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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

白い紐

作者: 聖華

『白い紐』


 *


 雪のように白い肌に、血の真紅をした頬と唇、そして黒檀よりも深い色をした見事な御髪――この世の美を集めてきて、慎重に並べて、そうして意匠をこらして飾り付けたような人だと思いました。だから、僕は閉じれない目を、必死で尻尾で隠そうとしたんです。僕なんかが見ちゃいけない人だと思ったし、何よりその人に不快な思いをさせたくなかったから。

 けれども、その人は僕の尻尾をそっと下ろさせて、じっと目を見て、頭を撫でて「大丈夫」って言ってくれました。僕の事を蔑ろにするどころか、心配して気を使ってくれたんです。血がにじんで鱗が剥げたところがとても痛くて仕方なかったけれど、でもその瞬間は、そんなことはすっかり忘れられました。びっくりして、頭の中がぐるぐるして、けれどもとても嬉しくて。

 だから、話せなくてもいいから、目を合わせてもらえなくてもいいから、ただこの人の傍に居られたらいいのにって、そう思ってしまったんです。


【とある蛇が死んだ理由】


 *


 僕が彼女を好いた理由なんて、知らないし、きっと誰にも分からないだろう。

 彼女は窓際から数えて二列目、前から三番目の席に座っていた。僕は窓際の一列目、前から五番目で、だから板書きを見ると、自然とその長い御髪が目に入るのだ。

 彼女は、いじめられっ子という奴だ。どういう経緯でそうなったかは、僕も知らない。僕も彼女と同じく友達がいるような人間ではなかったし、周りの人間関係に興味もなかった。だから、知っているのは精々彼女が俗に言う陰キャラという人種で、教室の中でいつも一人本を読み、弁当を食べているという事だけだった。実際にどんないじめをされているかなんて、一切知る機会がなかったのだ。

 ……綺麗な髪の毛をした子だとは思っていた。その髪型はきっと彼女の陰キャラに拍車をかけていたのだろうけれど、けど僕にとってはハッと息を飲むものだった。風が吹く度に、ふわりと揺れる黒。それ以外の接点は皆無で、だからきっとこの感情は、あくまで目についたから、あるいは僕と同じように彼女が一人だったから、だから他の有象無象の女子たちより少しだけ、そう少しだけ、気になったという、それだけなんだと思う。

 もっとも、だからといって、僕が彼女に何かをすることはなかった。本当に接点がまるきりなかった。落ちた消しゴムを拾ったことすらないというのに、どう関わり合えばいいというのか――そんなわけで、僕はただ毎日彼女の後ろ姿を眺めるだけだった。


 季節は初夏。窓をすーっとツバメが通り過ぎていった。そういえば、駅前でもツバメが巣を作っていたなぁ。


 *


 僕は枝と葉っぱの合間から、そーっと顔を覗かせました。彼女はやっぱり今日も笑顔、今もサンドウィッチを片手に一匹の鹿とくすくすお喋りしていました。切り株に腰かけた膝、エプロンの上に落ちたパン屑を小鳥が啄んでいて、足元に置かれた紅茶入りの瓶のところではリスが瓶に映ったリスの姿を不思議そうに眺めていました。とても賑やかで、楽しそうな雰囲気でした。

 城を追われて小人の家に居候になって以来、彼女はこうして森の中で昼食をとっていました。小人たちは昼間は鉱山へ仕事に出ているので、彼女は最初の内は一人でお昼を過ごしていました。でも、いつしかこうして森の動物たちが集まってくるようになって、今となっては大変な大所帯でした。やっぱり、彼女は人気者なんだなぁ、って感心してしまいます。

 彼女は持ってきたリンゴやらなんやらを、周りの動物に少しお裾分けをしながら食べ進めていって、食後のお祈りまで済ませてしまうと――お祈りの間、エプロンのところを引っ張ったウサギを、アライグマがそっと窘めていました。かの負けん気の強いアライグマだって、彼女にかかればこんなものなのです――すくっと立ち上がりました。エプロンのところで丸まっていた小鳥が飛び上がって、近くの枝にとまります。動物たちは今一度居直したり、またリラックスできる姿勢をとったり、忙しなくさまざまに動いていましたが、けれど皆一様に次の瞬間を心待ちにしていることはたしかにわかりました。


 すぅ、と彼女は息を吸って。そして、旋律と共に優しく吐き出しました。空気が優しく震えて、それが森の中に染み込んでいくようでした。それは紛れもない美声、種族の違いも越えてしまうほど完璧な歌声。きっと彼女を前にしたら、金糸雀だって四十雀だって、恐縮して声をつっかえさせてしまうに違いないでしょう。

 周りの動物たちも、これに関しては僕と同意見のようでした。小鳥なんて無防備にも目を瞑って、嘴をかしょかしょと噛み合わせて、足はすっかり収納。羽毛はふんわり逆立っていて、すっかりまんまるくなっています。完全に聞き入っています。

 僕も木の上から、ひっそりと、でもしっかりとその歌を聴いていました。もっと近くで聴きたい! とも思わないでもないのですが、けれどそれは我儘というものです。


 僕は、生まれついての嫌われ者でした。僕は生まれながらにして蛇でした。今までも鳥の卵やら小動物やらを丸呑みして生きてきました。毒もあったので当然被食側からは嫌われていて、けれど小さかったので猫やイタチなんかには被食対象とされました。僕は丸頭の蛇でしたが、この辺りで毒をもつものといえば三角頭の蛇だったので、同じ蛇からも「何かが違うやつ」と爪弾きにされていました。

 蛇というのは群れを作らない生き物ですから、それでも我関せずで生きていくのが普通です。そういう点で、僕という蛇は欠陥でした。そうした状況を寂しく思って、頭を悩ませていたのですから。誰かの命を食いながら、けれど誰かと仲良くしたいと思って、それが出来ないでしょぼくれていたのです。

 本当は、こんな嫌われ者が、彼女に近づくべきではないのです。誰からも好かれる彼女にとっては、僕が関わることが欠点。けれど、それでもこうして諦めきれずにいるのは、偏に前述の欠陥があまりに僕の中で強く根付いているが為でした。最初の内は、この優しい思い出をそっと心の奥にしまって、以前と同じように一匹でひっそり生きていこうと思っていたのです。一生分の優しさをもらったのだから、その思い出だけで生きていけると思ったのです。

 ……えぇ、駄目でした。彼女と会って二、三日はふと彼女との思い出を呼び起こしてみては、その優しさに元気をもらえていました。けど、そこから一日、さらに一日と時間が経っていくと、今度は恐怖が募っていくのです。今僕が思い出しているのは、本当に彼女の声なのか。本当に彼女の顔なのか。僕の記憶の中でひねくれて、原型をなくしてしまってはいないか。あの優しい思い出をなくしてしまうのが怖くて、結果こうして彼女を毎日眺めることで気持ちを落ち着かせているのでした。


 震える風のようなビブラートが、すぅと空気に溶けて消えました。動物たちは、彼女の歌声に惜しみない賞賛を送ります。嗚呼、いつものことだと言うのに、遠慮深い彼女は少し照れたようにはにかんで、スカートの端を手で摘まんで一礼しました。謙遜し過ぎているでもなく、慎ましさを感じさせるその振る舞い。やっぱり彼女は相変わらずだな、と思います。

 きっと彼女もそろそろ家に戻るでしょう。他の動物たちに気付かれる前に、僕はその場を後にします。蛇には足はありません。だから、鱗の擦れる音くらいはしても、足音は全くです。皆に気付かれなくて便利だと思う反面、もし足音があったら、偶然彼女に聞こえて、僕のことに気付いてもらえるのではないかと、なんとなく空想してしまわなくもありません。

