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SS・掌編小説 恋愛・純文学

ブタの羽

作者: 空クラ

短編です。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

 

 <海の家>での仕事は今日で終わりで、俺たちは浜辺に残されたゴミを拾い集め終わると、しばらく波の音に耳を澄ませていた。

 昼の残暑を感じながら聞く潮騒は、俺の心にある何かを奪っていくような、潮風によって錆びていくような気持ちにさせる。

 そして、これで夏が終わるのだと不意に確信し、いまにも海の向こう側に沈もうとしている夕陽を眺めながら、俺はぽつりとつぶやいた。


「終わったな、夏が」

「うん、終わった」

 俺と同じように横で立っている男が同意した。

「これからどうする?」

 と俺はゴミが入った袋をぼとりと落とす。そのゴミ袋の中には、人々が夏とともに置いていった喧騒のようなものがものが詰め込まれていて、落とした衝撃で一瞬華やいだ音を立てる。


「どうするかな。お前こそどうするんだよ」

「俺は・・・・・・」

「どうした?」

 口ごもった俺の顔を、怪訝な表情で男がみた。

「いや、ちょっと・・・・・・昔のことを思い出しちまった」

「なんだよ、昔のことって」

「俺がおもちゃ屋でバイトしてるときに知り合った人がいたんだ」

「おう」

「その人のことをふっと思い出した。いままで考えることもなかったのに、さ」

 男が、にやっと笑った。

「女だな」

「まあ、な」

「美人なのか」

「ああ」

 俺がいうと、ピュ〜と彼は口笛を吹いた。

「で。なにがあったんだ、その娘と」

「なにもなかったんだ・・・・・・。いや、俺は逃げ出したんだよ、なにも起こらないうちに」

「セメントタンメンってやつか」

「それをいうならセンチメンタルだろ」

 男のつまらないボケに俺がツッコミ、夕陽は海に沈み、夜の帳が降り始めた。



 そう、国道沿いにある小さなおもちゃ屋で俺は働いていたのだ。あのときの俺は、商品棚の整理をしていて、プラモデルのこまごまとしたパーツを手に取り、ほこりを拭き、新たな場所へと動かしていた。


 棚も見栄えを考えて、お客がいないときに、冴えない仕事だななどと考えながら―――その後経験する仕事で、冴える仕事などないと悟るのだが―――黙々と作業にいそしんでいた。

 そして「ねえ」という言葉に振り返り、羽の生えたブタのヌイグルミを抱えた女を発見する。


 同時期に入ったバイト仲間で、人形担当をしていた女性。

「海に行かない?」

 その言葉に俺は意味もなくうろたえた。

「海?」

「そう。う・み」

「バイトがあるだろ、無理だよ」

「シフト見らたらさ、明日ふたりとも休みなんだよね」

「ふたりって・・・・・・。俺たちだけで行くの?」

 驚いた俺の声は裏返っていた。

「そうよ。なにかまずいの?」

「まずくはないけど・・・・・・」

「じゃ、決まりね」

 彼女は手に持っているヌイグルミの頭を、ぽんと叩く。すると叩かれたブタは不満気に「ピプ」と鳴いた。

「俺、車持ってないよ」

 と俺はいった。

「電車で行けばいいじゃない。それからバスで。朝から出かければ、人少ないし、きっと空いてるよ」

 返答に困っている俺に、彼女はブタの頭を叩いて返事を促した。

「ピプ・・・ピプ・・・ピプ〜」

「・・・・・・わかったよ」

「じゃ、明日駅で待ち合わせね。時間は―――」


 こうして俺は彼女と海に行くことになり、まるで甘く爛れた夢を見ているような、詐欺にかかっていると知っていて騙されているような気分で仕事をこなすことになった。


 翌日。電車とバスを乗り継ぎ海に着いたのは、クラゲが干からびるには陽射しがまだ弱い時間だった。

「それにしても本当に白いね。どんな手入れをしたらそうなるわけ」

 水着に着替えた俺に彼女がいった言葉は、感嘆とも呆れともとれるものだった。

「横に並ぶのが嫌になっちゃう」

 彼女は自分の肌を見比べていった。

 俺は彼女を正視することができず、真っ黒に日焼けした子どもに視線を向けた。ところどころ皮がめくれて斑になっていて、火であぶった餅を想像させた。

「海に入れば肌の色なんてわかんないよ」

 俺はいい、ビーチサンダルを脱いだ。砂は思ったほど熱くなく、こそばゆい冷たさを足裏に伝えている。

「それもそうね。さあ、入りましょ」

 海に入ってしまえば大した会話も必要なく、俺らは泳ぎ、はしゃぎ、なにしてんの〜と近づいてきた子どもに海水を浴びせ、昆布のように漂った。


 時間は瞬く間に過ぎ、疲れ、海から上がると俺の肌は安物の霜降り肉のような色をしていた。

「痛い?」

 ビーチパラソルを借り、横になった俺の肌を見ながら、彼女はいった。

「痛いというより熱い。たぶん痛みは後からやってくると思う」

 一瞬沈黙が流れ、彼女がいった。

「痛みは後からやってくる、か。ほんと、そうかもしれないわね」

 俺は首をひねり、体育座りしている彼女を見た。なにかに耐えるような表情をしている。

「どうかした?」

「・・・・・・うん・・・・・・」

「俺でよかったら聞くよ。なにか話したいことがあったから今日誘ったんだろ」

 俺は身を起こしながら、いま自分がいった言葉にはっとし、どうしてそんなことに気づかなかったのかと思い、どうして話を聞くよといってしまったのだと後悔した。


 しばらくして「カレシがね・・・・・・」と彼女が切り出すと、俺は心の中でやっぱりなとつぶやいた。

 海の中で話しかけてきた子どもが、「帰るバイバイ」と手を振って去るのを眺めながら、俺は彼女の独白を待った。そしてそれほど待つことなく、彼女は話し始めた。

「一年前わたしカレシとココに来たんだ。カレってバイク乗りでさ、ヘルメットわたしに渡しながら海行くぞ突然いって。わたしヘルメット被ってカレの背中にピトって引っ付いて・・・・・・。風を切るのが気持ちよくて、塩とカレの匂いをかいで幸せで」


