだけど! ページがもうないよ~」
「じゃあ、貸してあげようか? 奈名子ちゃん」
「マジですか!? ありがとう、いいの? マジで良いの? 琴音ちゃん」
「うん、いいよ~」
「天使~、今度何かお礼するよ!」
この三人の間には、気まずい空気が一切流れないと言ってもいいぐらいだった。
そして、この三人グループと仲が良い有村夏実。
大人しくて目立たない。眼鏡におさげで、空気のような存在と言っても良いが、実は社会全体のことを考えているという。目立たないが、服がきちんとしていて、清潔感が感じられる少女だ。彼女は、神楽藍花と並ぶ優等生だった。
カリスマ的な六年三組の女子とは対称に、六年三組の男子の中には、嫌われ者の少年がいた。
春日巧だ。彼に関しての相談は、大田太雅よりも多く寄せられてくる。
言い方がきつく、傍観してるだけで批判を言いまくり、更には英語の先生に「発音気持ち悪い、死ね」と悪口を言っているという噂も耳にする。とにかく僕が見てきた中で一番の極悪小学生だった。
「おい、康広、ガムテープとってこい!」
「う、うん」
春日巧にそう命令されたこの少年は、木戸康広という。白井大志のようにおどおどしていて、彼はこの学校に転校した直後、ちゃらちゃらした態度でいじめられたことがトラウマなのか、今や皆の顔色を窺って行動している。
栗沢麗羅に「もっとちゃんと自分の意見を言った方が良いよ」とアドバイスをされたことがきっかけで、栗沢麗羅に片想いしているという。
「大丈夫か、康広。あんな奴、気にしなくていいからな、俺が取ってきてやる」
そう木戸康広に声をかけたのは、転校してきた木戸康広をいじめから救った、木戸康広の親友、梶山蓮だった。
正義感が強く、曲がったことは許さない、ヒーローのような少年だった。彼の父親がそういう教育をしているそうで、彼に説得されると、あまりの正論に文句も出ないのだ。
「ほらよ、ガムテープ、取ってきてやったぜ」
「ありがとう、蓮」
木戸康広は、梶山蓮に頭を下げる。照れくさそうに梶山蓮は、「やめろよ恥ずかしい。いいっていいって」と笑っていた。
「あ、ねぇ、昨日のショッピングモールの話だけどさ」
ふいに、夕月琴音が口を開いた。
そう、彼女達三人と有村夏実は、よくショッピングモールに出掛けるませた小学生なのだ。
「あ~、プリクラやったよね、ってか、秋枝ちゃん、めっちゃ盛ってたよね」
くすくすと笑う遠藤奈名子。
「ですよね、何だか目がすごくでかかったです」
敬語を使う有村夏実。彼女は神楽藍花とは違う意味で、人から信頼される少女だ。
「何で女子ってああいうことしか出来ねぇんだよ」
ボソッと呟く声がした。
「ん?」
四人の話を遮るような呟きが、僕の近くで聞こえた。
その声は、教壇の目の前に座る、内村一樹のものだった。
毒舌少年で、涼やかな目をしていて、髪を後ろで一束に結んでいる、れっきとした男子だった。本人は悪魔の騎士を気取っているらしいが、傍から見れば厨二病に見えなくもない。
「どうしたの? 一樹~」
近藤秋枝が言うと、「何でもねぇ」と内村一樹は俯いた。
内村一樹は、美少女の近藤秋枝が好きなのだ。それならこの態度も珍しくはない。
少し不思議な話だが、彼女達四人組には一人ずつファンがいる。
まず内村一樹は近藤秋枝が好き。彼は非常にメンクイなのだ。そして、お人好しな人が好き。
続いて、存在感が空気の瀬戸口颯は、遠藤奈名子が好き。慰めてくれたから恋に落ちたという。ちなみに文章力には注目してないらしい。
そして、女子に優しい笹川啓介は、夕月琴音が好き。お嬢様らしいピアノが得意なところが好きなのだと言う。
