とと九歳・ちょっぴり旅気分の夏 01
とと画・「ビーナスだってば!!」
◇
ある朝6時少し前のこと。
ヨシコが目覚めると、すぐ横に寝ているはずのととがいない。
階下に行って、じいちゃんと寝ているのだろう、と思って降りていくとなんとすでに廊下に立っていて
「あ、かしゃん」
とうれしそう。
「なんだ、一人で起きたの? 偉かったね~」
と褒めたところに、部屋から出てきたじいちゃんから衝撃的な話を聞く。
なんと、朝の5時くらいに、家の前あたりを歩いているところをじいちゃんが発見したのだと。
ちょうど早朝の散歩人(どこの誰だか不明)について行こうとしていたらしく、じいちゃんが
「とと! 何してんだ?」
と呼ぶと、慌てて家まで帰ってきたそうな。
着替えもせずに、もちろんパジャマのままの大胆脱走。
ここまで堂々と早朝散歩をしたのは初めてだったのでヨシコは真剣に原因を考えてみた。
7月に入ってから、父・ケイちゃん(ぱぱぱ)の勤務シフトががらっと変わったのが直接原因なのかも、と思いいたるヨシコ。
その前の晩も、ととが寝るまでは父ちゃんが家にいたものの、その後仕事に出かけて朝はまだ帰っていなかったのです。そこで
夜明けにふと目覚めた
→大好きな父ちゃんが横にいなかった
→淋しくなって家中を捜し回った
→父ちゃん愛用のスリッパが玄関先に脱いであるのを発見した
→名探偵さながらの推理で、外にまで捜しに行った……
と思われる。
その晩も同じシフトだったので、ケイちゃんと相談して、まず、ととに
「ぱぱ、仕事だからね。夜いないよ」
と言い聞かせ、ケイちゃんには寝しなのととに
「いってきます」
とちゃんと言ってもらい
「行ってらっしゃい」
を言わせてみた。
それが効を奏したかどうかは分らないが、その明け方は一度目を覚ましたものの、ヨシコの布団に潜りこんでまた、朝までぐっすり寝てしまった。
なんとかいい感触を掴んだ、かも。
とヨシコはぬくぬくとしたととを抱きつつ、ようやく安らかに眠りについた。
しかし翌日からまたケイちゃんのシフトががらりと変わったのでした、予告もなく。
どーするヨシコ??
◇
長男とらは、一学期終了と同時に東京の病院に入院が決まる。
諸検査の後、5日後に手術、という予定となった。
専門的には『経鼻的経蝶形骨洞的下垂体腫瘍摘出術』とか言うらしい。
鼻の奥に穴を開けてそこから下垂体横の患部を直接アタックするという、聞くだけで恐ろしい施術であるが、頭蓋骨を切って腫瘍にたどり着くのよりはずっと負担が少ないとのことで、しかもこの病院の脳外科医Y先生はその道のプロ、とのことでナミキ夫妻は大船に乗った気で手術をお願いすることにした。
何かとビビリで気の小さい、細かい長男、しかも注射とか大嫌いなのに家族と離れて一人東京に入院なんて大丈夫なのだろうか? 大規模な手術など耐えられるのか? 悪性だったらどうしよう? 手術が上手くいかなかった場合はどうなるのか? 心配は尽きない。
最初の数日は、ケイちゃんがまた有給休暇を使って一緒に泊まり込むことに。
さすがに東京の大病院ということもあって、小児科病棟には全国各地から色々な病状のお子さんが入院していた。
ナミキ家のように親も泊まり込んでいるお宅、長くなるので親はウィークリーを借りてそこから通っているお宅、子ども一人で置いて時々見に来る家庭、などなど。
そんな中、とらは案外淡々と検査まみれの日々を送っていた。
元々インドア派の小僧、ベッドでのらりくらりと漫画や本、ゲームなどを楽しむぐうたら生活は思いのほか、性に合っていたらしい。
そして手術も3日後に迫ったある日。
ヨシコら夫婦は術前説明のため、病棟の一室に呼び出されていた。
目の前には脳外科のY先生、そして小児科のI先生とが揃っている。
そしてその日の午後に撮られたばかりの脳のMRI画像。
先生が、淡々とこうおっしゃった。
「びっくりなんですが、腫瘍が小さくなってる。これくらいなら……手術必要ないですね」
狐につままれたような気分のまま、ヨシコは病室にとって返す。
ベッドサイドにはすでに手術前の準備として、「鼻から息ができなくなるので、口から呼吸をする練習」用に鼻栓まで用意されていた。
とりあえず、とらに手術が無くなったことを告げると、彼はいきなり下を向いた。
どんな表情なのかヨシコは話しながらそっと覗いてみると……ヤツは独り、ニヤついていた。
嬉しさを素直に表現したいが、同室の子どもらにそれなりに遠慮していたのであろう、ヨシコはその気味悪い笑いをそう好意的に受け取って、その晩はととたちの待つ自宅へと戻った。
短くても4週間以上になろうかという入院生活は、そんなことで8日で終了。
病状的には特に変化はないが、とにかく大きな手術もなくなった、あとは投薬で日常が送れるでしょう、との言葉とともにとら、退院。
長男とらの、そしてナミキ家の夏休みはありきたりなものへと戻りつつあった。
ありきたり万歳、とヨシコはしみじみと感じていた。