第一話 草津 芯
この世界は人という生物として生きるは難易度が高いように思う。
俺はいつもそんな陰鬱としたことを思いながらこの薄汚れた布団の上で目を覚ます。俺のこの意見に対して、人によってはサバンナにいる羊などの草食動物の方が天敵まみれで残酷な世界にいるという反論もあるかもしれない。
確かにどこまで行っても彼らは自然淘汰や弱肉強食というルールからは逃れられない。この悲しき動物たちは逃げ場のない広場で走るのを得意とする怪物たち相手に死の追いかけっこを強制されるのだ。
だがそれがどうした。彼らには神が定めた絶対的で完璧なルールがある。あるべき地球の姿に最適化された法則だ。そんな枠からほとんどはみ出してしまった我々人類は自分たちで完璧に近いルールを作っていくしかない。もちろん完璧でないのだから不具合が生じるし犠牲者が出てしまう。それが地球環境問題、差別、戦争という結果でにじみ出ている。自然界に同じ動物同士で争い地球滅亡とまで行くことができる種族はいるだろうか。
断言しよう。人間以外にそんな芸当はできない。こんなことになってしまった原因は人間がひとえに無限に近い発想と野生動物たちのものよりも黒く濁った欲という機能を開発したからだ。こんな話をするとこの俺こと、草津芯は長々と無限に書くことができてしまうのでまとめると言いたいことは一つ。
人はみんな心という機能に体を傷つけられすぎている。
最近ではパワハラなど心の傷が保護されつつあるがその結果体が軽視されてしまっては意味がない。結局それぞれがそれぞれで保護されるべきで心と体は必ずしも一体である必要はないのだと思う。
そんなことを考えながら、いつものように俺の日常は最悪な目覚めから始まった。俺はそのまま隣にあったスマートフォンで時刻を確認し、仕事の時間まで1時間ほどしかないことを悔やみながらそのまま洗面所へ行って顔を洗うことにした。
洗面台ではいかにも体調の悪そうにしている見飽きた顔をした男がこちらを見ている。
もちろん俺だ。
普通の人なら1か月前に切っておくだろう伸び切った髪の毛に何週間前かに剃ったひげをぼつぼつと生やしている鼻の小さな男だ。
「さえねぇなぁ」
と誰かからの返事も期待していない俺の独り言に
「にゃーお」
と、反応する手のひらサイズの毛玉があった。
いや、これは毛玉ではなくもじゃもじゃした毛づくろいされていない子猫だった。
こいつは俺が飼っているわけではない。野良だ。俺が両親を亡くして間もないころに唐突に俺の家に表れたのだ。それから3日に1日ほどの頻度でやってくるようになった。別に餌をやっているわけでもない。にもかかわらず俺が起きるころにはいつものポジションに居座り目をつむっている。呑気なもんだ。
そんな気持ちよさそうに眠っている顔を横目に再び目の前の男に視線を戻す。
すごく老けて見える、がそれも顔を洗うまでだ。朝、顔を洗う前は30代後半に見えるが顔を洗った後になると17歳ぐらいの年代相応に顔つきになる。これも心のありようによって変わっているのだろうか。
そんな俺はまだ17歳だ。確か体の全盛期は20代が終わるころで心の全盛期は早いと17歳ぐらいから始まるらしい。本当にそうなら早く始まってほしいものである。そして早急にこんな憂鬱なる気持ちから脱却して気持ちのいいさわやかな朝を取り返したいものだ。
17歳といっても別に高校に通っているわけではない。さっきも言った通りだが俺は今働いている。これは選択の余地などなく、なるべくしてこうなったのだ。決して行くところがないからと言って就職したわけではない。というかそっち側ならどれほど楽だったか。
それの原因は端的にいうと借金である。俺が作ったわけではない。親世代、さらに上の世代から脈々と受け継がれてきた文字通り負の遺産だ。早く弁護士に相談しろとか警察へ行けという人もいるかもしれないがうちの草津家はそこらへんが特殊なのだ。ていうかそれができるなら俺が受け継ぐ前に借金なんてなくなっているはずだ。