 ……やっぱり僕は、蛇らしくない蛇なのでしょう。


 *


 だから、これはきっとただの慰みだったのだと思う。

 『……やっぱり僕は、蛇らしくない蛇なのでしょう。』なんて、当然じゃあないか。だって君は、結局は僕が自己投影する為の偶像なんだから。

 教室の中、黒板と彼女の後ろ頭を見ながら、ノートに板書きを写す片手間。僕はノートに少し隠したプリントの裏に、文字を書き連ねていく。主人公はどうしようもない臆病者の蛇で、蛇が恋したのは高嶺の花の白雪姫。誰が誰かなんて、そんなの誰が見たって明白だった。

 でも、いいじゃないか。これは僕のただの空想で、その空想の中でくらい、彼女を幸せにしたって。これは結局、現実で何も出来ない僕の、たった一つの反抗だったのだ。




 その日、僕は教室に忘れ物をしたことに気づいた。それが明日提出するはずのノートで、さらにそこには例の文章が落書きされたプリントが挟まっていたから、僕は帰宅してから再び学校に行くという、なんとも無駄なことをすることになっていた。


 がらり、教室の戸を開けると、夕焼けの赤に照らされた教室の中に、一つ、黒い影があった。……彼女だった。

 僕らはお互い、無表情に立ち尽くした。彼女は、濡れ鼠といった風体で。全身ずぶ濡れで、顔に張り付いた髪の毛から、水がしたたって、嗚呼、本当にいじめられてるんだなって、それしか思えなくて。ただ会釈すると、僕は自分の席に向かった。

 ノートを引っ張り出して鞄に入れるその動作の合間に、ちらりと彼女の方を見る。彼女はやっぱり、僕に後ろを見せていた。授業中と同じようで、しかし異常なその背中に、僕は何を思ったのだろう。気がついたら、彼女の前に立って「これ」とハンカチを差し出していた。

 彼女は黙って、ハンカチを見ていた。どれくらいの時間、そうしていたのだろう。分からないけれど、兎に角僕の顔はけして見ようとしなかった。けれど、最後には出されたハンカチを、恐る恐る手に取って、言ってくれた。

「ありがとう」と。震えた声だった。

 僕はそれを聞くと、黙って教室を後にした。「どういたしまして」くらい言ってもよかっただろうに、対人能力のなさから咄嗟に言葉が出なかったのだ。


 翌日、僕の席の中には袋に入れられたハンカチがあった。彼女も僕に負けずとも劣らず対人能力が低いと見えた。

 僕はこれから、どうするべきなのだろう。駅前のツバメの巣では、ヒナがぴーぴーと騒がしくしていた。


 *


 そこは一面の花畑でした。森の中でも、ちょうど空を覆う枝がない場所で、だから低いところで咲いている花にもお日様の光が当たるようになっていたのです。

 僕はその中から、真っ白な、それでいて花弁の大きな花を選ぶと、毒のない牙を使って丁寧に噛み切りました。そうして茎のところを咥えて、あらためてこの花を眺めます。見立てた通り、虫喰いの一つもない綺麗な花です。すぼまった形の花弁をしていて、その隙間からは鮮やかな黄色をした雄しべや雌しべが見えます。それになにより、その花弁の色! これが本当に、汚れの一つない白をしていました。

 同じような花をもう二本摘むと、花弁を散らさないように、慎重に運んでいきます。目指すは白雪姫の居候先、小人たちの家です。小人たちの家はこの森にある唯一の家らしい家なので――猟師や木こりが作った小屋もありましたが、いつもそこに住んでいるわけではないので――森の住人なら誰でも場所を知っていました。

 ここから行こうとすると、それなりに距離があります。茂みが揺れる音にだけ気をつけながら、のんびりと下生えの合間を這っていきます。イタチなんかに見つかったら花を捨てて逃げなくてはなりません、現に前に一度やりました。

 さて、今日は捕食者に遭うこともなく、小人の家に着くことが出来ました。木を組み立てて作った、二階建てで煙突までついたちゃんとした家です。

 木造ということもあって、壁の取っ掛かりが多いので、登るのは簡単です。鱗を段々になっているところに引っ掛けながら、するりと窓まで登りきってしまいます。ここは森の中の一軒家、人なんてまず来ないので、扉も窓も基本開けっぴろげです。勝手に小人たちの家に入り込む不届きな動物も居なかったし、白雪姫が住むようになっては尚更でした。

 僕はいつものように窓の下枠の出っ張っているところに、咥えてきた花を置きます。それからもう一往復して小石を運んでくると、花が飛ばされないように重しにしました。


 これが僕の最近の日課でした。僕は助けられて以来、白雪姫と一度も顔を合わせていません。僕なんかが彼女に話しかけたら、きっと彼女の迷惑になってしまうでしょう。彼女自身はそう思わなくても、周りの目というものはどうしてもあるのです。けれど、お礼をしないままというのも釈然としなかったものですから、その代わりに、こうして彼女に似た綺麗な花を毎日届けることにしているのです。

 彼女は今日も喜んでくれるかな、なんて考えて、思わず胸がぽかぽかしました。こういうところを踏まえると、きっとお礼なんていうのは建前なんだろうな、と思います。


 びくっ、と体が縮こまりました。家の中から、こちらに足音が向かってきているのです。僕は慌てて窓枠から飛び降りて、窓から外を見ても見えないように、壁際にぴったり張り付きました。しかし、これはおかしなことでした。だってこの時間、いつも白雪姫は家の裏手の井戸で洗濯物をしているはずなのですから――


「また、この花だ」


 僕の頭上でそう言ったのは、男性の声。ちょっと怒ったような声をしていました。


「全く、誰が毎日置いていってるのやら。森の動物だったらいいが、もし魔女や怪物の類なら、このグランビー、容赦せんぞ!」

「お、落ち着いてよ、グランビー……」

「いいや、これが落ち着いていられるか! もし白雪姫に何かあったらどうする! 継母に殺されかけただけでも不運だというのに、これ以上の不運に見舞われるなど、あまりに不憫ではないか!」


 どうやら、怒りんぼな小人と、恥ずかしがりの小人が話しているようでした。他の小人の気配はありませんから、きっと小人たちがお休みという訳ではなく、たまたま忘れ物か何かで家に戻ってきたのでしょう。仕事に戻ろうと外に出たところに出くわしては大変です、慎重に帰らないと――


「……ぼ、僕、実はその花を置いてるの、誰か知ってるんだ」


――瞳孔が細くなるような思いでした。蛇には瞼はありませんが、それでも目がいつもより大きく開かれるように思われました。


「なんでもっと早く言わなかったんだ!」

「だ、だって、恥ずかしかったんだもの……」

「全く、お前さんは……それで? 誰が置いていったっていうんだ?」


 本当は今にも飛び出していって、「やめて!」と叫びたい気持ちでした。けど、そんなことをしても僕が花を置いていった犯人だとバレるだけで。恥ずかしがりの小人が見間違えをしていることを祈って、


「へ、蛇だよ……」


嗚呼、その希望が今途絶えました。


「蛇!? よりにもよって蛇と来たか!」

「ちょ、ちょっと、グランビー、何を……」

「バッシュフル、蛇っていうのはな! その昔、アダムとイヴを誑かしたそりゃあ悪い奴だって、そう聖書に書いてあるんだ! もし花に毒が盛られていたらどうする!」


 僕の目の前に、あの白い花が落ちてきました。大方、怒りんぼの小人が窓から投げたのでしょう。

 白雪姫が実際に喜んでいたかどうかは知りませんでしたが、それでも毎日欠かさず持ってきていた花。自分なりに白雪姫に合いそうな綺麗な花を選りすぐったのです。花という荷物を持って、毎日ここまで通ってきていたのです。

