手のひらサイズの馴れ初め
私と彼の出会いは高校生の時、私がまだ彼のことを名字で呼んでいた時分。私のバイト先に彼が訪れたのが切っ掛けなのだが、そのバイト先が問題であった。
私は実家から離れた高校に一人暮らしをしながら通っていたため生活費等でどうしても金が入用だった。そんな折友達に薦められたのがメイドカフェなるもので。学校から程よく離れている上に給料も普通のバイトより幾分と良かったので即決に至った。
その日もいつも通り出勤し客を迎えていたのだが、その日に来た客が最悪なことに彼だったのだ。先述した通り私の働くこの店は学校からも程よく離れているせいもあってか私の知っている人たちが来たことはなく、周囲にも似たようなメイドカフェが点在している為私の通う学校の制服を着ている人が入店した試しがなく安心しきっていたのも要因だろう。
だから、彼が入店してきた時、私は自分の心臓が口から飛び出してしまったのではないかと思うくらいの衝撃があった。相手が彼だからという訳ではなく、単にクラスメイトにメイド服を着ている姿を見られたという羞恥が私の心臓を跳ねさせたのだ。
単独で乗り込んできた彼は、爽やかとまではいかないが明るい性格で運動部に所属しており、女子が集まって恋愛話をする際に名前が挙がるかどうかという程々の位置付けの男子で。こういう所謂オタク趣味を持っているとは思えなかったので余計に驚いた。
「っ……お帰りなさいませご主人様っ」
どんなに内心で慌てふためいても時間は戻らないのだと、自身に言い聞かせ冷や汗が止まるのを願いつつ笑顔を張り付ける。今の私はだたのしがないメイドカフェの店員なのだ。心を無に。
マニュアルに沿って指名の有無を尋ね、何食わぬ顔で答えた彼の言葉に私の心臓は再び飛び出すことになる。
「じゃあ、キリちゃんで」
きっと私のネームプレートを見て指名したのだろう。源氏名をめんどくさがり本名にしたあの時の自分を殴りたい。これは完全に同じクラスの私であるとバレている。
しかしこれも仕事だと割り切り、張り付けた笑みが崩れないよう席まで案内して軽くお相手をする。彼ならならこんなところにこなくても相手してくれる女の子はそれなりにいるだろうに。
「ご主人様、何かお食べになりますか?」
「そうだなぁ……じゃあこのメイドさん直筆ふわふわオムライスで」
「かしこまりましたご主人様」
フリルの沢山ついたメイド服を翻し注文を伝えるために一度厨房まで戻っていく。そこでようやく溜め息を吐くことが許されるのだ。
注文を伝えたらすぐに戻らねばいけないのもマニュアル通りに。本当は戻りたくないのだけど。
「お食事が出来上がるまで何かいたしますか? こちらがオプションメニュー表となっております」
笑顔が引きつりそうだけど、大丈夫だ、ちゃんと対応出来ている。
「キリちゃんって俺のこと知ってる?」
「……はい、存じております。同じクラスですからね」
「そんなメイドに徹しなくてもいいよ、クラスメイトのキリちゃんと話がしたいな」
「すみませんご主人様。そちらのご要望は禁則次項でございます」
「はは、いじわるだなぁ」
営業スマイルを貼り付ければ彼は困った様に笑った。
「じゃあこのメイドさんとチェキ撮影っていうの頼もうかな」
「……はい。お任せくださいませ」
「あはは。露骨に嫌そうだねー」
他人との、しかもクラスメイトとのツーショット撮影を喜ぶ訳がない。しかしお給金を貰っている身の上として断る訳にはいかない。契約違反となってしまう。
手の空いているメイドさんに撮影係を頼んで、精一杯の笑顔を浮かべて撮影に臨む。しかもだ、あろう事かシャッターが押される瞬間に彼は私の肩を掴んで抱き寄せて来たのだ。撮影係を引き受けてくれた子は、大胆ですね~と出来上がったチェキを私に手渡す。これに日付と私のサインを書かくのも、マニュアルに従ってのこと。
私の名前と共にオムライスが出来上がった旨が厨房から伝えられたので取りに行くため席を離れた。ここで二度目の溜め息。何の変哲もないオムライスが乗った皿をケチャップと共にシルバートレイに乗せ、彼の待つ席へ。
「お待たせいたしましたご主人様。お好きな文字をお書きいたしますが如何いたしましょうか」
「えーと……じゃあ『コウくん大好き』でお願いしようかな」
「は、はい。かしこまりましたご主人様」
彼にこんな趣味があったんだ、と少し引き気味にケチャップで言われた通りの文字を書いていく。最後にしっかりとハートマークも忘れずに。言っておくがこのハートマークは必ず書く規則なのであって他意はない。
どうぞお召し上がりくださいご主人様、と営業スマイルたっぷりで言えば彼ははほんのり頬を染めてスプーンを手に持った。
「美味しい」
「お口に合ったようで良かったです」
私の働いているメイド喫茶は入店時に指名をいただけばその人が退店するまでお客様のお相手をする、所謂キャバクラ形式となっており、私は基山くんの向かえの席にちょこんと座りにこにこと営業スマイルを振りまいた。この時の私には羞恥とかそういった感情はすでに無くなっていた。
「……」
「? いかがいたしました?」
「あ、いや……ずっと居てくれるんだなと思って」
彼が頭上にクエスチョンマークを浮かべたのでこの店のシステムを伝えてやれば案の定、キャバクラみたいだね、とはにかんで笑った。爽やかとは少し違う、明るくて気さくな彼にしては少し可愛らしい印象で。今にして思えば私はこの表情を見た時から彼に恋をしていたのだと。
「何してんの? 二人とも待ってるよー……って何見つめてるの?」
「っと、そうだった。というか何でこんなのとってあるの」
「あぁその写真。昨日ヤエ君とサクラちゃんに馴れ初め訊かれたから見せてあげようと思って出しといたんだ」
「えー。馴れ初めがメイドカフェだなんてやだー。普通に同じクラスだったで良いじゃない」
「ダメだよ。キリちゃんとの大切な馴れ初めだからね」
「それにほら、この私の笑顔めっちゃ引きつってるし……」
「今と変わらず可愛いよ」
当時と変わらぬ爽やかさは余りないが明るくて気さくな彼らしい、それでいて少しだけ可愛らしい印象ではにかむ彼。私がこの表情に弱いと知ったからなのか、よくこの表情をするようになったと思う。当社比。
「……今だから言うんだけどさ、俺キリちゃんがバイトしてるって聞いたからあそこに行ったんだよ」
「えっ、誰から聞いたの」
彼の口から出てきたのは私にあの店を紹介した友人の名前だった。口止めしておけばよかったと思う反面、彼女がキューピッドだったのかと感謝の念も抱く。
「生まれて初めてメイド喫茶行ったんだよ」
あれから私があの店でのバイトを辞めるまで、彼は熱心にあの店に通い続きてくれた。まさかあの店を辞めるきっかけが彼からの告白だなんて、あの日の私は露程も思わないだろう。
結婚して子供が生まれた今ですら、たまに信じられないのだから。