第08話 屋内プールの攻防②
ピキーーーーン!
何か硬質なものにヒビが入るような音。
脩太にも粘土寺にも聞き覚えのある、あの音だ。
粘土寺の足もとの空間に亀裂が広がり、一つの光球が現れた。それは一瞬で人間ほどの大きさに成長すると、激しいガラス音を響かせて砕け散る。
全てが前回の戦いの再現だ。光の中から現れたのは、下着姿のレミーが繰り出す渾身のアッパーカット。放たれた拳が粘土寺のアゴにクリーンヒットする。
「ぐおっ!!」
粘土寺は瞬時にアッパーカットの軌道を予測していたが、実際には避けなかった。
彼の最大の欠点がこれだ。なまじ肉体が屈強なせいで、即死の恐れがない攻撃に対してあまりにも無頓着すぎるのだ。このアッパーカットも、常人なら即KOだろう。しかし粘土寺にしてみれば、「多少、脳が揺れたかもな」程度のダメージに過ぎない。現に、粘土寺はすぐに平衡感覚を取り戻すと、ストレートの連打を繰り出してきた。下着姿のレミーは、そのパンチを手刀でかわしていく。
「へっ……なかなかいいカラダしてるじゃねえか。だが、そんなナイスバディで今のアッパーは重すぎるな――お前、体重何キロだ?」
「常識のない男だな」
レミーは粘土寺のパンチを淡々とさばいている。まるで舞踏会のようである。
「女性に体重を聞くのはセクハラってか?」
「いや、人に聞くときは、まず自分から教えろ」
「俺の体重なんて誰が知りたいんだよ! ま、てめえは、パンチから逆算して八〇キロってとこか? 見た目の倍近いな」
「さらに失礼な男だな。八五キロだ」
「八五キロ? だとしたら体重を活かせてねえぜ――まるで素人パンチだ。本気出せよ」
ここでレミーがスッと身体を沈めて足払いを仕掛ける、が、粘土寺はバンブーダンスばりにそれをかわした。屈強なだけではなく身軽さも備えている。これも強さの一端だ。
「だったらお前も本気を出せ。お前はまだ人間だろう?」
「んん? どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。お前は、サイメタルじゃなくて、人間なのだろう?」
「ワケわかんねーこと言ってんじゃねーよ!!」
戦闘中の考え事は全力で拒否する。粘土寺の脳筋ぶりは筋金入りだ。
「その考えのなさは、脳まで侵食されたのか?」
図らずも、レミーは粘土寺の脳筋を看破していた。意味の捉え方は全く違うが。
しかし、そんな脳筋の粘土寺でも、レミーの言わんとすることをわずかでも感じ取ったのだろう。次に発した言葉は、粘土寺の心の底からの叫びだったに違いない。
「だったら人間の拳の重さを食らえ! バイオニックG7!」
それはアッパーカットだった。全体重と全筋肉のパワーを幾重にも重ねた渾身の一撃だ。
レミーはそれをまともに受けて、大きく宙を舞った。
まるで、世界がスローモーションになったかのように、レミーのしなやかな四肢がおどり、無音の空間をゆっくりと落ちていく。そして再びプールの中へ。
水しぶきのあと、一瞬遅れて音がプール棟全体に響いた。
水面に波紋が広がり――やがて、おだやかな沈黙が訪れる。
「浮いてこない……」
当然のことである。レミーの体重は八五キログラムなのだ。その体格から推定される体重の七割増し。比重ではマグネシウムと同等であり、もちろん水よりも重い。
ただし、誤解を解いておくと、身体を構成するセルビットそのものが重いわけではない。セルビットの比重はむしろ人体よりも軽く、本来なら、レミー自身の質量は四〇キログラムにも満たない。
だのになぜ八五キログラムという体重になるのか?
