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考察1

 後輩はそのレポートから顔を上げた。

 にやにやと憎たらしい笑顔を浮かべた先輩が窓側のデスクに座っている。夜になるほど元気になる先輩は妖怪とか吸血鬼とか噂されていた。本分の研究に全く関係無いオカルト色の強い研究に熱を入れているからでもある。

 後輩は入り口から2番目の自分のデスクに腰掛けた。


「これが、『D』についてですか?」


 そうだ、と院生室の主である先輩は楽しそうに頷く。


「君の意見が聞きたい」


 後輩は暗いままのパソコンの画面を見た。

 院生の相棒ともいえる自席のパソコンだが、今はログインできない。

 電源を切ったディスプレイは、日付を越えようとしている窓の外と後輩の気分と同じように、暗く動かない。


「いくつか、わからない事があります」


 後輩が言うと先輩はこくりと頷いてマグカップを持ち上げた。

 冷めたコーヒーの匂いが狭い院生室の中に漂う。

 ブラックに見せかけて砂糖が山のように入った先輩特製のコーヒーは、よくパソコンに零されてデータを吹っ飛ばしている。


「1つ。これらの証言に登場する『D』とは、特定の個人を指しているのか」


「ほう?つまり、異なる名前に「D」という共通の伏せ字を充てている可能性があると?」


「はい、小中高と同級生に渡辺さんがいましたが、皆ナベさんと呼ばれていました。無関係の別の人間でも、イニシャルが同じだとかであだ名が被るのはあり得るでしょう」


「ナベさんとは、小学生にしては渋いあだ名だね」


「そこはいいんです。そして、2つ。この証言を語る彼らは何者で何を基準に証言を求められたのか」


 証言は、口頭で述べられたものを文字に起こしたようにみえる。

 年齢も性別も異なる彼等は何故この証言を語ったのか。そして、彼等の証言は何故「D」に関する記録として残されるに至ったのか。


「3つ。そもそもこれらの証言は本当に誰かが語った真実なのか」


 様々な人間が同じ人間について異なる人物像と思い出を語る。

 創作、あるいは誰かが嘘をついているのではないか。

 後輩の話が止まったのを確認して、先輩は頷いた。


「まず1つ」


 外に明かりが漏れないようにカーテンを閉めて薄暗くしている部屋に、先輩の人差し指が光の筋のように伸ばされる。


「証言の元データが残っていないから仮定だが、私は共通した特定の個人を指していると考えている。だから君もそう考えてくれ」


 やや横暴な視点だが、先輩は滅多に自分の考えを曲げようとしない。

 後輩は逆らわずにカフェオレの缶をかこん、と開けた。暖房を消した部屋に白い湯気が立ち上り、後輩の眼鏡を曇らせる。

 先輩はコーヒーを啜ってから、中指を伸ばした。


「2つ。証言者の選定基準について。これも、データを収集した本人がいないから何とも言えないな。しかし、『D』が個人名だとすると、無作為に集めた人間が皆『D』を知っているとは思えない。何かの基準があるのだろうが、単純に『D』を知っている人間を集めただけかもしれない」


「まぁそうでしょう。それなら、皆が同じ人間について語るのは何も不思議ではないですね」


 後輩は早くこの話を進めたくて投げやりに言ったが、先輩は楽しそうにカップを持ったまま薬指を伸ばした。


「そして、3つ。『D』の存在はともかく、証言者達は実在している。いや、実在していた」


 先輩は紙の束を持ち上げた。

 事故の新聞記事のコピー、殺人事件のニュースサイトの記事。

 犠牲者の名前は後輩がついさっき見た証言を語った彼等だ。


「ネットで名前を調べればニュース記事でも出てくるだろう。そのパソコンで少しは調べたまえ」


「今日はそういう気分じゃないんですよ」


 後輩が言うと、先輩は額を抑えてやれやれと首を横に振った。

 先輩が師事する教授が駄目な学生を前にした時とそっくりな仕草だ。先輩が気に入られている理由が、その頭脳だけではないことがわかる。


「さて。ネットを使えず情報社会から分断された君にも、彼らの共通点はわかるかい?」


「恐らく」


 尋ねられて後輩は語ろうとしたが、先輩は自分がコーヒーを飲み干したことに気付いてそちらに意識が向いていた。

 悲しそうにマグカップをデスクに置いた先輩は、後輩が持つカフェオレの缶に気付いて羨ましそうに唇を尖らせる。


「君はいい物を飲んでいるね?ブラック派じゃなかったかい?」


「校門の警備の人に奢って貰ったんです」


「いいなぁー」


 いいなぁーと繰り返して、先輩はぎこぎこと椅子を揺らす。先輩は考え事をするときに椅子を揺らすのが癖で、難しい授業ほど椅子を破壊していた。院生室の自席の椅子は今ので3代目だ。

 後輩は立ち上がって空になった先輩のマグカップを手に取った。


「コーヒー、淹れましょうか?」

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