 こんな権利など、恐らく僕にはないのでしょう。それでも……悲しいと、思ってしまいました。


 二人の小人は、今も言い合っています。きっとこれなら僕に気付かないだろう、そう思って僕は小人たちの家を後にしました。


 *


 切欠はツバメの巣だった。いつものように登校していた僕は、偶々ツバメが普段以上にぴーぴー騒いでいるところに遭遇したのだ。

 見ると、ツバメの巣が脚立の上の清掃服姿の頭に隠れていて、僕はそこで思わず足を止めてしまっていた。今まで生きてきた十数年。壊れたツバメの巣や、出来上がる前に撤去されたツバメの巣なんかにはよく対面してきた。今回だって、タイミングが少し遅いだけで、何も変わらないはずだったのに。

 その時、僕の中に過ったのは、夕方の赤色に照らされた彼女の、濡れた髪の色だった。血よりは明るいが、しかし今にも黒ずんで沈んでいきそうな色合い。今は朝で、見えてるのは帽子からはみ出したおっさんの白髪だと言うのに、何故かあの情景が、ありありと呼び起こされたのだ。


 僕は、清掃員に声をかけた。改札口の近くだと糞への苦情が多くて敵わないと宣うその人に、なら僕が違う場所に巣を移しますと言ってのけたのだ。これは全く、普段の僕からしたら考えられないことだった。強要されても居ないのに、知らない人に話しかけるなんて。やるやらない以前に出来ないし、現にその時だってどもりつっかえ、聞き苦しかったこと甚だしいだろう。

 それでも清掃員は、無表情で――僕は表情を読み取る力も劣っているので、本当は何か表情を浮かべていたのかもしれないけれど――ツバメの巣を僕によこした。僕の腕の中で、四羽のヒナがぴーぴーと鳴いていた。

 ツバメの巣がどういう理屈で壁に張り付いてるかも分からなかったから、僕は段ボールとガムテープとを使って、改札口から数歩離れていて、かつ改札口から死角になっている柱の側面に、巣を置いてやった。たまにスーパーなんかで、巣のすぐ下に段ボールをやって、糞が下に落ちないようにしているところがあると思う。そんな感じだ。


 明らかに学校は遅刻だし、作業中にぽろぽろと落ちた巣の破片で、黒いブレザーが土色に汚れていた。ただ、心の整理がついたことだけは確かで、僕は段ボールの上で鳴くヒナの声を背に、学校に向かったのだった。


 *


 お城の裏庭は、白雪姫のお気に入りの場所でした。ここは森に近くて、花も咲いていれば歌うのに最適な井戸もあって、それに動物たちもよく顔を出すからです。だから、その日も白雪姫は裏庭に行って、切り株に腰かけて空を仰いでいました。

 最近、お城の中は白雪姫にとって窮屈な場所になってしまっていました。継母である現女王様からの視線が、最近やたらに冷たくなったからです。心当たりを探してはみたものの、それらしいものには辿り着くことができなくて。

 本当はもっと仲良くしたいのに、と白雪姫はため息をついてしまいました。そして、ため息をついて視界を空から下に移した時、たまたま井戸の傍に何かが居るのに気付いたのです。


 それは、一匹の蛇のようでした。灰色の鱗はところどころ剥がれてしまっていて、血も幾らか流れているようでした。ぐったりとして、一向に動こうとしません。

 白雪姫は「まぁ」と小さく悲鳴を上げて、それから慌ててその蛇に駆け寄りました。


「ねぇ、あなた、大丈夫?」


 白雪姫がそう声をかけると、蛇は驚いたのでしょうか、尻尾で自分の顔を隠すようにして、丸くなってしまいました。

 だから白雪姫は地面に座り込むと、そっとその尻尾をどかして、蛇の黒目がちの瞳がじっと自分を見つめているのを見ると、その丸い頭を優しく撫でてやったのです。自分の気持ちが伝わってくれるように、優しく。


「大丈夫よ、蛇さん。私はあなたを虐めたりしないから。大丈夫。だから、そんなに怖がらないで。ね?」


 子供を寝かしつける時のような声音で、微笑みながら話しかけていると、どうやら蛇も落ち着いたようでした。舌をちろちろ出して鎌首を構えていたのをやめて、静かに地面に頭を下ろしたのです。

 白雪姫はそれを見ると、一旦頭に置いていた手を離して、お城に戻りました。そうして、薬やら包帯やらが入った医療箱を持ってくると、蛇に手当てをしてやりました。井戸水で傷を洗う時や薬を塗り込む時は「染みるだろうけど、我慢してね」といかにも申し訳なさそうな様子で言って、水気を綿で拭ったり包帯を巻くときは出来るだけ蛇が痛い思いをしないように慎重に行いました。

 そうして、仕上げが出来てしまうと、切り株に腰かけて、膝の上に包帯に巻かれた蛇を置いて、歌を歌ってやりました。蛇はと言えば大人しいもので、何も言わず、黙ってその歌を聴いているようでした。白雪姫もそれに気を悪くすることはなくて、ただ恥ずかしがり屋なのかな、と思っていました。


 やがて、日が傾いてきて、白雪姫がお城に戻る時間になりました。白雪姫は蛇に断りを入れると、そっと地面に下ろしてやります。


「蛇さん、もし包帯を変えたり取って欲しくなったら、またここに来ていいのよ。蛇さんは小さいもの、包帯がそれだけなくなったって、きっと皆気付かないわ。だから、どうぞ気兼ねしないでね」


 そう笑いかけると、手を振り、お城の中に駆けていきました。

 蛇は鎌首をもたげると、その後ろ背を、じっと、食い入るように見つめ続けるのでした。


 *


 それ以来、僕は度々夕方の校内を徘徊するようになった。徘徊、というとどうにも人聞きの悪いが、けれどもそれはたしかにただの徘徊だった。彼女は僕と鉢合わせてしまって以来、空き教室を転々とするようになっていて、つまり僕はそんな彼女を見つけ出さなければいけなかったのだ。

 僕にはいじめをどうにか出来るほどの何かはない。教室内での地位も、先生に耳打ちしてかつ彼女を優位に立たせられるような頭脳も、また単純な腕力も、何もなかった。それでも、ツバメの一件以来、彼女を放っておいてはいけないという、妙な正義感に胸を燃やしていたのだ。


 彼女と僕が会ってすることは、最初に鉢合わせたあの時から一切変わらなかった。二人とも無言で、ただ僕が物を貸して、受け取った彼女が一言口に出して、それで終わり。僕が教室に居座り続けることはなくて、彼女がいっしょに教室を出ることもない。そういう関係だった。

 けれど、それでよかったのだ。

 人と話すのが苦手な僕からすれば、ただ「何かするだけでいい」というのは、正直とても都合が良かった。気負わなくていいから。ハンカチをやたら綺麗に洗いたがったり、鞄に絆創膏を忍ばせておいたり、そういう苦労はあったが、とにかく楽だったのだ。


 彼女は、どうやら凄まじく律儀な人のようで、絆創膏を五枚あげた日には同じ銘柄の絆創膏が五枚きっちり入っていた。消耗品に関しては、そうきっちり返却してもらわなくてもよかったのだけれど、まぁそれで彼女がいいなら、というスタンスでいた。

 こういう場合、「返ってきたハンカチから良い匂いがした」という展開が往々にしてあるが、僕と彼女には当てはまらなかった。使っている洗剤が同じなのか、とにかく普段と違う匂いはしなかったのだ。

 まぁ、現実なんてこんな物か、と思いながら、僕は机の中に入っていたものを再び鞄の中に入れた。



 *


 僕はいつもの通り、寝床で目を覚ましました。巣穴の片隅には、血や土で汚れてしまった包帯が丸まってありました。あの時の思い出といっしょで、捨てられずに残っているのです。

