第06話 二人なら
肌を刺すような極寒。頬を濡らす熱いもの……だけど、涙じゃない。
ここはどこだ? なぜ自分はここにいる?
そうだ。サイメタルと戦っていた。かつて弾三十八という人間だったモノと戦っていた。
それは曽祖父――そして倒すべき敵――。
「ハッ――!!」
ここにきて脩太は、ようやく正気を取り戻した。
『そうだ!! レミー!? レミーはどうなった!?』
慌てて飛び起きようとした脩太の顔を、熱くて柔らかいものが押し潰していた。博士に投げ飛ばされた時、脩太の上にレミーが覆い被さってしまったのだ。脩太は目の前にあるのがレミーの胸で、その心臓からどくどくと血液が漏れ出しているのを認識した。顔を覆う熱い液体はレミーの血だったのだ。
脩太はレミーの身体の下から抜け出すと、彼女の上体を抱き起こした。
「レミー!! しっかり!!」
周囲の血だまりはバケツをひっくり返したような量で、人間だったらとうに死んでいただろう。レミーが生きているのは、バイオニックが持つ驚異的な治癒能力があればこそだ。現にこうしている今も、徐々に血液の流出は治まってきている。
とは言うものの、レミーが受けたダメージは計り知れない。左腕のビームペネトレーターも光粒子に分解されつつある。
レミーはおぼろげな視線で脩太を見つめると、「……弾博士は?」とつぶやいた。
そうだ。脩太とレミーは、博士との戦いの真っ只中だった。二人は博士に突撃して、そして返り討ち同然に投げ飛ばされた――記憶が混乱しているが、確かそうだったように思う。
しかし、そうだとするなら、脩太たちがとどめを刺されていないのはなぜだろう? プール棟という閉鎖空間に取り込まれていながら、こうして生き延びられているのはなぜだろう?
脩太はあたりを見回して、状況の把握に努めた。
ところが、どうにも違和感がある。脩太の記憶の中では、プールはここまで破壊されていなかったように思うのだ。特に、凍っているプールの水――その氷面は、鏡のように滑らかだったはずである。それがどうだ、まるでたくさんの角砂糖を放り投げたかのように、全体が砕け散り、大小様々な立方体となって、そこら中に散乱しているではないか。
博士を相手に、ここまでの激しい戦いをしたとなると――。
『まさか佐菜子さんが――!?』
脩太は、棟内に佐菜子の姿を求めた。そして対岸のプールサイド、大きなキューブの陰にその姿を確認する。うつ伏せにぐったりと倒れているのでダメージの大きさを推し量ることは出来ないが、佐菜子も博士に投げ飛ばされていたのは間違いない。おそらく軽傷では済まないはずだ。
脩太はレミーを一時横たえて、佐菜子の救出に向かおうと駆け出した――だがしかし、足腰が立たないことに今さら驚く。
「痛ァッ!!」
脩太は、右の足首を骨折していた。何しろ全身が痛むものだから、今まで気付かなかったのだ。思い切り右足で踏ん張ったせいで、痛みも一〇倍増しである。
脩太が激痛にもんどりうっていると、すぐそばの氷のキューブがゴゴゴ……と動いた。一辺が一メートルほどのキューブだから、それだけで重さは一トンにもなるというのに。
「目ぇ覚ますのが遅いし、起きたら起きたでギャーギャーうるさいよ、弾脩太――」
そこから現れたのは、全身血まみれになった能満別彩子だった。特に頭からの出血がひどいようで、史上あまり類を見ない独創的な髪型になっている。
それにしても、なぜ彼女がここにいる? もしかすると、いや、もしかしなくても、プール棟をここまでの惨状にしたのは彼女なのか?
「この状況って、あんたが――」と言いかけた脩太の言葉に、彩子が台詞を被せる。
「私はもう疲れた。もーぅ戦えない。あとはバイオニックG7に任せたから……な――」
こちらの疑問には何も答えてくれないまま、能満別彩子は前のめりになって気を失った。
しかし、だいたいの状況はすぐにわかった。倒れた能満別彩子の向こう側から、大脳をまるごと無くした博士が姿を現したからである。
大脳を失い、小脳と脳幹だけで動いている博士は、より凶暴性を増していた。うなり声も獰猛になり、その眼はまっすぐに脩太とレミーを見据えていることがわかる。
――詰んだ。この状況は、どう考えても詰んでいる。
レミーは機能不全ギリギリ。佐菜子は容体不明。そして脩太自身は、足首骨折の徒手空拳。
次の一手で終わる未来しか想像出来ない。
それでも何か打開策はあるはずだ……いやこの際、打開策だなんて贅沢は言うまい。せめて一矢報いるだけでもいい。このまま白旗を揚げるような結末にはしたくない。
『一矢報いる――?』
何か重要なことをひらめいた気がする。
それは、横たわったままのレミーも同じだったようだ。
二人は熱血の視線で見つめ合うと、
「レミー、力を貸して!」
「脩太、力を貸して!」
……と、同時に叫んだ。
一人一人の力では、博士に対する攻撃力はゼロかも知れない。まるで勝ち目のない戦いのようにも思えるが、脩太たちはあくまで三人組なのだ。残念ながら場所が離れている佐菜子には涙を飲んでもらうしかないが、それでもまだ脩太とレミーだけならコンビネーションを取ることが出来る。先ほどまでの戦闘で、自分に足りないものがわかるからこそ出来る芸当だ。
脩太は、攻撃力不足――武器を持っていないという非力。
レミーは、照準の精度不足――命中させたくないという逃避。
そう、つまりそれらを克服するには、「脩太がレミーのビームペネトレーターを撃てばいい」のだ。
脩太はレミーに這い寄ると、彼女の上体を起こして背負うような体勢をとった。そのまま左腕のビームペネトレーターを肩に担ぐ。まるでロボットアニメのパワーアップ装備だ。
対するレミーは脩太の背中に身体を預けっぱなしで息も絶え絶えだが、何とか最後の気力でビームペネトレーターの稼働を維持している。
脩太は、徐々に近付いてくる博士――その頭部の脳幹に照準を合わせた。
「脩太、ビームペネトレーターをラピッドモードに切り替えた。いつでも撃てる」
「よし……!」
ターゲットスコープがあるわけではない。だから精密射撃というわけでもない。
しかし、この距離なら――ほんの五メートル先から無数の弩弓針を撃ち込めば、きっと脳幹を粉砕することは出来るはずだ。
「脩太……本当にいいのね?」
「きみこそ、大丈夫なんだね?」
「これが私たちの進む道」
「よし――いくよ!」
「オーケイ」
「発射!!」
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドォォォッ!!
レミーのビームペネトレーターが、脩太の肩から弩弓針を連射した!
弩弓針は、博士の眼を鼻を口を、そして脳幹を次々と刺し貫いていった。
『ヌァアアアアアアーーーーーーーーーーッ』
その博士の咆吼は、天をも揺さぶった。それははるか数十キロメートルの彼方、拒絶の地平面まで轟いたという。