 陽は世界を赤く染め、俺は身体に痛みを感じ始めていた。整理されていない話し方に、俺は彼女の混乱を肌で感じることができた。

「水着もなにも持っていなかったからこうやって夕陽を見て、喋って、キスして。それだけでわたし凄い幸せで。もう本当に世界で一番幸せだと思ったの。カレがわたしを家まで送り届けてくれて。また行こうなって。わたし、うなずいて・・・・・・」

 彼女は砂に幾何学的な模様を描き、俺はそれを見て混乱し、昼間に溜め込んだ熱で自分が溶けていくような気がした。

「でも二度と誘ってくれなかった。カレね、わたし送った後ジコっちゃったの。左折してきたトラックに正面からぶつかって、どーーんて・・・・・・。それでね、あっけなく死んだの」


 俺は頭の奥で痛みを覚えた。重く、だるく、熱を持った痛み。黒い塊が、転がり、跳ねて、ダンスする。手で頭を支え、それを振り払おうとする。しかしうまくいかない。

「わたし、カレのこと忘れようとしてる。たった一年前のことなのに・・・・・・。酷いよね。最低だよ、わたし」

 そんなことない、と答えようとした。だけどいえなかった。頭がぼーっとしていた。羽の生えたブタが頭の中を飛び回っていた。そして黒い塊を持ち上げ、落とす。その衝撃で痛み、混乱し、言葉が渦巻く。


 なにをいえばいいのだ?

 いったい俺の言葉にどんな意味がある?

 俺はいま、なにをしている?


 黙っている俺に彼女の顔が向く。夕陽で茜色に染め上げられた彼女の横顔が揺れ、そして震えた。

「嘘よ」

 そういって彼女はうつむいた。

「いまいったこと、全部ウソ。びっくりした?」

 顔を上げて笑った彼女の頬には涙が流れていた。

「うん。びっくりした」

 俺は馬鹿みたいにいい、その言葉をどこか遠くのものとして聞いていた。

 その後、どうやって帰ったのか覚えていない。気がつくと朝待ち合わせていた場所に立っていた。

「じゃ、また明日」

 俺の言葉に彼女は微笑み、ひらひらと手を振った。


 次の日、俺は真っ赤に日焼けした顔でバイトに行くと、後輩が「知ってます?」と慌てたようにいってきた。

「なにを?」

「辞めるんだって、―――さん」

 彼女の名前を聞いても、俺にはぴんとこなかった。

「さっき電話で、一方的に店長にいったみたいで。店長カンカンに怒っちゃって。なにがあったかしらないけど、いきなりはないっスよね。店長の機嫌悪いから、とばっちり受けないように気をつけた方がいいっスよ」

「・・・・・・ああ。わかった、ありがとう」

 俺は昨日に続き、頭の奥に痛みを感じた。その痛みはどこまでも重く、深いところにあった。

 その日の俺は仕事どころではなかった。彼女に電話しようか散々迷った挙句、俺はなにもしないことにした。

 なにをいえばいいかわからないし、彼女は俺からの電話に出ないだろうと思ったのだ。いや、そう自分に言い訳して、俺は逃げたのだ。彼女から。あの日の出来事から。

 そして俺は彼女のことを、記憶の奥底に封印したのだ。



 話し終えると、空には無数の星が広がっていた。

「なんで電話しなかったんだ」

 男が面白くなさそうにいった。

「若かったんだ。どういえばいいか、わからなかった」

「俺なら電話したな。で、その子に会って押し倒した」

「俺は、お前じゃねーんだ。そんなことできるわけねーだろう」

「前の彼氏のことを忘れさせてやるのが男の務めだろ。たとえ、彼氏が亡くなっていてもな」

 彼はいい、砂を蹴り上げた。その仕草はわざとらしく、今する行動にはもってこいだと思った。

「そうかも、な」

 俺も砂を蹴り上げた。砂が舞い、自分の顔にかかった。男は突如、腕を羽ばたかせるように上下させたかと思うと、自分のお尻を二回叩いた。

「なにやってんだ」

 俺は呆れたようにいった。

「ピプ〜、ピプ〜」

 と男がいった。そして羽の生えたブタの鳴き声の真似をしているのだと俺はわかった。

「お前、俺がその子になにもできなかったから、馬鹿にしてるんだろ」

 彼はうなずき、腕を上下させながら走り出した。

「ピプ、ピプ、ピプゥ〜」

 お尻を叩きながら鳴いている男に俺は叫んだ。

「お尻じゃなく、頭を叩くと鳴くんだよ!」

そして「このブタ野郎が」といいながら、俺は過去を振り払うように、男を追い始めた。


 夏は駆け足で過ぎていく、いまも昔もそれはかわらないだろう。

 ブタの真似をする男にも、それにつきあっている俺にも過ぎ去り、新しい季節がやってくる。

 そしてあの日の彼女にも、きっと・・・・・・。

 新しい夏が訪れているに違いない。


End

 感想など頂けたら嬉しいです。

 執筆の励みになります。

 また他にも色々ショートショートをアップしています。

 よろしければ読んでみてください。

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