とと十歳・世間に飛び出せの秋 01
とと画・時限何らかの装置
◇
ある日のこと、学校から帰ってきたとと、いつものようにテレビに直行……せずにヨシコのところにきて、カバンを開けながら
「かさん!」
と、何か出そうとしている。
「何?」
と聞いたら、やけにはっきりと
「お、た、よ、り」
と一言。そして大きな茶封筒を出して
「はい、あ、げ、る」
と、やや上から目線ではあったが、PTAからの諸連絡を差し出してくれた。
ヨシコは口をあんぐり開けたままそれを受けとる。
きっと先生から
「ととくん、これ、だいじだからお母さんにちゃんとわたしてね」
と言われ
「ん、わかった」
とうなずいて帰ってきたのだろう。
今まで、学校の畑で採れた野菜とかパーティーで使ったグッズとかは、うれしくて家に帰ってからすぐ出してみせたことはあったのだが、このような自分の楽しみとは関係ないものをちゃんと出してくれたのは、多分、初めてだったかも知れない。
今まで責任感のせの字も感じられなかった息子のわずかな成長を感じた母であった。
◇
ととは現在小学5年生だが、同じ学年には現在主に自閉のお友達が多い。
特別支援学校に入学前は、同じように知的な遅れや、コミュニケーションの問題を抱えてる子どもたちと一緒に過ごす、ということが果して本当にととのためになるのか? 健常の子どもたちが通う居住地校で一般社会の縮図の中でもまれた方がいいのだろうか? とヨシコも度々考えたのだが。
学校生活はそれなりに楽しいらしいとと。
同じ学年やクラスの子たちと結構楽しくやっている様子が、先生が書いてくださる連絡帳からも伝わってくる。
たとえば
「一枚の段ボール紙を床に敷いて、男の子たちが順番に上に寝転がって、他の子がひっぱって遊んでいました」
とか
「○○くんが、休み時間、段ボール箱を胴体にはめ、両手にうちわを持ってロボットに変身。それを見ていたとと君も同じように変身して、二人でロボットの追いかけっこをしていました」
など、通常の小学校でも見られる自発的な遊びがよく見られるらしく、ととも、いい連れがたくさんいて、楽しく遊んでいるらしく、とてもありがたいことであった。
もちろん、ダウン症の子どもは通常学級で一緒に過ごす、というのもヨシコには魅力だったが、それぞれの状況や事情で、いろんなパターンがあってもまあ、いいのかな、という気もあったり。
特別支援学校というものに、まるで関心がない、あるいは何だか怖いイメージがある、通わせると遅れがひどくなるのでは? などと疑念をお持ちの方々にこそ、一度、学校に遊びに来ていただきたい、と切に思うようにまでなった。
その一度で、もしいい印象がまるでなかったのならそこであえて、もう一度来ていただければ……と。
結局のところ、障がいがあるから、ないから、という枠組み以前にみんな『人』として生きているのだから。
そういえば先日、ヨシコはととを連れてとある集まりに参加した時のこと。
とと、それに同じ学年のあお君、どちらも全体の集会にまるで興味なし。
ととは会場からこっそり抜け出してはボランティアの青年を辟易させていたし、あお君はまるで我関せずで、会場の外を遊びまわっていた。
しかし帰りがけ、すでに車に乗り込んだあお君を見つけたととが
「あ! あーおーく~ん、さぃなら~~!」
と叫ぶと、誰が呼んでもあまり反応を示さないあお君がぱっと手を挙げ、すかさずバイバイを返したでは。
ヨシコがそのことを学校の連絡帳に書くと、先生よりしみじみしたコメントが。
「子どもどうしにしか分からない世界もあるんですね~」




