第05話 謎のセーラー服③
「な、何かいい手を――!」
脩太は、さっきから慌てふためくばかり。黒少女に頼りっぱなしの自分を恥じたいところだが、さすがに常人の手には余るイベントの連続だ。序盤のチャフ玉で一矢報いたことを褒めてあげたいくらいである。自分で。
そんな右往左往する脩太をさておいて、黒少女は足下から燃え立つ殺意に気付いた。彩子が真下の客車内から攻撃体勢に入っているらしい。
黒少女が脩太の身体を右腕でぐわっと引き寄せると、その直後、脩太が立っていた場所が赤熱化し、紫色のスパーク弾が飛び出した。先刻の戦闘では黒少女のビームペネトレーターに阻まれたが、これが彩子のエナジーボムだ。その熱量はすさまじく、溶け落ちる屋根が、まるでバターに見えたほどだ。
「脩太、ここは危ない。それから――」
「機関車を止めなきゃ」
「それ」
言うや、黒少女は脩太の手を引いて、客車の屋根を走りだした。今度はお互いの手を握っているので、先刻のような、もげる恐怖はない。
足下が危なっかしい脩太とは対照的に、黒少女は不安定な屋根の上をブレることなく的確に駆けていく。もし黒少女と手をつないでいなかったら、脩太はすでに三回は屋根から落ちていただろう。もっとも、一回落ちた時点で命はないが。
『よし、この調子なら機関車にたどり着けそうだ』
脩太が不用心なフラグを立てた瞬間、またも黒少女は足下の気配を察した。
クンッ!
黒少女の駆け足がギアを上げる。
二段ギアを飛ばして、三、四、五段の連続シフトでトップスピードへ!
ここまで速いと、客車の屋根へのダメージを配慮する余裕はない。黒少女の一歩ごとに屋根は凹み、まるで雪原のように足跡を残していく。
黒少女が逃げ切り体勢に入ったのを察したのだろう。客車内でそれを追いかける彩子は、黒少女の足音を頼りに、勘でエナジーボムを撃ち続けた。またもや客車の屋根に大穴。初弾こそ大きく外したが、一発ごとに命中精度が上がっている。
次か、その次で当たると思われたとき、黒少女は「跳ぶよ! 脩太!」と叫んで大きく踏み切った。
例えば、それ専門ではない女子高生が、走り幅跳びで五メートル跳べば大したものだろう。だが、二五メートル跳んだら医学的な研究対象にされるかも知れない。黒少女はそれを軽々とやってのけた。それも男子高校生をサーフィンボードのように小脇に抱えたままで。
黒少女は、ひとっ飛びで機関車の最後部に着地すると、脩太をボウリングの球のように前方へ転がした。先頭の運転席を見てくれという意思表示だ。そして自分はすぐさま振り向いて機関車と客車の連結器をビームペネトレーターで撃ち抜いた。機器の異常を検知した客車が、自動制御によって急ブレーキをかける。みるみる後方に離れていく客車の屋根に、彩子が上ってくるのが見えた。その表情が悔しさにまみれているのがありありと見てとれる。
暴走を続ける機関車は、なおも停まる気配を見せない。
脩太は屋根の上から運転席の窓を覗くと、「誰もいない! 運転士さんとか…………誰もいないよ!」と叫ぶ。途中の不自然な間は、『運転士』以外のクルー名称を思い出そうとしたが諦めたのだろう。
駅のホーム進入まであと八〇〇メートル。減速なしなら激突まで一〇秒とかからない。
「私が止める」
「間に合わないよ! 激突する!」
「大丈夫!」
黒少女はそう言い切って機関車の先頭に立つ。
ビームペネトレーターを二射すると、それぞれの光条は、数十メートル先のレールを左右ともに熔解した。
機関車はあっという間にそこに乗り上げ、凄まじい衝撃とともに空中へ跳ね上がる。
黒少女は、再び脩太を小脇に抱えて前方へ跳んだ。相変わらずの跳躍力で、宙を舞う機関車の落下予測地点に降り立つ。
