05
◇
小学部卒業式は涙なみだ、そして笑いも一杯の素晴らしいものだった。
ととは、練習の時にはかなりふざけたり照れたりして散々だったらしいが、いざ本番の卒業証書授与では日頃の成果をみせてくれた。
ぴったりとラインに沿って歩き、しっかり証書を受け取りまたラインに沿って席まで戻り……
それでも彼らしいのが、ちょうどライン角に立って見守っていたクラス担任の1人・うら若きナミ先生の前を通りかかる時だけ、わずかに1歩踏み出す間に動きを止めて
「しゅき♡」
とつぶやいて去って行った、とヨシコは後で教えてもらった。
ナミ先生は思わず涙ぐんでしまったらしい。
わいるどイワオ先生も、ずっとこらえていたものがあったらしく、子どもに付いていなくていい場面では常に一歩後ろに引いて、時々ハンカチで目がしらを押さえていた。
子どもらは、ビデオカメラの前で次々と卒業証書を開いて見せたり、お互いに見せ合ったりしている。
いつもは他人の行動などに全然かまっていないような自閉の子どもらも、仲間が卒業証書を開いているのをみて同じように自分のも開いてカメラに見せて、どこか照れくさそうな晴れやかな目をしていた。
中学部もだいたい同じようなメンバー、同じ学び舎に通うのではあるが、やはり小学部6年間修了というのは彼らにとって大きな節目だったに違いない。
そして、ヨシコたち保護者や先生方にとっても。
春からは中学生。気づけばただ幼いとしか思っていなかったととも、いつの間にか少年に、そして大人への第一歩を踏み出そうとしていた。
◇
ととが変わる、そしてヨシコも、変わる時がきたという思いがあった。
震災も大きな転機だった。ほんのささいな日常が完全に覆される、それはごく当たり前に起こり得ることなのだと身をもって知った。
ならば今、悔いの残らないように日々を過ごす、そして思いを次の人たちに遺す。
ささいな日常でも確実に守り育てていく、自分にできる形で挑戦してみたい、強く思うようになっていた。
◇
「ねえケイちゃん」
ヨシコは夜勤帰りで、居間にぼんやり座っていたケイちゃんに声をかける。
「子どもも大きくなってきたし、私さ、やりたい事があるんだけど、いいかなあ」
「えっ」
ケイちゃんは、明らかにびっくりした様子だった。
「子ども三人、年もつながってるしこれから中学とか高校とかもっと大変になるのは判るし、じいちゃんばあちゃんも何かと動けなくなってくるからそんなコト言っていられないかもだけど、今、やろうと思った時にやっておかないときっと後悔するかなあ、ってさ」
「何したいの」
「文章書きたいなあ、って」
そうして、家族の留守中や夜中に書き溜めてプリントアウトしたものをみせる。
「小説? みたいなの?」
「うん……創作小説とかエッセイとか」
その頃、始めたばかりのオンライン投稿のために、ヨシコはまだ夜明け前の時間から起き出し、夜も家族が寝静まってからかなりの時間をパソコンに向き合って過ごすようになっていた。
元々は、大昔から書き溜めていたノート類が倉庫に山積みになっていたのを片付けるため、内容をパソコンに入力して手書きのものを棄てて行こうと始めたことだったが、文章を整理していくうちに、ヨシコはやっていることにどんどんのめり込んでいった。
これは、何か一つ大きな創作活動になり得るかもしれない……気がつくと、日中、普通ならば家事をこなす時間にも創作が喰い込んでいることもしばしばとなっていた。
物語を繋げていくに従って課題も見えてきた。
自分はまだまだだ、という自覚があったし、たとえ少し上手に書けるようになっても、すぐにお金になるような仕事ではない、というか今後も多分一銭にもならないだろうという思いもあった。
仕事というより、趣味に近いのかも知れない、しかし何故なのか、やり出すと止まらない。
ずっと昔から、文章を書くことで表現したいという思いはくすぶっていたのだろう。
ととの卒業を機に、何か遺したい、という気持ちはますます強くなっていた。
しかし、不安は大きかった。まず、ケイちゃんはどう受け止めるだろう。
元々芸術とか創作活動にはてんで興味のないケイちゃんは絶対反対するだろう、とヨシコは漠然と思っていた。そうしたら、こっそり続けていくしかないのか……
ヨシコはいったん出してみせた紙の束を引っこめようとした、そこにケイちゃんの手が伸びる。
二、三ページめくってみてから
「ま、オレは小説とかよくわかんないけどさ」
正直にそう告げてから、
「そいうの、いいんじゃね? がんばれよ」
軽く言って、ケイちゃんは煙草を吸いに表に出ていった。その笑い方に、ヨシコはほっとする。
ケイちゃんとすれ違いざまに帰って来たととが、その姿を見かけて、はっ、と飛び上がる。
「あっ、とさん! とさんだー! よかたー! とさん、えらい!」
日中に父さんがいることにえらく興奮して、父さんをほめたたえている声が玄関に響いている。
ケイちゃんも
「うん、ととだー! よかたよー!」
と真似して二人で盛り上がって廊下を行く。
居てくれたというだけでこの喜びように、ヨシコはいつも感動する。
そして、ケイちゃんが自分とは全く違う価値観にもさりげなく肯定の意思を示してくれたことも。
ととを育てていたようで、いつの間にか、ヨシコもケイちゃんも彼や周りの子どもたちに色々と教えてもらっていたんだなあ、と。
それがとときっずの日々だった。
そして、これからもとときっずの日々は続いていくだろう。
お互いを認め合い、慈しみ合える間はずっと。
ヨシコは、原稿をしっかと胸に抱え直し、二人の姿を見守っていた。
季節はまた、廻ろうとしていた。
おしまい