それは、セルビットが高次元エネルギーを展開する際に、どうしても五次元以上からの重力子を漏出してしまうことが原因だ。漏れ出た重力子は、レミーの重さとして観測されてしまう。
つまりレミーは、生きている限り、重い。
ゆえに、浮いてこないということは、生きている。
戦いはまだ終わっていないのだ。
脩太は、学ランの内ポケットから新たなカセットテープを取り出すと、ノートPCの拡張スロットにセットした。
『タイプⅣカセットテープ検知』と電子音声が響く。
脩太は、この武装で一気に決着をつけたいと考えている。
これは賭けだ。水中に没したままのレミーが気付いてくれるかどうかの。
バイオニックシステムが人の心を模しているのなら、気付いてくれると信じたい。
「くそがっ!!」
突然! 粘土寺がそう叫びながら横っ飛びした。と同時に、プールの水面で水蒸気爆発が起こり、中から三本の弩弓針が飛び出す。レミーが水中からビームペネトレーターを放ったのだ。
『カゼオトメ』の画面を確認する脩太。レミーの意識レベルは一〇〇%を超えていて、彼女の頭脳がオーバークロック状態であることがうかがえる。
やがて立ち込める蒸気が晴れると、脩太もレミーの姿を確認することが出来た。
水より重いレミーは、プールの底を歩きながら粘土寺に攻撃を加えている。しかも、水底にあったセーラー服を再び着込んでいるではないか。何という早着替えだろう。
「余裕かよ! 味なマネをやるじゃねえか――ヘッド・バンギング!!」
そう言って粘土寺がオレンジ色のギターピックを頭上に掲げたとき、水面から再び弩弓針が飛び出した。しかもそれは粘土寺本人ではなく、ギターピックを狙っている。
「うおッ!!」
あっけないものだった。オレンジ色のギターピックは、弩弓針の直撃こそ喰らわなかったが、その衝撃波を受けて真っ二つに割れてしまったのだ。
「てめえなぁ! ふざけろよ!」
粘土寺はとっさにブルーのギターピックに持ち替える。
「ストーム・ザ・スネイク!!」
一〇〇〇匹の青い光条が一斉にプールを襲った。
しかし、レミーが防御するまでもなく、ストーム・ザ・スネイクは水中に没すると同時に霧散した。ストーム・ザ・スネイクは、大気という媒介がないと存在することが出来ないのだ。それは粘土寺もわかっていたことであり、思わず発動してしまったのは単純なミステイク――ボーンヘッドである。
なぜ、ここで再びサイメタルに頼った?
なぜ、レミーにダメージを与えた己の拳を信じなかった?
その隙をレミーが見逃すはずもなかった。
レミーは、ビームペネトレーターを自分の足もとに放ち、その水蒸気爆発の大波に乗って空中に姿を現す。その姿はまるで昇り龍のようだ。
そしてレミーは、続けざまにこう叫んだ。
「シークレット・バイオレット!」
すみれ色の光粒子が、天使の羽根のようにレミーの背後に舞うと、やがてそれらは四つの武装ユニットとして完成した。両肩と両腰に位置するそれは、まるで大きなつぼみにも似たビーム砲だった。
つぼみに光が宿り、それが花開く。
「四蓮蕾撃砲!!」
つぼみ型のビーム砲からエネルギーが放たれ、粘土寺剣の全身を焼いていく――いや、そうではない――彼の全身に散らばっているサイメタル粒子を焼き尽くした。
「くそぉぉぉっ! バイオニックゥゥ!」
粘土寺は怨嗟の雄叫びを上げた。それは地獄の底から沸き上がるような禍々しいものだった。だが、その声を発したのは本当に粘土寺自身だったのだろうか? なぜなら、ビームに焼かれながら、粘土寺は全てから解放されるような心地よさを感じていたのだから。
クワトロブルーマーの高次元エネルギーは、粘土寺もろともプールサイドを焼いた。やがてそれは配水管にも達し、大規模な水蒸気爆発を巻き起こした。プールサイドに穿たれた大穴は、どこまでも深く続いている。崩れ落ちるプールサイドと共に、粘土寺の身体はその奈落の底へと導かれていった。
レミーは粘土寺剣の生死を確かめるようなことはしなかった。もし生き延びているなら、また違った生き様を送ればいいと思う。サイメタルに翻弄されない人生なんていくらでもあるのだから。