表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法をなくした薬師  作者: 灯野 しおん
第一日目

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/34

第一日目⑥

風呂から出ると廊下は少しひんやりしていた。


けれど、

身体は芯まで温まっている。


リツカは借りた衣服の袖をそっと握った。


柔らかい。


異世界の服よりずっと軽い。


髪からは花みたいな匂いがした。


「……いいにおい……」

不思議な香りだった。


廊下を歩いていると居間の方から話し声が聞こえた。


「……警察?」

奈緒の声。


リツカの足が止まる。


「でもなぁ、悪い子には見えないんだよ」

フミの声が続く。


「見えないけど、身元不明は困るでしょ」

「記憶喪失とかかもしれないし」


記憶喪失。


リツカは小さく目を伏せた。


違う。


覚えている。


全部。


薬草の匂い。

燃える街。

血の色。

助けられなかった人達。


忘れたことなんて一度もない。


ぎゅっと袖を握る。


その時。


足元へ、白い塊がぬっと現れた。


「ひゃっ」


ハクだった。


リツカの濡れた髪を、ふんふんと嗅いでいる。


「……ハクさん」

思わず小声になる。


ハクは満足したように尻尾を振ると、

廊下へ寝そべった。


まるで、

“ここにいればいい”

と言うみたいに。


リツカは少しだけ肩の力を抜いた。


そのまま居間へ戻ると、

奈緒が振り返った。


「あ、お風呂入れた?」

「はい……とても、その……」


言葉を探す。


うまく出てこない。


けれど。


「温かかったです」


奈緒は少し笑った。


「それなら良かった」


机の上には、

湯気の立つ湯呑みが置かれていた。


「ほうじ茶、飲める?」


「……はい」


本当は、何なのか分かっていない。


でも、湯気の匂いは落ち着いた。

木みたいな、草みたいな香り。


リツカはそっと口を付ける。


温かい。


少し苦い。


でも、後から甘みが残る。


「……不思議です」

「お茶だからね」


奈緒は当たり前みたいに言った。


リツカは湯呑みを両手で包み込む。

その熱が妙に安心した。


時計が、かち、かち、と鳴っている。


外では雨。

窓へ打ち付ける音。


遠くで電車が走るような低い音も聞こえた。


この町は静かだった。


静かなのにちゃんと人が生きている音がする。


それが、

リツカには少し不思議だった。


異世界の静けさは、

“死”に近かったから。


でもここは違う。


温かい。


ご飯の匂いがして、

誰かの声がして、

犬が眠っている。


静かなのに安心できる。


「眠かったら、もう寝ていいよ」


奈緒が言う。


リツカは小さく頷いた。


けれど。


立ち上がる前にふと窓の外を見る。

雨雲の切れ間から少しだけ夜空が見えていた。


黒い空。


そこに、

小さな星が瞬いている。


リツカは息を止めた。


星だ。


この世界にも星はある。


当たり前のことなのになぜか少し泣きそうになる。


「……綺麗」

ぽつりと零れた声に、

奈緒が隣へ来る。


「ああ、今日は雨だったからね。

晴れるともっと見えるよ」


もっと。


リツカは静かに空を見上げた。


知らない世界なのに。


その星空だけは、

少しだけ優しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