最後に、サッカー選手を目指す本田一誠は、有村夏実が好き。弟のサッカーの試合によく来て精一杯応援する意外な一面を見て好きになったのだと言う。
「おはよう、啓介君」
「あ、おはよぉ」
笹川啓介に声をかけるは、優しさの象徴のような及川実織。艶やかな髪をポニーテールにしている。藤川美玖に気に入られているという。
そして、彼女は笹川啓介に片想いしている。実は彼女は熱心に恋の相談をしてきている。健気な少女だな、といつも思う。
「空気少年、瀬戸口、おはよっす」
朝っぱらから、そんな無礼な言葉を教室内に響かせるのは、渡辺彩未。ロングヘアーを下の方で一つ結びしている。
空気読まない発言をしてクラスの女子からは嫌われている。そんな渡辺彩未は、特に瀬戸口颯をいじり倒していた。
「お、おはようございます……」
戸惑いながらも会釈する瀬戸口颯。当然だ、渡辺彩未とは生きる世界がまるっきり違うのだから。
「何だ元気ないな~。あ、もしかして空気だからか、空気少年だからそんな声小せぇのか」
渡辺彩未はケラケラと笑う。不良系の少女だった。栗沢麗羅と同じような人間だが、栗沢麗羅の方がまだ性格が良い気がする。春日巧の女バージョンと言ったところか。
「ちょっと、そんな言い方、ないんじゃないですか?」
神楽藍花が、口を挟む。
「空気なんて言い方、良くないんじゃないんですか?」
「瀬戸口だって生きてるんだよ~? 人生はその人が主役なのに、空気扱いはないよ~」
横から口を挟んできた田中華菜が一番正論を言ってる気がする。
「だって、ウチの人生にとって空気少年はもう空気だよ?」
それでもまだ懲りない渡辺彩未。田中華菜は段々苛立ってきたのか、「だから~」と口調をヒートアップさせた。
「空気って、何でよ? 瀬戸口だってちゃんと考えて生きてるんじゃんよ。そんな健気な奴を、空気呼ばわりだなんて、あんた頭大丈夫?」
田中華菜は、人差し指で自分の頭を指差す。上原遼平も瀬戸口颯と同じ目立たない存在だからなのか、それを非難する渡辺彩未への言葉は、棘がある気がする。
「うるさいなぁ」
渡辺彩未はチッと舌打ちすると、自分の机に、ランドセルを放り投げた。
ラメが入ったランドセルは、神楽藍花のランドセルと正反対なほどキラキラしていた。
「瀬戸口君を、空気呼ばわりするのはどうかと思いますが」
「出た~、神楽の優等生ぶりっ子」
ふと、正論を言っている彼女を非難する声が、後ろで聞こえた。
見ると、黒板の横で、春日巧がひそひそと話していた。その周りには、鈴木雄樹と橘充の姿があった。
「分かるわ~。ぶりっ子って感じだよな。……ってかさ、藤川よりも性質悪くね? 神楽って。優等生ぶって可愛い私演出しようとしてるんでしょ~? マジぶりっ子だし。こんな感じでしょ? 『あ~すいませ~ん、私ってぇ、可愛いのでぇ、許してちょ?』」
鈴木雄樹が体をくねくねさせて声を高くさせると、橘充がたちまち噴き出した。
「ぎゃはははははっ、マジウケるわゆうちゃん!」
「マジウケるわゆうちゃん!」だけが教室内で大きく響き渡った。
「ホントマジ、神楽死ねばいいのに」
小さく聞こえたその声は、神楽藍花の耳に届いてしまったのだろうか。
届いてないといいけど。
「ふざけんじゃねぇよ!」
その声が聞こえてないはずなのに、ちょうどぴったりに、渡辺彩未が叫んだ。
一瞬田中華菜と神楽藍花がひるむ。その隙に、渡辺彩未が神楽藍花を突き飛ばした。
ゴンっ、と鈍い音がして、神楽藍花は床に転がった。
あまりに突然のことで、僕は息が一瞬止まった。
「大丈夫?」
真っ先に駆け寄ったのは、栗沢麗羅だった。続いて、田中華菜、遠藤奈名子達四人が神楽藍花に群がった。