 あの後、結局僕が白雪姫の元を訪ねることはありませんでした。僕はそれを白雪姫に迷惑がかかるからだと思っていましたが、本当のところは、きっと彼女に何か言われるのが怖かったのでしょう。僕の目を唯一見てくれた彼女に、気持ち悪いと言われたくなかったからなのでしょう。僕は臆病ものでした。今まで生きてきて、散々言われ続けた言葉なのに、決して慣れることがなくて、今でも誰かに言われれば相応に傷つくのです。


 僕はのろのろと巣穴から這い出しました。花を捨てられて以来、花畑には行っていません。彼女が僕からの花を受け取った時、あの小人は花を捨てさせる為に彼女に何と説明をするでしょう。やっぱり、僕は怖かったのです。

 でも、いいのです。僕は彼女の姿さえ見れていられれば、それで。寧ろ、それ以上は望んではいけないのです。


「あら、そこの蛇さん。ちょっといいかしら?」


 そう声がかかって、僕は後ろを振り向いて、そして酷く驚きました。


「よかった、気付いてくれたわね。実はあなたに、ちょっと用事があるの」


 そこに立っていたのは、黒を基調にした、体のラインが分かるタイプのドレスに身を包んだ女性。キツい顔立ちながらに、白雪姫には及ばぬほどの美貌、長く伸びた髪。それから、香る薔薇の香水の匂い。――僕の記憶違いでなければ、それは白雪姫の継母の女王に違いありませんでした。


「…………」

「あら、そう警戒しないでもいいじゃない。私はまだ何も言っていないわ」


 思わずしゅー、と威嚇音を立てていた僕を見ても女王は特に動じた様子もなくて、くすくすと笑いました。この時点で僕は、女王に対して何か並々ならないものを感じていました。だって、そうでしょう。威嚇している蛇を見て、こうも冷静でいるなんて、少なくとも普通の人間の神経ではありえません。僕の人生の中で初めてです。


「私は、あなたの毒を少しだけ分けてもらいたいって、それだけなのよ」

「…………」

「ふふっ、何に使うのか、って顔をしているわね。なんてことないわ、ちょっとした魔法薬に使うだけ」


 唇のところに人差し指を置いて、女王は妖艶を気取って答えました。魔法薬、という言葉を使ったからには、恐らく女王は魔女なのでしょう。手を貸すつもりはありませんでした。だって、相手は白雪姫を殺そうとした魔女なのです。そんな奴の味方なんて、できません。


「……言っておくけどね、蛇さん、私は白雪を悪いようにしようだなんて、これっぽっちも考えていないわよ?」


 僕の心を見透かしたようなその言葉に、思わずどきりとなりました。


「猟師の件はね、あれはそもそも猟師の狂言だったのよ。自分の意思で白雪姫を殺そうとして、でも実際やろうとした時に躊躇ってしまったのでしょうね、だから私を悪役に仕立て上げたのよ」

「…………」

「その様子じゃ、信頼されていないようね? 困ったわ、私はただあの醜悪な小人たちから白雪姫を助け出したいってだけなのに」

「!」


 その言葉に、僕はぴくりとなりました。白雪姫を、助け出す?

 にたり、女王の目が笑ったような気がしました。


「だって、そうでしょう? 男だらけの小人の中に、白雪姫という絶世の美女が一人。心配じゃない」

「…………」

「幾ら善良な小人だって、白雪姫の美貌を前にしたら、ねぇ? どうなるか分かったものじゃないわ。あなたにだって、心当たりはあるんじゃないかしら?」


 女王は、僕の目をまじまじと見つめて、そうして囁くように言いました。

 その言葉に、僕は自分の前に落ちてきた白い花のことを思い出しました。白雪姫のように真っ白な花。地面に落ちて土に汚れた白い花弁。あれ以来小人の家には行っていませんが、あの花は今頃雨に打たれ虫に食われ、そして最終的に茶色に枯れて腐ってしまっていることでしょう。

 白手袋をつけた手が、すっと僕の前に差し出されていました。


「あの子を助ける為に、あなたの力が必要なのよ。協力してくれるわよね?」



 ……僕は結局、女王に自分の毒を分けることにしました。後ろの牙から滴った毒をガラスの小瓶に入れて、女王はとても満足した様子で帰っていったのです。

 僕にとって、白雪姫はとても大事な存在でした。白雪姫にとっては、一回助けたきりなんら音沙汰もない蛇なんて取るに足りない存在でしょう。けど、それでも、僕にとっては唯一無二なのです。だから、もしそんな彼女が困っているなら、出来るだけ助けたいと思ったのです。決して、決して『白雪姫を僕が助けた』という功績が欲しい訳ではないのです。……多分、ですが。

 今日も僕の眼下で、白雪姫は歌を歌っています。いつか、僕一人の為だけに歌ってくれた歌。女王は去り際に「安心して。白雪姫を悪いようにはしないから」と念押ししてくれました。きっと、これで良い方向に向かうでしょう。


 *


 その日は水曜日だった。

 いつも通りの授業終わり、僕は筆箱を鞄に入れこむと、そのまま教室を出ようとした。今日は掃除当番でもないし、僕は部活に入ってもいない。彼女との時間まで、図書館に居ようと思ったのだ。

 そんな僕の目の前で、ちょうど彼女が他の女子と話しているのが見えた。いや、正確には一方的に話しかけられていた。耳を傾けて見れば、『今日も放課後に来い』の一言で済む用事を、やたら遠回しに言っているようで。僕と彼女が会っていたのは夕方、つまり彼女が何かをされているとすればそれより前。とどのつまりは、そういうことなのだろう。

 やたら冷静にそう考えていると、僕は何故か何かをやらなければいけない気になってきた。あのツバメの時のように、声を出さなければ、と。


「放課後当番だっけ」


 前置きするでもなく、第一声がそれだった。主語も脈絡も何もが抜けていた。女子の怪訝な顔がこちらを向く、どうにも喉奥が居心地悪くなってくる。彼女は俯いたままだった。


「ほら、この前の。吉田先生の言ってた」


 引くわけにもいかず、取り敢えず単語を繋げた。そうして僕が彼女に話しかけると、女子は無表情に――僕が表情を読み取れなかったといった方が正しいかもしれない――撤退していく。

 なので、僕はそこで話すのをやめて、とにかく図書館に行くことにした。後で戻ってくるにせよ、一旦この場から逃げ出したかったのだ。床を箒がけしている奴が、さっきからこちらをチラチラ見ているようで、異常に汗が出る。


「……図書館で待ってて、下さい」

「ぁ、わかった」


 彼女に感謝以外の言葉をもらったのはそれが初めてで、僕はおっかなびっくり返事をした。



 *


 しばらくの間、僕は白雪姫の歌を聴きにいけなくなってしまいました。久々に食事を丸呑みにしたので、それを消化しきるまで巣穴でとぐろを巻いていなければならなかったのです。白雪姫の歌が恋しくなりましたが、無理に外に出てイタチなんかに食べられることになったら、それこそ本末転倒です。

 そんな訳で今日もじーっと巣穴で大人しくしていたのですが、ふと、外の方が騒がしいことに気づきました。地面がやたらどたばた揺れるのです。もっとも、巣穴のすぐ傍を動物が走り抜けるくらい珍しくもなんともないことですから、普段なら放っておくのです。

 ……ただ、今みたくその足音が僕の巣穴のところで止まった時は、話が別です。


「おい、蛇、出て来いッ!」


 怒鳴る声。鳴き方から言って、それはどうやらウサギのもののようでした。被食側の動物は嫌っているからといって、僕に攻撃的な態度をとることはほとんどありません。一応、僕は毒をもっていてまた肉食の側でもあるから、そんなことをしては危ないと分かっているのです。