そして、やることは決まっているとばかりに、振り返るや、ビームペネトレーターを連射して、ひねり回転で跳んでくる機関車の動きを修正した。ビームペネトレーターの一撃一撃が、宇宙船の姿勢制御スラスターさながらに、乱れた機関車の動きを整理していく。
はたして機関車は、まるで着陸する飛行機のような姿勢で降ってきて、黒少女の身体を押し潰した。だがそれで止まるものでもなく、十二分なスピードを維持したまま、ついには駅のホームに進入する。
万事休すかと思われた。
だが、そのあとの光景は、仮に目撃者がいたとしてもうまく説明出来なかっただろう。
無理もない。少女一人の質量で、暴走機関車がそうそう停まるはずもないのだから。
だが、黒少女は、機関車の先端で荒れ狂う瓦礫の奔流のなかで、両足で大地に踏ん張り、両腕で機関車の鼻っ面を押さえ込んでいた。そのパワーの前に、機関車はみるみる運動エネルギーを失い、速度を落としていく。
誰も思うまい。
目撃したほとんどの人間が、「機関車は、瓦礫に埋もれたことで勢いを失ったのだ」と、そう考えるだろう。かくして機関車はホームを突破するギリギリのところで停止した。
いや正確には、最後の最後で、黒少女のヒップが終点の車止めに優しくタッチした。
黒少女は「ちょっとだけ間に合わなかった」と残念そうにつぶやいた。
この大立ち回りを、近くのビルの屋上から観察している者がいた。
灰色の迷彩服に身を包んだ、一人の狙撃手だ。
狙撃用ライフルを設置した状態で屋上に伏せて、双眼鏡で機関車の状況をうかがっている。その表情は冷静で淡々としたものである。
胸元の無線機に一瞬のノイズが入ると、続けざまに柔らかな男性の声が鳴った。
『こちら感度良好。千歳クン、周辺の様子はどうですか?』
「バレットライナーは停止しました。機関車だけしかいませんけど――それと、ルート3より駅前広場にサイメタル五体が接近中。全員、生徒会メンバーのもよう」
『あー、うん、そうですか。とりあえず暫定的に排除しちゃってください』
「いいんですか?」
『ザ・ン・テ・イですよ? あくまで暫定。本気は出さないこと』
「ロジャー」
狙撃手は速やかにライフルの照準を合わせると、五体に対して五回の発砲で、いともたやすく任務を終えた。
撃ったのは、対サイメタルの麻酔弾『アボート』。効き目は一〇分と短いが、現場制圧には大変重宝する装備である。特に、相手が未成年であることが多いこの街では。
道端に倒れた五体のサイメタルを双眼鏡で確認しながら、狙撃手は「暫定排除、完了」と無線機に告げた。
『ごくろうさま。のんびり帰ってきてください。今日のミッションはそれでおしまいです』
「ロジャー、センセ。通信を終わります」
× × ×
どこかで瓦礫の崩れる音がした。小さな音だから、破片でも転がったのだろう。
そんなことを思いながら、脩太はゆっくりと目を開けた。
どうやら、暴走機関車が積み上げた瓦礫の中で気を失っていたらしい。遠くから救急車のサイレンが聞こえるということは、あれからまだ少ししか経っていないのだろう。
ふと見ると、目の前に黒い人影があった。全身黒ずくめのセーラー服少女だ。感情は読めないが、その赤い瞳は深く澄みきっていて、なぜだか人間より人間らしい。
「きみは……空志戸レミーっていうんだろ?」
そう呼んだとき、彼女にささやかな生気が灯った気がした。
「僕は、弾博士の曽孫で、脩太……そしてきみは、ひいお祖父さんが作った――」
そう、サイメタルの礎となった天人計画の遺産。
「バイオニックだ」
レミーがどんな返事をしたのか、どんな表情をしたのか、脩太にはそのときの記憶がない。
砂ぼこりが風に舞い、視界が乳白色にさえぎられる中で、彼はもう一度気を失っていた。