第04話 死臭の檻
レミーと戦っている間にも、博士は着々と両足――いや、巨大な根をプール棟全体に張り巡らせていた。床に、壁に、天井に。まるで虫かごのような構造が出来あがっていて、脩太たちはその内側に取り込まれている。
博士のサイメタル能力は、『食肉植物』だった。その類い希なる頭脳は、既製の道具ではなく、生物をイマジネーションしたのだ。
「どうしよ! これじゃ脱出出来ない!」
佐菜子が、窓枠にも伸びた根をライフルで撃つ。撃たれた根は弾け飛んだが、その直後に周辺から再び成長し、より強固に窓枠を塞いだ。佐菜子は「そういう仕様!?」と天を仰ぐ。
脩太は、佐菜子から託された小型拳銃SMデリンジャーを見つめていた。
この銃はあくまで護身用に渡されたものだ。斬った張ったのガチバトルで使うようなものじゃない。それでも、今回の戦いで使えるシーンを想像してみると――。
「相手の身体に直接取り付いて頭部まで上り、この拳銃を脳に押し当てて撃つ――か」
駄目だ。とてもじゃないが成功する気配すら感じられない。
それに、脩太自身にも問題があった。はたして自分に「曽祖父の脳を撃つ」などという行為が出来るのだろうか? レミーでさえ、土壇場でためらったというのに。
「もしかすると僕とレミーは、この任務に最もふさわしくないメンバーかも知れない」
確かにそうなのである。二人にとっては心理的なハードルが高すぎる。しかし、この戦いの本質は、あくまで「身内の不始末は身内で正せ」であって、レミーや脩太の適性など、実は端から問われていない。
ただ、やるしかない。そういう戦いなのだ。
両脚に液状化現象というダメージを受けていたレミーは、ようやく戦線に復帰しつつあった。ダメージ箇所のセルビット全てに結合情報を再送信し、その配列を刷新したのだ。まだ完全な強度は取り戻せていないが、今はこれ以上を望む余裕はない。
レミーはよろめきながらも立ち上がると、再びビームペネトレーターを博士に向ける。
今度こそ、ためらってはいけない――。
「博士を殺す…………博士を殺す…………博士を殺す…………」
呪いのように呟きながら、レミーはその照準を博士の頭部に合わせる。全くの無防備でふらふらと博士の前に姿をさらしたのは迂闊が過ぎるが、代償として絶好の狙撃チャンスを得ていた。それを援護するために、レミーの左後方にいた佐菜子が飛び出してライフルを発砲する。
ドン! ドン!
撃った二発ともが、博士の銀色の顔面に命中した。一瞬、博士は着弾にひるんだが、その直後に怒りの形相で前進を始めた。やはり通常の弾丸では明確なダメージを与えることは出来なかった。
佐菜子はレミーを振り返って叫ぶ。
「撃って! レミー!」
その背後から、博士の両腕がものすごい速さで佐菜子に迫る。その鞭のような動きになぎ払われた佐菜子は、プールサイドのコンクリート壁に頭から激しく叩き付けられた。
「アッ」
短い悲鳴と共に、ゴッ! と嫌な音がして、そのまま佐菜子は動かなくなる。
死んではいない――まだ死んではいないが、倒れた佐菜子の頭のまわりには、血だまりが大きく広がって、だがそれもすぐに凍り付いてしまった。
その鮮やかな血の色を見た瞬間、レミーは衝動的にビームペネトレーターを撃っていた。それは友を傷付けられたという怒りにまかせたもので、確実に博士の頭部を狙っていたはずだった。
しかし、何ということだろう……無意識下のレミーがそれを拒絶し、どうしても照準をそらしてしまう。ビームペネトレーターの弩弓針は、博士には当たらず、その背後の壁に三本とも突き刺さった。
『オオォォォォォォーーーーーーーーーーゥッ』
レミーの怒りに反応したのか、博士は大きなうなり声をあげて彼女に肉迫すると、右手の鋭い爪でその胸を一突きにした。それは見事にレミーの心臓を射抜いている。まさしくあっという間の出来事で、レミーはそれに反応することすら出来なかった。
身体の前後から激しく流血するレミー。まるで壊れた水道管のように血液が漏れ出している。
血液の急激な損失は、バイオニックにとって最も重篤なダメージの一つである。全身から満遍なくセルビットが欠落してしまうため、システム全体が機能不全に陥るからだ。
博士は、右手に串刺したレミーの身体を高く掲げると、まるで獲物を誇るがごとく天に向かって吠えた。
『オオッ、オオッ。オォォーーーーーーーゥッ』
その隙をついて一気に走り来る三人目の姿があった――脩太である!
「うおおおおおおおおおおおおおぉぉっ!!」
脩太は、博士の背中に取り付くと、フリークライミングよろしく一気に肩まで駆け上った。そしてSMデリンジャーの銃口を、博士の露出している脳に押しつけて、思いっ切り引き金を引く。迷いは一切なかった。むしろ急いていたぐらいだ。
ダァンッ! ダァンッ!
発射したマグナム弾は二発とも命中した。
だがそれでも! そこまでしても! 博士にダメージを与えることは出来なかった。
何と、弾丸が脳の表面で止まってしまったのだ。柔らかな脳細胞が自ら変形することで弾丸の運動エネルギーを相殺し、脳全体が緩衝材のような役割を果たしたらしい。弾丸の初速が遅く、運動エネルギーが小さいSMデリンジャーでは、これに対抗する手立てはない。
「くそぉっ!」
脩太の叫びをあざ笑うかのように、博士は右腕に串刺したままのレミーと脩太を丸ごと投げ飛ばした。氷の上を何度も激しくバウンドして、顔や手に無数の擦過傷を負いながら、ようやくプールサイドの側壁に激突して二人は止まった。
脩太は、薄れゆく意識の中で、流れ出るレミーの血液が火傷をしそうなほど熱いことに驚いていた。今はそんなことに気持ちを割いている場合じゃないのに。
「……ちく……しょ…………」
こうして、脩太たち三人全員が意識を失った――。