とと十一歳 三月十一日
その日は金曜日、午後2時半を回った頃、ヨシコはいつものように車で7キロほど離れたスクールバス停に向かっていた。
長男・とらは卒業式まであとわずか。その日はすでに授業を終えて早く帰宅。ヨシコが出かける時には居間でひとり、テレビをつけたまま宿題をやっていた。
娘のぴかは、いつものように友だちと遊ぶためにまた小学校まで出かけていた。
もうすぐバス停の自治体施設に到着、という時にケイタイが鳴っているのに気づいたヨシコ、車を路肩に寄せて電話に出る。
いきなりあわてたような長男の声。
「お母さん、地震、地震!」
急いであたりを見回してみるが、何も感じない。やや風が強いかな? 程度。
しかしそのうちに何となく電線の揺れがいつもと違う気がしてきた。
「テレビで言ってる、地震、国会も地震だよ」
「揺れてるの?」
「ゆれてるよ!」
「とにかくテーブルの下に入って」
「もう入ってる!」
親機のコードをいっぱいに伸ばしてテーブルの下から必死に電話していたらしい。
とりあえずもうすぐ着くだろうととを早く迎えるために、ヨシコはまた車を走らせた。
施設の駐車場に滑り込む直前、一斉同報が響いてきた。地震がありました、と情報を流している。
規模は全く分らなかったがあたりを見る限りではあまり大きなものではなかったようで、ヨシコはほっとして車から降りた。
建物から出てきた業者さんらしい男性がすれ違いざまに
「東北で震度7だって」
つぶやくようにそう話しかけてきた。ヨシコぎょっとして立ち止まり、建物の中に入ってみる。
スタッフが大声で館内の見回りを始めたところだった。
ヨシコも、いつもは使ったことのない携帯のネット接続をしてみる。
トップニュースに確かに、
『東北で震度7』
の文字。集まってきた保護者たちもざわつきだした。
心配になったヨシコ、家に残った長男のところに電話を入れる、が、すでに繋がらなくなっていた。
そこにスクールバスが到着。あまりにもいつもの顔で帰ってきたととたちをあいさつもそこそこに引きとり、ヨシコらはとにかく急いで家に帰った。
テレビに映し出される映像は、まるで信じられないものばかりだった。
あの下に人がいるようには到底思えない、それがその時点での正直な感想だった。ナミキ家の人々はテレビから続々と流れる地震や津波のニュースに、動くことも忘れてくぎ付けになっていた。
ぴかは、小学校の校庭でちょうどブランコに乗っていたとのことで、揺れには全く気づかなかったらしい。職員室から出てきた先生に、みんな地震があったから早く家に帰りなさい、と声をかけられて自然解散的に家に戻ってきたとのこと。
ケイちゃんはたまたまその日は夜勤明け、家にはいたのだが、二階でぐっすり眠っていて揺れには特に気づかなかったと。起きてきたのも夕方近くで、テレビの報道にすっかり目を丸くしていた。
そのうちにケイちゃんの会社から連絡網が回ってきた。
海辺にある工場は大津波警報発令中のため今夜の出勤はなし、とのことで急にお休みと決まる。
ばあちゃんはその日は出かけていたが、やはり早めに帰ってきて「怖かったねえ」と身をすくめていた。
じいちゃんはその頃にはすでにすっかり身体も弱り、あまり外に出ることがなかった。認知症の症状はやや軽くなっていたが、全てにやる気を失ったような目をしてずっとベッドに寝ているか、座って何か食べているか一人で風呂に入るかトイレに行くか、という暮らし。
だからテレビから恐ろしいニュースが次々と送られてきても、自分の生まれ故郷である福島に何があったのか、特にかまった様子もなく淡々と席についているだけだった。
すぐに福島や宮城の親戚に連絡をとろうとしたが、何度かけても電話はつながらない。携帯も同じく。ヨシコはPCや171をも使って連絡を試してみたが、どこにも親戚の安否が確認できるものはなかった。
4日後にようやく、仙台にいるじいちゃんの妹から電話が。そして次の日には福島市のじいちゃんの実家からも連絡がきた。被害は特になく、無事だったとの知らせにナミキ家一同ほっと一安心。
それにしても、とヨシコは家族を見渡す。
今日のように家族バラバラ、海辺で働くケイちゃん、認知症のじいちゃん、車椅子のばあちゃん、広域校に通うためスクールバスで移動するとと、そしてまだ小学生のとらとぴか。こんな家族がもし、このような災害のど真ん中に急に投げ込まれたとしたら……
今後、ナミキ家のあるあたりにも大規模な地震が予想されているということが、急にシビアな現実味をおびて、ヨシコの目の前に立ちふさがった感があった。
日常の中にいつも潜んでいる深い亀裂をまざまざと見せつけられた、全く他人事とは思えないできごとであった。
数日後、長男とらの卒業証書授与式は、まず、東日本大震災犠牲者への黙とうから始まった。
※ お願い
震災は多くの家族の日々を無残にも絶ち切りました。また、今でも多くの方々が苦しんでおられます。
ナミキ家も直接の被害はなかったものの、震災に伴い暮らしにもさまざまな変化が訪れました。
この後も「とときっずの日々・後篇」はもう一年分続きます。
そしてこの項以降、震災関連の出来事については敢えて触れずに綴られております。
まるで呑気そうな内容が多くて御不快を覚える方もおられるかと思いますが、震災などうち忘れたというわけではなく、常に日常のありがたさを噛みしめ、弱い立場の人たちに寄り添うスタンスは保つ所存ですので、どうぞご理解くださいますよう、お願いいたします。




