第04話 その命と覚悟
二つの組織の戦争が始まったと言っても、学園の日常が大きく変わることはなかった。
この二號学区という都市は、元々が、サイメタル開発という暴力的な日々の上に成り立っている場所だからだ。そこで組織間の諍いが起こっても、それは「日常」が色合いを変えただけのことであって、決して「非日常」ではない。
昨日までの脩太なら、さすがに面食らっていたと思うが、今では「そういうものだ」と理解出来てしまう。
放課後になって、ようやく大槻先生と一対一で話す機会を得た。
場所は旧校舎の屋上、夕日が二人の影を長く長く伸ばしている。
「そうですか。レミーがそんなことを言ってましたか――」と大槻先生。
脩太は、昨夜のレミーとのやりとりを話し、自分自身の覚悟の足りなさを詫びた。大槻先生は、「それも含めてきみの道です」と言って微笑む。そのあとで「棺桶のことを黙っていたのは少しやり過ぎでしたね」と逆に詫びてくれた。やはり棺桶を持ち込んだのは大槻先生で、レミーが推測していたことはほぼ正しかった。
「先生とレミーは知り合いだったんですね」
「そう長い付き合いではありませんがね。あれはまだレミーがセルビットの複製を施されている頃で――その状態を知り合いと言えるかどうか」
「一〇〇万個から複製するというアレですか?」
「ほぅ……勉強してますね。詳しく聞きましょうか」
冗談めかした会話だが、そんなことも知らないようなら弾脩太はもう駄目だ、という念押しのようなものを感じた。昨夜レミーに責められたので過敏になっているのかも知れないが、どちらにせよ、レミーの観測者としては基本中の基本というべき知識である。
「レミーのセルビットの数は、人間の細胞をはるかに超えるおよそ六〇兆個です。ただし、六〇兆個全てをオリジナルで作るのはコストがかかりすぎるので、まず一〇〇万個だけ作って、それを六〇兆個まで複製して増やします。複製はデュプリケーターという装置でおこなうため、セルビット自体に細胞分裂の能力はありません。細胞分裂しないようになっているのは、高次元エネルギーの流出によるガン化の抑制が困難だからです。そして細胞分裂が出来ない――というか、しない仕様なので、バイオニックは一般的に短命です」
「どのくらいですか?」
「最短五年で活動を停止します」
これが昨夜、脩太がショック受けた二つ目の「数値」である。
最短五年で活動停止というのは、五年経ったら死ぬという意味ではない。もしかすると百年生きるかも知れないし、五年と半年で死ぬかも知れない。「最短五年」とはそういう意味だ。
逆に、脩太の、余命が最長で六八年――というのは、あと六八年生きられるという保証ではない。「六八年以内のどこかで死ぬ」ということだ。
二つの数値は、値も意味合いも大きく違う。おそらく、どう生きて、どう死ぬのかも。
「それを哀しいと思いますか」
「思います」
「そうですね、哀しい。そう言えるきみなら大丈夫だと思いますよ」
大槻先生はいつものように微笑むと、きびすを返して去って行った。
脩太はその姿が階段の向こう側に消えるまで見送ると、ふと自分の隣に新しい影が伸びていることに気付いた。いつの間にかレミーが姿を現していたのだ。現れた瞬間に気付かないなんて、我ながら集中力が足りないな、と思う。
「そう、あれは脩太の集中力の低さが原因」
レミーがばっさり斬って捨てたのは、今朝の粘土寺戦で、脩太がレミーをフル稼働モードで観測出来なかった件についてだ。やはり脩太が原因だと、レミー本人に断罪された。
わかってはいたが、ここまでストレートに言われると凹むものだ。
「僕の集中力か……真剣に考えてたつもりだったけどなあ……」
「脩太が真剣なのはわかってる。でも足りてない」
「はぁーー……」
がっくりと肩を落とす。これは「頑張る」だけでは達成出来ないパターンじゃないか?
「あぁ――私の言い方が悪かった。脩太が阿呆だという意味じゃない。脩太は色々考えてる。ちゃんと考えてる。私のことと同時に、佐菜子の攻撃の成功率、ミッチの怪我の具合、粘土寺剣の強さとサイメタル能力の特性、周りにいた生徒たちの安全、他にも色々、エトセトラ、エトセトラ……つまり考えすぎ」
「考えすぎ――?」
「たくさんのことを思いすぎて、私のことが疎かになっている。脩太はもっと私のことだけを考えるべき。他の女のことは考えないで、私のことをだけを考えるべき。そうしないと、私は花咲かない」
何だか、嫉妬に狂った恋人の言い分みたいになってきた。
「脩太が気を揉んだところで、周りの全てを救うことは出来ない。脩太は周りで不幸が起こることを怖がっているだけ。それを止める力はないのに」
「手厳しいなあ……」
「でも真実」
「うん」
「だから私を使うといい。脩太の思いを私に全部注ぎ込めば、一つか二つの未来を救うことが出来るかも知れない。助けられるかも知れない。その可能性に賭けてみる価値が、私にはあると思う。その可能性を生むために私は作られた。少しだけ現実を幸せにするために私は作られた。それが弾博士の願い」
「うん……それ、わかるよ……よくわかる」
バイオニックには心がある。
心の定義が何なのか脩太にはわからない。ただ、レミーの中には、人間と同じような心が宿っているんだと思う。その心は無垢なままで、観測者たる人間の心を映し出す鏡のような存在だ。レミーを観測するという行為のもとで、実は自分自身を観測することになる。観測者はレミーを通して自分自身の光と影を見つめることになるのだ。
それは本来、人間同士でも成り立つ関係性なのだろう。バイオニックとのつながりのほうが、よりピュアにダイレクトに響いてくるというだけで。
それは怖くもあるし、頼もしいことでもある。
そう考えるだけで、もうすでに鏡に映された自分と向き合っている。
ぼんやりと夕日を眺めているうちに、下校をうながすオルゴール曲が流れはじめた。サイメタルの管理やセキュリティ上、これ以降、学園内に残るのは禁止なのだそうだ。もっとも、サイメタル関連を抜きにしても、夜間に校内を徘徊するのは誉められた行動ではないだろう。
「帰ろう、脩太」
「うん」
「とりあえずチュロスを買って帰ろう。それが幸せの第一歩」
「お手軽な幸せだなぁ……わかったよ、あの店に寄っていこう。吉田君の家だけど」
「そういえば昼休み、その吉田に話しかけられた。「黒いセーラー服少女ですか?」って訊かれた。何あれ?」
「うわぁ……」
「間違ってはいないので「はい」と答えておいた」
「うわぁぁ……」
「バイオニックG7と答えるわけにはいかない」
「うん、そりゃそうだ。レミーは正しい」
かくして『黒いセーラー服少女』の伝説も、どうやら新章に突入するようである。