第05話 困惑の下校
「なぜなのかッ……!?」
放課後に盛り沢山のイベントをクリアし、ようやく新居に帰宅した脩太は、開口一番、そうつぶやいた――いや、心情的には叫んでいたのかもしれない。あってはならないモノが、あってはならない場所にあるとき、人間はこういう気持ちになるのかと、新鮮な驚きを感じていた。
今、この瞬間の脩太の気持ちを理解するために、少しだけ、時計の針を巻き戻してみよう。
今から三時間四〇分前。
初めての学園、そして初めてのサイメタル授業にはなかなか付いていけず、休み時間は佐菜子の謎ツアーに連れ回されていた脩太が、ようやく初日を終え、安らぎの放課後を迎えた。
大槻先生からマンスリーマンションの鍵を受け取った脩太は、すわ帰ろうと席を立ったところを、佐菜子と他三名の女子たちに呼び止められた。
「一緒に帰ろう」と。
教室内を見渡すと、いわゆる帰宅グループというものがいくつも出来ていて、それぞれのグループに男子が一人ずつ混じっていた。そして驚くなかれ、男子のみのグループというものが、そもそも存在していない。
そう、各クラスに二割しか存在しない貴重な男子は、そのクラスの女子グループに等しく分配されていた。つまり、四~五人の女子グループに一人の男子が強制的に組み込まれることで、思春期の多感なトラブルを回避する暗黙のルールが成立していたのだ。
ここは、どう行動するのが正解なのか? 特に誘いを断る理由はないが、出来れば早めに新居に戻っておきたい。そんな葛藤を胸に秘めていると、男子生徒の吉田君が、スッと近寄って教えてくれた。
「やあ。弾君は初日だからビックリしたと思うけど、うちの学園ではこれが普通なんだ。でも、くれぐれも注意しておくよ。『俺以外は全員女子だぜ!』と言えば『ハーレム』という言葉を思い浮かべがちだけど、現実は『蟹工船』なのさ。よく考えてみてよ。女性一人なら紅一点と言うけど、なぜその逆パターンの言葉がないのか? 女性四~五人の中に男性一人の場合、それは社会的に抹殺され、存在しない苦役人として扱われるからなんだ。人権が剥奪されるんだ。それはもう人間じゃない。限りなく透明に近いブルーマンというわけさ」
いや、最後のヤツは全然意味がわからない。
けれど、吉田君が言いたいことは、脩太もほぼ理解した。
一般的に、女子の集団に取り込まれた男子は弱い。それが、染色体XYに刻まれた生命のさだめ。
なるほど――かつてバブル時代の華やかな一九八〇年代末、日本男児はその牙を抜かれ、『アッシー君』『メッシー君』『ミツグ君』として女性に隷属させられていたという。その文化は、実は今もなお生き残っているのだ。
じゃあ仕方ない。
曽祖父の遺志を果たすために転入した脩太だったが、今日明日で成就出来るとは思っていないし、それ以外の部分では学園のしきたりに従うとしよう。波風を立てずに、要求された役割を演じ、さらさらと流されていくのは、脩太にとってお得意の処世術なのだから。
「早く行こう、脩太君!」
教室の引き戸のところで佐菜子が呼んでいる。脩太は「う、うん!」と一瞬キョドると、佐菜子たち女子グループの輪に入って教室を出て行った。
佐菜子グループの一員として連行された最初の場所は、チェーン店ながらも本格的なスイーツが楽しめるという人気の店『ザクザクドーナツ』だった。
脩太は、この手の専門店には縁遠かった。正直なところ、恐怖すら覚える。まず、各フランチャイズでの注文システムがさっぱりわからない。店員が自分に何を求めているのか、まるで理解できない。そうなると、もう謝るしかなくなる。
また、こういう店のメニューは妙に凝った名前が多く、それがどんな食べ物なのかもいまいちピンとこない。目の前のショーケースに並ぶ『スターボゥ・ハニーディップホワイト・抹茶』なんて、何がどうなっているのか全く想像できない。かろうじて「抹茶」というテイストはわかるが、そうなると「ホワイト」は一体何なのか、そして「ボゥ」は何を意味しているのか? 虹色なのか? 七色なのか? 疑問は尽きない。
「脩太君、決めた?」
「あっ、うん――佐菜子さんと同じもので」
「おっ、それは責任重大ですな!」と敬礼する佐菜子さん。ちょっとリアクションが古いなと思いつつ、脩太はいつも通り黙っていた。
結局、佐菜子はドーナツを四つ――ちょっと多くない?――と、複雑な名前の紅茶? を二人分オーダーした。
脩太は、ここでの自分の役割は食事代を支払う『メッシー君』なのだろうと思い、財布をカバンから取り出した。まさかこの二十一世紀に『メッシー君』を体験することになるとは、人生、何が待っているか分からないものだ。人間万事塞翁が馬。吉凶はあざなえる縄のごとし。そして、一寸先は闇。ところで、ドーナツっていくらするんだろう? 専門店での飲食に慣れていない脩太には、その見当がまるでつかなかった。
「脩太くん、座んないの?」
背後から佐菜子の声がしたので首を巡らせる。女子四人はすでにテーブル席に腰掛けていた。
「あれ? お会計は?」
「もう済ませたよ。ああ、脩太君のぶん? もらえるわけないよー、脩太君の歓迎ティータイムなんだからさ」
「歓……迎……?」
――あれ? 吉田君? ねぇ、吉田君?