 僕はひとまず頭だけ巣穴の外に出すことにしました。もしかしたら相手が何か策を練った末に僕をおびき出そうとしているのかもしれない、そう思ったのです。

 だから、外の様子が見えた時、僕は少し拍子抜けしました。そこには今にも巣穴に入らんとする丸腰のウサギと、それを止めようと必死に尻尾を引っ張るリスの姿があるだけだったのです。


「出たな蛇! 今日という今日は許さないからな!」

「落ち着け、相手は蛇なんだぞ! そりゃお前が怒る気持ちも分かるが、こんなこと――」

「うるさい! こいつの所為で白雪姫が死んじゃったんだ、そんなこと気にしてられるか!」


 ウサギが走るのをやめて、リスと向き直っています。僕はといえば、一瞬何も考えられなくなって、ただ黙りこくっていました。何を言われたのか、本当に分からなかったのです。


「とぼけるな! こうなったのも皆、お前が魔女に毒を渡したからじゃないか! 魔法の毒は本物の毒がないと作れない、けどこの辺りで毒のある動物はお前だけ、違うのか!」


 そこまで言われて、僕はようやく全部を悟ったのです。つまり、女王のあの言葉は丸切りの嘘で、僕が渡した毒で作った薬か何かで、まんまと白雪姫を殺したのだと。白雪姫はもうこの世に居ないのだと。白い花を枯らしたのはつまり僕なのだと。頭の中で、白雪姫が歌っていたあの旋律が、おぼろげに流れていました。

 目の前が真っ白になるような心地がして、僕はそれ以降何を言われても、全く何も頭に入ってきませんでした。ただ、ひたすら罵声を浴びせられていたかと思います。だから、ウサギがリスに引っ張られて森の奥に姿を消してしばらくしても、その場から動けずにいました。

 そうしている内に、自分がやってしまったことの重大さ、取り返しのつかなさにようやく頭がいって――蛇にも涙や明確な鳴き声があれば、きっと吠えながら泣いたでしょう――悲しみやら、怒りやら、絶望やら、とにかくそんなのが一緒くたになった感情に、僕は押しつ 潰されたのです。押し潰されそうになったのではなく、潰されたのです。


 ふらり、僕は巣穴から外へと出ました。


 *


 そんなことがあって、僕はその日彼女といっしょに下校した。車通りが余りない道を、二人傘を並べて行く。妙な時間に学校を出たので、ほかの生徒の姿はない。天気は悪く、視界は暗く、そんな中だから雨が傘を叩く音がやたらと耳についた。


「えっと」


 沈黙を破ったのは、僕の真横に居る彼女だった。


「その、いつも、ありがとうございます」


 少し震えた声で、言う。傘を前の方に傾けているので、目元は見えなかった。淡い緑と黄の水玉が散らばった、控えめなデザインの折り畳み傘だった。

 水溜りに突っ込みそうになって、一旦彼女と距離を取るルートで迂回する。雨の音、時たま唸りを上げて横切っていく車の騒音、それらに遮られて彼女の声が聞こえにくくなっていて、けれども「けど、もう大丈夫です」というそれは、はっきりと聞こえた。


「一人で、平気ですから。放っておいて下さい」


 傘の奥、彼女の顔は僕の方を向いていなかった。

 悩んだ。どう答えるべきか。この騒音の中、どれだけ声を出せば彼女に届くだろうか。聞き返されたら、もう一度うまく伝えられるだろうか。


「好きでやってるから、気にしないで」

「……あの、本当にいいんです、本当に……」


 その怯えた声に、僕はある考えに至って、そして腹が立った。もしや、虐めている連中には僕と彼女のことが知れていて、そのことで何か言われたのではないか。なんというか、僕と彼女の細やかな秘密を踏み躙られたように思われて、腹の底から怒りがじわりじわりと込み上げてきたのだ。某メロスではないが、今なら怒りに任せて、あの邪智暴虐な奴らに立ち向かえる気がした。

 気持ちが昂ぶってしまったのだろう。でなければ、「大丈夫」という言葉の後に、


「僕がついてる」


なんて、臭い台詞吐くわけがないのだ。僕は、完全に浮かれていた。

 その言葉に、彼女は初めて僕の方を見た。思えば、僕はその時初めて彼女の瞳の色を見たのだった。眼鏡のレンズごし、黒目が多い茶色を見て、顔も結構可愛いんだな、なんて思った。


「っ、本当に、いいですから」


 彼女は僕の顔にしばらく向かいあっていたが、その言葉を最後に俯き、走り出した。雨の中を、傘を前に突き出して。水溜りを踏みしめ、走り去ってしまったのだ。

 その後ろ背中を、僕は――


 *


 僕は森の中をさまよい歩きました。こうなった以上、僕に出来る償いは一つだけだと考えていました。つまり、自ら命を絶とうと思ったのです。

 本当なら、もっと早くこうするべきだったのでしょう。僕は元々みんなに嫌われるだけの存在、誰からも必要とされていないものでした。ならば、もっと早い段階でなくなってしまっているべきだったのです。変に未来に希望を抱いて生き続けた結果、僕の人生は今まで僕に食べられた命を浪費して、白雪姫を殺しただけで終わったのです。僕を排除しようとした周りの態度は、紛れもない正解だったのです。

 それと同時に、それにしても、どうして女王に毒を渡したのかと、とにかくそんな後悔ばかりが頭を巡りました。女王は一度白雪姫を殺そうとした前科があります。女王は殺すつとりはなかったといいましたが、それでも確固たる証拠もない以上容疑者には違いないのです。それなのに、なんでああもやすやすと信じてしまったのでしょう。どうして、疑うことをやめてしまったのでしょう。……実は分かっています、それもこれも、きっと嫉妬の所為なのです。きっと僕は白雪姫といつも一緒にいられて、そうして僕の花を捨てた小人に嫉妬していたのです。恨んでもいたのかもしれません。そうしたところでその小人を悪者にされたので、僕にとって都合がいいというその一心から、僕はその言葉を疑いもせず、それきり思考の一切を放棄したのです。僕はつくづく、駄目なやつでした。こんなことだから、出会う誰もに嫌われて、ついには白雪姫を殺すことになったのです。


 次に僕は、死ぬ方法について考えなくてはなりませんでした。高い樹の上から落っこちたり、水の中に沈んだり、いろいろあります。捕食者の前にわざと顔を出す、というのも考えましたが、今回に関しては自分の意思で死を選ばないことには意味がないように思って、やめにしました。

 ふと、上の方を見ると百舌が蟷螂を枝に串刺しにしている最中でした。どうやら、蟷螂のどこから刺そうか悩んでいたらしく、ついに大きく膨れた腹をずぶりと枝に埋め込みました。百舌にはああして自分の獲物を串刺しにする嗜好があるのです。

 そうだ、串刺しなんていいかもしれない、そう僕は思います。自分で長い木の枝を呑み込むのです。きっと蛇である自分が出来る中で、一番苦しい死に方なのではないでしょうか。それは白雪姫殺しという大罪に、相応しい処刑だと思われたのです。


「おーい、大変だ!」


 ふと、頭上の枝にリスの姿が増えました。尻尾と耳を垂らして、いかにも息を切らした感じで駆けつけてきたのです。百舌は串刺すのを一旦やめて、嘴をリスの方に向けました。


「なんだいなんだい。その様子だと、それははやにえより大事なことなんだろうね?」

「あったりまえだ! なんでも、あの白雪姫を助ける為に隣の国の王子様がこの森に向かってるって話なんだ!」

「おやおや、これは一体全体いいことだ。魔法の毒を癒せるのは、王子様の真に愛のこもったキッスだけ。とどのつまり王子様はとてもとても白雪姫を愛しているという自信があるということだ。我らが白雪姫の目覚めも秒読みという訳よ」

