第01話 人生という名の余白
『あしながおじさん』が死んだ――。
見知らぬ黒服の男たち二人が、僕のアパートにやって来てそれを告げたとき、案の定というか、想定内というか、僕はずいぶんとしらけた気持ちで、そして何のためらいもなくその事実を受け入れていた。
――あぁ、死んだんですか。そうですか。
我ながら、よくもまあそんな物言いが出来たと思う。
黒服の男たちも、いささか戸惑っているようだった。
きっとそれを告げたとき、僕が震えるさまでも予想していたのだろうから。
だけど僕は動じなかった。それは多分、その死に、何の喪失感も抱かなかったせいだと思う。
僕は、弾脩太。
今年で十七を数える僕の人生には、あまり大した思い出がない。
幼いころに両親を亡くして以来、僕はずっと一人で過ごしてきた。
誰とも深く交わらず、ただ無意味に、そっけなく月日をやり過ごしてきた。
何かに打ち込んでも、虚しさしか残らないと識っていたからだ。
僕の人生は、これからの毎日は――全部、余白で出来ている。
実際のところ、そんな子供じみた黄昏にふけることが出来たのも、『あしながおじさん』のおかげだとは思う。『あしながおじさん』は、天涯孤独の身となった僕に、様々なかたちで手を差し伸べてくれた。直接会ったことはないし、どんな人かも知らない。誰も教えてはくれなかったし、僕自身、知ろうともしなかった。『あしながおじさん』は、ただ僕に日々の糧を与え、小さなアパートながらも住まいを用意し、普通高校に進学するレールまで敷いてくれたのだ。感謝の気持ち以外、浮かぶはずがない。
だけど、こんな空虚に満ちた日々を与えられた僕は、どうすればいいんだ。
そう、僕の残りの人生は、余白だ。
『あしながおじさん』は、神様に等しい力で僕の人生をデザインし、僕という名前の物語を紡いでいる。僕自身はただ、その舞台の上で踊っているだけの人形だ。だったら無気力に流してしまえばいい。そうすれば、やがていつかは人生に終わりが来て、ますます僕は何もしなくて済むようになる。
馬鹿げた話だけど、そんな人生観を持っていた。
だって『あしながおじさん』は、決して僕に苦労を味わわせなかったから――。
その『あしながおじさん』が死んだという。
僕より、先に、死んだのだ。
そんな当たり前のことを、今まで考えもしなかった自分に驚きはしても、その死に気持ちがざわめくことはなかった。会ったことも、話したこともない、誰かが死んだだけだ。
でも黒服の男たちが、『あしながおじさん』の苗字が僕と同じ『弾』だということ、そして僕の曽祖父であることを教えてくれたときには、「僕も人間なんだな」と気持ちを噛み締めずにはいられなかった。なぜだかわからないけど、涙が出たんだ。悲しみという感情が、僕に覚悟を与えてくれたのだろうか。去りゆく命を愛おしいと感じたのは本当だ。
僕の涙が落ち着くのを待って、黒服の男たちは、いわくありげなアタッシュケースを一つだけ置いて帰った。曽祖父からのものだという。
ケースの中には、聞いたこともない銀行の通帳とキャッシュカード、オーダーメイドのノートPC、そして『二號学区』の高校に転入するための書類一式が揃えられていた。
思い出の品とか、そんなものは何一つ入っていなかった。
未来しか、そこにはなかった。