第01話 朝の戦端
登校二日目の水曜日は、脩太にとって特別なものとなった。
転入生なら誰しも不安に思うのが「新生活との融和」や「新しいクラスでの立ち位置」だろう。しかし、そんな悩みは今の脩太にとって些細なことであり、楽々とクリアすべきことであって、最大の関心事は「サイメタルとの有事にどう対応するか」にシフトしていた。まるで外交問題のような文言だが、人間が生きていく以上、スケールの違いはあっても、起きうる事象は似たようなものなのだろう。
昨夜から目的意識に満ち満ちている脩太は、足取りも軽やかに学園への並木道を歩いていた。気分が行動に及ぼす影響は計り知れない。多少テンパり気味ではあったが、はやる気持ちを抑えきれないくらいのほうがいいのだと、自分自身に言いきかせる。
そんな脩太に、後ろから駆け寄る女子生徒の姿があった。栗色のショートヘアが朝の木漏れ日に輝いている。
「や! おはよう脩太君! 昨日は楽しかったね」
いつも元気な千歳佐菜子であった。この朗らかさには本当に救われる。
脩太は、佐菜子に感謝の気持ちを添えながら挨拶を交わす。
「おはよう、佐菜子さん。それから昨日はありがとう。僕は色々ぼーっとし過ぎてた」
「ん? どしたの?」
お友達モードできょとんと目を丸くした佐菜子だったが、そこは気配りの出来る人である。すぐに真意をくみ取ると、いわゆるプロの目つきで「何か、男だねえ」と、脩太の肩を小突く。
「そ、そう……?」
「うん。イイ顔してるよ」
脩太にしてみれば、昨日の大きな出遅れをどうやって取り戻せばいいのかと、頭の中がパンク寸前だったのだが、誉められるとそれはそれで嬉しいものだ。脩太の心にも若干の余裕が生まれた。心の余裕は大切だ。それがないと身も心も縛り付けられてしまう。
「今日はレミーにも来てもらってるんだ」
「えっ!! ホント!? ――にしては姿が見えないけど……」
「省エネモードだからね」
「はぁ……?」
レミーがこの世に存在する「かたち」は三種類ある。
脩太は、これらをエネルギー消費量が大きい順に『フル稼働モード』『ノーマルモード』『省エネモード』と呼ぶことにした。
まず最初に『フル稼働モード』。これは、脩太が余命を削りながらレミーのことを観測している状態で、レミーは全ての能力と武装を使うことが出来る。レミーの武装は全部で二六種類あるが、現時点で開放されているのは、バレットライナー戦でも使ったビームペネトレーターのみである。残りの二五種類は、現時点では詳細不明であり、使用にはさらなる情報を必要とするらしい。
二つ目は『ノーマルモード』。これは脩太を介さず、レミーが自己イマジネーションの力のみで活動している状態である。エネルギー出力は『フル稼働モード』の一五%程度に制限される。また、同時に使用出来る武装は一種類のみで、別の装備に換装するには二時間のエネルギーチャージを必要とする――そもそも現時点では、ビームペネトレーターしか使えないが。
三つ目は『省エネモード』。これはレミーが自己イマジネーションすら停止した状態を指す。身体を構成するセルビット一つ一つの存在が「ゆらぐ」ため、人間が目視することは困難になる。そのため隠密行動に適しているが、放射線測定器などでその大まかな位置を把握することは可能である。レミーは今、この『省エネモード』を用いて、脩太の近くにおぼろげに存在している。
以上の三形態が、レミーがこの世に存在する「かたち」の全てだ。
なお、例外的に四つ目の状態として『棺桶に入っているとき』がある。
閉じた棺桶の中では時間が存在しないため、レミーの耐用年数が目減りすることはない。レミーが隙あらば棺桶で眠るのはこのためである。
脩太と佐菜子が校門にさしかかったところで、左手の新校舎のほうから、下っ腹に響く重いエンジン音が近づいてきた。爆音の主は、最近では珍しいサイドカー付きの大型バイクで、乗っているのは学ラン姿のいかつい男子生徒だった。ほおに一条の傷跡が印象的だ。
生徒会番長・粘土寺剣である。
モーゼの十戒のように登校中の生徒たちが左右に避けていくと、サイドカー付きバイクは、ゆっくりとしたスピードながらも一直線に、脩太と佐菜子の前へとやってきた。佐菜子の険しい表情から、脩太は、目の前の男が生徒会の一員、それもかなりの中核メンバーなのだろうと察する。
「よう。副会長の右腕を潰した弾脩太ってのはどっちだ」
粘土寺は、脩太と佐菜子を見比べながらニヤニヤと笑っている。
「僕に決まっているでしょう……」
「そうか、正直に名乗り出てくれて助かるぜえ」
僕たちを馬鹿にしているのか? ――と脩太は内心憤った。
ただし、脩太も嘘をついていると言えばついている。副会長・能満別彩子の右腕を骨折させたのはレミーだ。しかし脩太は、今ここでレミーの名前を出すのは得策じゃないような気がしていた。
「ところでよ。お前らの組織、やってくれるよなァ。まさかこのタイミングで宣戦布告を受けるとは予想してなかったぜ……」
「へ?」と脩太は間の抜けた声を出してしまう。
「F県の小規模バブリスでドンパチだとよ。お前らが仕掛けた電撃作戦だ。死者、ケガ人多数。大いなる犠牲をはらって、お前らスクールメーカーはバブリスの実効支配に成功とのことだ。二號教育委員会の「事務員」たちを完全制圧した上でな。やっぱムチャクチャだわ。前々から思ってたけどよ」
そのあざけりに対して厳しく表情を変えたのは佐菜子一人だった。このことで佐菜子もスクールメーカーの一員だと周囲に知れてしまったことだろう。生徒会がまだ気付いていなかったのであれば、痛恨の情報流出である。もっとも、この場を選んで粘土寺が現れたということは、佐菜子の素性も調べ上げられている公算が大きいが。
それにしても、スクールメーカー側から宣戦布告したとは、どういうことだろうか?