「大丈夫だよ、気にしてくれてありがとう」
ぺこりと頭を下げる彼女も、また彼女らしい。
やっと僕は我に返ると、「何してるんですか!」と椅子から立ち上がり、神楽藍花と渡辺彩未の元へ駆け寄った。
「良いぞ渡辺、もっとやれ!」と春日巧が叫んでいたのにも、心が痛んだ。
「大丈夫ですか? 神楽さん」
「はい、大丈夫です、心配してくれて、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
「そこまでちゃんとしなくてもいいよぉ、ゆっくりしてて」
田中華菜は、神楽藍花の背中をさする。
「ありがとうございます、華菜さん」
神楽藍花は、尚もお辞儀をする。
「人が嫌がるようなことを言うのは、たとえ誰であろうと、駄目なことです」
「そんな、先生、瀬戸口、嫌がってないじゃないですか!」
渡辺彩未は、唾を飛ばしながら叫んだ。
すると、瀬戸口颯が、おもむろに口を開いた。
「僕、渡辺さんの言葉で、傷つきました」
渡辺彩未は目を見開く。
「空気って扱い受けてたんだなって、思って……」
「そんなことないよ。気を落とさないでね?」
クスッと遠藤奈名子は笑う。
瀬戸口颯は、憧れの遠藤奈名子に、声をかけられたことが嬉しかったのか、頬を赤くしていた。
「……分かりました……」
しぶしぶ頷く渡辺彩未。何だか、遠藤奈名子を恨めしそうな顔をして見ている。
あっ。
僕の頭に、一つの予想が浮かんだ。
渡辺彩未はもしかして、瀬戸口颯が好きなのかもしれない。
そろそろ、恋愛脳に支配されてしまいそうだ。
六年三組は、恋愛が複雑化したままで良いのか。そう思い、僕は頭に一つの考えを巡らせた。
「皆さん、今日の放課後、教室に残ってください」
「は? 嫌ですよ」
最初に反論したのは、佐藤香奈枝だった。天海実月の親友で、保健委員会の委員長だ。
「今日ピアノあるのに」
続くのは松原七恵。佐藤香奈枝、天海実月と共に「ふわふわ三人組」なるものを結成している。三人とも体が小さいからか、可愛らしいと女子から注目されている。六年三組に集ったのは、まさに奇跡と言えるのかもしれない。三人は一年の頃からずっと行動してきたという。
「ピアノあるなしに、今日は少しだけ残ってもらいます」
え~、と非難の声が集中する。
しょうがないだろう、と叫びたくなる。
何せ、
『この六年三組は、腐っている』からだ。
こんな荒れたクラスなんて、ゆとり世代を生きてきた新卒の僕が、まとめられるはずがなかった。
だったら。
『六年三組の生徒を一人残らず殺して、自分はどこかに逃げよう』。
それが一番良い方法なのかもしれないのだから。
◆◇
昼休みになると、僕は早速教室を出て、一旦家へ帰った。この近くに僕が借りているアパートがあったから、結構通勤が楽だった。
手に持ったのは、包丁。それをハンカチに包み、バッグの中に入れる。
「よし」
これで『六年三組改造計画』の準備は整っただろうか。
ゆとり教師だからと、渡辺彩未や春日巧の両親にグチグチ言われるかもしれない。
一学期がそうだった。夏休みの間にも苦情は止まず、僕は本気で頭がどうにかなりそうだった。
だから、カップルを殺してしまったと言っても、過言ではない。
偶然、「渡辺」と「春日」という名のカップルがいたのだ。だから、憂さ晴らしに、殺してしまった、と言っても良いのかもしれない。
「よし」
何故か持っていた拳銃。弾丸を溜めこんで、僕は学校に戻った。
◆◇
僕は学校に戻り、職員室の扉を開けた。
そして、銃の引き金を引いた。
初めは困惑していた校長先生や教頭先生が、必死に僕を抑えつけようとした。が、僕が頭に一発弾丸を埋め込むと、あっという間に黙り込んでしまった。
