第一日目③
案内されるままリツカは家へ上がった。
木の床がきしむ。
知らない感触だった。
靴を脱ぐ文化もわからず、
玄関でしばらく固まっていると、
おばあさんーフミが苦笑する。
「そのまま上がったら、
後で奈緒に怒られるよ」
「……なお?」
「孫」
リツカは慌てて足元を見る。
濡れた靴。
泥。
綺麗な床を自分が汚している。
「……あっ……す、すみません!」
慌てて靴を脱ごうとして、今度は身体がぐらつく。
すると、
ドン。
後ろから、大きな白い塊が支えた。
「わ……」
振り返ると、
ハクが当然みたいな顔で座っている。
リツカはしばらく瞬きしてから、
小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
ハクは尾っぽを振った。
フミが吹き出す。
「犬にまで敬語かい」
リツカは少しだけ困った顔をした。
どう返せばいいのかわからない。
その時。
廊下の奥から足音が近づいてきた。
「ばあちゃん、タオルどこ?」
声が止まる。
リツカも顔を上げた。
現れたのは二十代後半くらいの女性だった。
短めの黒髪。
少し吊った目。
細身。
片手に洗濯物を抱えている。
そして、リツカを見るなり眉をひそめた。
「……誰?」
空気が少し張る。
リツカは反射的に背筋を伸ばした。
怒られる、
そう思った。
けれどフミはまるで近所の野良猫でも拾ったみたいな気軽さで言う。
「畑道に落ちてた」
「は?」
「びしょ濡れだったから連れてきた」
女性——奈緒は、
信じられないものを見る顔になった。
「いやいや、
説明雑すぎるでしょ」
その視線が改めてリツカへ向く。
服装。
泥。
見慣れない髪飾り。
全部がおかしい。
奈緒の眉間に皺が寄る。
「……家出?」
「い、いえ……」
「じゃあ観光?」
「かん……?」
通じていない。
奈緒はそこで初めて、
違和感に気付いた顔をした。
リツカは言葉を理解している。
でもどこか噛み合わない。
外国人とも少し違う。
「奈緒、とりあえずタオル」
「ああ、はいはい」
奈緒はため息をつき、
洗面所から大きなタオルを持ってきた。
ぽす、と頭に乗せられる。
「風邪引くよ」
ぶっきらぼうな声だった。
でも。
その手つきは優しかった。
リツカは目を瞬いた。
こんなふうに誰かに世話を焼かれるのは久しぶりだった。
自分がいた世界では自分が誰かを支える側だったから。
「……ありがとうございます」
奈緒は少しだけ目を細める。
「礼儀正しいんだか、
変わってるんだか分かんないな……」
その時だった。
ぐぅぅぅ……
静かな玄関に間抜けな音が響いた。
リツカの顔が一気に赤くなる。
奈緒が黙る。
フミが笑う。
ハクまで尻尾を振った。
「腹減ってんじゃないか」
リツカは恥ずかしさで俯いた。
朝から何も食べていない。
いや。
もっと前からまともな食事をしていなかった気がする。
「……すみません……」
「だから謝んなくていいって」
フミはそう言うと台所の方へ歩いていく。
「奈緒、ご飯よそって」
「はいはい」
奈緒も慣れた様子で後を追った。
その背中を見送りながらリツカは玄関に立ち尽くす。
温かい家。
湯気の匂い。
誰かの話し声。
遠くで聞こえる、
波の音。
知らない場所だった。
なのに。
胸の奥の張り詰めた何かが、
少しだけ緩んでいく気がした。




