【臣 真詞】
【おみ まこと】と読みます。
これにて完結。
彼女が嫌いなわけでも、彼に遠慮しているわけでもない。
ただ、自分に素直であっただけ。
それなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
生徒会室のカーテンが、残暑の熱風をはらんでふわりとゆれた。
「あ」
臣が、生徒会室の開け放した窓の外、正確には下にふと視線を投げたら、新校舎から旧校舎へつながる渡り廊下に懐かしい姿をみた。
窓辺でふと動かなくなった臣に、一緒に作業していた王野が怪訝な顔で近づいて、窓の外を見る。数秒かけてようやく彼女の姿を発見したらしく「ああ」と吐息のような納得の声を出す。
「先輩、帰省なさってたのか」
昨年度卒業した彼女は、県外の大学に進学した。最後に会ったのは今年の春、数か月ぶりの邂逅である。
「だね。ハルから帰っているとは聞いてたけど、今日来られるとは聞いてなかったな」
「生徒会室、来られるかな?」
「来ると思うよ。今は弟が会長だ。あいさつなしに帰るような人じゃないから」
臣は中学からの長い付き合いで、彼女がとても律儀で義理堅い人であることを知っている。たとえ急いでいても、過去かかわった生徒会の後輩に一言声をかけるくらいはするであろう確信があった。
しまった、茶菓子の買い置きあったかな、と少しそわそわしてしまう。うれしさに自然顔がほころぶのを感じた。先輩と話をするのは久しぶりだ。
すると、キュ、と中履きが床をこする音が聞こえた。不思議に思って隣を見下ろせば、愕然と見上げる黒い瞳とぶつかる。
まじろぎもせず見つめる様子が普通でなくて、心配の声を発する前に、王野が無意識のようにつぶやいた。
「臣。おまえはまだ、あの人のことが好きなのか……?」
その言葉に、はっとする。
臣が動揺に揺れる声で「王野?」と呼べば、王野は茫然とした表情をしまったような傷ついたような、感情を作るのに失敗したような顔を徐々にゆがませて、じりじりと後ずさる。やがておびえるように、手にした書類の束をぱっと離し、出入り口に走った。空気圧で吹き込んだ風に、書類はばさばさと乱れ舞う。
足音高く走り去る小さな後ろ姿を追いかけることもできないまま、何とも言い難い感情で臣はそれを見送った。
ほどなくして、開け放たれた出入り口から、のそりと町田が入ってくる。大柄な彼は、大型動物のそれのように動作がゆったりとしている。無感情とまでいかなくとも落ち着いてゆとりのある町田の姿を見て、臣は自分でも情けないほど心強くなるのを感じた。
「ばかめ」
町田の低い声と切れ長のまなざしが、眼鏡越しに臣を射抜いた。この男は甘やかしをしない。しかし含んだものを確かに感じて目をそらす。
町田は、王野藤に心底から惚れている。
「僕もそう思う……」
「下の奴らは?」
「今日は僕と王野で生徒会室の私物を撤収するからって、昼休みを空けてもらったから、来ないよ」
「よかったな。こんな醜態みられなくて」
「そうだね……」
「そんな顔すんな。これは、藤の自業自得だろ?」
「でも、泣かせてしまったのは、僕だ」
思わずうなだれる。どうしてこうなってしまうのかと臣は落ち込んだ。
町田は何も言わず、黙々とばらけた書類を集め始めた。それに気づいて臣ものろのろと拾い集める。よく見るとそれは、次期生徒会役員選挙の要綱をまとめたファイルの中身だった。それは、去年臣たちが先輩方から受け継いだもの。ハルたち後輩に引き継ぐための手直しを、王野がかってくれていた。このファイルを次代に渡して、本当の引退となる。生徒会顧問となった三年生の最後の仕事。去年のことが思い返されて、臣はぽろりとつぶやく。
「……櫻井先輩が、歩いていたんだ」
「なんだ、遊びに来てたのか」
「ハルが、実家に帰ってきてるって言ってたよ。大学生はまだ、夏休みだから」
「したら、じきここにも来るだろうな」
「そうだよ、な……」
さっきまで浮き立つように喜んでいたというのに、今は一抹の苦さを感じた。それを臣は後ろめたく思う。その感情が王野に対してなのか町田に対してなのか、それともあの人に対してなのか、どれとも言い難い。情けない気持ちでうつむいていると、わずかないらだちを含んだ町田の声が降ってきた。