あぁ、面白い。
今やこの職員室で生きている人間は、僕しかいなかった。
愉快だった。
僕は溜まった弾丸を埋め込むと、バッグの中に入れた。
幸い、五六時間目は、五年生と共同で、運動会の練習をするんだった。
きっと神楽藍花達が引っ張ってくれるんだろう。
まだ殺していない人物は、一年一組担任の先生、ただ一人だった。
一年一組の先生が職員室内に入ってくると、迷わず銃の引き金を引いた。
「ひぎぃっ?」と声を上げた女教師は、何も出来ぬまま絶命していった。
「あははっ」
僕は、笑い声をあげながら、教室に戻った。
一体渡辺彩未や春日巧の親は僕に何を期待していたんだろう。
本当は教え子を殺そうとしてるのに。
愉快だ、本当に、愉快だ。
六年三組の絶望が見えた気がして、僕の頬は垂れ下がった。
◆◇
体育館から、音楽が聞こえてきた。
「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
僕は大声をあげた。
これから殺されるとも知らずに、彼らは「団結」だとか「自分達で作る」とか、そんなことをモチーフにして組体操の練習をしているのだろう。
やがて、組体操の練習をした生徒達が戻ってきた。
体育着から着替えて、綺麗な洋服を着て。
今からその服が血で汚れてしまうだなんて、誰が思っているのだろうか。
まさか、教師に殺されてしまうなんて、あの優等生の上原遼平も思いもしないだろう。
「殺してやる……」
僕は、聞こえないように呟いた。
案の定、誰にも聞こえなかったようで、クラスは着々と帰りの会を進めていた。
「係から連絡のある人はいますか?」
日直である遠藤奈名子が言うと、藤川美玖が手を挙げた。
「はい」
「どうぞ、藤川さん」
僕は、教室から出て行こうとする。
そこで、教室を見まわして、言った。
「今から放送をするので、皆さんはじっとしていてください」
「えっ、放送するの? 帰っていい?」
松原七恵が、瞳を輝かせた。
「駄目です。……帰ったら、どうなるか、分かりませんよ?」
ゆっくり目を細めると、松原七恵は、びくっと肩を揺らし、「すいません……」とうな垂れた。
「……今から僕達は、とても楽しいことをします」
すると、お祭り人間の大田太雅が、「おっしゃぁ!」と叫んだ。
「楽しいこと? 何超楽しみなんですけど!」
生徒全員が頷いた。これで帰る人はいなくなっただろう。
「ちなみに帰ると、問答無用で皆の前で秘密をばらさせてもらいますからね」
思いっきり目を細めて教室を出る。僕は、ダッシュで放送室へ向かった。
『六年三組の皆さん以外に、連絡を致します。
至急、帰宅するようにお願い致します。至急帰宅してください。そうしないと、成績を下げます』
先生は全員職員室で遺体となっているため、やりたい放題である。
最後に職員室の鍵を閉め、職員室の窓に黒いカーテンを被せて、僕は下駄箱へ向かった。
六年三組だけずるい、と次々と生徒が下校していく。
そうそう、お前らは、殺したりはしないからな。
殺すのは、六年三組の生徒だ。
もう、クレームが入って僕の精神状態がおかしくなるのは嫌だから。
◆◇
「今日は、とっても楽しいことをします。学校全体を使うので、六年三組だけ貸し切りにさせて頂きました」
うぇーい、ひゅーひゅー、と声が聞こえる。パチパチと拍手が鳴り響く。
ただ、「とっても楽しいこと」に浮かれていない人もいた。
「ふっざけんな!」
春日巧が、僕の胸倉をつかんだ。
「俺今日テニスあるんだよ! 何なんだよふざけやがって! 楽しいこと? 死ねや、このゆとり教師!」
春日巧の暴挙に、六年三組全体が息をのんだ。
