とと九歳・自主学習に芽生える春 01
ヨシコの住むナミキ家は7人家族。
ヨシコの実の両親・寅蔵と梅、夫・ケイちゃん、子どもは上から長男とらが10歳に、次男ととが9歳に、そして長女ぴかは7歳となっていた。
ととは、ダウン症、しかも相変わらず無謀な冒険家でもあった。
時にほんわか、時にお笑い、まれにがむしゃら、そして衝突もトラブルも重ねつつ、それでも怪我も大きな病気もなく元気なナミキ家のとときっずたち、ではあったが。
とと兄にとんでもない事態がもちあがった。
おしっこが妙に近い。そして、喉がやたらと乾く……すったもんだの末に病院にかかった結果。
◇
長男の病名は『中枢性尿崩症』。約3万人に1人という珍しい病気だった。
しかも、その原因が間脳下垂体を圧迫しつつある腫瘍/もしくはのう胞という、場合によってはかなり深刻な状態。
外から見ただけでは、悪性なのか良性なのかも判らない。
悪い時に悪いことは重なるもので、今まで案外丈夫に過ごしていたじいちゃんが、肺に影が見つかり3月に入院、手術という事態になった。
長男とらは、春休みを利用して家から少し離れた総合病院に、手術を視野に入れた入院と相成る。
車で高速を使っても、片道1時間半くらいかかる場所だった。
いつもは長男とあまり会話のないケイちゃんではあったが、さすがに心配になるらしく、有給休暇を使って最初のうちは長男の元に泊まり込むことに。
ヨシコは主に、じいちゃんの方につきそうこととなる。
長男の病気、原因となる腫れ物を開頭手術でまず内容を見てみないことには悪性か良性か検査もできないとのこと。
場合によっては院内学校に転校か?
とまで話は進んでいたが、意外なことに手術にストップがかかった。
理由は、執刀担当予定だったミナト先生が、三月末で異動と決まったため。
そうなると、その病院には小児脳外の執刀医が居なくなってしまう、だからどうでしょう……
「専門医のいる東京の病院を紹介させて下さい」
と、ヨシコらは唐突に提案された。
聞くと、長男の病状は現在の尿崩症以外は差し迫ったものがなく、尿崩症自体も合成ホルモン剤さえ毎日点鼻で使用していれば日常生活に支障なく暮らしていける、と言う。
しかも良いことに、東京のお医者さまならば、開頭ではなく鼻から管を入れて間脳の腫瘍を削るという、より身体に負担の少ない手術方法がとれるかもしれない、と。
夏休みに東京の某総合病院に移るべく、ヨシコたちは手続きを始めた。
そんなこんなで、結局入院は尻つぼみなまま4日で終了、転校もせずに済み長男・とらは
「注射とかされまくって疲れた、痛いし、注射一本につき500円もらいたいくらいだよ」
と愚痴りながらも無事に家に戻ってくることができた。
◇
家庭がドタバタしている中でもととは、マイペース。
しかし、ことばが少しずつ多くなってきているせいか、家族の存在について少しは気になることも出てきたのか、時おり
「ぱぱ、しごと。かーしゃん、ある(家にいる)」
など、家族の所在確認をすることが増えてきた。
そんな彼も4月から4年生。2年になった妹が
「ねえどうしてととちゃんには宿題がないの? ずるい~~~」
とごねるように。
周囲の熱いリクエスト? にお応えして、ヨシコは新しい担任の先生にお願いして、ととにも宿題を出していただくことに。
毎日文字の練習を1ページと本読み、主に絵本を一冊。
文字の練習は、100字の漢字ノートを二行ずつ同じ文字で埋める方式。これがよい見本。
左側の行に先生が赤鉛筆で見本を書いてくださるので、まずそれをなぞってから、すぐ右側に同じ字を書いていく、というもので試してみることに。
ととは宿題のコツをすぐに掴んだようで、一人で机に向かって静かに勉強している、とヨシコが思ってしばし放っておくと
「できた!!」
と、ととは自慢げにノートを持ってきた。ヨシコ、それを見てがくぜん。
なんと、まっさらのページにまず赤い字で一行飛ばしに自分でデタラメな文字を並べて書き、それをきれいに鉛筆でなぞり、右側に同じように書きうつしている。
赤い文字からすでに日本語の範疇を逸脱しており、絵文字なのか何かの記号なのか、という状態。
あまりにも素晴らしい文字捏造にヨシコは絶句したまま、しばし固まっていた。
文字作りの労を認められたせいか(?)、先日行政機関に申請していた『特別児童扶養手当』の認定結果、なんと1級から2級に格下げされていた。
つまりそれだけ障害程度が軽くなったと判断されたわけで、まるっきり俗な言い方をすると、ナミキ家が頂ける月々のお手当てが安くなるということに。
哀しいような成長がうれしいような……ヨシコには複雑な親心。
まあ良いことだということにしておこう、しくしく。しくしくしく。
といつまでも根に持つヨシコであった。