「おい、ばかなこと考えてるんだったら、一発殴ってやろうか?」
「殴られたほうがいいのかもしれない」
次の瞬間、臣は胸ぐらをぐいとつかまれて立たされ、何が何だかわからないうちにビュッという風切り音と一緒に眼前で拳が止まった。風圧で前髪がうく。目を白黒させながら今やられたことを反芻すると、ぶわっと冷や汗が背中を流れた。
町田が苛立ったようにふんと鼻を鳴らして、つかんだ胸ぐらをいささか乱暴に突き放す。
「目ぇ覚めたか?」
「うん、覚めた。ごめん。さすが空手有段者。まじ怖かった」
「だったらその、フン詰まりのクマみたいな顔はやめろ。先輩にも藤にも、そんな顔見せるな」
「もうちょっときれいな表現してくれよ。……町田は、優しいな」
「……お前に対しては厳しいと思うんだがな」
常と変わらない少し突き放した言い方に、ようやく調子が戻る。
たしなめるように、二人を心配させるなと言外に含む町田にかなわないと臣は思う。町田のこのわかりづらい優しさを臣は尊敬している。
「なあ、臣。あの時、いつもどっちつかずなお前にしては、きれいに藤をふってやったと思うよ。だからその先は藤の問題で、お前が気にする余地なんざこれっぽっちもない。それはわかるよな?」
慎重に、でもどこか探るように、確認の言葉をつむいだ町田に、臣はため息で返す。
去年あの時。次代の生徒会役員選挙が終わった後、臣は王野に告白され、拒否した。さとい王野は、臣が心を寄せている人を察していて、笑って自分の告白を笑って流した。
変なことを言ってごめんな。気にしないでくれ。これまで通り、いい友達でいよう。
だからその後もそれ以前と変わらず、生徒会の仲間としてともにいた。王野の努力に甘んじて。彼女が自分の傷を隠して笑ってくれたから、臣はそれほど深刻にならず、生徒会顧問としてこの一年を王野と町田と三人一緒にやってこれた。それなりにうまくいってたと思う自分を臣は苦い気もちで振り返る。
王野が上手に隠してきた想いや傷の深さを思いがけず目の当たりにして、それに気づかなかった能天気な自分にうんざりするのと同時に申し訳なさを感じる。でも、臣は、王野にこたえてやれない。
「そうは言っても、三年……正確には二年半だけど、一緒に頑張ってきた仲間じゃないか。そういう意味では、王野は僕にとって大事な人だよ。だからとても気になるんだよ。他意はなく」
「八方美人。大概にしないと、大事なもんを失うぞ」
うつむく臣に書類の束を押し付けて、町田は生徒会室を出ていく。王野を追いかけるであろうその背中を、臣は追えない。
王野は大切な仲間だと、心の底から思う。でもそれは町田に感じるのと同じ感情でそれ以上にはなれない。王野の気もちが一年前と変わらないのを知った今は、それが心苦しい。町田が王野に抱える恋着を知っているから、なおさら。それでも、臣は自分に嘘はつけない。
「わかってるよ……」
町田の揶揄まじりの言葉に、自嘲しか返せなかった。
午後の授業が始まる直前、王野と町田の教室をのぞいても、二人の姿は見当たらなかった。きっと午後一番の授業はサボるんだろう。
それでも変なところが潔い王野は、放課後きっと生徒会室に来る。泣いて赤い目をして、それを先輩に気にさせない小さな嘘の一つも用意して。そんな王野を苛立たしげに見守る町田の姿まで臣には想像がつく。
本鈴が鳴った。
『仲間』というにはややこしくなってしまった友人二人との関係にため息を噛み殺しながら、臣は自分にとっておそらく甘くて苦いものになるだろう放課後に、想いをはせた。
臣 真詞 高三。生徒会長。お人好しで苦労症で芯が強い。とても困ったさんな兄がいる。同じ中学の先輩を静かにずっと想っている。
櫻井先輩 昨年卒業。現在県外の大学生。臣の想い人。
ハル 櫻井先輩の弟で藤たちの後輩で今の生徒会長。
という、総片思いの高校生たちの話。
この話の本編は、臣の想い人・櫻井先輩と当時の生徒会長のなれそめでした。




