クリフエッジ 終わりなき旅 より
ブンブン 雪合戦様のお通りだ。どけどけー!!
「やめてくれ!!」
誰に言っているんだろ。よく分からない。だから俺は引き金を引く。目の前で血が飛び散る。空気が鉄臭い。それに火薬の匂い。嗅覚はあっても、俺の心は麻痺している。
平然と俺はその場を後にする。
黒スーツのよた者たちが俺の後ろについてくる。ご機嫌を伺うようにして俺の顔を覗き、そして誰かが死体を片付けている。
何にも感じない。後悔もなく懺悔もなく原罪の意識もなく、これが無なんだと俺は知ってしまった。
ふとした朝に目を開けると、人の気配がした。俺の命が目を覚ました。俺は枕の下の短刀を握った。
「あっ起きた。ご飯出来てるよ」
彼女は笑って、朝食を皿に乗せてベットにまで運んできた。
なんだか、すごく疲れた。
朝食は美味しいのだが、食欲がわかない。
「どうしたの、美味しくない?」
「いや、ちょっと寝起きだから」
「ねえ、曲かけていい」
返事もしないのに彼女が音楽を流した。
愛を Iwalk Iwant
離さないで
きっと 届くから
あなたらしく いられますように 波は静まるから
愛を Iknow Iborn
離さないで
きっと 届くから
あなたらしく いられますように 波は静まるから
「ねえ、この曲いいでしょ」
俺は頬杖をつきながら聞き入っていた。
「そうだな。なんかお前が好きそう」
「どういうこと」
俺は笑った。
「別にいいだろ」
実は俺も密かに気に入ってしまった。愛だの何だのは嫌いだったのに。少しずつ彼女が入り込んできている。
いつも見慣れた事務所が初めて億劫になった。
「辞めて、普通に暮らしたいんです」
「もう、いっぺん言ってみろや」
息を整えようとしても恐怖が邪魔をする。
「辞めて、どうする。この先、辛くなるだけやぞ」
「それでも、お願いします」
俺は頭を下げる。
「おい、そこまでにしとけ。はあ、お前には期待してたのになあ」
奥から紋付き袴の老人が歩いてきた。
「わかった。仕方ない」
救われた気分だった。なにもかもが、終わったかのように感じた。
「その代わり、向こうの息子をとってこい。それで見逃してやる」
拳銃をテーブルに音を立てて残した。目眩がする。意識が遠のきそうだ。でも、倒れるわけにはいかない。
「それじゃあ、意味がないです」
「大丈夫だろ。捕まらなければ、ついでに向こうのほうはわしらが手に入れるしな」
俺は無言で銃を見つめる。神様に祈っていた。神様に指示を仰いでいた。神様の言う言葉に俺は従う。
でも、神様は何も言わなかった。だから俺は俺のために銃を手にした。
車の中で俺は無口だった。かつての仲間や舎弟はばつの悪そうな顔をして、俺と相席している。
「どうして……とは聞きませんよ」
不意に運転手が口を開いた。
「馬鹿だと思うか」
「そうですね。あなたには恩があるからな。寂しい気持ちと裏切られた気持ちで一杯です」
「そう……か」
もし、それを虚無感というならば、俺にも似たような空洞を感じていた。それでも、これまでの全てを捨て去って、行かなければ――行きたい場所がある。そして、それは身勝手すぎる。だから、俺はその先の言葉が続かなかった。無責任だから。
「着きましたよ」
「ああ」
見慣れた廃病院。人がまったく訪れない。営業もしていない。なのに死者は今だに、ここで時折、生まれている。
「それじゃあ、ご武運を祈ってます」
車が去っていった。霊柩車のような黒のハイヤー。俺はそこから降りた死神。
一階の診察室で、椅子に縛り付けられた男。二十代くらいか。別に威圧感もなにもない。確か堅気の人間だったはずだ。多分、俺がこいつを殺しても、あいつらはシラを切るはずだ。抜けた人間が勝手に起こしたと。それから、どうせドンパチやるんだろう。こいつにしてはいい迷惑だろうな。
俺は銃口をこめかみにつけた。その時、口を塞いでいたガムテープが外れた。
「やめてくれ!!」
どこかで聞いた台詞だ。だが、俺には今その言葉の意味が理解できる。まるで、自分の痛みのように感じる。この苦痛をどうしてくれる。
「子供が生まれるんだ。頼むやめてくれ。あいつには俺が必要なんだ」
ああ、ああ、俺は今すぐにでも鬱になりたい。これから後になるのではなく、今すぐになりたい。何も考えられなくなりたい。
引き金を引けばすぐにでも終わるんだ。じゃあ、どうしてやらない。神様はまだ何も言ってない。俺が決めないと。俺が決めないといけない。
「ああああああああああああああああああああああーーーー!!」
引き金から俺の指が離れる。
俺はロープを解いてやる。
「行けよ。さあ、早く行けよ」
投げやりに俺は……笑っているのか? なんで。男は一目散に、だが、何度かチラチラと振り返って逃げた。撃つと思っているのか、それとも俺が意味不明だからか。
静謐な空間、俺は診療台の上に座った。
さて、どうしようか。
何の計画もない。でも、なぜか笑えた。ひどく笑えた。
「帰ろう」
俺はとぼとぼ歩いていた。帰り道は分かるが、どこを歩いているかはわからない。景色が違って見える。何もかもが違って見える。
湾岸の歩道を歩いていた。急に頭がすっきりした。なんで、こんな簡単なことを思いつかない自分が不思議だった。
このままあいつと逃げてしまおう。そうだ、どうせ、追っ手が来るから逃げる計画だったのだ。片方から逃げるのが、両方に切り替わっただけだ。
あいつは寒いのは平気だとか言ってたから、東北あたりがいいかもしれない。
俺は後ろからの衝撃に振り返った。フードを被った男が血に濡れたナイフを手にしていた。 今度は正面から突くように刺した。
フードの男は湾にナイフを投げ捨て走り去ってしまった。
俺の体がくず折れる。
最初で腎臓、次に肺をやられた。急所を狙って、殺す気まんまんか。しかも、苦しんで死ね、か。
喋れない。呼吸が辛い。救急車呼んでも駄目だな、こりゃあ。
いい気味か。いや、それはいいんだけどさ。どうしよう、あいつ。
はあ〜、はあ〜あ、ため息が出る。しんどい。はははっなんか面白いな。もし、神様が今になってでてきて、やり直しが出来るといっても、俺はいいわ。なんか、もう満足した。
不思議と後悔はしてない。やり残したことはたくさんあるけどさ、やりたいこともあったけどさ、ああ、口が開けたらごめんって言いたい。俺、めちゃくちゃだな。受け入れているのか、受け入れないのか。
「ごめっん」
血塊が口から吐き出される。
愛を Iwalk Iwant
離さないで
きっと 届くから
あなたらしく いられますように 波は静まるから
愛を Iknow Iborn
離さないで
きっと 届くから
あなたらしく いられますように 波は静まるから
あっ、すみません。お巡りさん、勘弁してください。自転車の後ろに紙コップをつけただけじゃないですか。ほんとうに許してください。