と、こんなわけで高校生の年齢になると同時に親を亡くしてしまった俺は頼れる家族を失い、畳みかけるように膨大な借金を受けつぐことになったというわけだ。もちろんそんなまさに一家総出ですら返しきれない天文学的な量の金を中卒の学も能も実績もない男が普通の仕事で工面できるはずもない。なので債権者様から仕事を紹介してもらうことになった。
それが今の仕事の「調整師」だ。
まあ一言でいうと精神科医と外科医の出来損ないみたいなものだ。
ざっくり言い過ぎたので説明するとショックな出来事や傷ついた事件などから発生する心的外傷、つまりはトラウマが引き起こす内的な問題が外的にも出力され始めた場合に対処をするとい仕事だ。
俺は心が原因で体に影響を及ぼしている傷を、心と体それぞれの均衡を調整して治している。
これはまさしく言うは易し行うは難し、だ。
言ってしまえば相手の心のかさぶたをはがし、傷をほじくり返し無理やりに強制的に直させようという闇医者もびっくりの療法だからだ。少しでも踏み込みすぎたり、引きさがるラインを見間違えると心は廃人化し、体もそれにつられてぼろぼろになってしまう。だからこの仕事は大胆でかつ繊細さと相手を思いやる気持ちを汲み取る感受性の能力が高くないと遂行することはできない。俺にはその才覚があったのか、それとも本当に難しくないのかその仕事を2年ほど続けることができている。
別に俺は医学的な知識があるわけでもないしそんなに人に好かれやすいと感じたことはないが昔から感受性が強かった。だからその主人公になった気分になれる小説や漫画は好きだし映画だって結構見る方だ。しかしそれでこんな大事な仕事を任せるかどうかは疑問が残るところではある。まあそれは上の人に聞いてみないとわからないことだ。
洗面台ですべきことを終え、机に座り食事などを含めた身支度をきっちり30分で済ませた俺はお気に入りの少し布のいい長袖長ズボンを履いて愛用しているバイクに乗り事務所へと向かう。(原動機付自転車だが)
俺の仕事の事務所は自宅から15分程度でつくあるオフィスだ。質素な机に電話が2,3個あるだけの本当に何をするのかわからない仕事場だ。ここで俺は患者と間接的に会う。そう。間接的だ。ほぼ一方通行。ほぼアクセラレータだ。
仕事は仲介者から患者カルテが差し出されてくる。そこには彼らの身体的特徴や家族構成、総資産数に学校や会社での交友関係までに飽き足らず、心的外傷を負ったであろう原因の候補とそこに至るまでの過程が丸裸同然で詳しく描かれている。これを熟読し、彼らとの公然の時もあれば秘密裏の時もある顔合わせなどをして調査を進めていく。1週間程度で終わるときもあれば長いと半年までもつれ込むときもある。
このカルテに乗っている患者を治療できなかった場合などはわからない。殺されるのか、はたまた別の仕事に回されるのか。俺はこの仕事が好きというか前にやっていた仕事よりも楽なので成功するためならどんな手段を使ってでもという心持ちでやっている。
今回は金髪の俺と同年代、つまり17歳の私立大学の教師の長女だ。しかし、やはりというべきかトラウマなどを負うのは心のリソースがある程度余裕があるやつなのだろう。金持ちが多く特に女性が多い傾向にあると感じる。詳しくはわからないが女の世界は精神力の世界だとテレビでも言っていたしホルモンバランスなどにもよるのか女性の方が病みやすいという研究結果があるぐらいだ。
この少女のカルテが言うには今回の症状はある一定の部分だけ約1年前の火事でできた症状が治らないということらしい。火傷、と一言で言ってもそれ自体レベル分けされておりレベルⅢなどならまだしもレベルⅠでしかもその部分だけが治らないのは不自然だ。自然ではない、つまりは人工的なものだ。人工的なものはたいてい人の心によってもたらされている。そこで「調整師 草津芯」の出番というわけだ。
まあそんな感じで俺は終わりなき借金地獄からできるだけ早く子孫たちをたすけてあげるため、あわよくば俺自身が逃げ出すことができるように金を作るため今日も今日とて心の病の患者の治療に励むのだった。
初投稿です
楽しんでもらえたのなら幸いです