どうも風向きが違うような気がする。そもそも、佐菜子を含む女子四人の表情からして『蟹工船』のような厳しさはない。みんな朗らかに笑って、とっても楽しそうだ。
結論から言えば、彼女たちの微笑みに偽りはなかった。
五人でテーブルを囲んだティータイムは適度にゆるいひとときで、みんなの日常を色々と聞かせてもらうことが出来た。
例えば、今は研修で不在だが、担任の草田先生のフルネームは『草田みかん』といい、それをもじった『腐ったミカン』から転じて『加藤』というニックネームで呼ばれていること(何で?)。
副担任の大槻先生の名前が『喪世彦』であることから、まったりとした一日を過ごすこと、あるいは、のれんに腕押しではっきりしない振る舞いをすることを「モヨる」と言うこととか。
佐菜子がドーナツのおかわり三個を食べるまでの間、女子四人の口からは次々と興味深い話題が飛び出した。
その次に行ったカラオケも楽しかった。女子高生四人――しかも全員かわいい――と、夢のような二時間を過ごさせてもらった。脩太が極端な懐メロしか歌えなくても、佐菜子は大いに盛り上がってくれたものだ。
さすがにカラオケのあとは夜の帳が下りていたので、みんな清く正しく家路についたが、ここまでの数時間は間違いなく『ハーレム』と呼んで差し支えなかっただろう。もっとも『ハーレム』の定義が脩太にはよくわからないが。
カラオケボックスから新居のマンスリーマンションまでは意外と近かった。もしかすると、土地勘のない脩太のために、佐菜子たちが気を遣ってくれたのかもと思ったが、そもそも脩太のマンスリーマンション暮らしを佐菜子たちが知る由もない。大槻先生からは、学園内ではプライベートな交流があることを知られないようにしましょうと言われているので、新居の鍵もこっそり受け取ったぐらいだ――まるで愛人関係のようである。
あれ? そういえば――と脩太は思い出す。
あの日、曽祖父のアタッシュケースを届けてくれた黒服二人のうち、片方は女性だと大槻先生は言っていた。そして今日、自分がその人と再会するとも。あれは本当の話だったのだろうか? ふと根拠もなく、その女性は佐菜子だろうと脩太は思った。
『そうだ、きっとそうだ。だって佐菜子さん、副委員長だもんな!』
またも「副の人」の世話になった。そう気付いたら笑えてきた。そしてここまでの出来事が、やはり誰かの敷いたレールの上にあることを再び痛感した。曽祖父である弾博士の遺志を果たすため、脩太としては気合いを入れて臨んだつもりでいたのだが、やはり身についた生き様は、なかなか様変わりしてくれないらしい。
エントランスでエレベーターに乗り、脩太は三階の新居に初めて訪れた。
元々住むはずだった寮も、このマンスリーマンションも、家具や消耗品は備え付けてあるらしいので、着替えやちょっとした身の回りのものを段ボール箱で送った以外は、特に引っ越しの荷物はない。その段ボール箱も、大槻先生が手配してくれて、すでに室内に搬入されているはずである。
ドアの鍵を開けて部屋に入る。そして明かりをつけた瞬間、脩太は恐怖で息をのんだ。
「なぜなのかッ……!?」
そこには一基の『黒い棺桶』がたたずんでいた。