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怪談集

怪談:手は口ほどに

作者: 下降現状

 目は口ほどにものを言う、という言葉がある。

 なるほど、それは確かだ。むしろ、目のほうが口以上に正確な言葉を語ることも多い。意識して発される言葉よりも、無意識下の動きのほうが作為や偽りは少ないだろう。

 視線は何処に向いているのか、眼球の動きはどうか、表面は潤んでいるのか――目からは様々な情報が発信されている。それを受け取るかどうかは、別の問題だが。

 さて、人間にはもう一つ目や口と同じぐらい語りかける部位がある。

 それは、手だ。

 手は顔と同じく、服などに覆われずそのまま露出している数少ない部分だ。素肌がそのまま出ているということは、反応をむき出しにしているのと同じことだ。

 そして、手にも顔と同じように表情がある。五本の指が動き、伸び、曲がることによってそれは生み出されるものだ。

 平手、拳、力が抜けて丸みを帯びた手、指を全て伸ばしきった手――それらは顔面が生み出すそれと同じぐらいの情報量がある。

 だから、手には注目しなければならないのだ。それによって見えてくるものもある。

 私はある経験から、人の顔と同じくらい、手に注意を向けるようになった。

 あれは、酷く蒸し暑い、夏の夜だった。

 蒸籠の中のような自室から逃げ出すように、私は外に出た。行く先は近所のコンビニエンスストア。

 時間は大分遅く、街灯以外の灯りは少ない。誘蛾灯に誘われる虫の如く、噴き出る汗を拭いながら、私は徒歩でコンビニに向かった。

 入店と同時に、外とはまるで違う空気に私は包まれる。コンビニエンスストアの店内は、二十四時間空調が効いている。それが冷気のカーテンを作り出しているのだ。汗をかいていただけに、私はその冷気をひどく快く感じた。いっそ、ここに住みたいほどだ。

 シャツの胸元をつまみ、体の中に冷気を溜め込みながら、商品を物色する。いつまでもここに居たいと思うほどの快適さだが、実際にそうする訳にはいかない。私が目をつけたのは、大型のクーラーボックス――アイスクリームの売り場だった。

 クーラーボックスを開けて、三つほどアイスクリームを手に取る。せめてコンビニの涼しさを、部屋まで持って帰ろうというわけだ。

 会計を済ませて、外に出る。途端に、ねっとりとした空気が肌にこびりついてきた。扉の内と外では、まるで別世界。引いたはずの汗があっという間に引き返してくる。

 これはたまらない。私は早速、買ってきたアイスに手を付けることにした。

 街灯の下、駐車場の縁石に腰掛けて、ビニールを破る。取り出したのは棒に刺さったアイスだ。ひんやりとして甘いそれを齧りながら、私は辺りを見回した。時間の遅さと暗さが相まって、特に何かが見つかるわけでもない。精々、時折ライトを伸ばした車が道路を通過する程度だ。

「なぁ、兄ちゃん」

 背後からの声に、思わず背筋が伸びた。妙に粘る声。振り返った先に居たのは中年の背が低い男だった。妙に服装が汚らしく、話しかけてきたにも関わらず、何故か眼の焦点が此方に合っていない。

 街灯の下、妙に影がかかって見える事もあって、まるで子泣き爺か何かの妖怪のようだ。

 どこかおかしい人間なのだろうか。ひと目でそうおもってしまうような男だった。

「なぁ、兄ちゃんよぅ」

 私が表情を顰めたのを無視して、男は同じ言葉を繰り返す。口を開くと何年も閉じきった部屋のような歯と歯茎が目に入る。

「何か用ですか?」

 正直なところ相手をしたくはなかったが、無視をするのも嫌だったので、私はアイスを急いで食べ終得ながらそう言った。

「じゃんけんせんか、じゃんけん」

 立ち上がった私に向かって、男は笑った。愛嬌があるような、不気味なような笑いかただ。

「はぁ」

 なぜじゃんけんをするのだろう。買ったら何かよこせ、とでも言うつもりなのだろうか。例えば、今しがた買って、レジ袋に入れたままのアイスだとか。

「じゃんけんするだけでいいから、な? 頼むよ兄ちゃん」

 何を考えているのかさっぱり分からないが、変に付きまとわれるのも嫌だ。

「えーっと、それじゃあ一回だけなら良いですよ」

「おっ、兄ちゃんサンキューな」

 そう言うと、男はニコニコとした表情を崩さないままに一歩私に近づくと、右手を前に出した。距離は目と鼻の先。釣られるように、私も前に出す。

 突き出された手の形は、グー。

 ただし、私のそれが握りこぶしであるのと違って、男のそれはもっと緩やかな、余裕のあるものだった。握り締めるような形ではなく、透明なナイフを持っているかのような形。

「最初はグー……」

 男は手を大きく揺する。

 私は男の握りこぶしが緩められているのが気になって、揺れる男の手を観察する。

 そして、私は男がなぜそんな手の形をしたのか――いや、しなければならなかったのかに気付いて、気温によるものとは違う汗を背から吹き出した。

 じゃんけんを出すよりも早く、私は持っていたアイスを投げ、男に背を向けて全速力で駆け出した。

 あっという間に部屋に着くと、すぐに鍵をかけて電気を消した。

 あの時、男が出そうとしていた手は、間違いなくチョキだ。

 何故そんなことが分かるかって?

 右手の人差指と中指の爪だけが、まるで万年筆のペン先のように尖らせられていたのを見てしまったからだ。

 あんな手では握りこぶしを作ることは出来ない。そして、わざわざあんな風に爪を尖らせてじゃんけんをする理由なんて、私には一つしか考えつかない。

 まるで正気の沙汰ではないけれど。あの男は笑ったまま、尖らせた手指で私を……

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