「初めっからお前には何にも期待していなかった! お前一学期の初め言ってたよなぁ!? 『皆さんの好きなことは全力で応援します』ってよぉ? で!? 俺今テニスあるんだけど!? 何、強制参加!?」
春日巧は、僕を黒板の方まで押しやった。
「お前、男なのに髪伸ばして、眼鏡掛けやがって! 陰キャかよ、気持ち悪ぃ! 『六年三組相談室』とかふざけたもん作りやがって! 相談? スクールカウンセラーの指導も受けてないのに、調子乗って、ふざけんなよ!」
そう言って、僕の目の前で黒板消しを二つ合わせた。
音がしたと同時に、僕の視界が白い煙に包まれた。
「ゴホっ」
僕がせき込んでいる間に、春日巧は自分の席に戻っていき、「俺、もう帰るから」とランドセルを背負った。
「そんなので、良いんですか?」
僕は白い煙を振り払い、春日巧に問いかけた。
バッグを手に取り、拳銃を取り出した。
「は? 何が……」
春日巧は、最後まで言葉を言えなかった。
僕が、拳銃で春日巧の頭を撃ち抜いたからだ。
ゆっくりと、春日巧は、倒れこんでいった。
クラスの中で、人の悪口ばっかり言って、何もしないのに批判ばっかりする。
そんな春日巧は、今、たった十二年の生涯を絶ってしまった。
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁ!?」
初めに声を上げたのは、夕月琴音だった。思いっきり立ち上がっている。
続いて全員が叫び声をあげて、立ち上がった。
「……何もしないのに文句ばっかり言う人……苦手なんです」
呟いたその言葉は、誰の耳にも届かなかったようだ。
「……せ、先生、何でですか?」
か細い声で、栗沢麗羅が尋ねた。
「何で、と言いますと?」
「なっ、何で巧を殺してしまったんですか?」
栗沢麗羅の問いに、僕は微笑んだ。
「当然です。とっておきの楽しみは、『六年三組殺人ゲーム』なのですから」
クラス中が、息をのんだ。
冷静な神楽藍花も、有村夏実も、そしてあの上原遼平も、内村一樹も、怯えていた。
「おやおや? 皆さん、怖気づいちゃったんですか?」
僕は尋ねる。だが生徒は何も答えなかった。
「おや、図星だったようですね? 僕がいつ「パーティ」とか言いましたか?」
敬語になってしまうのも、また笑えてくる。
「では、ルールを説明しましょう。
ルールは簡単です。夜が明けるまで、学校内で、僕から逃げ切ることが出来たら、君達は生き残っていいことにしましょう。鬼ごっこと同じルールです。少し違うのは、学校内だけというところと、捕まったら殺されるということだけでしょうか」
「ふざけないでくださいよ」
神楽藍花は、怒りをあらわにしていた。
「私語は謹んでくれませんか?」
僕はうっすらと目を細める。
「あと、座ってくれますか? 君達は、春日巧が死んだことにショックを受けすぎです」
初めに立ち上がった夕月琴音をはじめ、全員が大人しく座った。
「だって、クラスメートが死んだんですよ?」
本来は「友達だから」と言う理由だったのだろう、橘充が呟いた。
だが、これも私語のうちに入る。
「私語は慎め、と先ほども言いましたよ?」
橘充は、僕が頭に銃口を向けると、大人しくなった。
鈴木雄樹は、尚も青ざめている。
「あぁ、皆さん、何をそんなに強張った顔をしているのですか」
そう言っても、生徒達の顔は緩むことはなかった。
「……もうそろそろ、ゲーム、始めますよ?」
「…………っ」
神楽藍花は、顔を更に強張らせた。
「では、ゲームスタート。今から一分以内にこの教室から逃げてください」
僕がそう言うと、皆は一斉に教室から逃げ出した。
さぁ、ゲームの始まりだ。