第02話 山千家の名代
久しぶりの登校だった。
二年B組の学級委員長、山千家茶子は、校門前で感慨深げに深呼吸していた。毎度のこととはいえ、実家での責務には押し潰されそうになる。
この七日間、茶子は、三ヶ月ごとに催される『茶会』に出席していた。『茶会』といっても「結構なお点前で……カコーン!(鹿威し)」などと麗しく雅な言葉で綴られるアレではない。『千家筋』と呼ばれる、山千家家をはじめとした一族の方針会議に出席していたのだ。
茶会には、各家々の代表者が集い、今後の千家筋の方針を煮詰めていく。ここしばらくの議題はいつも決まって「二號教育委員会に対するスクールメーカーのありかた」が取り上げられ、侃々諤々の議論が尽くされてきた。
茶子は病で床に伏した父の代わりに名代として出席しているのだが、早くも各家々から一目おかれる存在となり、時には議論の場を仕切ることすらあった。青二才の小娘風情となじられた二年前を思えば、これは華やかなる躍進と言っていいだろう。
『もっと周囲に認められて、私がスクールメーカーの行く末を導かねば――』
決意を新たにした茶子は、拳を握って唇を引き締める。背中に炎でも纏いたい気分だ。
そんな彼女のすぐ脇を、登校中のクラスメイトたちが次々にすり抜けていった。
「おはよう、山千家」
「久しぶり~、イエティー」
「あ~っ、イエティー、お茶会済んだの~?」
「うん! 今日からまたヨロシクー!」
辛くても寂しくてもみんなには笑顔を絶やさない。それが山千家茶子のジャスティス。
『さて……私も教室に行かなきゃ。復帰初日で遅刻なんてありえないし』
茶子も生徒たちの流れに乗って校門をくぐった。校舎に入り、下駄箱で上履きに履き替えると、すぐ脇の階段を三階まで上る。この道のりで茶子は、三十四人の友人たちと朝の挨拶を交わした。
そしてその笑顔のまま、朗らかな気持ちで二年B組の教室前に到着する。
今日からまた級友たちとの学園生活が始まる。
茶子は、静かに入り口の引き戸を開けた。
× × ×
『二號教育委員会』と『スクールメーカー』がその戦端を開いたことは、形代学園の生徒たちの知るところとなっていた。しかしこの日、生徒たちが口々に噂していたのはそれではなく、ついに新しいステージに進んだ学園の怪談『黒いセーラー服少女/シーズン2』についてだった。
今回のネタ元は、はっきりしている。
吉田君だ。
吉田君はついに『黒いセーラー服少女』と意思の疎通をはかることに成功したという。
吉田君は語る。饒舌に語る。話し好きなBARのママである母親のDNAは、彼にしっかりと受け継がれているのだ。
「そのときのことさ――こわいなー、こわいなー、やだなー、やだなー……だけど、僕は勇気を出して訊いてみたんだ……「あなたは、黒いセーラー服少女さんですか?」って……そしたら……ごくり」
『そしたら? ――ごくり』
「はい……で、何か?」
『質問返しキターー!!』
『うおーーッ!! 鳥肌!! 鳥肌!! 見て見て!!』
『まさか2期が来るなんて思ってもみなかったよぉ!!』
大盛況である。
揚々と語る吉田君だったが、教室の入り口に立つ山千家茶子の姿を認めた途端、突如、挙動不審者へと変貌した。
「あ……や、やぁ、イエティーおはよう……ち、違うんだ」
吉田君がキョドってしまったのにはいくつかの理由がある。
【1】山千家茶子のことが好きである。
【2】山千家茶子はオカルト話が大嫌いである。くだらなすぎて。
【3】山千家茶子のために創ったオリジナル・ラブソングが不評だった。
【4】山千家茶子が――。
――吉田君の魂の尊厳のために、このあたりでやめておこう。
茶子は、目が泳ぎまくっている吉田君をまっすぐに見つめ、ツカツカと近寄った。その足取りは、子供のいたずらを見つけた母親のそれである。
視界の端に茶子を捉えていた吉田君だが、目を泳がせているだけでは逃げ切れぬと悟ったのか、今度は身体全体を使って謎の暗黒舞踏を始めた。すでに吉田君の中では、問題と対策が全く噛み合っていない。
茶子は、吉田君の肩をぐいとつかんで言う。
「それ、いつもの黒いセーラー服の話でしょう? 何か新展開なの?」
「えっ……あ、いや……新展開っていうか……神回っていうか……」
「はァ? 神?」
「いや、実はね……僕、黒いセーラー服少女と話しをすることが出来たんだ……」
「ちょっとそれ詳しく聞かせて」
茶子の言葉に、教室全体がどよめいた。
イエティーが学園の怪談に関心を持つなんて、一体どんな風の吹き回しだ、と。
だがしかし、キョドっている吉田君が、理路整然を愛する茶子にうまく説明出来るとは到底思えない。
そんなとき、思わぬ方向から助け舟が入った。
「イエティー、あたし、一通りわかってるから、昼休みに教えてあげる」
「佐菜子が? ……何で?」
「これも副委員長のおしごと。頭領がいないときの務めですな」
「さすが佐菜子! 天下の副委員長! 助かる~!」
二人はじゃれあいながら近づき、冗談めかしたハグ合戦で盛り上がる。そんな陽気で呑気なノリを隠れ蓑にして、茶子が佐菜子に耳打ちした。
「それって、ここで話せる内容?」
「まー、無理かなー。みんなにはまだ早いと思うよ」
「どこがいい?」
「おすすめは旧校舎の屋上だね。生徒会がもっとも無関心な場所、という意味でも」
「OK、移動しよう」
「え? 授業はどうすんの?」
「私は『茶会』の後片付けで今日まで休みってことにする」
「ずる! じゃあ、あたしはどうすればいいのさ」
「スクールメーカーだって有給休暇くらいあるでしょ?」
「え!?」
「何?」
「知ってたの!? あたしがそうだって」
「当然でしょう? うちはスクールメーカーの筆頭スポンサーだよ。その名代の私が知らないわけないじゃない。まぁ、調べ上げたというよりは、茶会の話の流れでたまたま知ったんだけどね――佐菜子と大槻先生の正体に関しては」
「うわ、何かやりにくいなぁ……」
と、ここまで二人がハグハグしていたものだから、さすがに周りも囃し立て始めた。
『俺、初めて見たよ、タチとネコっていうの』
『いや、まだ何も始まってないだろ。どっちがどっちだよ』
『待て待て待てい。あの二人なら「百合」と形容すべきかと。御仁たちよ、そうは思わぬか?』
何やらDTたちが騒がしい。
言われてようやく、抱き合っていたことを自覚する二人。そっと離れる。
貴重な男子の妄想に水を差す気はないが、二人が話したいのは極めて真剣な内容なので、やはり場所を変えざるを得まい。
茶子と佐菜子は、「二人、欠席にしておいて」とハモりながら教室から駆け出していった。
学級委員長と副委員長がそろって授業サボりの逃避行! これは事件なり! と、さすがにクラスメイトたちは色めき立ったが、そのことを授業にやってきた大槻先生に伝えると「あ、はい、二人は欠席ね」と普通にスルーされたので、クラスのみんなはモヨることとなった。