「この話には続きがあるんだ。王子様が通ろうとしている森の北西のところは、ちょうどあの人喰いクマの縄張りなんだ!」


 バッと両手足を広げて、尻尾をピンとさせてリスが語ると、百舌も尻尾を真上に上げてぷるると威嚇するような声を上げました。


「おやまぁ、なんということだろう! それはそれは大変だ! 人喰いクマといえば、体中筋肉っていう化け物めいたクマの中でも、とりわけ一番タチの悪いやつさ! 樹を一撃で殴り倒せる力に、一瞬で平地を駆ける俊敏さ、そうして鉄砲で撃たれても眉間以外ならピンピンしてるくらい厚い皮をもっているんだから!」

「どうにか王子様を助けようにも、俺らじゃどうしようもない。俺らの一番強い武器を持ってる鹿だって、クマにはまず勝てないんだ」

「それでそれで? 君は何故くるくるぜーぜー走り回る? 策はないのだろう?」

「鹿の長老が、自分の角を報酬として猟師にクマ狩りの依頼をしようとしているらしい。俺には考えもつかなかった良案だ。だから、この話を触れ回れば、もしかしたら誰かがまた何か別の良い考えを思いついてくれるかもしれないと思って」

「ふむふむなるほど、よくよくわかった。どれ、私も一つ協力しようじゃあないか。なにせあの白雪姫の命運がかかっているのだからな」

「頼んだ! 俺は南を回ってくるから、百舌は北を頼むぜ!」


 ……どうやら、僕の死に方はそこではっきり決まったようでした。

 僕は辺りを見回して、長めの枝が転がってるのを見つけました。そうして這い寄ると、その枝を喉の奥の方へ奥の方へ、ぐいぐい押し込んだのです。鋭く尖った枝先が喉の奥を掻きむしって痛かったけど、同時に気持ち悪くもなってきて、ついにまだ消化しきれてなかった小鳥の雛を一匹吐き出しました。溶けかかって、もはや顔なんか半分くらいしか残っていない雛。この子もまた僕の犠牲者の一匹でした。……これで、速く走ることができます。

 僕は身体全身の筋肉を使って、身体を大きくくねらせて、森の北西に向かったのです。


 *


 僕は走る彼女を追いかけた。何か酷い誤解があるような気がして、なんとか彼女と話をしなければと、妙な使命感に駆られていた。

 彼女が止まったのは赤信号の前。傘をさしながらとはいえ、雨の中を走ったのだ。その時には僕も彼女も雨に濡れていた。濡れて、息を切らして肩を上下させている彼女に、僕は言葉をかけようとして――


「――いい加減にして下さいッ!」


 叫ぶようなその声に、押し込まれてしまった。

 息苦しいところで叫んだ所為で、彼女は少し噎せ、同時に再び僕の方を見た。泣きそうになっていた。必死の形相だった。


「もう近付かないで下さい。今まで黙っていたことは謝ります。でも、ほんと、無理なんです……」


 ……ああ、そうだったのか。

僕の脳内は極めて冷静だった。

 絆創膏やハンカチは、使わないでそのまま返されていたのだ。目を合わせなかったのは恥ずかしいからではなかったのだ。お礼の言葉どころか、手紙がなかったのも、つまり、そういうことなのだ。ああ、そうだ。だって僕は蛇なのだ、嫌われ者の、蛇なのだ。


 ああ、なんだ、そうだったのか。雨がうるさかった。


「……ほら、嫌なことは嫌って言えるじゃないか」

「!」

「そうすればいいんだ。大丈夫、君なら出来る」

「ぁ……ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……っ!」


 彼女は僕に深々と頭を下げて、何度も何度もお礼を言った。僕に好かれているわけではなかったと思ったのだろうか、だから、そうだから、こんなに――ホッとした顔をしているのだろうか。

 そんなに、僕のことが嫌いだったのだろうか。


「……帰り道、こっちだから」

「あっ、はい」


 僕はなるべく明るい感じを装って、言った。愛想よくするのは苦手だったから、愛想笑いが出来ていたかは分からない。

 彼女はくるり、僕に背を向けた。それは教室のあの景色だった。僕は彼女の黒髪を眺めていて、彼女は僕ではない何かを見ている。それどころか、僕の存在にすら気づいていない。

 これでよかったのだ。これがよかったのだ。僕にとってはこれこそ、一番幸せな風景だった。彼女の顔も、声も要らなかった。ただ、ふと顔を上げた時にこの景色が広がっているだけで、それだけで満足だった。


 *


 クマというのはこの森で一番強い生き物です。ですから、足跡なんかを隠すどころか、樹の幹に爪の跡をつけたりして、堂々と暮らしています。どこに居るか見つけるのは簡単でした。

 クマの巣穴の近くの木の上に陣取って、僕は機会を伺います。クマというのは身体がとても大きく、皮も分厚い奴です。そんな奴に毒を入れるのは並大抵のことではありません。あの巨体の全身に毒を回す為には、血行のいい首筋の血管にしっかり牙を差し込む必要があります。そもそも、僕の牙でクマの皮を貫けるかどうかも、定かではありません。

 そう、これが僕の選んだ死に方でした。白雪姫を殺してしまったこの毒で、今度は白雪姫を助けようと思ったのです。

 クマは僕の下で呑気に子鹿の腹を貪っていました。今がチャンス、僕の一世一代です。


 ……1、2の、3っ!


 僕は樹の上から、音もなく飛び降りました。ここがまず最初の不確定でした。ここでクマが僕に気づいたら、それで何もかも終わりだったのです。でも、クマは食事に夢中になっていた様子で、僕がクマの背に触れたところで、ようやくこの異常に気づいたようでした。だから僕は、クマが何か行動を起こすより先に、すばやく、その首に噛み付いたのです。

 クマは低い、地の底を這うような唸り声をあげて、首をぶんぶん振ったり体を揺さぶったりしました。その勢いで振り落とされそうになるところを、必死に喰らいつきます。巻きついている時間的猶予はなかったので、もはや僕は顎の力で体を支えるしかなりませんでした。体があっちにこっちに吹き飛ばされそうになる中、無理やり、牙をさらに深く食い込ませようと足掻きます。毒のある蛇の中でも強い毒がある代償か、僕の毒が牙の先から出るまでに少し時間がかかるのです。だから、なるべくたくさんの毒を送り込む為にも、一分一秒でも噛み付いていないと――


――ふいに、視界が暗くなりました。それが、クマの背中が太陽の光を遮ったからだと気づいた時には、僕の体はクマの巨体と樹の幹との間に入って、押しつぶされていました。どうしようもなくて、僕は牙を離しました。ずずん、とクマが地面に沈む音。

 とても、とても、いたかったです。頭は潰れなかったので即死とまでは至らなかったようですが、体の下半分が、完全にぺしゃんこになってしまったようでした。皮を突き破って、白い骨が見えていました。潰れた葡萄の実から出た果汁のように、搾り出された血が草を濡らしていました。

 クマはぶるぶると頭を振るって、起き上がりました。そうしてゆるりと、背中を押し付けた幹の方を、僕の方を見たのです。黒い目の中には、たしかに怒りの色が渦を巻いています。

 ずしり、ずしり、と地面を凹ませながら、クマはその巨体を揺すってこちらに歩み寄ってきました。背中の丸まってるのもあって、まさに黒い山が迫ってくるようです。その歩みに毒による阻害は見受けられません。もしかして、僕の牙はあのクマに届かなかったのでしょうか。