「んあ? 何だよ、お前らも知らなかったのか? ぎゃははははは! そりゃ傑作だぜ! お前らの捨て駒感、ハンパねーな!」
「そんな馬鹿な……」
呆然としている佐菜子。怒りの持って行き場を見失っているようだ。
彼女に事前の情報がもたらされていなかったのは間違いない。敵地である形代学園に危険を押して潜入している身としては、組織に裏切られた、背中から撃たれたという感覚に見舞われても無理はないだろう。
「馬鹿を見てるのはお前ら二人だけのようだがな。ま、そんなワケなんで、雑魚から順に狩らせてもらってるぜ……副会長の骨折の、報復だと思ってくれて構わねえ」
そう言いながら、粘土寺はサイドカーにかけてあったブルーシートをバッとはがした。
それを見るや、佐菜子が「ミッチ!!」と叫ぶ。
サイドカーには、全身に切り傷を帯び、下着姿もボロボロな女子生徒が、ぐったりとしたまま押し込められていた。死んではいないと思う。しかし、ただで済むような怪我ではないことも確かだ。
脩太も、その女子生徒の顔には見覚えがあった。昨日の放課後、佐菜子と一緒に脩太の歓迎ティータイムを催してくれた三人娘の一人、ミッチこと織絵ミツ子だ。こうして生徒会の標的にされたということは、彼女もまたスクールメーカーの一員なのだろう。おそらくは残りの二人も……。
「こうみえて、俺の手癖はイイ方なんだぜ。隠れMだからな。だが、あとの奴らが出てきちゃあ、俺にも保証は出来ねえ。残虐サイコちゃんと、冷酷イビシャ殿だからな」
「貴様ら! まさかマミとクーコまで!」佐菜子が声を荒らげる。
「ちゃんと聞けよ。順に狩らせてもらうって言っただろ。あらかじめ宣言する俺って素敵だよな」
煽りまくる粘土寺の物言いに激昂する佐菜子だが、半分は芝居だった。怒りのこもったオーバーアクションに見せかけて、手持ちカバンに忍ばせておいたタイニーマシンガンを取り出す。そして流れるような所作で、彼女は銃口を粘土寺に向けた。
「もういい! 動くな、粘土寺剣!」
「いや、むしろお前が動くな」
そう言った粘土寺の左手には、刃渡り二五センチはあろうかというサバイバルナイフが握られていた。刃先はうなだれているミッチの右乳房に押し当てられている。皮膚の柔らかさと刃の重さが相まって、彼女の乳房から、スーーッと細く一条の血が流れ落ちた。
佐菜子は「ぐっ……」と小さく呻いたが、銃口を粘土寺からそらすようなことはしなかった。
「その鉄砲を下ろしちゃくれねえか、千歳佐菜子――さもないと」
粘土寺は大きな作り笑いを浮かべると言葉を続けた。
「スクールメーカーの雑魚を生きたまま捕獲せよ、という作戦が破綻することになるぜえ……何よりお前のせいでな」
佐菜子には初めから打つ手はない。彼女の専門は狙撃だ。敵に自分の存在を気付かれぬまま発砲するからこそ勝てるのだ。こうして真正面から対峙してしまっては、スピードもパワーも劣る佐菜子に勝ち目はないだろう。スクールメーカーのエージェントといえども万能ではない。
だが、まだ万策尽きたわけでもない。
悠々と構えていた粘土寺だが、脩太の行動を二度見するや、思わず叫んでしまった。
「ちょっ! おいおい、弾脩太! 誰がノーパソで遊んでいいって言った。地べたに座ってんじゃねえよ! ネットは家でやれ! 一日一時間な!」
「……今だ、レミー!」ノートPCの画面を覗き込んでいた脩太は、静かに、だが力強く叫んだ。