第三日目⑧
テレビを見終わる頃には、
すっかり夜になっていた。
ニュースは終わり、
居間には穏やかな静けさが戻っている。
フミは編み物をしていた。
奈緒はソファに座って本を読んでいる。
ハクは寝ている。
相変わらずよく寝る。
リツカは窓の外を見た。
暗い。
けれど。
完全な闇ではなかった。
何かが光っている。
「奈緒さん」
「ん?」
「外へ出てもよろしいですか」
「もちろん」
奈緒は本から顔を上げる。
「寒いから上着着てね」
「はい」
リツカは借りた上着を羽織った。
玄関を開ける。
ひんやりとした夜気。
潮の香り。
遠くから聞こえる波の音。
昼間とは別の町だった。
静かだった。
とても。
庭へ出る。
見上げる。
そして。
息を呑んだ。
空いっぱいの星。
無数の光。
黒い空に散りばめられた銀色。
「……」
言葉が出ない。
一つ。
二つ。
そんな数ではない。
数えられないほどの星。
異世界でも星は見えた。
けれど。
町の灯りが少ないこの海辺の町の空は、
驚くほど澄んでいた。
まるで。
空そのものが輝いているようだった。
「綺麗でしょう」
後ろから声がする。
振り返る。
奈緒だった。
いつの間にか出てきていたらしい。
リツカは空を見たまま頷く。
「綺麗です」
それしか言えなかった。
奈緒も空を見上げる。
「子どもの頃から見てるけど」
「今でも好きなんだ」
波の音。
風の音。
静かな夜。
しばらく二人とも何も言わなかった。
その沈黙は不思議と心地よかった。
やがて。
リツカが小さく口を開く。
「この世界は不思議です」
奈緒が笑う。
「また?」
「はい」
リツカも少し笑った。
「勝手に開く扉があります」
「うん」
「馬がいないのに走る車があります」
「うん」
「箱の中で人が話します」
「うん」
「鉛筆を食べる箱もあります」
奈緒が吹き出した。
「食べてないって」
リツカは真面目だった。
「ですが」
空を見上げる。
「一番不思議なのは」
奈緒が待つ。
少し考えて。
リツカは静かに言った。
「皆さんが優しいことです」
奈緒の表情が少し変わった。
風が吹く。
庭の木が揺れる。
「そんなことないよ」
奈緒は少し照れたように言う。
「あります」
リツカは首を振った。
「フミさんも」
「奈緒さんも」
「薬局の皆さんも」
「町の方々も」
「優しいです」
奈緒は返事をしなかった。
ただ。
少しだけ笑った。
その時。
庭の向こうから白い影が現れる。
ハクだった。
眠そうな顔。
それなのに、
二人を探して出てきたらしい。
「起きたのですか」
ハクは返事をしない。
代わりに。
リツカの隣へ座った。
そして。
空を見上げるでもなく、
その場で丸くなる。
「寝ています」
「寝てるね」
二人は笑った。
夜空には星。
遠くには海。
隣には犬。
異世界で薬師として生きていた頃。
こんな時間を過ごしたことはなかった。
何もしない。
急がない。
誰かと空を見るだけ。
そんな時間が、
こんなにも温かいものだとは知らなかった。
春の夜風が吹く。
星波町の空には、
今日もたくさんの星が瞬いていた。
そしてリツカはまだ知らない。
数ヶ月後。
この空の下で見る花火が、
この町での大切な思い出になることを。