 嗚呼、神様。僕はたしかに、白雪姫を殺しました。白雪姫の後ろをまるで影のように追いかけました。そういう点において、僕は明らかなる罪人です。僕はこの身に不相応なことをしたのです。けれど、その前に、僕はいっぱい苦しい思いをしてきました。誰からも蔑ろにされて、一人きりで、またそれに耐えられるような性質ももってはいませんでした。毎日が辛くて、そもそも自分が何故生きているのか、わからなくなってしまうほどでした。彼女は、そんな僕に与えられた唯一の救いだったのです。

 一生のお願いです。どうか、僕に彼女を助ける名誉を下さい。僕の命をもって、彼女の優しさに報いらせて下さい。だって、こんなの、あんまりじゃないですか。もし聖書の謂れから、蛇に味方をするのが嫌だと仰るなら、どうか白雪姫を助ける為だと思って、考え直して下さい。彼女はこの世に珍しい聖人でした。自分の美貌を鼻にかけることもなく、自分を殺そうとした継母に復讐心を抱くでもなく、ただ自分と共に話したりしてくれる友人を愛し、それ以外の命にも最大限の慈愛をもって接していました。どうか、あの可哀想な少女を助けてあげて下さい。僕のどうでもいいのです。どうか彼女に、あなたの愛を示して下さい。


 *


 ――遠くから、エンジンの音。車道の信号は黄色。車は見えないけれど、きっと、すごい勢いで突っ込んでくるだろうって、それだけは分かりました。

 けれども、恐らくは、その時はきっとそこまでは考えられてなかったのです。ただ、車の音がしたから。目の前に彼女が居たから。全てはそれだけでした。


 *


 僕の上に、クマの影が覆いかぶさった、ちょうどその時。

 地面を大きく揺する、鈍い音が響きました。あのクマが、地面に倒れる音でした。


 *



「えっ」



 *


 体を襲う痛みが、少し和らいだようにすら感じられました。嗚呼、僕は、いくらか彼女のやさしさに、応えることができました。それだけで、もう何もいりませんでした。――いえ、一つだけ。この期に及んで一つだけ、心残りがありました。やはり自分は強欲な蛇なのだと、あらためて痛感しました。

 出来れば、彼女に最後に一言謝りたかったのです。僕の所為でごめんなさい、と。誠心誠意、謝罪をしたかったのです。

 でも、それはもう叶わないことのようです。だって、ほら、もう瞼のないはずの目が、瞼を閉じたように、だんだんと暗くなっていくのです。体が地面に触れている感じが、なくなっていくのです。こう考えていることも、できなく、なって――


 *


 彼女は、間の抜けた声を出していた気がします。直後にけたたましくブレーキが鳴いたものですから、聞き取りにくくて、そこについては曖昧でした。

 彼女の黒髪はもう見えません。ただ、雨がアスファルトを叩く音が聞こえていて、僕はその場から逃げ出しました。

 水たまりを踏む時の音が、ずっと後ろを追いかけてきました。


 *


「蛇さん、目を開けて!」


 僕はその声に、ハッと意識を取り戻して、けれどもすぐにその意識を手放しそうになりました。だって、僕の目前、その一面が白雪姫のあの美しい顔で埋まっていたからです。


「よかった、目が覚めたのね、蛇さん」

「小人たちに手伝ってもらった魔法が上手く行ったみたい」

「今までごめんなさい、あなたが私をずっと好いていてくれたことに、ようやく気付いたの」

「ねぇ、心優しい蛇さん、私と友達になってくれないかしら。そんなに私を好いてくれる友達がいたら、私きっとどんな辛いことにも耐えられるわ」

「ねぇ、心優しい蛇さん――」


 *


 気が付いたら僕は、いつも登下校に使う、あの駅前に辿り着いていた。どうやら、あの時に傘を投げ捨ててきてしまったようで、全身濡れ鼠のようになっていて、その上に走り続けた所為で息が上がっていた。雨が描く銀の線に、吐いた息が白い煙になって登っていく。

 僕の視線は、ただただ下を向いていた。雨に濡れて灰色になったアスファルト、あるいは水滴の浮かび上がったタイルをなぞっていって、そしてだからこそ、その事実に気付いたのだった。


 ――綺麗だった。幾つか土の塊はあったけれど、しかしそれ以外の汚れは無かったのだ、そこのタイルには。

 どうやら僕は周り道を繰り返した末にここに辿り着いたようで、駅はもう真っ暗になっていて、終電も終わってしまった以上、人も居なくて。だから、近くにあった石を掴むと、その静まり返ったツバメの巣に、思い切り投げつけたのだ。

 一回、二回、三回と。たまに石が跳ね返って自身を打ったけれど、それでも気にせず投げ続けて、そうして巣がぼとり地面に落ちて、割れた。


 土の中から出てきたのは、腐ったヒナの死骸と、食い残されたヒナの死骸と、雨の匂いにやられたのか臭いは分からなくて、ああ親は来なかったんだなぁと思って、笑った。笑えた。雨に濡れた所為か、やたらと体が震えていた。


 *


 しらゆきひめは、へびのくちづけでめをさましました。そして、なんということでしょう! へびがしらゆきひめにくちづけをしたしゅんかん、へびのすがたもまた、にんげんへともどったのです。しかも、ただのにんげんではありません。きんいろのかみ、あおいひとみ、しろいはだに、たかいはな。だれもがみとれてしまうほど、うつくしいおとこのひとでした。

 だから、めがさめたしらゆきひめもびっくりで「まぁ!」とこえをあげました。


「ぼくもきみとおなじで、のろいをかけられていたんだ」

「へびさん、あなたはおうじさまだったのね」

「そうだよ。しらゆきひめ、もういじわるなおきさきさまはいない。けっこんしよう」

「よろこんで」


 そんなわけで、くにのぜんりょくをあげたけっこんしきがとりおこなわれることになりました。くにのだれもがよろこんで、そしてくにのだれもがうらやましくおもうほど、とってもすごいしきでした。けれども、だれもこのふたりをにくんだりはしませんでした。

 だって、このふたりはとってもおにあいだったから、みんなこれはとうぜんのことだとおもったのです。とうぜんのことを、どうしてにくくおもうのでしょうか?


 こうしてしらゆきひめとおうじさまは、しあわせにくらしましたとさ。

 めでたし、めでた――


 *


 僕は、紙を破り捨てた。一つに破いて、それを重ねてもう一度破いて、さらに重ねて破いた。そうして、粉々になったものを、ゴミ箱につきかえして、けれど数枚の破片は入らず床に舞った。


 この物語の結末は、こうじゃない。ハッピーエンドじゃ、いけないんだ。だってこの蛇は、結局何もしなかったんだから。たしかに最後の最後で白雪姫の為に、自らの命を犠牲にしたことは評価できる。けれど、それまでの経緯がどうしようもない。白雪姫を好いておいてそれを伝える努力もしなかったどころか、身勝手な嫉妬で白雪姫を殺して、そうして最後に自己満足でただ自殺しようとした。熊の討伐は、それに対する贖罪に過ぎないのだ。

 だから、この蛇の物語は、こう〆られるべきだ。


 *


 長い睫毛に彩られた瞼が、ゆわりと持ち上がりました。その時の周りの歓声といったら、もうありませんでした。みんながみんな、種族や大きさなど関係なしに抱き合い、笑いあい、喜んだのです。

 王子様のキスで目を覚ました白雪姫は、その王子様の愛の深さに感動して、幾許も立たずして結婚しました。この結婚式には小人たちはもちろんのこと、白雪姫とお昼を共にした森の動物たちも呼ばれました。あの意地悪なお妃の姿はありません。お妃は白雪姫に毒林檎を食べさせた帰り道、雷に打たれて死んでしまったからです。森の動物など事情を知っている一部の参列者は、自業自得だと思いました。

