『第5回「下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ」大賞』参加作品
三日月カフェ
「こんなところで寝ていると風邪をひきますよ?」
綺麗なお姉さんに声をかけられた。
「家に帰っても誰もいないから」
「パパもママも?」
「うん」
滅多に帰って来ない両親。独りで過ごす家は広くて寒い。
「それにここから月が良く見えるんだよ」
「今夜は三日月ですものね」
お姉さんと一緒に空を見上げる。
ぐううぅ お腹が鳴った。
「あら、良かったらお店にいらっしゃい」
三日月カフェ、そこがお姉さんのお店。
「採れたてクロワッサンです。どうぞ召し上げれ」
焼きたてじゃないんだ。
熱々のクロワッサンからじゅわっとバターがあふれる。
「おいしい」
「そう、良かった。ミルクティー苦かったらお砂糖入れてね」
金平糖みたいなお砂糖を三粒入れる。
「あったかい……」
「ふふ、おかわりしてね」
窓からふと夜空を見上げると、なぜか三日月も天の川も星々も見えない。
「あれ? さっきまで綺麗に見えてたのに……」
「ああ、キミが食べちゃったからね」
お姉さんが真面目な顔でそんなことを言う。
「ええっ!? どうしよう!!」
「大丈夫よ。新しいの作ってるから」
クスクス笑うお姉さん。もしかして揶揄われたのかな?
お腹がいっぱいになって
身も心もあたたまったら眠くなってきて――――
いつの間にか寝てしまったみたい。
気付いたら、家のベッドで寝ていた。
夢、だったのかな?
翌日、お店があったはずの場所は空になっていた。
あれからもうすぐ二十年。一度もあのお店には行けていない。
それでも俺は今夜もあの場所へ向かう。
来年で大学も卒業。そろそろ本気で仕事や将来のことも考えないとな。
彼女はいない。別にモテないわけじゃない。
忘れられない人がいるだけ。
時を経るごとに朧げになる記憶と鮮明になる想い。
あの三日月のような微笑み、夜空の星を集めたような輝く瞳。
俺は今でもあの人に恋しているんだ。
名前も知らないあの人に。
「今夜は三日月か。旨そうだな」
こんな風に思ってしまうのもクロワッサンを好きになったのもあの人のせい。
この場所も来月から工事が始まる。
ここから三日月が見られるのはこれが最後になるだろう。
ごろんと横になれば土と草の匂いに混じる香ばしい薫り。
周囲一帯の明かりが消えて暗闇が支配する。
星が降りそうな夜空に三日月の船がぽっかりと浮かぶ。
こんな魔法みたいな夜を……俺は知っている。
「こんなところで寝ていると風邪をひきますよ?」
「採れたてのクロワッサンと温かいミルクティーありますか?」
「ええ、もちろん」