第07話 屋内プールの攻防①
一瞬ののち、バシャーン! と水面を打ち付ける音が響く。
脩太は『レミーが溺れる!』と焦って駆けだしたものの、すぐにあることを思い出してその歩を緩めた。
かつてレミー自身も言っていたではないか――「なぜなら私は、エネルギーを得るために酸素を必要としていないのだから」と。レミーには、水に溺れるという概念がないのだ。
それにさっき、彼女は自己修復しているようなことを言っていた。
ということは、プールに到着するのは、むしろ遅いほうがいいのではないか?
今やるべきなのは、粘土寺剣をここに足止めすることではないのか?
「これから、どうするつもりですか?」
「あん? どーゆー意味だよ?」
「あなたが勝ったら、レミーを生徒会の備品にするというのはわかりました。でも、勝つためにレミーを破壊したら、意味がないんじゃないですか? 彼女の開発者はもうこの世の人ではないし、致命的なダメージは修理出来ないかも知れない」
「それがどうした? 俺は別に構わねえよ」
「どうして!?」
「言っただろう、生徒会の備品にするってな。誰がバイオニックを運用するなんて言ったよ? むしろ逆だろ? 封じ込めて危機を未然に防ぐのが生徒会の役割だ」
「じゃあ――」
「あそこまで追い詰めたんだ。一気にバラしてやるぜえ……あ、おい! 弾脩太! 走んな!」
粘土寺の言葉を途中で打ち切って、脩太は屋内プール棟へ全力疾走していた。
やっぱり先に行かないとまずい! どこかにレミーを避難させないと!
そんな一連のやり取りを見ていた彼女はビルの屋上で叫んだ。
「ちょっ! 校舎に入ったらダメだって! 狙撃出来ないって!」
突然の展開に、佐菜子は慌てふためく。
何のために校庭で戦うことにしたのか。
レミーのピンチを前にして、脩太は完全に作戦を忘れてしまったようだ。
一刻の猶予もない。佐菜子は、ライフル一丁で移動を開始する。他の装備を残していくのは気がかりだが、脩太とレミーの現況がわかる場所にいなければ何の意味もないのだ。
非常階段を三段飛ばしで下りていくと、あろうことか、途中の踊り場に形代学園の生徒が佇んでいた。
『まずい、見られてた――?』
と息を飲んだのも束の間、佐菜子はさらに息を飲むことになる。
「矢倉先輩……!」
そう――そこにいたのは生徒会の軍師、矢倉イビシャその人であった。
彼は、堂々と周囲に姿をさらして、レミーと粘土寺の戦いを観戦していたのだ。そのあまりの無防備さ、殺気の無さに、数階上の屋上で構えていた佐菜子も全く気が付かなかった。
「やあ、きみは二年B組の千歳さんだね。腕利きのスナイパーらしいじゃないか。そんなきみと同じビルを選んだということは、このロケーションで間違いはなかったということかな?」
何とまあ白々しい。
おそらく彼は、佐菜子がここに来る以前から陣取っていたに違いない。そして佐菜子が狙撃準備に取りかかる一連の作業もひそかに観察していたのだろう。
食えない男だ――佐菜子はその警戒心を、あえて表情に出した。
「いえ、このビルを選んだのは間違いでした。最初から校庭に同行すべきだった。私も、矢倉先輩あなたも」
「うむ、それに関しては全く同感だね。粘土寺だけでなく、弾脩太君まで熱い男だとは思わなかった。熱血のかけ算ほど読めないものはない」
「レミーーーーーッ!!」
屋内プール棟に入るや、脩太は全力で叫んだ。
案の定、返事が来ることはない。『カゼオトメ』のステータス画面を見ても、レミーの意識レベルは計測不可能で、その状況を推し量ることは出来なかった。
脩太は、五〇メートルプールの周囲をまわりながら、レミーの姿を水底に求める。
「レミーーーーーッ!!」
「ぜぇぜぇ……急に走ってんじゃねえよ! 弾脩太!」
まだ四分の一周も捜索していないのに、早くも粘土寺剣が追い付いてきた。
そしてなぜだか、二人で宝探し競争をする流れになっている。もっとも、こんな状況では、どちらが先に見つけても大勢に変わりはないだろう。その瞬間から、レミーと粘土寺のバトルが再開されるだけのことだ。
捜索も半周になろうとしたあたりで、脩太は、プールのある異変に気付いた。二番コースの飛び込み台が壊れているのだ。より正確に言えば、一部が砕けている。これは、レミーが落下中に激突した跡ではないだろうか?
天井の割れたガラスを見ると、位置関係的にどうやら正解らしい――ということは、その落下ルートの延長線上にレミーは沈んでいるはずだ。
脩太はそれらしきところに目をこらした。すると、最初は水だけだと思っていたところに、透明なセーラー服のシルエットが浮かび上がってくるではないか。
レミーはいる! どういう容体かはわからないが、省エネモードであそこに沈んでいる!
粘土寺に気付かれる前に、何とかしてレミーと意思の疎通をはからねば。
脩太は横目でこっそりと粘土寺の様子をうかがった。
「――って、何それ!?」
それを見た脩太が、思わず口走ってしまったのも無理はない。粘土寺が、いつのまにか仰々しいサングラスをかけていたのである。しかもその用途はおおよその見当がつく。省エネモードのレミーを見ることが出来る偏光サングラスだ! ――脩太はそう確信した。
さらに粘土寺は、オレンジ色のギターピックで、クレイジーセッション/#2ヘッド・バンギングを発動しようとしている。もう一度、あの超重量級の大杭を使って、レミーを圧壊させるつもりなのだ。それはだめだ。絶対にやらせてはいけない。
そのとき、ノートPCの画面に「走って!」という短いメッセージが表示された。誰からのメッセージかなんて考える必要もなかった。今このタイミングでアクセスしてくるのは、レミー以外にありえない。
走って何をするのかなんて考える暇さえなかったし、考えても仕方なかった。脩太に出来ることは、このまま粘土寺に向かって駆け出して、効かないパンチの一発でもお見舞いしてやることだけだ!
「うおおおおおおおおおおおおおぉぉっ!!!」
プールサイドを激走する脩太。その哀れなほどの必死さに、さすがの粘土寺も一瞬だけ視線を向けた。そう、一瞬だけ、プールの底のレミーから視線を外したのだ。
だがそれだけだった。脩太が物理的に殴る蹴るを仕掛けようと、粘土寺の屈強な肉体にとっては、蚊に刺されたダメージにも満たない。そんな攻撃にあらたまって構える粘土寺ではないし、そもそも攻撃とすら思っていなかった。
そんなことよりも、この水底に横たわるセーラー服を潰すことのほうが興味深い。
粘土寺がギターを激しく爪弾いた。
ギャィーーーーン!!
ボゴォォォォォッ!!
ヘッド・バンギングが発動し、見えない大杭が激しい水泡をまといながらプールの底へと激突する。セーラー服は、その厚みも定かではなくなるほど一瞬にして潰された。そう、セーラー服だけは――。