 そこにはあの蛇の姿もありませんでしたが、誰もそのことに気付くものはありませんでした。あの事件以来、蛇の姿を見かけることはなかったので、森の動物たちは「どうせ居心地が悪くなって、どこかに越していったんだろう」程度に思うばかりで、それ以上気にかけることはしなかったのです。また白雪姫も、助けて以来一度も顔を合わせなかった蛇のことを思い出す理由もありませんでした。


 *


 雨に濡れた校門は冷たく、また滑るので、そこを乗り越えるには苦労がいった。それでもどうにか潜り込むと、僕は今度は校舎の出入り口を端から端まで、がちゃがちゃとして、ひょっとして閉め忘れがなかったりはしないだろうかと確認しなければいけなかった。けれどもやはりそう都合良くはいかなくて、けれども田舎の学校だし、警報機も無ければ警備員も居ないだろうと高を括って、あるいはそうでなければこの計画は失敗するからそうだと祈るしかないと思い切って、花壇のところからレンガを一つ拝借してきた。そうして、ガラス戸を思いっきり殴りつけて、破片に皮膚を切るのも構わずに校内に侵入した。やはりというか、ガラスの割れる破裂音の後は、ただただ雨の音だけが響いていて、月の明かりもないので、真っ暗でろくに周りは見えなかった。スマホの明かりだけを頼りに、僕は二階の端の、いつも授業を受けている教室にむかう。雨に触れた靴下が冷たい。階段のところで滑って、強かに尻餅をついて、青痣を気にせずそのまま進む。試しに教室の戸を開けてみようとすると、がたんと衝撃と共に押し黙られてしまったので、僕は仕方なしにそこもタックルで扉を無理矢理レーンから外した。自分にこんな力があったことに驚きだが、もしかしたら火事場の馬鹿力というやつなのかもしれない。そして、机の上に登って、天井に備え付けられた大きな刃のファンに、紐を括りつけて、そこから一回ぶらさがって強度を確かめると、もう一度机に上がった。


 僕は、きっと蛇になるべきだったのだ。彼女に知られず、けれども最後には彼女を救う、そんな英雄になるべきだったのだ。なのに、何処で間違ってしまったんだろう。どうして、あの黒髪を見続けることが、出来なかったのだろう。

 あのツバメのヒナだって、そうだ。もし僕があそこで声をかけなければ、あの清掃員が育てていたのかもしれない。殺処分だったとしても、共食いして最後に餓死するよりかは、よっぽど幸せな死に方だったに違いない。

 僕は結局、余計な親切を、それも致命的に余計な親切を焼いていただけなのだ。

 最後に、最後に言葉を一つ残すなら、そうだな――


 ――僕は、白い紐を首にかけた。


 *


 蛇は結局、すべての人の中で脇役でしかなかったので、わざわざ思い出したりする人はいなかったのです。

 ですから、森の外れの方で白い紐と頭だけになった蛇のことなど、誰も知りません。

 知っているはずがないのです。


【とある蛇が死んだ理由】終


 *


あとがき

 ちなみに彼がイケメンだと下記のようなルートに向かいます。


 *


『オマケ:よくある異能バトル物にありがちな導入』


「拓哉さん、目を開けて!」


 僕はその声に、ハッと意識を取り戻して、けれどもすぐにその意識を手放しそうになった。だって、僕の目前、その一面が彼女のあの愛らしい顔で埋まっていたからだ。

 分からない、さっぱり訳がわからない。だって、彼女は僕に突き飛ばされたはずで、さらにいえば僕は首を吊ったはずで、だから僕たち二人はどちらもここに居ないはずなのに――


「よかった、目が覚めたのね、拓哉さん。アリスに手伝ってもらった魔法が上手く行ったみたい。今までごめんなさい、あなたが私をずっと好いていてくれたことに、ようやく気付いたの。ねぇ、心優しい拓哉さん、私と友達になってくれないかしら。そんなに私を好いてくれる友達がいたら、私きっとどんな辛いことにも耐えられるわ。ねぇ、心優しい拓哉さん――」


 僕はいよいよ、この状況の恐ろしさに気付いた。この状況、初めて経験するというのに既視感がある。当然だ、だってこれは、『僕が書いた物語の台詞そのもの』だ。彼女は知るはずのない情報を、ただただ並べて言っているのだ。

 蛇に睨まれた蛙のようとはまさしくで、僕はただただ彼女に釘付けになるばかりで、だから『それ』に気付いたのもだいぶ後になってからだった。

 自分の腕から、『羽が生えている』。


「――ねぇ、僕が見せた夢は、楽しかった?」


 きっと、彼女――いや、彼女?――も、僕がそれを認識したことに気付いたのだろう。突然聞き覚えのない声を発して、そうしてぐにゃりぐにゃりと輪郭を変えていく。歪んで、歪んで、けれど歪んだ末に、端正に整った子どもの顔に変わった。服は純白のロリータだ。


「残念ね、とっても残念だわ。君なら僕たちみたいな『小説書き(ストーリーテラー)』の系列の能力に目覚めると思ったのに。その姿じゃただの『幸福な王子さま』の異能ってところね。途中でツバメの事があった所為かな? やっぱ、最初から最後まで僕たちの物語の中に居てもらうべきだったわ」


 その時、僕はたしかに自らの命の危機を感じた。全く状況は飲み込めないが、少なくとも眼前のこの子が自分を『なんとも思っていない』ということは分かった。愛の反対は無関心とはよく言ったもので、だから、ろくでもない事になる前に逃げたくて、けれど足は動いてくれなくて。


「んー、ただの異能は今の所足りてるからなぁ。殺しちゃいましょう! 『言語道断の両刃剣ジャバウォック・カル・カル・ヴィラン』!」


 その言葉と同時、黒く、表皮の溶けた蜥蜴めいた物が現れると、僕に飛びかかって――


「『守らぬ太陽、応えぬ星』」


 しかしその攻撃は、同じく突如として発生した氷壁に遮られた。思わず声の方を振り返ると、中学生くらいだろうか、小柄な少年が一人居た。ただ、この場に相応しくその姿は尋常ではない。腕は鳥の翼で、下半身もハルピュイアが如くである。

 それだけでは終わらない。


「当たると痛いぜぇ――『臆病な自尊心ブラッドスポーツ』ゥゥウゥゥウウウウウッッ!」


 獣じみた大音声と同時、化け物とその付近の机が凄まじい勢いで吹き飛んだ。それを行った主は――虎だ。二足歩行の虎が、尻尾を一つ大きく振ると、ぎろりとロリータ服を睨みつけた。


「そうだね、殺すのが三人に増えたところでどうも変わらないのだけれど……まぁ、いっか。今日のところは帰るよ。その子にはもう興味もないものね。『兎の穴に真っ逆さま(アリス・バイ・バイ・ワンダーランド)』」


 ふっ、とその姿が掻き消えると共に、場の緊張の糸が少し緩む。……が、この場の尋常ならざるは未だに健全だ。僕がどうすればいいのか、言葉を探している内に、少年の方が声をかけてきた。


「混乱しているのは分かるが、まず俺たちの話を聞いてくれ。最初に自己紹介をしておくと、俺の名前は小鳥遊 翔。『大図書館ストーリーテラー』の『よだかの星』だ」

「すとーりー……てらー……?」



・福田 拓哉

異能『幸福な王子さま』

スキル『紅玉の宝剣』

スキル『蒼玉の双眼』

エクストラスキル『絶対不燃の鉛の心臓スワロー・ハート


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